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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
五章 愛玩のカルマ
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5―5 乱高下

 急激な疲労感に返事をするのも億劫だった。さっきまで脳が命を壊す殺戮機構になっていたみたいで今、ようやく人として戻れた気がする。殺人の情念は三大欲求とさして変わらない。今のさっきまですべての欲が情が殺人衝動に直結していた。目や耳、自分の器官から入ってくる情報に対してうまくコントロールできなくなっている自分がいた。


 俺の中に蔓延る悪の因子は確かに以前に比べて脆弱になったとは思うが、熱い血の奔流の中で静かに冷たく俺の身体にへばり絡みついている。俺が何かに対して刺激を受ければ、悪の因子はそれに誘発されて、身体に流れるその因子が加速していく。たぶん、俺自身がその気になれば俺の体内に流れているヘレナの血液に内包されている善の因子を吹っ切ることだって可能だろう。だが、それは俺の理性が絶対に赦さなかった。そんなことをすれば何が起こるか分からないこともそうだが、危惧すべきは俺が殺された後に何かしらの災いが沙月に降りかかる可能性が高いからだ。そんなことが起これば、不幸の極みだ。


「……琉倭?」


 心配そうに声を掛けてきたヘレナの顔を見つめる。ああ、改めて思うがなんて美しい貌をしているんだ。

 いっそのこと、手遅れになる前に情欲のすべてを彼女にぶつけてしまった方が周りのためにもいいのかもしれない。性欲と衝動は言わばセックスと殺人。犯される性と殺される性は似通っていて、セックスで快楽に歪む顔と首を絞めて苦痛に歪む顔、どちらもその一瞬だけを切り取れば同じに見えるだろう。


 とは言え、それらの行為はどちらも心理の抑圧下にある。殺したいのか、犯したいのか。否、俺は幼少期からずっと女性という神秘的な存在に対して性的願望と殺人衝動を抱えている。客観的に見れば女性に対してその傾向が強い。それを今目の前にいる絶世の美女が如実に知らしめてくる。俺を産んでくれた母親よりも、俺を好きになってくれた星宮よりも、俺を死から救い出しすべての死を包み込む死神と言う名の冠を包含しているヘレナ・シフォンティーヌに俺は強い神秘性を感じていた。


 そんな神聖な存在を俺の手で穢せたらどんなにいいか、もしそれが可能なら俺が抱えている願望も衝動も克服できそうな気がする。一度、最高峰の味を知ってしまえば他のモノには一切目が行かなくなるはずだ。……だがそれでも恋愛感情もない女をただ己の性的感情で抱こうとするのはこいつを性と情欲の掃き溜めにしているみたいで厭だと思う自分がいた。なんて自己矛盾だ。穢したいと思っている自分がいるのに、それを良しとしない自分がいる。


「琉倭……?」


 さらに呼びかけてきたヘレナの声が俺の脳に甘い痺れを走らせる。せっかく治まっていた情欲が彼女の声で呼び起こされた気分だ。おかしな話だ。情欲を鎮めてくれた声が今ではもう艶めかしく聞こえてしょうがない。まるで理性と衝動の境界線で綱渡りをしている気分だ。


「……っ」


 シルクのように滑らかそうな肌――舐めて、噛んで、柔らかそうな大きな胸――揉んで、■り■って、吸い付きたくなる首を絞めて、■の割れ目に■を入れて、舌で■■して、高まった己の槍を、■臓の奥深くに突き立てて、■■を■り■して――、あー、あー、あー、そうか、いっそのこと、こいつのことを好きになればいいのだ。だったら罪悪感なんてものは湧かないだろう。そうしたら……って俺は何を馬鹿な勘違いをしているのか。こいつにだってこいつの感情がある。好きでもない男に自分の身体を好き勝手にされることに嫌悪感だってあるだろう。危ない危ない危ない危ない危ない危ない危ない危ない危ない。


 危ない。そう考えられるくらいの理性がまだある――、あるうちはまだ――。


「どうしたのよ、琉倭」


 馴れ馴れしく俺の頬に触れようと伸ばしてきたヘレナの白い腕。その手は妙に艶めかしくて、触れられれば一瞬にして俺の理性が崩壊する確信があった。


「やめろ……」

「え」

「……今の俺は精神的にあまりよくない……今の俺にとってお前はよくない……、俺に、近づかないでくれ」


 敬遠の言葉にヘレナの赤い瞳が微かに揺れる。


「……そう、分かったわ」


 淋しげに答えたヘレナの顔を見ることもなく俺は踵を返した。傷つけるくらいなら悲しませた方がまだマシだ。だがどちらにしろ、俺は彼女の顔を見ることができなかった。


 路地裏に出る。深い夜に沈んだ街を歩く。何時間もかけて化け犬に暴力を振るってきた肉体が歩く度にぐらつく。両腕がぎこちない痙攣を引き起こす。刹那的な快楽に溺れていた俺はヘレナからは何に見えていただろうか。聞くまでもない、弱い命を奪い、己が欲望を満たそうとする愚かな獣だっただろう。


 ……いや、俺が獣であることは性について無知だった頃から何一つ変わっていない。沙月が産まれる前、一番近くで寄り添ってくれた母親にひどいことをした。思えば、初めて勃起したのは母親と一緒に入浴している時だった。母親の裸を盗み見る度に、下腹部が高まっていく感じを知った。その感覚を知って以来、母親が寝ている隙をついて胸を揉んだりもした。鼓動が早くなって、体温が高まっていくのを感じた。その昂りは母親の首を絞めた時に顕著に現れた。精通したのもその時だった。


「……やめろ、もう、何も、思い出すな」


 いっそのこと、すべての記憶を消し去りたい。だがそんなことは決して赦されない。重い罪だと認識している。それなのに繰り返す。それは単純に死神の子だからという理由だけじゃなくて、俺が人間として終わっているからだ。そう、度し難いほどに終わっているのだ。

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