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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
五章 愛玩のカルマ
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5―1 夜の治療。

 ヘレナの腕を掴んでいた右手を放して、負傷した左腕を確認する。彼女が俺の左腕に巻いてくれた黒い布は血でびしょびしょに濡れていた。


「ヘレナ、腕の怪我を治せたりできるか?」

「悪いけど今の私には難しいわね。傷を癒すことは命を蘇生させることに比べたら簡単なことではあるけど、基本的に霊能力は負のエネルギーだから傷を治すという相反するような働きは不得意なのよ」

「まあ、そうだよな」

「ごめんなさいね、力になれなくて」

「別にヘレナが謝ることじゃないだろ。この怪我は俺が選択した行為の結果なんだから」

「けれど治す手立てはあるのかしら?」

「大丈夫だ。家には夜月家専任の医者が駐在しているからな」

「そう、なら安心ね」


 しばらく歩いてヘレナと別れた俺は家の前で立ち止まった。時刻は二十三時過ぎ。少し逡巡して、こっそりと洋館の裏口から入ることにした。時間も遅いため就寝しているとは思うが、こんな姿を七羅に見られたりでもしたら卒倒しかねないだろう。


「良かった」


 念のために裏口のドアを開けておいて良かった。館内に問題なく入れた俺は速やかに階段を上がった。階段から一番近い部屋をノックする。


「はい……どちら様ですか?」

「その声は伊予柑いよかか」

「その声は琉倭くんですね!」

「ああ、俺だ。美柑みかんは起きてるか?」

「ううん、お姉ちゃんは今就寝中だよ。お姉ちゃんになんか用?」

「急で悪いんだが、ちょっとヘマをして左腕を負傷したんだ。だから美柑に手当てをお願いしようと思って」

「だったら伊予柑にお任せください!」

「いや、でもお前、内科医担当だろう。たぶん、お前には手が余ると思うんだが」

「見縊らないでください! 切り傷を縫うくらいなら私にだってできます!」

「そうか、だったらまず診てくれないか?」

「はいっ! もちろんです!」


 近くで姉が寝ているはずだろうに、馬鹿でかい声で周防伊予柑は答えた。がやがやと騒がしい音がしてドアが開くと赤みを帯びた茶髪の女性が顔を出した。くりっとした大きな瞳が俺を見る。傍から見れば中学生だと間違われそうな容姿だが、俺よりも九歳年が離れた大人の女性である。がどう見ても白とピンクの縞模様のもこもこパジャマを着ていることも相まって、中学生にしか見えない。


「元気だな。起きてくれてて助かったけど……」

「はいっ! まだ寝るにはちょっと早いですもん……ってどうしたの、その血!?」


 伊予柑の能天気な笑顔も俺の左腕を見て青ざめていく。


「……前言撤回です。伊予柑には手に負えませんので、すぐにお姉ちゃん、起こしてきます!」


 慌てるように言って伊予柑は美柑を起こしに行った。二段ベッドの下で眠っている彼女に勢いよく飛び込む。


「ぐはっ」


 気持ちよさそうに眠っている美柑が呻き声を上げた。いくら体重が軽いからとはいえ、身構えていない状況で乗っかられれば、そんな声も出るだろう。


「伊予柑ァ……、なにふざけたこと、してんのォ……」

「ふざけてなんかいません! 大至急、起こさないといけなかったんです」

「えぇ?」

「琉倭くんが大怪我してるんですよ!」

「大怪我……?」

「悪い……美柑、寝ている時に」


 俺の声に反応した美柑は自身の腹の上に乗っかっている伊予柑を放り投げるように退かした後、起き上がった。


「どうしたんですか……その怪我」


 ベッドから立ち上がった美柑は俺の方へ歩み寄った。血で滲んだ左腕を一目見て彼女は口を開く。


「私のベッドで横になってください」

「いや、だったら俺の部屋で……」

「ここなら医療器具も揃っているのでわざわざ運ぶ手間と時間が省けます。それでも自分の部屋がいいですか?」

「……そういうことならここでいいけど、ベッドが血で汚れるぞ」

「他人に気を遣う前にまずは自分のことを心配してください。さあ、こちらに」

「……分かった」


 部屋に入った。部屋の広さは俺の部屋に比べて広く、ホテルで例えるならばツインルームぐらいだろう。とは言え珍しい、二段ベッドがあって、棚には数多くの医薬品、医療器具も整っている。ただの部屋というよりかは医務室に近い。美柑に促されるままに俺はベッドに腰を下ろした。口無に左腕をズタズタにされて一時間ぐらいが経つ。ヘレナと歩いている時は大したことなかったが、こうして気を緩めると意識が遠のいていく感覚がある。


 こんなことになるならあいつの首を掻っ切とけば良かったと今更ながらに思った。気を強く保とうとしていても視界がぼやけてくる。意識すればするほど酩酊感に溺れていく。血の気は多い方だと思うが流石に限界が近い。出血は止まらない。ぐらんと気を失いかけて、そのまま横になった。


「伊予柑、医療器具の準備を」

「はいっ」


 伊予柑がてきぱきと医療道具を準備している間、美柑は俺の左腕に巻かれている黒い布を解いていく。


「これは……ひどいですね。ミキサー機の刃に腕でも突っ込んだのですか?」

「いや、ちょっとまあいろいろあって……」


 俺が濁すように言うと美柑はこちらの事情を察したように頷いた。


「霊媒師の家系ですものね。特殊な事情がおありだと言うことは理解してますのでご心配なく。ちなみに怪我の具合ですが、上腕から前腕にかけて所々に深い切り傷があります。皮膚全層が切れて皮下脂肪や筋肉、骨が見えている状態です。見た感じだと骨に損傷はなさそうですが、骨が折れてるような感覚はありますか?」

「いや、ないな」

「分かりました。では準備が整い次第、局部麻酔を施した後に、断裂した血管と神経、腱を顕微鏡下にて縫合処置致します」

「頼む」

「はい。眠くなったら眠っちゃっていいですからね」

「……ああ、悪いがもう、そうさせてもらう……」


 体質的に眠くはないのだが、違う意味で眠りそうではあった。案の定、俺はあまりの出血量の多さから気を失うように瞼を閉じた。

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