夢現
事実をもとに執筆した小説です。
ホラー系が苦手な方はお戻りください。
ここは何処なのだろう。目を開いたその先には、孤独に誘う暗闇が続いていた。まるで深海魚と戯れているかのようだ。なんて、悠長に考えていたら、暗闇の先に少しの光が差した。そんな気がした。その光を追って少々歩を進めてみる。歩くたびにコツコツと反響する自分の靴音に、恰も建物の中にいるように感じられた。いや、建物の中なのだろう。しかし、僕は未だ何故このような場所にいるのかが分かっていない。妙に心地の良さを感じるが、それがどうしてなのかも分からない。思い入れのある建物なんてあっただろうか。それにしても、誰の気配も誰かがいた気配もしないだなんて、本当に孤独なのだな。一人思考を反芻し、内に芽生える恐怖心に言い訳を重ねてみれば多少はましになるかもしれないと思ったのだが、こうかはいまひとつのようだ。
以降も思考を巡らせ恐怖心を逸らせないかと歩いて行くと、光がより一層明るくなっていることに気が付いた。あともう少しでこの建物の外に出るのだと、僕は少しの安堵とともに更に歩を進める速度を上げていく。
段々と早足になっていく中、ふと思い出した。確か僕はここを走って怒られたのだ。その記憶の一部分を見つけると、僕は既に建物の外に出ていた。正しくは建物の渡り廊下に出ていたのだ。途端、今まで湧いてきていた疑問の数々が腑に落ちる。思い入れがあるのは、ここが僕の通っていた小学校だから。怒られたことがあるのは、僕が返し忘れた本を手に、図書館へとこの渡り廊下を駆けて行ったから。そして、僕が何故、このような夜の小学校に存在するのか。そう、ここは僕の『夢』の中だ。僕のもう一つの世界。
僕がこうした奇妙な夢を見るようになったのは、二歳の時に見た最悪の『夢』からだった。じめじめとした真夏日、僕は薄暗い一階のリビングに一人佇んでいた。一階には僕一人。家に僕一人なんてことはない。親も兄弟も二階にいるのだろうと、寂しさのあまり二階へ続く階段前にいた。階段は子供が上るには難しい急な勾配だったのだが、僕はギシギシと軋む階段を小さい体で一歩一歩確実に登って行った。手すりを頼りに階段を登りきった時、生憎そこには誰もいなかった。皆、僕を置いてどこかへ行ったのだと、落胆とともに階段を降り二階を後にしようか…と、ベランダに見知らぬ女が立っていた。顔の細部が見えない真っ黒な女が、僕を指さして高笑いをする。本当に全く何も見えなかった。最後に女の大きな口が気味悪く三日月の形に歪んだところ以外は。
昔に見た夢すら細部まで覚えているからか、大人たちは僕のことを気味悪がっていた。多分、あの女は僕が孤立するのを分かって笑っていたのだ。保育士たちにも、変わっている子だからといつも虐められていた。僕には頼ることのできる大人がいない。気付いてしまうと簡単に受け入れられた。どうしようもない事だったのかもしれない。次第に僕は夢の話をしなくなった。
夢の中だというのに数年前のことを思い出し、気づかない間に目が潤んでいた。涙を流さないようにと、目を大きく開き空を見上げる。涙が蒸発しないだろうかという儚い想いを乗せて。すると、気味の悪い真っ赤な上弦の三日月が。釣り下げられたソレは、幼い僕を見下ろし嘲笑っていた女の口を連想させた。悪寒が走り、夢の中だというのに鳥肌が立つ。不安定になる僕の心を煽るように、蝉は宛ら耳を突き刺す鋭い声で鳴き続ける。僕が耳を塞ぎ止めろと叫んでも、夢が終わることはなかった。僕はここが夢だと分かるだけで、夢と現実を行き来できることはないから。
このまま夢から出られないんじゃと、いつものようにそんな恐怖が走る。けれど、何か出られる方法はないかと心を落ち着かせ、僕は目覚めるまでこの世界を散策することにした。
初めてこの世界が僕の夢の中だと認識した時、ここはあまりにも歪んで見えた。別にぐにゃぐにゃと曲がっている訳ではない。何というか、現実の中とは少し違う。その本質を見失っているような。そう、例えば、この小学校が廃校になっているように。
それで誰の気配もしなかったのだろう。中庭に見える野外プールは苔に覆われ、校舎に光を取り入れる筈の窓には蔓草が張っている。裏門に続く上り坂の先にも、人一人の気配も感じられない。今回は珍しく自分以外の誰も夢の中に居ないらしい。つまり、今日は自分が死ぬ番なのだろう。分かっていても、夢だとしても、死ぬ瞬間は怖いと思ってしまう。どうせいつかは死んでしまうというのに。
未だに夢の中に取り残されたままで、僕は校舎周りを歩き続ける。そこで気づいた。校庭の端にバスケットボールが残されていることに。やっぱりここは僕の夢だなと痛感させられる。このバスケットボールには思い入れがある。僕がよくバレーをサボる時、必ず校庭でバスケをしていた。親や祖父母には、休む時くらい自分の口で言いなさいと言われていたのだが、正直姉との関係をこれ以上拗らせたくなくて、顔を合わせることも躊躇われた。そんな時、校庭でバスケをしている高校生のお兄ちゃんと、長身のシンさんと呼ばれるバスケの上手な先生がいた。僕は二人からゲームの勝ち負けも、姉との関係も考えなくていい、純粋にスポーツを楽しめる時間を貰った。
そんなことを思い出すと、今までの不安が少しずつ薄れていった。僕は夢から出るために再び歩く。いつもバスケをする校庭の隅を通り、皆で競争をするタイヤ渡りを通り、初めて地球回りを成功させた赤い鉄棒を・・・。通り過ぎる前、視界の端に不可解なものが映った。校庭のフェンス越しに接した車道に、チカチカと点滅する街灯が。僕の夢では全てのものがその本質を見失ったかのようになってしまう。本来ならこの街灯は辺りを照らすこと、点滅することすら出来ない。なのに、どうしてお前はこの世界の理を覆しているのかと、僕の止まった思考ではなぜこんなことが起きたのか分からなかった。そこへ、コツコツコツとアスファルトに響く鋭いヒールの音。その音が止まったかと思えば、街灯はハイヒールに真っ赤なワンピースで身を包む女を照らした。女の口は大きく引き裂かれ、その口が歪んだかと思えば、こちらへ近づいて来る。逃げたくても、何故か足が動かない。そんな中、女は僕の目の前へ。女は耳元で『私、綺麗?』そう言った後高笑いをし、持っていた庖丁で、
激しく鳴り響く風鈴の音に、僕はそこで目を覚ました。布団は汗でぐっしょりとしており、寝起きとしては最悪だ。それにしても、夢の中で僕以外の誰も殺されなかったなんて初めての経験だな。ふと時計を見やると十一時を超えている。ベトベトとした感覚に気持ちの悪さを感じながらクーラーの効いたリビングに向かう。リビングのテーブルの上には置手紙と冷めた朝食が用意されていた。置手紙には一言、『畑に行ってきます。』とだけ書いてある。僕は汁椀を手に取り、キッチンで冷めた味噌汁を温めなおす。その間も耳障りな蝉の鳴き声は聞こえ続ける。先ほど聞こえた風鈴の音はもう聞こえない。そもそも風鈴なんて下げていたろうか。そんなことを考えながら味噌汁を椀に注ぎなおすと、レンジからチンッと小気味のいい音が聞こえた。グリルを開けると、そこにはホカホカの焼き魚が出来上がっている。お椀に白米をよそえば立派な朝食の完成。朝からこんなに豪華な食事を食べれるだなんていつ振りだろう。まあもう正午を回るのだが。朝に食事をとること自体が珍しく、こんなことに感動してしまう。味噌が少し薄めで、あまり入らない朝には丁度いい。焼き魚も味醂が効いていてマイルドな味わいにうっとりする。
暫らく食事を堪能し、時刻が十三時に差し掛かろうとする頃、庭から熱烈な視線を感じた。そちらに視線をやれば、見ていたのは愛犬のラヴ。僕たちは事情があってここを一度引っ越しをした。その時ラヴも連れて行こうと考えていたが、車酔いが激しく断念せざるを得なかった。今は夏休み期間中ということもあり、こちらに戻ってきている。久し振りに見た弟は、以前と変わらず愛嬌を振りまいているらしい。どれだけ小賢明くてもこの姿は憎めない。ラヴが人にこの姿を見せるのは遊んでほしい時か散歩に行きたい時だけ。動物保護施設で今にも殺処分を施されそうな一匹の子犬は、多くの人から愛されて我が儘になってしまった。でも、この癒してくれるモフモフを誰も叱らないものだからしょうがない。僕は気持ち悪さを忘れてリードを手に外へ―――。
膝を殺しにかかる傾斜の狂った坂を三十分程登った頃、やっといつも通るウォーキングコースが見えてくる。ウォーキングコースは競技場の横を通り広大なグラウンドへと繋がっている。広くてこの時間は誰もいないため、思う存分遊んで来いとリードを外した。戻って来るんだぞと声をかけるが、ラヴは聞こえているのかいないのか、飛んでいる蝶を追いかけている。ここに来るまでにどれだけ辛いのかこいつは知らないんだろうなあと、考えていればラヴが走って寄ってくる。落ちていたのであろうボールを銜えて戻ってきた。その顔には遊んでくれと書いてある。
時刻はもう十七時。あの後何度もボール遊びに付き合っていれば、日は傾き始め、膝も笑い出す。
「ただいまぁ~。」
力の入らない僕の声に返事をしたのは祖父だった。
「おかえり。申し訳ないけど、今日の夜に船を出さなくちゃいけない。晩御飯は爺ちゃん抜きで取っとってくれ。」
そう言って祖父は走って家を後にした。家に残るのは僕と母、姉弟と祖母のみ。逞しい男手を失ったものの、うちの家族は皆逞しいので何の問題もなく祖父を見送った。
晩御飯の席では家族に酷く非難された。寝すぎだ、どれだけ疲れたと思っているんだと、ぶつくさ文句を言われる。なら起こせば良かったじゃないかと僕は反論をした。正直、誰かが起こしてくれるか夢の中で死ななければ起きれないのだから是非とも起こして欲しいものだ。そのように僕が反論をすれば皆が黙る。どうしたのかと聞いてみれば、「アンタ、頬を叩いても起きなかったんだから」と、姉が代表して発言した。確かに起きた際に頬が痛かったような―。そんなことより、
「起きなかった?」
あまりにも理解しがたくて、聞き返してしまった。確かに、誰かに起こされて悪夢を脱したことはない。もしかして本当に僕は夢の中で死に続けるのだろうか。嫌な考えが頭をよぎる。そんなのごめんだ。いつまで悪夢に囚われればいいのか。考えるだけ時間の浪費だと、考える事を止め晩御飯に集中した。
そうして祖父はいないが何事もなくいつもと同じように一日が終わった。もう寝ようかと自室に戻り布団に入れば、普段は同じ部屋で寝ていた弟が今日は母と寝ると言った。子帰りがしたいらしい。僕は疲労と眠気が勝ったため構わないと言ってベッドに横になり、布団をさらに深くかぶった。祖母と僕は一階の別々の部屋で寝ており、僕以外の家族は二階でまだ騒いでいる。その声も次第に遠のき、僕はついに眠りについた。
気が付けばそこはいつも利用する商店街だった。普段の賑やかな面影はなく、廃墟にでもなっているんじゃないかと思われるほど静かだ。そもそも街に人が居るのかさえ疑わしいほどの静けさ。誰がどう見ても、夢の中であることに間違いはない。夢に入ったばかりで、暫くは出れそうになさそうだ。ここから家まで四十分程かかるが、取り敢えず歩いてみることにした。商店街は全ての店でシャッターが下げられており、廃れた街はこうなるんだろうかなんて縁起の悪いことが頭に浮かんだ。自分が考えたにも関わらず悪寒の走るような思考に、早く忘れてしまおうと歩を速めた。
しばらく歩いたところで、普段利用するスーパーが見えた。店の外観は廃墟そのもので、世界が滅びればこのようになってしまうのかと、またネガティブな考えに至ってしまう。ただでさえ悪夢を見て精神的に不安定なのは明らかだ。これ以上心に負担をかけるのはやめようと、歩みを戻したその時だった。僕の背後でカンカンカンと踏切の音が聞こえた。有り得ない、有り得ない、有り得ない、有り得ない、有り得ない。僕の頭は理解が出来なかった。僕の夢に出てくる物のほとんどは、その本来の役割を忘れたように廃れている。現実と同じように働くものがあれば、それは不吉なものが迫る合図のようなものだった。けれど、これ程までに存在を知らしめるように働くものはなかった。逃げなきゃ。本能のままに脚を動かし、この場から離れることに必死になった。夢の中にも関わらず、疲労を感じている。これは不味いと顔を顰めても、何かが変わる訳ではなかった。結局は息が続かず、ゼーゼーと咳を交えて呼吸する。坂を無我夢中で走って疲れ果て、足が動かない。膝に手を置いて前屈みで、取り敢えず息を整えようと冷静になった。どのくらいの時間走っていたのかは不明だが、家がすぐそこにあるのが分かるくらいには近づいていた。あと少しだと顔を上げる。と、そこには影のような男がいた。祖父のように身長が高く、叔父のようにスラっとした体型で、ハッキリとした雰囲気はないもの、安心感の湧くような男だった。男は僕に手を伸ばし、僕は洗脳でもされたようにその手を取ろうとした。参っていたのだろう。あと数センチで男に助けを求められる。そう思っていた。男はその手に縋る僕を見ると、この世の者とは思えない背筋の凍るような笑顔を見せた。駄目だ逃げないと。僕は一目散に家へ向かった。その間も男は僕の後ろで気色の悪い奇声と笑い声を発しながら向かってくる。息は尽きているのに、本能が叫ぶ。このまま捕まれば死ぬぞと。恐怖に涙する暇も与えられず、家の門を抜け玄関へ。勢いよく家へ上がれば、自分の眠る子供部屋へ向かった。部屋の扉を開けると、そこには汗が滲み顔の青ざめた生気のない自分が寝ていた。起きないとまずいと思った僕は、自分に向かって叫んだ。
「起きろ!」
バッと飛び起きるとそこはベッドの上で、僕の身体は夏場だというのに死人ように冷えきっていた。このように本能的に死の恐怖を感じる夢は初めてで、これはただ事ではないのだと思い知らされる。この後に寝る勇気は流石になくて、目覚まし用に水でもと立った。と、少し開いた部屋の扉から、先ほどの男の影がこちらを覗いていた。男は僕の意識が覚醒した姿を見れば、舌打ちをして消えていった。
僕は朝まで部屋から出なかった。あの男が何をしに来たのか分からないし、何故あそこまでの恐怖を感じていたのかも分からない。ただ本能が叫んでいた。奴に捕まれば死ぬことになるだろうと。あの日、あのような体格の者は家にはいなかったし、朝まで部屋から出ずに起きていたので知っている。部屋の前で見たあいつが現世で見たものだと。奴は何者だったのだろう。もしや死神だったのだろうか。しかしこれだけは言える。人は自らの夢に食い殺されることがあるのだ。
私が7歳の頃に体験しかことをもとに高校3年生の時に執筆したものです。
その時は文芸部に所属しており、締め切りに追われて深夜に急いで執筆していたら、至る所からラップ音が絶えずに滅茶苦茶怖かったです( ;∀;)