6―7 オステオトームの魔手
「着替え終わったら呼んでくれ」
「分かった」
十五分後、ドアの向こう側からか細い声で「夜月くん……」と呼びかけられた。
「何だ? 着替え終わったのか」
「……うん、けど」
「なら開けるぞ。これ以上、待たせるとあいつがうるせえからな」
ドアノブに手をかける。引っ張って開けようとしたが、強い力で頑なに開けさせまいと抵抗する諸星がいた。
「おい、何してんだ。早く開けろ」
「ま、待ってよっ」
「待たねえよ」
少しだけ手に力を込めれば、ドアはすんなり開いて、恥ずかしそうにもじもじしている諸星が目の前にいた。
「……。お前、自分で着といてなに恥ずかしがってんだよ」
「ち、違うの」
「何が違うんだよ、そんな胸元曝け出して」
胸元が大きく開いたタイトなニットのワンピース。身体のラインが強調された服装を自分から身に纏っておいて恥ずかしそうにしているこの女もこの女でろくでもない。……と思ったがどうも違うらしい。
「着たくて着たんじゃないもんっ。これが一番無難だったの! もうやだぁ、全部変な服……」
「あー、そうだったか、変わった趣向の持ち主はこの家主だったか……」
「……なんで、少し残念そうなの……」
「別に、それより早く行くぞ」
「……うん」
ヘレナの部屋に戻る。部屋のドアは開いていて、そのまま入るとヘレナはベッドの上で退屈そうに寝そべっていた。俺たちが来たことに気付いたヘレナは起き上がる。下着同然の服装の上には死神の象徴とも呼べる黒の外套を羽織っていて、痴女っぽさは薄れていた。
「死神っぽい……」隣に立つ諸星が言う。
「あら、そういうあなたは随分と破廉恥な恰好ね。よく似合ってるじゃない」
「に、似合ってなんか、ないし、あなたに言われたくない、です」
「ふんーん、褒めたつもりだったのだけど、まあいいわ。それよりもあなたはいつから堕とし児の女霊に付き纏われていたのかしら?」
「堕とし児……」
「ええ、琉倭の視覚情報から推察するにあれは我が子を失った死女の類。けれどあなたを自身の子だと勘違いするほどの錯乱状態からするに、生前自身の意志とは反する形で我が子を失った可能性が高い。そういう事例は悲しくも最近多いわ」
「クンティラポンティとは違うってことだな」
「ええ、境遇は似ているけれど死後の在り方が違うわ。自殺した我が子を受け止める責任と落ち度を少なからず持ち得ていたクンティラとは違って、堕とし児の女霊は我が子を殺した者を憎んでいる。けれど怨念が強ければ強いほど精神は狂気に堕ちて、分け隔てなく無関係の者を傷つける悪霊となる」
「悪循環だな……」
「そうね……。それで、あなたはいつからあの女霊に心当たりがあるのかしら?」
「いつから付き纏われていたのかはちょっと分からないですけど、そういった気配とか、ミクミクミクって声が聞こえ始めたのは小学五年生ぐらいからで、明確に認識できたのは中学三年ぐらいからです」
「そう、じゃああの堕とし児の女霊は少なくとも五年前……最近多発している女霊の子どもたちを殺した者とは別種……なのかしらね」
「最近多発している女霊と何か関係あるのか?」
「……。その女霊を生産させているのはおそらくあなたたち人間側の問題よ」
「? ワケがわからん」
「それってもしかしてオステオトーム連続殺人事件のことですか?」
「オステオトーム?」
諸星が見せてきた携帯電話の画面を見た。オステオトーム連続殺人事件。事件の発端は1995年5月26日、当時29歳の臨月だった主婦が腹部を切り裂かれ、胎児をくり抜かれた状態で見つかったのが始まり。同時期に同じような形で胸腹をばっさり切開されたような状態で亡くなっている女性が日本各地で見つかる。被害者は全員女性でいずれもお腹に赤ん坊がおり、いずれの赤ん坊も行方不明のまま。オステオトームとなぞらえられているのは麻酔のない時代に帝王切開ができない赤ん坊を産むために医療器具として用いられていたチェンソーのことであり、胎児ばかりに異常に執着する犯人からそう結び付けられたらしい。だがその事件は忽然として途絶え、事件は未解決のまま終わる。そして十年後、今現在同じような事件が確認できるだけで六件。妊婦を狙った犯行が立て続けに起こっているらしい。携帯電話を持っていない俺はそんな事件が起きているなんて知らなかった。
「やっぱりろくでもない人間が模倣したと考えるのが妥当か……10年前の悲劇を生んだ死魔は私がこの手で……、それよりもミク、中学三年の時に視えるようになったって言ったわね。その時期に何かあなたの身に起こった出来事はなかったかしら? 例えばそうね、あなたの人生観を大きく変えるような出来事が」
「出来事は……ありました。母が亡くなったんです。視えるようになったのはその後で、変な力に目覚めたのも……」
「霊力のことね。でもその力は元々あなたの身体にあったものよ。それが強いストレスを受けて覚醒したのでしょう」
「ならどうしてそれほどの霊力を持って生まれてきたんだ? どこか有名な家系だったりするのか?」
「いいえ、特別な環境だったのはミクの母親の胎内よ」
「どういうことですか?」
どうやら諸星自身も知らないことらしく、少しだけ動揺しているようだった。
「あなたの母親はあなたを生む前にもう一人の子を身籠っていたのよ。だけどその子は両親の都合で中絶させられた。だけど中絶させたタイミングが悪かった。胎児の魂は妊娠後、満9週目に入ると母親のお腹に宿る可能性が高くなるのよ。だからできるだけその時期以降には人工中絶をしない方が良いの。じゃないとその子は水子霊として母親の胎内に宿ってしまうから」
「つまり私は水子霊の魂が宿った母胎の中で育ったってことですか?」
「ええ、だからあなたは生まれながらにして悪霊並みの霊力を持った人の子なのよ」
「悪霊……その子は悪い霊になるんですか?」
「そうね。成仏せずにお腹の中に宿り続けてあなたに干渉するあたり、少なくとも生きたいという願いと生まれたかったという未練はあったでしょうね」
「そんなのは……かわいそう」
ふと、ごく自然に吐露した諸星の想いにヘレナは危惧するように眉をひそめた。
「だからと言ってその子に同情を抱くのはやめなさい。同情は同調を示すわ。ましてやあなたとその子の魂は一心同体の状態に近い。あなたがその子に思いを寄せれば寄せるほど、その子はあなたに同調し、最悪、乗っ取られるわよ」
「……」
ヘレナにそんなことを言われて、怖がるんじゃないかと思ったが、諸星は毅然とした表情で頷いた。
「ミク、怖いならその子の魂を祓うこともできるけれど……」
「いえ、大丈夫です。今はそれよりも堕とし児の女霊が怖いです」
「……分かったわ。なら早速、堕とし児の女霊を祓いに行くわよ、ミク」
ヘレナにしては珍しくやる気だ。
「え、私も行くんですか?」
「あなたを餌に、誘き出す作戦よ。私の気配を感じ取って逃げられるよりいいでしょ?」
「それはそうですけど」
「大丈夫よ。何があっても私がミクを守るわ」
ヘレナの言葉を信じたのか、諸星は頷いた。
「じゃあ、行きましょう」
ヘレナが諸星の手を掴むと彼女は目にも留まらぬ速さで部屋を出ていった。
「あいつ、飛ばし過ぎだろ」
館の扉が閉まる音。とっくに外へ出ていったヘレナの行方を追って、俺も館を後にした。




