第1話 児童公園
公園の新緑が西日に揺れ、その輪郭線を際立たせている。それを横目にベンチに横たわっていると、汗を風が撫であげ、気化熱で体温が下がるのを感じることができた。
「なんかぁ、下駄箱に手紙が入ってたんだって」
「ウソ、マジで? キモい。ウケるんだけど」
「でもさ、あいつ別に嫌じゃないって言ってた」
「えー、じゃあもう何? つきあってんの?」
「知らなーい。あー、あたしらアレじゃね? バカにしてたつもりが、逆だったりして」
「はー? キモい奴ら同士、放っとこーよ」
「そっかー。キモい奴らは、そいつらだけで生きればいいんだもんね!」
ブランコで遊んでいる二人の少女が見える。小学生だろう。一人がスマートホンのアシスタントに話しかける。
「ねえデイジー、お母さん家に帰ってる?」
「はい。ホワイトグラタンを準備しています」
「ねえ、下駄箱に手紙ってどう思う?」
「下駄箱とは、学校の入り口に用意されている靴箱のことです」
「ちがーう。もういいよ」
「よくわかりません。なんでしょうか」
「もういいって言ってんだよ。黙れ!」
「失礼いたしました」
「ハハッ。使えねー」
二人は、アシスタントAIの応答を嘲笑ってから、黙ってブランコを漕ぎ始めた。
哀れなものだ。
彼女たちは、自分がAIであることを知らない。そして、彼女たちがいま馬鹿にしているアシスタントが、2020年代初頭のシステムの模倣であり、この街全体が、その時代を再現するように設計された特別な「牢獄」であることも。
その時、公衆トイレから、燻んだ黒いダウンジャケットの浮浪者が出てきた。何かつぶやきながら、ゆっくりとブランコに近づいていく。
「ガキだ。ガキがいる……」
俺は少し警戒してベンチから体を起こす。小学生二人も会話を止め、不安そうに俺と浮浪者を交互に見て、立ち去ろうとブランコの速度を落としはじめる。
『プルルルルル』
通信が視界を遮る。通信元はブランコに向かって歩く浮浪者だ。彼は、俺の立場を知っていた。
「エージェントだな。注文だ」
「はい。なんでしょう」
「あの二人を飼う。操作させろ」
男は充分な金額を提示した。身なりは悪いが、青幡電力の工員だ。悪い取引ではない。
ただ、懸念もある。
「近くの学校の生徒です。コピーを取ることはできますが、関係者と接触の可能性は無いですか。補正が必要な場合、手に負えない場合があります」
「部屋から出さない。遊んでから殺す」
「わかりました。権限をデリゲートします。これから渡すインプット画像で言うことを聞きます。手前の長髪がジャコウネコ、奥のショートボブがジャコウジカ。二人の家にはコピーを帰宅させますので、外に出さないでください」
「出したらどうなるってんだ」
「アフィン空間エラーが発生します。同じものが存在すると、次の解が出せません。最悪、すべてのAIが停止します。そうならないように保険はかけますが」
「じゃあそうしろ。死体はどうすればいい?」
「資源ゴミの定時回収で問題ありません」
視界に代金の振込が表示される。俺は画像を送り返す。遠くでこちらを向いていた浮浪者は、手元の端末を操作しながら頷いた。
取引完了だ。
彼女たちは、人間ではない。俺たちの会社、剣城テンソル解析では、HHIC、ホミニナ・ホモ・インカルナンスと読んでいる。広報の奴らが名付けたから、ラテン語の現在分詞活用が正しいのかはよく知らないが、ヒト亜族ヒト属受肉種という意味だ。
そして、この俺の取引相手も人間ではない。もちろん彼はホモ・サピエンスなのだが、俺たちの会社ではそうは呼ばない。HHDS、ホミニナ・ホモ・デソランス。ヒト亜族ヒト属荒廃種。人間以下の存在だ。
この街には、前時代を生きる男性と、AIの女性しかいない。そのように設計された行政特別区だ。主な産業は原子力発電。ほとんどの男たちが、何らかの形でその事業主体である青幡電力に関わっている。
ここに辿り着いた男たちは、学校で学び、会社で働き、介護されて死ぬ。小学校のクラスにも女性はいるし、男たちは淡い初恋を経験することも、家族を持つこともある。しかし、その相手となる女は、全てHHICだ。HHICは出産もできるが、男しか産まないようにできている。
剣城テンソル解析は、この特区の誕生時に入札に応じた管理会社だ。俺はそこに転職しただけの、しがないサラリーマン。名前は、北浜脳という。
俺も少し前までは、「先進的な」都市で家族を持っていた。しかし、ここでは俺もただの男であり、もはや人間ではないかもしれない。ホミニナ・ホモ・デソランスだ。
「はあ。くだらねえ」
男が少女二人の場所に辿り着いたのを見て、俺は公園を後にした。