5―3 憂さ晴らし①
食事を済ませて、沙月の容態を確認した後、学校に向かった。教室内は騒然としていて、クラスメイトの耳にも口無音の死が知れ渡っていた。その事実は朝礼になって代理の先生の口からも聞かされた。
「みんな、聞いてほしいことがある。大変ショッキングな話ではあるが、しばらく体調を崩していた口無くんが、昨夜、車道に飛び出して命を落としたそうだ。事故ではなく自殺とのことだが、誰か、口無くんがいじめられていたとか知らないか?」
「……」
深い沈黙の間が続く。馬鹿か、この教師は。仮にいじめがあったとして皆の前で自白するわけがないだろう。
「とりあえずみんなで黙祷しようか」
クラスメイトが瞼を閉じて黙祷をしている間、誰かのすすり泣く声がした。一際、口無の死を惜しんでいたのは水瀬ゆいだった。
彼女が嘆く姿を見て、口無は幸せ者だと思った。そして生きていたらあいつに言ってやりたいと思った。お前の死を悲しむ人間だって少なからずいるんだっていうことを。
朝礼が終わると、女子の皆は泣きだした水瀬さんのところに駆け寄って慰めていた。聞くに口無とは小学校からの幼馴染だったそうだ。そういう関係だったからこそ、もっと気にかけてあげればよかったという後悔なのだろう。そして何が原因で死んだのか何も分からない彼女はきっと彼の死の真相を知りたいはずだ。でも俺に説明できることは母親を殺した罪悪感で自害したことくらいだけだ。事実、証拠不十分で真実にはたどり着けないと思うが、世間の憶測では母親を殺した息子が自殺したということで片付けられるのだろう。でもその憶測は限りなく正しくて、でも水瀬さんはきっと信じないだろう。
昼休みになって、俺が机に突っ伏して寝ていると、肩をちょんちょんと突かれた。繊細な力加減と指先の感触からして女だろう。
上体を起こせば、まだ若干目元が赤い水瀬ゆいが俺の前に立っていた。
「寝ているところごめんね、ちょっと話いい?」
「ああ」
廊下に出ていく水瀬さんの後ろをついていく。人通りがあまりない近くの階段の踊り場で彼女の足が止まった。
「ねえ、夜月くん。音……口無くんのことで訊きたいことがあるんだけど、テレビで報道されているニュースって本当なの?」
「それは口無が母親を殺して自殺したってことか?」
「……うん。夜月くん、昨日、口無くんのお家に訪れたでしょ? だから何か知ってるんじゃないかって」
「ああ……概ね、間違ってない。俺が口無の家に訪れた時、母親はもう死んでいて、あいつはどこにもいなかった」
「音が殺したの?」
「ああ」
水瀬さんの瞳孔が酷く動揺したように揺らぐ。
「……嘘だ。音がそんなことするわけないっ。きっと誰かに脅されて……仕方なくやるしかなかったんだよ」
「なんでそうなる」
「なんでって音はそんなことをするような子じゃないから」
「水瀬さんの前では少なくともそうだっただけだろ」
「……っ。だったら音をそうさせたのは夜月くん、あなたなんじゃないの?」
「ひどい邪推だな」
「じゃあどうして昨日、私の代わりに音ん家に訪れたの? 二人が話しているところなんて見たことがないのに、不自然だよ。ねえ、どうして? 何か別の目的があったんじゃないの?」
「……」
「ねえ、答えてよっ!」
問い詰めてくる水瀬さんになんて言おうか迷った。本当のことを言ったところで信じてくれないとは思うが自己完結するのもよくないんだろう。
「悪霊に憑りつかれていたから会いに行ったんだ」
「なに、言ってんの? ふざけたこと言わないでよっ!」
「はぁ……」
ほらな、俺の言葉を真に受けるなんてことはない。そっちから聞いてきたくせに、自分が望んだ返答じゃないとすぐこうだ。だったらどんな回答ならこの女は納得してくれるんだ。真相を知りたくて訊いてきたはずなのに。
「もういいっ。聞いた私がバカだった」
散々なことを言われて俺は水瀬さんを睨み付ける。と彼女は怯えたような表情を浮かべて後退った。
「今後……夜月くんは誰とも関わらない方がいいと思うよ。関わった人間はみんな不幸になるんだから」
「大きなお世話だ」
「そう言って、仲良かった星宮さんだって夜月くんと関わったから学校に来なくなったんじゃないの?」
「……」
去り際に問いかけられた水瀬さんの言葉に俺は何も言い返せなかった。彼女が言ったことは確かに正しくて、それは誰よりも自分自身が分かっていることだ。だからだろうか、分かり切っていることを改めて指摘されることへの嫌悪感と苛立ちは下校時刻になった今でも治まらない。別に何を言われようが構わないはずなのに、すべての不幸の原因を押し付けられた気がして腹が立っていた。でも彼女に限ったことではなくて、世間一般そういうものなんだろう。誰かに非があると結論付けてしまった方が自分の気持ちが楽になるのは、やり場のない怒りをどこにぶつければいいのか、明白になるからだ。その身勝手さは自身の欲求を他人に押し付ける行為に相違ない。だから全く関係のないモノに八つ当たりしたくなるというものだ。
俺は自分よりも弱い生き物を懲らしめる。弱り切ったソレに覆い被さって携帯していた退魔の剣を何度も振り下ろす。ああ、何度も刺して刺して刺しているのに、つまらない感触しか残らない。人間と犬。理性を放棄すれば、どちらも対等な獣。野生動物の生存競争で言えば弱い者が淘汰され、強い者が生き残るのが自然の摂理。とは言え、何匹殺しただろうか。というかこんな街中に野犬が彷徨っているなんて……あり得るか?
いや、野犬である前に出血が確認できない。まあ、そんなことはどうでもいい。血が出ないのならそっちの方が好都合だ。何より何度も振り下ろしたおかげで左腕にも血が巡ったのか、いいリハビリになった。まだぎこちないが頸を絞めれるぐらいには握力がある。死んだ犬の首を左手で絞め上げる。まるで狩猟者になった気分だ。だが全くもって高揚はしない。だからこそ憂さ晴らしに始めた行為が治まることはない。俺は剣を逆手に持ち直して、黒犬の大きな目玉にその切っ先を躊躇いなく振り下ろす。
「琉倭っ!」
鬱陶しい女の声がした。




