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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
五章 愛玩のカルマ
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5―8 愛玩の成れ果て②

 逆手に持ち直した刃の切っ先に霊力を込める。「殺す」この上ない殺気と死の気配を纏わせた退魔の剣がどす黒い紫苑色に変色し出す。この高さと霊力が高まった刀であれば、殺せる。確信はないが、迷いはない。ただ一匹の喉を目掛けて「おいっ!」飛び降りた。


 俺の声に反応して醜悪なる顔が持ち上がる。外装は鎧のような鱗で守られているが、鎖骨から首にかけての内側には弱点となる隙があったのだ。怪物が見上げた瞬間、殺傷力が高まった死の短剣が突き刺さる。


 墨のような黒い粉を噴き出しながら絶命の声が上がる。一階分の高さだが、メートルに換算すれば十メートル以上はあった。即ち、高さ十メートル以上からの落下の衝撃を持った斬撃は顎と鎖骨の隙間に位置する喉に食い込み、その落下の圧力に耐えかねた外装の鱗をも破壊して、真っ二つに首を斬り落とした。


「GAAAAAAAAAAAAAAAAァァアア!」


 怨嗟の声と共に獣のカタチがなくなっていく。黒い粉となって霧散していく。視る限りこれで谷屋獅狼に憑りついていた犬の悪霊を引き剥がすことができただろう。だが、その想念は残留したままだ。強制的な祓いに伴う不確定要素の支障。完全に成仏させるには死神の力が必要不可欠だ。


『おい、ヘレナ』


 瞼を閉じて、ヘレナの顔を思い浮かべながら呼びかけるが、彼女からの反応はない。


『何だよ……昨日言ったこと、根に持ってんのか?』

『……』

『だけどそれとこれとは関係ないだろ。魂は引き剥がしたんだ、後はその魂を成仏させる。お前の仕事だろ』


 だが結局ヘレナからの応答はなく、彼女が向かってくる気配もなかった。俺は横になったまま目を覚まさない谷屋をさする。


「おい、大丈夫か?」


 声を掛けるが、谷屋は一向に目を覚まさない。仕方ないと彼が目を覚ますまで待つことにした。はあ、と少し疲れた身体を瓦礫の山に寄りかからせていると、ぽたりと赤い雫が落ちてきた。


「まさか、いや……そんなわけ」


 急いで二階の教室に戻った俺は血がへばりついた壁を見て、唇を噛みしめた。なんで血痕が残されているのか、覚えがない。俺が殺したのは悪霊となった犬だけだったはずだ。黒妖犬は全部で八匹で、それを引き連れてやってきた犬の悪霊によって教室の床は崩落した。その崩落にたまたま紛れ込んでいた野生犬が亡くなったとでもいうのか? いや、だったらいつ、少なくとも俺は殺してなんかいない。きっと俺が一階へ飛び降りた時にこの旧校舎を住処にしていた犬がやってきて……死んだんだ。……俺は殺してなんかいない。悪霊に意識が向いて、ただの犬に気付かなかった? いや、そんなことはあり得ない。数を数え間違えることは愚か、物事の本質を見極められずに殺すなんてことは絶対にあっちゃいけない。死んでいるモノと生きているモノを判別できずに殺したなんて、致命的過ぎる。それはヘレナにきつく言われたことだ。


 だが今この瞬間を見た者は俺という人間が殺したと、そう思うだろう。


「……初めから誑かす気で……いや、考えすぎか」


 どくん、血独特の色合いとニオイ。壁にへばりついた血液の跡に妙な倒錯感を覚える時、一階から咳き込むような音がした。


「ようやく目を、覚ましたか」


 二階から一階に戻って、谷屋獅狼の容態を見守る。鉢合わせると説明するのが面倒くさいので、彼が目を覚まして旧校舎から出ていくのを物陰から確認した後、俺も昇降口から外に出た。


「ヘレナの奴、結局、来ないじゃないか……、はあ…………」


 俺はヘレナに会うため森の館へ向かった。



 誰も使わなくなった遊歩道を渡り、孤城と化した館に立ち入る。四十分ほどかけてヘレナの家にたどり着いたわけだが、館内のどこを探しても彼女の姿はなかった。


「あいつ、どこに行ったんだ」


 ここに居ればいずれ帰ってくるだろうが、待っているのも惜しくて、俺は再び街へ赴いた。行ったり来たりを繰り返して時刻は夜の九時を回っている。駅前の改札からはちらほらと帰路に就く人たちが出たり入ったりしていて、都心ということもあってか、街中を歩く人の流れは途切れない。


 雑居ビルと飲食店が集う街並みを通り過ぎて、忘れ去られた場所を転々と移動する。廃れた病院に伽藍洞となった商業施設。駅から少し離れれば、そこはゴーストタウン。ヘレナが行きそうな場所を手当たり次第に訪れるが、彼女の姿は愚か、気配すら感じない。


 駅に戻れば、時刻は夜の十時を過ぎていて、とりあえず俺は待ち合わせ場所である噴水と銅像がある公園に急いで向かった。


「……ちっ、いないな」


 ベンチに座って十分ほど待ってみたが、やはりヘレナは訪れず俺は諦めて公園を後にした。もしかしたら館に戻っているかもしれないと思った俺は駅の方へと向かう。その道中、ちょうど横断歩道を渡っている時、高層ビルに目が行った。見上げればビルの上には人影が立っていて、立ち止まって目を凝らせば長い白髪を靡かせながら街全体を俯瞰するヘレナの姿があった。


「あいつ、あんなところに」


 俺の視線を遠くから感じたのか、ヘレナの赤い眼差しが俺を見下ろした時、彼女はあからさまに顔を背けて、俺から避けるように屋上から姿を消した。


「っ――、待てよ!」


 俺は必死に追いかけた。ヘレナが居たビルを目指して走る。何処だ、何処に行った。見かけは黒だが長い白髪は嫌でも目立つ。夢中になって血眼になって、まるで執着心の強いストーカーのように彼女の行方を探す。痕跡がある。匂いがある。気配がする。路地へ入っていく彼女の背中が見えて、俺はその後を追う。逃げるものを追いかける執念深い欲望。こんなどす黒い欲望を抱えながら執拗に女を追い回すなんてしたくないのにどこか遠くへ俺の手が届かない場所に行こうとするのが許せなかった。でも実際、俺は彼女に追いつくことはできない。届きそうで届かない、目で追うことはできるのに距離は縮まらない。だからどうしようもなくなって叫ぶ他なかった。


「ヘレナっ! お願いだから、お前まで俺を遠ざけないでくれっ」


 もうこれ以上走れず膝に手をついて、俺は息を整える。ぜえぜえ、と白い息を吐いて夜の空気を肺に送り込んでいると、こちらに向かってくる足音がした。すぐに顔を上げると、目の前には不服そうに口を尖らせたヘレナがいて「近寄らないでって言ったのは琉倭の方でしょ」と呟いた。


「ごめん……」


 至極当然。謝ることしかできない俺にヘレナは続けて言う。


「琉倭は私にどうしてほしいの?」

「……近くにいてほしい」

「だったら仲直りのハグ、するわよ」


 別に喧嘩をしていたわけじゃないが、こいつからしたらそう捉えるほどのことだったのだろう。確かに俺は酷いことを言った。でも酷いことをするよりはずっとよかったと今でも思っている。両の手を命一杯に差し出して、俺が飛び込んでくるのをずっと待っている。


「……どうしたのよ。ほら早く来なさいよ」

「……」


 その抱擁はまるで俺の欲望をすべて受け入れてくれるのではないかと否が応でも錯覚してしまう気がしてならない。理性があるうちはまだいい。だけど、タガが外れた情欲の果てに俺は何を仕出かすか、それが一番怖いのだ。


「なによ、仲直りしないの?」

「いや、仲直りはしたいけど……」


 その言葉に続く空白を読み取るようにヘレナは口を開いた。


「あんなに私の身体、いっぱい触ったくせに……、私に触れるのが怖くなったの?」

「違う、そういう意味じゃない」

「じゃあ、何よ」

「……お前に触れると、俺の理性が保たなくなる気がして怖いんだ」

「なら大丈夫よ。そうなった時は私に任せなさい」


 どんな根拠があって言っているのか分からないが、その言葉に俺は甘えたかった。


「ほら、おいで」

「……」


 そのままヘレナの胸に身体を預けて、彼女と抱き合った。相変わらずこの女の身体というものは俺の神経を逆撫でしてくる。暖かく、柔らかい。細いのに確かな柔らかさのある身体に、女性性という言葉が浮かぶ。でも体温で精神が落ち着いていくというよりはやっぱり理性が解け出していく。ヘレナの身体で融解した心は犯したいと殺したいに掻き立てられていく。このままずっと密着した状態でいれば、悪の情念は歯止めが利かなくなるだろう。


「ヘレナ、これ以上はもう」

「ねえ、やっぱり琉倭は私の身体に欲情するの?」


 この女、何を言い出すかと思えば。やっぱり見かけ通りの痴女神だった。


「うんって言ったらお前はどうすんだよ」

「その欲情が悪の情念の発端の一部なら、あなたは一度溜まっているものを全部吐き出した方がいいわ」


 つまりは自慰をして、発散させれば、情念も冷めていくだろうとヘレナは言う。その提案には嘲笑もからかいもなく、至って真面目だ。


「……琉倭がいやでなければ、私がしてあげてもいいのよ」


 悪魔のような囁きに一瞬、頷きかけそうになった自分の惨めさに腹が立って、俺はヘレナの抱擁を振り解いた。


「ふざけんな、そんなことしなくたって俺は俺でいられる」

「そう、ならいいのだけど」

「それよりも大変なことになった」

「ええ、事情は概ね、テレパシーで伝わっているから不要よ。急いで学校に向かいましょう」


 なんだよ、やっぱり俺の声、聞こえてんじゃないか。

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