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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
一章 血月下のノクターン
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1―6 夜想⑥

 ありきたりな公立高校。距離的に近い高校に入ったため、家から学校までは徒歩十五分圏内といったところである。緩やかな坂を下りて、雑多な人間が行き交う駅前を通り過ぎる。同じ制服を着た生徒の群れに紛れながら歩道を歩いて、校門をくぐった。

 何のために、学校に行っているのか。

 本来であれば、学歴なんて指標とは無縁な人生を送るはずだったが、あの屋敷を治める者は俺ではなく妹の沙月だ。それは母の方針であり、おそらく俺は高校を卒業と同時にあの屋敷から出ていくことになるだろう。母は俺を恐れている。だから護衛隊として刀童家の者を配置し、俺を牽制させる。あの時のように血迷えば、母の子であろうと、■■■のように容赦なく斬殺されるだろう。

 幼い頃はよく母さんと話をした。

 毎晩一緒に同じ布団で眠った。

 仕事の時以外、母さんはずっと俺の傍にいた。

 だけどそれも遠い昔。母さんの顔も声も今は少しも思い出せない。

 ただ一つ、鮮明に思い出せるのは母さんの頬を斬りつけたこと。一生消えない深い傷を負わせてしまったこと。母さんと約束したことを破ってしまったこと。中学一年、夏の出来事である。


「……」


 今更、どうしてそんなことを思い出すのか。思い出して何を感傷的になっているのか。過去の過ちが頭に過るのは人間としての感性か。それとも今度こそ本当に取り返しがつかなくなるぞという忠告と戒めか。太陽が昇っている昼間はまだいい。だけど、それが沈んだ時間帯になった時、さて俺は正気でいられるだろうか。

 夜が好きだった俺は今、誰よりも夜を遠ざけている。どんなに遠ざけたところで夜の世界から逃げることなんてできやしないのに。

 また同じように睡眠薬によるオーバードーズで意識を強制的に遮断させるか。それとも自殺する覚悟で頸動脈を切り裂いてみるか。俺ができる対抗手段は自分を傷つけるか、他人を傷つけるくらいしかない。どちらにしろ騙し騙しだ、問題を先延ばしにしているだけで、根本的に何も解決されない。


 学生たちが次々と校舎へ立ち入る中、俺は立ち尽くす。


 ……解決されていない?

 解決されていないと言えば、巷の連続猟奇殺人事件の犯人はまだ捕まっておらず、己の欲を満たすように夜の街を暗躍している。

 昏迷の中、俺はそいつに一筋の光明を見出した。

 その場凌ぎだが、そいつを殺せば、少なくともしばらくの間、沸々と煮え上がるこの衝動を宥めることができるだろうと。

 殺人鬼は他の命を脅かす悪の存在だが、そいつにも立派な存在価値があったのだ。悪い奴はどんな死に方をしようが、どんな殺され方をされようが、誰も気にも留めない。むしろ死んでくれて安心するだろう。殺してくれて感謝してくれることだろう。

 今の俺にとってはこれ以上ない都合のいい存在、大義名分のもとに、躊躇いなく好き勝手に殺せる。……とは言え、逆に殺されるかもしれない。まあそれはそれで、俺の死に方としては悪くないだろう。


 果たして俺はまた明日も同じようにこの場所に立っていられるだろうか。普通の生活を送れるだろうか。

 もしかしたら、これが俺にとって最後の登校になるかもしれない。

 だから最後に彼女の笑った顔を見るために教室へ向かった。


 午前八時十分。教室内はがやがやと騒がしくクラスメイト同士で談笑が交わされている。俺は一番後ろの窓際の席に腰を下ろす。隣の空席を見る。星宮小夜はまだ来ていない。夏休みが明けて、新しい学期が始まって、一か月が経った今、彼女はずっと休み続けている。担任からは体調不良とだけ聞かされてはいるが、一か月もの間、休むということは相当重い病気なのだろうか。入院でもしているのだろうか。夏休み明けに会ったきり、彼女とは会っていない。夏休み明けの彼女は元気そうだった。体調が悪そうには見えなかった。じゃあ、何が原因だ。担任が伝え間違えて、本当は交通事故にでも遭ったのか。だったら見舞いに行ってやらないと、あいつは俺のせいで友達が一人もいない。友達がいない同士、あいつの傍にいてやらないと。なんて何を一人で莫迦な想像を膨らませているのか。


 でも会いたい奴がいないのだから一人寂しく物思いに浸るぐらいしか何もすることがない。

 あるのは後悔と懺悔。

 あの時、もっと向き合っていれば何か変わっていたかもしれない。

 素っ気ない態度で彼女の振る舞いを無下にした。

 いつも気にかけてくれる彼女に対して今まで一度も感謝したこともなければ、酷い言葉で突き放した。

 いつも馬鹿みたいに優しく微笑むから、その笑顔が自分の中で安いものになっていた。彼女は少なからず俺に心を許してくれていたのに、俺はそれができなかった。誰かを傷つける度、巧く笑うことができなくなって、次第に笑えなくなった。誰かを傷つける時だけ、笑えるようになった。誰かが傷つく度、笑えてきた。誰かが喜んでいる姿を見ると、踏みにじりたくなった。綺麗なモノを見るとつい穢したくなる。誰かが頑張っている姿を見ると、蹴落としたくなる。弱者が強者の圧倒的な力でねじ伏せられる光景が好きで、他を寄せ付けない才能を持ちながら弱者に敗北した強者を見ると心底、興ざめする。だって強いモノには強さしか価値がない。それを奪われてしまったらそいつはもう生きている価値もない。死んだ方がいい。だからその価値が無にならないようにくだらない驕りも油断もしない。徹底的に完膚なきまで叩き潰す。それだけの殺気で弱者は寄り付かなくなる。間合いに入れば殺されるとそう思うからだ。……だから怖いのだ。人畜無害な雰囲気で無警戒に無防備に近づいてくる彼女が。次は殺すぞと殺意を向けても彼女は容易く間合いに入ってくる。鈍感なのか、馬鹿なのか、だけど惹きつけられるものがあった。だけど、純粋無垢で可憐な少女に、澱み荒んだ汚らわしく歪な存在が気軽に触れていいはずがないのだ。だってありのままの俺は他人を傷つけるだけだから。


 でも許されるのなら一度だけ、彼女の柔らかそうな茶色い髪に触れてみたい。細くしなやかな白い指を握りたい。滑らかそうな肌も、魅惑的な唇の感触も、彼女の体温を近くで感じたい。

 その情熱的なまでの思いが叶ったのか、机に突っ伏しながら廊下の方へ視線を向けていると、待ち焦がれていた星宮小夜の姿があった。


 自然と上体を起こして無意識に口が開いていた。


「おはよう」

「おはよ……って、えぇ~っ!?」


 驚いたような表情でひょうきんな声を出しながら隣の席に腰を下ろした小夜の姿は嬉しそうに顔を緩ませている。


「何だよ、人の顔ずっと見て」

「だっておはようなんて初めて言われたから嬉しくて」

「そんなことで嬉しがるなんて安い女だな」

「なによ、その言い草。あなたがこういう風にさせたくせに」

「……ああ、めんどくさいな」


 頭をかきながら背を向けて、頭を机に乗せる。いざ、面と向かって話すとやっぱりこんな口調になってしまう。彼女はこんなにも素直に笑って言葉をくれるのに。本当は彼女に会えてすごい嬉しいのに。


「ごめんね、鬱陶しくて邪魔な存在が来ちゃって。私がいない学校はさぞかし快適だったでしょ」

「……そんなこと、ない。そう思えたのは一週間ぐらいで、あとの日はずっと退屈だった」


 空白の間にしては長い沈黙。学校の予鈴が鳴る中、寝そべった身体を起こして、視線を小夜の方に向けると、彼女は静かに涙を流していた。


「は? なんで、泣いて……」

「え、あ、あはは、何でだろうね、今の言葉が嬉しかったからかな。つらいことも吹き飛んじゃうくらいに」


 自分でも何を思ったのか、右腕を伸ばした。折り曲げた人差し指。小夜の頬を伝う涙に俺は触れていた。朝礼が始まって、クラスメイトが起立する中、立ち上がる生徒の影に隠れて、二人だけの世界に没入していた。

 俺は指先についた彼女の涙を舌で舐める。涙の味は少し水っぽくて微かに甘い味がした。自分の涙を舐められた彼女は瞼を瞬かせながら頬を真っ赤にさせた。


「な、な、なに、してんのっ。ばか、へんたいっ」

「……悪い。自分でもよくわからないことをした」

「……でも、ありがと。止まらなかった涙がおかげで引いた」


 微かなほとぼりが冷めると同時に一時限目の授業が始まった。だけど授業の内容は頭に入ってこなかった。気になることがあって、話すきっかけが欲しくて、何度か彼女に視線を送ったが、目が合っても微笑んだり、首を傾げるくらいで俺の意図はなかなか汲み取られない。

 そんなこんなで午前の授業は過ぎていき、昼休みになった時、小夜が話しかけてきた。


「……夜月くん、さっきから何か私に気になることでもあるの?」

「ああ」

「なら早くそう言ってくれれば……で何かな、私に用って」

「なんで一か月も休んでいた。体調不良が原因なら大病でも患っていたのか?」

「大病ってまさかそんなことあるわけないじゃん」

「じゃあなんで」


 少し強めに詰問すると、小夜の優しい薄茶色の瞳が微かに揺れる。


「何だか今日の夜月くんはいつもと違ってぐいぐいくるね」

「うるさい、お前がこうさせたんだろ。さっさとそのワケを話せよ」

「え~、よくない? こうしてちゃんと復帰したんだし」

「お前が良くても俺が良くないんだ」

「なんで良くないの?」

「……うるさい」

「うるさいじゃわかんないよ」


 ああ、本当にイラつく。馬鹿みたいに笑う彼女。何が愉しくて、何がそんなに嬉しくて笑うのか、彼女は些細なことで笑って、しょうもないことで幸せそうな顔をする。笑っていればどうにかなると、笑顔でいればいいことがあると、今笑っている自分は幸せだと……ならどうして無理して笑っているのか。彼女が見せる笑みの中に翳りがあることは一番近くで彼女の笑顔を見てきた俺には一目瞭然だった。


「馬鹿みたいに笑っていれば、誰にも気づかれないとでも思ったか? 自分の武器を都合のいい道具として使うな」


 その指摘に小夜は悲しそうに頬を緩ませた。


「……分かった。ここじゃあ、ちょっと話しづらいことだから、二人きりになれる場所、行こ」


 保冷バッグを片手に持った小夜に誘われてやってきたのは旧校舎の屋上だった。旧校舎には他の生徒の気配はなく、屋上の施錠もされていない。屋上には錆び付いた金網のフェンスがされていて、そのフェンス際に小夜は腰を下ろした。施錠がされていないことを知っている様子から何度かここに来たことがあるのだろうか。


「そっか、夜月くん、お昼は何も食べないんだよね」

「ああ」


 金網越しから街の風景を眺めて俺は答える。


「ここ、教室よりも涼しくない? たまに一人になりたいときに来るんだ。一人が好きな夜月くんには特別に教えてあげる」

「……そんな余談はいいから、早くワケを話せ」


 小夜は保冷バッグから取り出した弁当箱を開けて、「いただきます」と手を合わせると、卵焼きを口へ運んだ。


「今日ね、卵焼きがうまく作れたんだ。良かったら夜月くんも食べる?」

「いらない」

「……そっか」


 もぐもぐと食べ進める小夜の表情は分からない。だけど、だんだん食べるスピードは遅くなって、お腹がいっぱいになったのか、箸はぴたりと止まった。普段ならぺろりと完食するはずの彼女は、箸を持ったまま、動かない。食べ方を忘れてしまったかのように、背中を丸くしたまま固まってしまった彼女に声をかけようとした時、彼女は肩を小刻みに震わせた。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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