6―13 グランギニョール①
諸星が意識を取り戻したのは、俺がヘレナの館に彼女を運んで少し経った頃だった。ヘレナのベッドの上で慌てるように目を覚ました諸星に、あの時あの男に何をされたのか、問いかけたが気が動転しているようで彼女自身もよく分かっていないようだった。それよりも早く帰られないと父親が心配すると言って、始発電車が動き出す時間ぐらいに彼女はそそくさと館を出ていった。
今となってはもうどうでもいいことだが、あの時、彼女の足取りを追いかけていればなにか、変わっていたかもしれないな、と漠然とそんなことを思いながら憂鬱な朝を迎えた。
休日を挟んでの月曜日。
あの夜の後、ヘレナにも聞いたが、あれの正体が死魔であることに間違いはないようだが、面識のない相手らしい。だからヘレナからはあの髑髏の死魔に気を付けてと俺のことを心配しているようだったが、注視すべきは諸星の方だろう。その死魔に接触されたことで何かしらの霊障を受けたのは間違いない。
この土日に諸星の霊気を辿って彼女の動向を監視しようとしたが、彼女の居所を突き止められるほどの霊気は感じられず断念した。夜の散策はヘレナに止められた。私の霊力が回復するまで夜は屋敷から出ないようにと釘を刺された。
でもそれも学校に行けば関係ない話だ。まあ、諸星が学校に来ればの話だが、会えれば容態を確認できる。来なくてもまあ、先生から住所をどうにか聞き出して会いに行けばいい。それをするぐらいの責任が俺にはある。堕とし児の女霊に付き纏われていた件があったとはいえ、巻き込んだ。その場に居合わせていたところを利用された。あいつは諸星に霊力があることを分かった上で接触した。だったら何のために諸星に近づき、触れる必要があったのか。その場で人質を取るわけでもなく、接触した後、姿を消した。目覚めた諸星は何事もない様子で家に帰ったが、どうにも不可解だ。できれば一度ヘレナに視てもらうか、うちの霊媒師に視てもらって……って何をそんなに気にしているのか。
「琉倭さま、お口に合いませんでしたか?」
後ろに立つ七羅が気にかけるように聞いてきた。
「いや、そんなんじゃないが……ちょっと考え事……」
「……彼女さんとなにかあったのですか?」
前かがみ気味で再度聞いてきた七羅は興味津々でうざったい。
「別になんもねえよ」
「ほんとですかぁ~? 他の子に目移りなんかしちゃだめですよ」
「うるせえメイドだ。男なんだからするだろ、そんくらい」
「サイテーです」
「そうだぞーぅ、夜月くん。そんなんじゃ嫌われちゃうよ」
「美鈴……いたのかよ」
「んふふっ、おはよー」
どうも思ってなさそうな顔。俺をおちょくりたいだけだろう。いつの間にいたのか、稽古終わりの美鈴は向かい側のテーブルに座っていた。
「てか、夜月くん、彼女いるんだ、初耳~」
「……。そんなことより同じクラスで視てもらいたい奴がいるんだ」
「えー、除霊的な話?」
「まあ、そんな感じ」
「そう、なら一夜、頼んだからお願いね」
ちょうど食堂に入ってきたタイミングで話しかけられた一夜は眉間に皺を寄せた。
「は? 何の話だ」
「だーかーら、夜月くんのクラスメイトが霊障で困ってるから除霊をお願いねって話」
「どうして俺が」
「本業でしょー、私は別件があるからパス」
「だったら俺も霊符の張り替えと結界の張り直しをせねばならんから他を当たれ」
「それはこの前、芽夢に引き継いだはずでしょ……ってほら、悲しい顔してあなたのこと見てるわよ」
食堂に続く扉から顔半分だけ出した小さな女の子が涙目で一夜のことを見ている。背丈と幼い顔つきからして小学五、六年生ぐらいの女の子はピンクベージュのゆるふわ髪をふるふる震わせ、薄い青の瞳を潤ませている。
「……芽夢」
「わ、わたしじゃ頼りないですか? 師匠」
「見た感じ泣き虫の小学生にしか見えねえもんな」
やべ。思わず口に出していた。
「っ、っ、びええええええええええええええええええええええええええええええ!」
「夜月、貴様、余計な一言を――」
ああ、うるさい。朝からうるさい。まんまじゃねえか。
「芽夢、こっちこい。俺はそんなこと思っていないから」
「ほんとぅ?」
「ああ」
涙ぐんだ眼をこすりながら一夜の隣に立った芽夢は俺の顔を見て不機嫌そうな顔をした。初手一発で嫌われてしまったようだ。
「悪かったな。小学生相手に大人げなかった」
「ばぁっかぁにすんじゃねぇーっ!」
おお、さっき泣いてた奴とは思えないすごい声だ。
「夜月くん、見かけで人を判断するのは良くないよ。この子、君と同い年だから」
「マジか……」
「それに夜月くんが想像している以上にできる子だからね」
美鈴のお墨付きに不機嫌になっていた芽夢も隠し切れないほどにんまりと顔が綻びだしていた。
「……にわかには信じられないが美鈴が言うんならそうなんだろうな……」
言いながら芽夢に視線を送るとほんわかしている彼女と目が合った。表情はすぐに変わって、いかにも嫌そうな目をした後、ぷいっとそっぽを向いた。
「芽夢って言ったよな、妹のこと頼んだぞ」
「…………別に頼まれなくてもそれが私の役目だから」
「そうかよ……じゃあ頑張れ」
どっかの男が言いそうな台詞だなと思いながら壁に寄り掛かる一夜を見れば、何だと言いたげな表情で俺を睨んだ。いつも睨んではいるが。
「琉倭さまっ、もうこんなお時間です、学校に遅れてしまいます」
「やべ……」
残った朝食を平らげて、急いで身支度を整える。一度自室に戻った俺は諸星の制服が入った紙袋を手に持ち、家を出た。休みの日に近くのコインランドリーで小便まみれの制服を洗えたのは良かったが、あの小便女、夏服でも着てんだろうか。まあどうでもいいと急ぐことなく三十分近くの完璧な遅刻をしつつ、校門前にやってくれば――絶句した。
周囲は数台のパトカーでごった返していて何が起きてるのか理解するのも束の間、ピュンゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ――中空を切り裂く紫の弾頭が校舎に直撃した音で視界と鼓膜が激しく揺れた。




