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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
六章 追憶のグランギニョール
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6―15 グランギニョール③

「やあ、先日の夜はどうも」


 マントのような黒の外套。灰色の長い髪に金の瞳が俺を見て、紳士的な会釈をする。


「ちっ、おめえに用はねえ。用があんのはあの髑髏だ。あいつを今すぐ出しやがれ」

「そうかい、その殺意は彼に向けられたものだったか。いいよ、お望み通り、会わせてあげよう、君の想い人を添えてね」

「あ?」


 ど、どど、どどどどどどどどどどどどどどどどどど。


 校舎全体を揺らす地響きが下の階から怒涛のごとく近づいてくる。入り乱れる足音と誰かの金切り声が渦を巻く――校内にて解き放たれたそれが屋上の扉を突き破って出てきたのを見て、俺は目を剥いた。一斉に飛び出す女体は生まれたままの状態。尚且つ同じ背丈、同じ顔、同じ目の色同じ髪。星宮小夜の姿をした生殖の死魔だった。


「はァァァ、どこまでもよォ」


 オリジナルの星宮を母胎として生まれた生殖の死魔がどこから湧いて出てきたのか、俺に襲い掛かる。視界を埋め尽くすは星宮の顔、顔、顔。ライツァリッヒの姿はもうどこにもなく、俺は退魔の剣を振り抜く形で星宮の腹部を切り裂いた。


「くそ……俺は何度殺すんだ」


 刺して殺して、殺して斬って、初めて殺した時と同じ感覚が――手に走る。

 だけどいい気はしなかった。気分が乗らない。好きな女を殺すのは一回だけでよかった。その一回が大切なものだからこそ、何度も殺してしまえばその一回の価値が回数を重ねていくうちに薄れてしまう。


「最悪だ。どんどん、どんどんよ……一体何がしてぇんだよ」


 分からない。あの死神はどうして俺にこんなことをさせる? 好きな女を殺せる喜びを味わわせて俺の情動を昂らせる魂胆か? だとしたら的外れだ。俺は今、過去一つまらない殺人を犯している。されどこのままの心境で殺し続けていればいずれ俺は彼女という物量に押し負けるだろう。


「ざけやがって、何を企んでるか知らねえが萎えた気分で殺してたら星宮に失礼って話だ。……いいぜ、こんなにもまだいるんだ、楽しんでやるよォ……好きな女を好きなだけ嬲り殺せるなんて夢みてぇだぜぇぇぇぇえ!」


 余計なことは考えず、頭を空っぽにして、ただ目の前にいる女を斬り殺す。熱い血潮が飛び交い、萎びた女の身体が次々と倒れていく。踊り狂うようにナイフを振り回して殺して死体の山を積み上げる。だが殺しても殺してもきりがないほどに屋上にはまた新たに星宮がやってくる。


「ちっ、埒が明かねえ……なァ、くそ」


 俺は背後で横たわる諸星を一瞥して、下唇を噛んだ。


「悪い……諸星。でも……見つけた」


 諸星の遺体を置き去りにして、屋上を飛び降りた。ナイフをピッケルのようにして校舎の壁面に突き刺し、降下する。勢いそのままに二階の教室の窓硝子を割って中に入れば、邪悪なる奴は居た。このまま、引くつもりなんて微塵もない。


「お前の分まで俺がこいつをぶちのめしてやるから……安心して眠れ」


 暗い教室の中、教卓に居座る異質な霊気。紫煙色の長い髪から覗かせる瞳孔のない白目。まるで餓死したモノたちの骸骨で作り上げられたかのような風貌には殺意も生気もなく、見掛け倒しに嗤った口の形だけがある。その様をあの死神は揶揄するような名前でこう呼びつけた。


「シャーデンフロイデ、諸星に何をした」

「人ハどうして己ガ心ニ秘めた本能ヲ隠し、抑え込もうトするノか……私ニハ理解できない。だから私ハ歯止めノ理性ヲ解かし、その秘めたる情動ヲ曝け出させて、実行ニ移してほしいだけなノだ。それなノに、どうして私ガ触れた者ハ皆、不幸ニ見舞われてしまうノか……私ハ喜んでほしいだけなノに」

「喜んでほしい? ……ちげえな、人の不幸を見聞きしてお前が喜びたいだけだろ。お前の名前にぴったりだ」

「……そうか、私ハ喜びたいノか。ではどうして私ハ他者ノ不幸ニだけ感情ヲ抱くノだろうか」

「知るか、ボケ。俺は今、苛ついてるんだ」

「ふーむ、そうか。だけどまだ奥ノ底ニあるモノヲ抑え込んでいる節ガある。さっきまでノ情動モ昂りモまた私ニハもの足りない」


 シャーデンフロイデの異様に長い腕が教卓の下へと伸びる。その手が引っ張り出したモノを見て、俺は絶句する間もなく跳び出していた。


 腕と胴から下がなくなった星宮小夜の遺体。あれはオリジナルではない。屋上で襲ってきた星宮小夜を模したミクトランの一個体でしかない。だが、とてもじゃないが許されない。


 机から机へ飛び移った俺は袈裟懸けにシャーデンフロイデの腕を斬り飛ばし、上半身だけになった星宮を抱きかかえる。


「何の真似だ」

「再現性……大切ナ我ガ娘ガその後どのような風ニ殺されたかお教えしようト思ってネ」


 語りかけるそれは俺に向けての言葉ではなく、俺の中に残るチェルノボーグの人格に対してだった。


「どくん……」


 衝動の芽に水を噴きかけられたかのようだった。心臓の鼓動が飛び跳ねる音がして、俺は心臓に手を当てた。脈拍が早い。動悸が止まらない。身体が熱い。奥底から押し寄せる殺意の奔流に全身が粟立つ。血液内における悪因子の過剰分泌が止まらないのは俺の意志ではなく、紛れもなく俺の内に潜む死の化身。


「ぐっ!」


 奥歯を噛みしめて、脳内を駆け巡る衝動を抑え込もうとする時、廊下側の窓ガラスが割れた。


「しつけぇ、な」


 窓をぶち破りながら教室に割り込んできたのは星宮から生まれた生殖の死魔……視界に入るだけで十数人。そのうちの一人の身体にシャーデンフロイデの手が伸びる。


「マリシャス・アジテーション」

「っ――」


 同一個体を利用した共鳴。抱えていた星宮の遺体を介してシャーデンフロイデによる外部刺激が狂犬病の毒素のように俺の神経と血管を伝って、大脳内で一気にまき散らされた。


「く、ああああああああ」


 衝動に呑まれる感覚。邪悪な本性がヘレナによって抑え込まれていた枷を一つ一つ外して、俺を懐かしき享楽の沼に堕とそうとする。脳ミソに潜むやめろと喚く幼い頃の俺。藻掻き苦しむ死前喘鳴のような呼吸音の中、「琉倭っ!」とヘレナの声が頭に響いて俺は霊眼を発現させた。微かに俺を取り戻す。


「ふーむ、間接的ニではダメみたいですネ。では直接触れるまで。お嬢さん方、彼ヲ捕えなさい」


 シャーデンフロイデの命令に俺が抱えていた星宮の目ががばっと開く。俺はすかさずナイフを彼女の胸に突き刺し、放り投げる。


「くっ」


 酷い頭痛と吐き気、全身に流れる鈍い痺れと性と殺人の欲求。狭窄する視界の中、教室に群がる星宮の二番煎じが一斉に迫る時、俺が割った窓ガラスを目掛けて跳んでくる黒い人影があった。

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