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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
五章 愛玩のカルマ
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5―10 冥獄聚合怨獣――犬神――②

「その刀、やはり死の概念か」


 切断された舌が再生されないのを踏まえて、退魔の剣の特性を見抜いた上で、犬神は首を傾げた。


「しかし何故なにゆえ何故なぜその刃が届く」


「別に驚くことじゃない。刃が通らないなら通るようになるまでの霊力を込めればいいだけの話だ」


 霊力は負だ。別段、俺はこいつに恨みも憎しみも抱いていない。あるのはたった一つ、殺したいという諸悪的にして根源的な願望だけ。そして周囲を犇めく犬の悪霊を食い止めることに手一杯なヘレナの状況を鑑みるにその気になればいつでも本気を出せる状態であった。


「だから、いいよなァ……?」


 誰かに許可を得るわけでもなく、ぼそりと呟いて、俺の意志とは別に血で汚れた口の端が吊り上げる。その感覚があった。欲情のオーバードーズ。今ならヘレナが施した枷を外せる。だがそんなことをすればヘレナの信用を失うことになるかもしれない。けれど状況が状況だ。全力を尽くさずして勝てる相手ではないだろう。それを口実にすればいいだけの話で、仮に彼女に嫌われようが今はそんなことどうでもいいくらいに……ああ、■したい、早く■させろ。


 抑圧下にある欲望と衝動。後のことなど考えず、その場のノリと勢いで下等生物のくせしてイキっていやがるこいつを徹底的にねじ伏せたい。ああ、やっぱり俺は後先よりも今を生きる刹那主義者だ。理性よりも感情が勝る。発散してオーガズム後の倦怠感に襲われようとも性欲には抗えないのと同じようにまた同じ快感に浸りたい。


「ああ、久々に誰かを殺して射精してみたいものだよ」


 今、俺はこいつを散々な目に遭わせて殺してやりたい。その後、俺の理性が暴走して後の祭りになろうとも、それでヘレナに殺されようとも、殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい。殺したくてたまらない。


「我を殺せるとでも思っておるのか――っ!」

「殺せるさ、雑魚が」


 退魔の剣を逆手に持ち直して、身体は弾けた。自覚する。今の俺は目の前に立つ獣よりも獣だと。人間の動きではない汚らしくて荒々しい動きで間合いに入った俺は右腕を力任せに乱暴に振り払った。相対する炎を纏いし獣は微動だにしない。それもそうだろう、奴にとっての間合いと俺にとって間合いは明らかに違ったのだから。


 その間合いを見誤った時点でもう遅い。だが、そこは神と自称するほどの存在ではあるということなんだろうか。


「ははっ、今ので頸を斬り落としたはずなんだけどなァ」

「小童――ァァァァァあああああああ!」


 犬神の右腕が斬り飛ばされた。自身の首が切断される瞬間に右腕をあてがったおかげで即死は免れたらしい。が次は確実に殺す。俺の腕が瞬時に伸びたことに意表を突かれた犬神は再び右の肩口を捥ぎとり強引に再生を図ろうとする。がそれよりも前に俺は獣の背後に回った。俺の気配を感じ取った犬神が炎の獣毛を振りかざす。


「鈍いな」


 黒い血飛沫が舞った。炎の獣毛を束にして強化させた左腕を切断した俺は人の腕はなくなった自身の左手を使って犬神の顔を地面に押し付ける。


「お前の憎悪よりも俺の殺意の方が強い。生前と同じように頸を落としてやるよ」


 ああ、終わってしまう。僅かながらの名残を惜しんで頸を刎ねようとした時、がくんと衝動は冷めた。


「ちっ」


 あり得ない。あいつ、こんないい所で俺に意識を向けてきやがった。凄まじい倦怠感、気持ち悪くなるくらいに。殺すことに萎えるなんて俺が俺じゃなくなったみたいだ。せっかく変貌した四肢が元に戻っていくと同時に伸びた犬神の脚が俺の懐に入り込んだ。


「がはっ」


 血反吐を吐きながら蹴り飛ばされた俺を受け止めたのは瞬間移動してきたヘレナだった。吹き飛んだ俺よりも先に後方にいた彼女がクッションとなって俺を受け止める。ふかふかでふわふわな感触はさておき、こいつのせいで仕留め損なった責任は大きい。


「てめえ……あとちょっとで殺せそうだったのに、なにす――」


 俺の言葉を遮るように豊満な胸を押し付けてきたヘレナは口を開いた。


「お願いだからその力に頼るのはやめて頂戴っ! 私が万全の状態に戻るまではまだ――」

「――――っ!」


 息ができない。万力のように固く締め付けているヘレナの腕を叩くが彼女は一向に緩めない。


「分かった?」


 分かったも何も呼吸ができなくて喋れない。俺は彼女の腕の中で必死に頷いた。その頷きを確認したヘレナは腕を緩める。


「ぷはっ、はぁ、はぁ、はぁ」


 ヘレナから解放された俺は存分に空気を吸った。死ぬかと思った。


「お前、殺す気か」

「ふふ、私の胸に押し付けられて圧迫死だなんて間抜けな死因ね」

「笑いごとじゃないだろ。それよりもどうすんだよ、あいつ」

「そうね。……言っておくけど、目の前のそいつを殺しても無駄な話よ」

「どういうことだ」

「だって犬神は一匹じゃないもの。周囲に群がるブラックドッグも犬神。あれは分身でも何でもない。琉倭の眼もそう認識してるでしょ?」

「……ああ、そうだったな、めんどくせー。殺すことに夢中でつい忘れてた。要は殺されそうになったらまた別のブラックドッグが犬神になるってことか」

「ええ。だからキリがないのよ」

「だったらお前の力で一匹残らず鏖殺すればいいじゃないか」

「できることならとっくにやってるわよ。でもせっかく1000体のブラックドッグを食い止めていたのに琉倭が暴走しだすせいで私の冥界心象が保てなくなったのよ。だからもう一度展開させるほどの霊力は残ってないわ」


 そうこうしていると両腕を切断された犬神が立ち上がった。その犬神に集まり出す1000体以上のブラックドッグ。


「解せぬ、赦さぬ……」


 犬が一匹、二匹と吸収されていく度に異形な姿に変貌を遂げていく。犬神として殺された1000体以上の犬の集合体。もはや人でもなければ動物とも言えない、正真正銘の化け物。膨れ上がった胴体にはいくつもの犬の頭部と孔雀の羽のように夥しい数の犬の目玉があり、身体の至る所から脚のようなものが生えた姿は蜘蛛を連想させる。


「交渉の余地は完全に潰えたわね」

「なら今こいつを倒せるのは俺しかいないだろ。その代わり、枷は外させてもらう。ヘレナは俺が暴走しないように霊力で抑え込んでくれ」


 そう言って、立ち上がろうとした俺の手をヘレナが掴む。


「ちょっと待ちなさい、今の私にあなたの情欲は荷が重すぎるわよ」

「じゃあどうすんだよ」

「ならその怪物、私が祓ってもいーい?」と深刻な局面とは裏腹にこれから遊園地にでも行くかのようなウキウキ声が頭上から降って聞こえた。見上げればそこには中空に浮遊する、刀童美鈴の姿があった。

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