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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
一章 血月下のノクターン
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1―7 夜想⑦

「どうした? ご飯でも詰まらせたのかって……」


 膝をついて、座り込んでいる小夜に顔を傾けると、彼女は泣いていた。静かに泣いていた彼女と目が合う。目が合って、何を思ったのか、俺の胸に抱きついてきた。その泣く声は慟哭のように激しいものになる。しばらくして泣き止んだ彼女は涙の理由を話した。

 それは夏休みが明けた翌朝の出来事。未明から明け方にかけて起こったとされる悲劇。朝目覚めた彼女が二階からリビングに下りると、普段ならキッチンで朝食の準備をしているはず母親とソファに腰を下ろして新聞を読んでいる父親の姿がなかったのだ。そのよからぬほどの静けさに異変を感じた彼女が寝室に向かうと、部屋中、真っ赤な光景に侵食されていたらしい。どれが母親のもので、どれが父親のものか、判別できないほど細かく解体された身体の部位がオブジェのように転がっていたと言う。


「悪い。嫌なことを思い出させて……」


 ここ最近、テレビも新聞も見ていなければ、友達が一人もいない俺には一切の情報が入ってこない。知っていれば、こんな風に彼女を追い詰めることはしなかったのに、本当、不謹慎だ。


「ううん、私のこと心配してくれてありがとう。ごめんね、こんなみっともない姿見せて」

「みっともなくなんかない。大事な人が亡くなったんだ。悲しむのは当たり前で、お前はその悲しみから立ち直ってこうやって前を向いて学校に来た。強い人間だ」

「……やめてよ。こんな時に優しくされたら私……」

「いつも馬鹿みたいに元気な奴が涙を流して落ち込んでいるんだ。優しくするのは当たり前だろ」

「……馬鹿みたいは余計……」


 不満げに言いながらも少し嬉しそうな小夜から身を離して、立ち上がろうとした時、「その怪我、どうしたの?」と今度は逆に心配したような声で訊かれた。


「別に大した怪我じゃない。ちょっと擦りむいただけだ」

「擦りむいただけって、それだったら包帯なんか巻く必要……」


 抱きつかれた拍子に解れた包帯が小夜の手で引っ張られる。


「お前、何して――」

「何って確認……」


 数日前、まともに制御できない自分を戒めるように突き刺してできた傷跡を小夜の細い指がなぞる。


「……痛そう」

「痛くない」

「ほんと?」


 縦に5㎝ほど縫われた痛々しい痕跡をまじまじと見つめて、俺の顔を見上げた後、何を思ったのか、抜糸されていない傷の線を血よりも赤く艶めかしい女の舌が撫でるように舐めた。ぬらりと滑りのある独特の柔らかさと火傷しそうなほど熱い吐息と一緒になぞられる生暖かい舌先の動き。それはまるで傷を負った際に傷口をなめて殺菌する習性をもつ犬が本能的に行う自己流の治癒法。飼い主の傷口が早く治るようにと彼女は丹念に俺の手を舐めていく。


「っ――、何してんだよっ! そんな下品なことするな」


 躾けるように言って、彼女の舌から左手を振り払った。


「何って、さっき、私の涙舐められたからそのお返し……ちょっぴり、乾いた血の味がしたよ?」

「したよってお前……、いいか? こんなこと、他の男には絶対するなよ」

「しないよ。だって私、男友達いないもん」

「いたらするのかよ。誰彼構わず、こんな痴女みたいなこと」

「……違う、こんなこと……夜月くんにしか、しないよ」


 涙で潤んだ瞳。赤く火照ったような顔をしながら小夜は俺を真っ直ぐ見つめてくる。見つめたまま、何も言わずに長い沈黙が流れる。俺には分からなかった。彼女は俺に何を望んでいるのか。その言葉の意図は俺が汲み取ったものと等しく同じなのか。確認してそうだったら、俺はどうするのか。どうしたいのか。答えはもう出ているのに、彼女が俺を求める理由が見つからない。


「……」

「……」


 昼休みの終わりを告げるベルが鳴る。午後の授業が始まる五分前。涙を拭った小夜は茫然と立ち尽くす俺の手を取って、包帯を巻き直す。


「よし。巻けた」


 そう言ったきり、小夜は俺の左手首を優しくさする。さするだけで何も言わずに眼差しはずっと優しいままだった。下手に触れてはいけないと思ったのか、それとも刺激したら殺されるとでも思ったのか。だけど、遠ざけることなく、彼女は自分の胸に傷だらけの腕を引き寄せる。


「……星宮、急がないと」

「あ、そうだね。午後の授業に遅れちゃう」


 肝心なことは訊けずじまいで、折角会いたかった彼女とこうして二人きりになれたのに、ありのままの思いを口に出すことは躊躇われた。やっぱり近づいてはならない。大事だと思うから遠ざける。彼女を傷つける未来は容易に想像できる。それなのに、彼女はこんなことを持ち掛けてくる、こんな不埒者に。


「夜月くん、今日の夜、空いてたりする?」


 階段を下りる彼女はさらりと誘ってきた。こちらの心境なんて露知らず、親しい友人みたいに。俺が踊り場で足を止めると、彼女は振り向いた。頬を紅潮させながらほーっと深く息を吐いて緊張しているようだった。彼女が何を考えているのか、やはりよく分からない。どうして夜なのか。夜に落ち会って何をするというのか。


「……悪いけど、今夜は都合が悪い」

「じゃあ明日の夜だったらいい?」


 せがむように訊ねてくる小夜になぜはっきり否定せずあやふやに答えてしまったのか、きっぱり断れば、もうこれ以上、彼女の方から近づいてくることはないだろう、と分かるのに、今目の前にいる彼女を見て、こいつと離れられるのか、と問われれば、離れたくない自分がいた。そんな自分に腹を立て、こんな風にさせた彼女に苛立つ。


「……何なんだよ、お前。久しぶりに会ったかと思えば、おかしな言動ばっか取りやがって……とっとと教室、戻るぞ」


 階段を下りて、小夜の横を通り過ぎた時、「……でも、否定はしないんだね」と指摘されて、俺はカッとなって彼女に覆い被さり、その白く細い首を絞め上げた。


 触ってはいけないものに触ってしまったのが良くなかった。自制ができない。我慢ができない。犯したい。殺したい。犯したい。殺したい。こいつは筋金入りの馬鹿な兎だ。自分が餌だということを自覚せず、誰もいない密室の校舎に俺を招き入れた。食べてくださいと言っているようなものだ。


 首を絞められた彼女は手足をばたつかせて抵抗する。茶色の瞳が恐怖で歪む。それすらも俺を興奮させる材料とも知らずに瞳を潤ませる。俺は右手で首を絞めながらもう片方の手で彼女の乳房に触れた。小ぶりだが柔らかく、手に収まるぐらいのサイズ感で俺の気分を高揚させる。締めていた首から手を離して、触りたかった髪をまさぐる。恥辱と苦痛の涙に濡れた頬を舌でなめずり、女の甘い匂いがする首筋に歯を立てる。食べ物のように浮き出た首筋に噛みついた。乱暴に剥ぎ取ったセーラー服の隙間から覗かせる盛り上がった乳房が波のように揺れる。涙の味よりも濃い赤の味。首筋に浮いたホクロを音を立てて吸い上げると、「ああ……んぅ……」と快楽を享受したような色っぽい呻き声が聞こえた。


 止まらない。止まれるはずがない。俺と彼女。二人しかいない空間で、俺の手によってあられもない姿になった彼女をこのまま放っておくことなんてできない。できない。できやしない。自分の理性ではどうしようもないほど、魅力的で魅惑的で、彼女のすべてを奪いたい。やっと裸にした胸を思い切り掴みながら、もう片方の手を彼女の下腹部より下へ伸ばした。


 その時、授業開始のチャイムが鳴った。それは間違いなく俺の下劣な行為に警鐘を鳴らす合図に思えた。それ以上はダメだと、このまま、ありのままの思いをぶつければ、本当に取り返しのつかないことになるぞと、そう言っているのに、レイプされた女は逃げることもせず、悲鳴を上げることもせず、愛おしそうに俺の首に腕を回してきた。


「いいよ、私の身体に溜まっている分、たくさん吐き出して、私が全部受け止めるから。ありのままの夜月くんを私にだけ見せて」


 耳元で囁く甘い甘い誘惑。熱を帯びた吐息と高鳴る心音。


「じゃあ、どうする? 俺がお前を殺したいって言ったら」


 正気ではない問いかけに正気ではない彼女は嬉しそうに答えた。


「うん、殺して。夜月くんになら殺されたい」


 嗾けるように掻き立てるように思考を溶かすような女の声が俺の理性の鎖を外していく。滲み出る不徳な欲望。蓄積された想いと膨張しきった渇望。このまま彼女の言葉に甘えて、身を焦がす想いのまま、委ねてしまえばどんなに楽か。


「…………やめ、ろ。これ以上、俺をおかしくさせないでくれ」


 小夜に乗りかかった身体をどかして、立ち上がる。酷い眩暈と頭痛。熱に浮かされたような身体を動かす。


「……ごめん、星宮。もう俺に近づかないでくれ」


 別れ際にそう言って、俺はふらつきながら階段を下りた。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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