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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
五章 愛玩のカルマ
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5―4 憂さ晴らし②

「何をしているの」


 俺の眼から眩しく映るヘレナ・シフォンティーヌは俺の行為に侮蔑の視線を送っていた。


「見れば分かるだろ。獰猛な野犬を駆除していたんだよ」

「あなた、それが何だか、理解している?」

「……だからただの犬だろ」

「違うわよ、それは黒妖犬ブラックドッグ、化け犬よ」


 よく視れば、黒く大きな図体の犬は燃えるように赤い眼を俺の方へと向けていて、強烈な硫黄のニオイがした。どおりで何度腹を突き破ろうが、四肢を切断しようが出血がないわけだ。


「だったらいいじゃねえか。化けた犬如きに何をお前は怒ってんだよ」


 イラつく。俺よりもこんな死に損ないの犬を心配するなんて。


「何を見てやがんだよ」


 と俺は俺を恨むように凝視する犬の赤い眼を突き刺し、そのまま地面に打ち棄てた。見渡せば辺りには食い散らかされたのように犬の肉片が転がっていた。無意識下に俺がやったのだ。


「琉倭あなた、私が化け犬だって言わなければそれが単なる犬じゃないってことに気付かなかったでしょ」

「だったら?」

「だったらってあなた、もしそれが生きた犬だったら平気で命を奪ったってことになるのよ?」

「はぁ……うるせえな。じゃあ、死んで彷徨う命には何をしてもいーってか? 残留してんのは魂だけだもんなぁ!」

「話を逸らさないでもらえるかしら、今のあなたはいつもの琉倭じゃない」

「いつもの俺じゃない? たかだか数日会っただけの存在に俺の何が分かるって言うんだよ。狂っていようが壊れていようが俺は俺なんだよ!」

「だったらそれでもいいわよっ! けれど、刹那的な情欲に流されて大事なものを傷つけた時、後悔するのはあなたよっ。その後悔をあなたはもう知っているはずなのに、また同じことを繰り返すの?」


 俺に訴えかけてくるヘレナの顔が毎日俺を気にかけてくれた星宮の顔と重なった。髪や瞳の色合いも雰囲気だって全然違うのに、どうして似ていると思うのだろう。


 ……俺はこの女を悲しませたいのか、傷つけたいのか、問われれば、そんなことはさせたくないって返答できるはずなのに、害悪的な存在はそこに、いる、だけで周囲を不幸にさせる。事実、俺がいたことでこの女は本来の力を発揮できずにいる。それがたとえ自業自得だとしても俺がいなければこうはならなかった、殺した後にわざわざ生き返らせるためだけにどれほどの力を浪費したのか、俺には分からないが、俺と関われば間違いなく不幸になることは目に見えている。怨讐を討つ因果だろう、俺は生まれながらにして精神を汚染されている。


『我が怨念を引き継いだややこがどれ程の数、殺されたか、貴様は知っているか?』


 そう、俺の中にいる死神が俺の脳内に囁きかけてくる。


「その程度の精神汚染にあなたは屈してしまうの? 琉倭」

「――――――」


 はっと俺はヘレナの顔を見て、すぐに視線を下ろした。空白の間が一分。本質的な問いに対して俺は答えられなかった。ただその問い通りの行動に出れば、ヘレナはきっと俺を見限るだろう。それは死魔と間違われて殺された時よりもずっと悲しいことだ。俺に寄り添ってくれた女が失望という明確な理由を持って殺すということなんだから。


 そう考えれば、情欲は冷めていった。冷静になれた。何だかまるでオーガズム後の倦怠感に近い。だけど俺の名前をしきりに呼んでくる女の声は妙に心地よかった。何度呼ばれてもいい気がした。星宮の声に少し似ているからかもしれない。顔を上げると綺麗な女の顔があった。


「正気に戻ったようね」

「……。おかげさまで、お前の声を聞いたら心が安らいだ。……どうやら俺はお前との待ち合わせ時間までずっと愚劣な享楽に耽ていたらしい」


 太陽はとうに没して、辺りはすっかり闇に堕ちていた。明るく見えるのは目の前に立つ白髪の女性だけだ。


「全くよ。溜まっているものがあるのなら私に言いなさい。私が全部吐き出してあげるから」


 変な誤解を招きそうな発言をしたヘレナは俺に近づいてきて、軽く俺の肩に手を置いた後、無様に死んだ化け犬の魂を浄化させていく。


「にしてもあなた、厄介な相手に喧嘩を吹っかけたわね」

「何がだ」

「赦さないって、黒妖犬ブラックドッグは告げている。あなた、目をつけられるわよ。神使しんしとされる動物たちに」

「別に構わない。そうなった時は受けて立つだけだ」

「言うは易しね。あなたが相手にしようとしているのは神に仕える眷属の類よ。そこらの低級な動物霊とは違って、才覚を持つ退魔師さえ除霊を試みることは困難というか祓えない存在だからやり合おうだなんて考えは良しなさい」

「じゃあどうしたらいいんだ」

「せいぜい動物には優しく接することよ」

「優しくする? 分からないな」

「何が分からないのよ」

「生きるということは誰かの命を奪うということだ。俺の行為を正当化させるわけじゃないが、動物は人間のために犠牲となる生き物で、人間の食欲を満たすためだけに生かされている。奴らは毎日のように殺されて、人間は当然のように殺した動物の肉を食らう。その循環は人間の営みで普通に行われていることなんだから、食う奴が食われる動物に優しくしろだなんて言われても無理な話だ」

「それは畜産動物に限った話でしょ。私が言っているのは最初から食用として飼育されている動物じゃなくて、周りにいる生き物に対してよ。食べないのに殺す。殺すことが楽しみでやっているのならそれは食べる目的ではなく殺すことが目的になっている。さっきあなたが行っていたのは間違いなくそれよ」

「…………ああ、それは罪深いことをしたと思っている。でも食われるためだとは言え、誰かによって殺された命が何の蟠りもなく成仏するとは思えない。食われるために死ぬだなんて望んだ結末じゃないだろう」

「如何にも食われる側の恐怖を忘れた食う側の考えね。弱肉強食の世界に生きる者は皆、それくらいの死を弁えているはずよ。生きる為の本能が食べることなら、餌になった弱者側が死後、怨念となって強者側を恨み影響を及ぼすなんて話は聞いたことがないわ。人間よりも本能に則って生きている彼らも生きる本能により弱者を食い殺す世界の中で生きているんだから」

「……そうか、そういうものか」

「まあそれでも殺されるときの苦しみや恐怖、憎しみは霊体とは別に想念として残る場合もあるから気を付けないとその想いの塊が浮かばれない霊と合体したり、人に憑依したりもする。こればかりは仕方のないことだけれどね。……とまあ、色々と事情があるわけだけど、いーい、琉倭? これ以上、目を付けられるような行為は控えるのよ。無害なモノを傷つけたり殺したりなんかしたらあなたの立場はすぐに危うくなるんだから」

「……」

「琉倭、返事は?」

「…………ああ」


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