4―16 同居する生死
「ちっ」
俺の刃を最後の最後で鈍らせた弱い言葉。ちゃんと戦っていたのに窮地に立たされると心が万全の状態でなくなるのは卑怯だ。いや、この心の状態こそがこいつにとっての正常さなのなら、死にたくないが真意なのなら俺はやっぱり殺せない。何より興ざめしたままの気持ちで殺すなんてつまらないし、もったいない。
俺は振り抜いた刃の軌道をすんでのところでズらそうと右手を引っ込める。これで口無音は致命傷を免れる。だが防衛本能だろう、咄嗟に構えた口無の右小指は意図せずスパンと切断された。斬り落とされた指が地面に転がると同時に噴き出す血の奔流。口無の絶叫が夜の街に轟く。
「ぐあああああああああああああああああああああああッ!」
両断された右の小指を押さえながら口無は喉を潰すかのような絶叫を上げ、その場に蹲った。あまりの痛みか、切断された小指の断面を口に咥える奇行に走る。
「大袈裟な奴……たかが指一本くらいで……痛みがあるだけ十分だろ」
だらだらと流れ出る血の感触。左腕を見れば、ごぼうのささがきみたいに見るも無残な姿となった左腕があった。殺すことに夢中で痛みは全くない。大量に分泌されたアドレナリンが俺の痛覚を鈍らせていた。上腕から前腕にかけてズタズタになった筋繊維と神経……幸いなことに骨に問題はなさそうだ。とまあ、腕の原型がかろうじてあるだけマシか。
「琉倭っ!」
心配そうに駆けつけてくる死の女神は一体何をしていたのか。まあ、俺が殺そうとしている時に下手に介入してきても困る話なのだが。
「大丈夫だ。それより、あいつの眼が翠じゃなくなったんだが」
「それはおそらく琉倭が彼の指を切り落としたことで五感がないと誤認した脳が正常に戻って、第六感的知覚も鳴りを潜めたのでしょう」
「だったらもういい。あとはあいつの心の問題で、生きるも死ぬもあいつの自由だ。俺はもう帰る」
「待ちなさい琉倭、少しだけ」
「あ?」
何をする気なのか、ヘレナは悶絶したまま蹲っている口無に歩み寄った。霊力を失った口無の眼でもヘレナの姿が見えているのは彼女から霊気を感じないからだろう。
「そんなに怯えなくても大丈夫よ、殺したりはしないから。あ、でも私の問いかけに対する返答次第では琉倭があなたを殺しちゃうかもだけどね」
口無の目の前で膝を付いたヘレナは続けて問いかける。
「ねえ、貴方はそんな状態になってもまだ死にたいと思うの?」
「…………分からない。でも死にたいは消えない。どうして死にたいと思うのかもわからないけど」
「お前、まだそんなこと言ってんのか。もういい、今度こそ確実に殺す」
「琉倭、待ちなさい。私の話はまだ終わっていないわよ」
俺を制止させた上でヘレナは口無に語り掛ける。
「口無音くん。死にたいと思うことは別に悪いことではないわ。だって生きているんだから誰しもが思うことでしょ? けれど、なんで死にたいのかを考えるよりもなんで生きているのか、何のために生きていこうかを考える方がよっぽど有意義だと思うわ」
「……」
「それでも貴方が死を考えざるを得なくなって、死のうとするのなら私は止めないわ。けれど無関係の人を貴方の死に巻き込むことだけはやめて頂戴」
ヘレナの要求に口無は少しして静かに頷いた。合意を確認したヘレナは黒いローブの端を破って、それを口無音の右小指に巻き付ける。
「よし、できたわ」
応急手当を終えたヘレナは立ち上がり、口無の頭をぽんぽんと軽く撫でた後、こちらへと振り返った。黒いローブの端をまたビリリと破きながら俺の方へ近づいてくる。
「琉倭、止血をするから左腕を出しなさい」
「別にこれくらい俺一人でできる」
「いいから早くなさい」
言われて仕方なく俺は左腕を差し出した。ヘレナは適当に破いた黒いローブを負傷した左腕に巻きつけていく。
「いいのかよ、あのまま放っておいて」
「私ができることはやったつもりよ」
「だとしてもお前、甘やかしすぎだろ」
「なぁ~に、琉倭。琉倭も甘やかしてほしいの?」
「は? ちげえし。なに勘違いしてんだ、バカ女、痛っ――ぁ!」
優しく巻いていたヘレナの手つきが急に荒々しくなった。勢いよく引っ張り上げられたことで痛覚が戻ったのか、左腕に激痛が走る。
「お前――、なにすんだ」
「あら、ごめんなさいね。バカ女だから力加減が分からなかったわ」
「なに、根に持ってんだよ、いだだっ」
さらにヘレナはぐいい、と乱暴に締め上げて黒い布を腕にぐるぐると巻いていく。
「別に、根に持ってなんかないわ。止血してるのだからこれくらい強く巻いて当然でしょ。はい、終わり。感謝の言葉は?」
「……はいはい、どうもありがとう」
「むっ、まったく想いが籠ってないわ。やり直しよやり直し、もっと心のこもった言葉が聞きたいわ」
「お前なぁ、そういう言葉は言わせるもんじゃないんだぞ」
「いいじゃない。琉倭にありがとうって言われたいの」
「めんどくせえな。面倒くさい奴は嫌われるんだぞ、ヘレナ」
「何よ、琉倭は私のこと、嫌いだって言うの?」
「……別にそんなんじゃない。あー、もう面倒くさい。できることはやったんだろ? じゃあ帰るぞ」
「ぶー、琉倭のケチっ」
俺はヘレナの左腕を強引に引っ張って連れていく。そしてふと、俺は振り返った。ふてくされたヘレナの顔に隠れてよく見えなかったが、口無音は一人、冷たい闇の中で、失った右小指を押さえながら祈るように青が濃くなった空を見上げていた。




