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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
四章 シーサイド・イルネス
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4―15 第六感

「……ヘレナ、どういうことだ。今ので事は済んだはずなのに、どうしてお前が知覚されている」

「奪われた代わりに得たモノもあったということよ」

「得たモノ?」

「ええ、クンティラの呪いは死なせないという邪念。だからクンティラ自身が祓われようとも奪われたモノは口無音のもとに還ることはなく、彼は眠りを余儀なくされた。奪われたモノは三つ。死にたいという願望と死に直結する感情。そして意志よ」

「? 五感じゃないのか?」

「何かを食べたい、何かを聞きたい、何かに触れたい、何かをしたいという意志を脳が五感として誤認した結果、口無音はそれを克服しようとして第六感的特異能力に目覚めたの。だからクンティラが死後に残した呪いを祓ったところで超感覚的知覚が消失することはないわ」

「第六感……それが奪われた代わりに得たものか」

「何を二人してごちゃごちゃ話しているんだ」


 口無音の瞳孔が鮮やかな翠に染まる。その双眸が鋭く俺を睨み付けた。


「除け者扱いされたのがそんなにも悔しかったのなら謝るよ。けど、お前はどうしてそんなにも死にたいんだ?」

「……それが分からないんだ。けど死にたいんだ僕は」

「だったらさっさと死ねばいい。どうして母親を殺害した。あれはお前が意図的にやったものなのか?」

「母さんの死を想像しただけでああなるだなんて思いもよらなかったんだ」

「じゃあ、路地裏で無惨に殺されている遺体はどう説明するんだ?」

「それは……」


 口無音は口を閉ざし、苦悩するかのように右手を額に当てた。


「どーせ他人の死を見て生を実感しようとしたんだろ。でもそんな必要なんてないんだ。なあ、口無、どうしてお前は身を持って痛みを知る手段があるのにその選択を取らなかったんだ? お前は本当に死にたいのか?」

「何を言って、死にたいさ、だけど死にたい理由が僕には分からないんだ。だから僕は死ねない。他人の死を見れば何か分かると思ったのに、勝手に死んでいった母さんを見てもその死に何もそそがれない。おかしいんだ、なんで僕はこんなにも死にたいのに、死ねないんだっ」


 苛立ちを隠しきれない口無は訴えかけるように声を荒げた。


「知るかよ」

「きっと……母さんがいけないんだ。母さんはどこの誰かも知らない屍の子種を孕んだんだ。だから僕はこんなにも――」

「くだらねえこと言ってんじゃねえよっ! お前が死のうとする要因を自分の都合のいいように親に責任転嫁してんじゃねえ。死の口実を親の理由にするんじゃねーよ。いいから殺させろ。死にたいんなら俺が今ここで殺してやるから」


 制服の袖裏に隠していた退魔の剣を手に取り、口無に突き付ける。


「いやだ。なんでお前なんかに殺されなくちゃならないんだ。僕は僕の意志で僕の手で僕自身を殺すんだ」

「ああ、めんどくせえ奴。身勝手に人を殺しておいてよく言うよ。だったらさっさと死にやがれ」

「うるさいっ、僕は僕が死にたいと思う原因を突き止めるまで死ねないって言ってるだろ」

「話にならねえ。お前の言動は矛盾ばっかだ。その原因を他人の死から見出そうとするお前の思考もよく分からねえ。なあ、本当は母親を殺して生きる喜びを知ったんじゃないのか」

「違う、僕は。僕は殺したくて殺したんじゃない」

「いいや、お前は人殺しを楽しんでいるよ」

「楽しんでなんかない、殺しなんか好きでやるわけないだろ」

「嘘つけが、お前からは俺と同じニオイがする。だから余計に腹が立つんだ。潔く罪を認めず、隠蔽したところでやってしまった事実は変わらないっていうのに」

「黙れ、殺してやる」

「ほらな、殺したい顔になった。いいぜ、付き合ってやるよ。殺したいのに死にたい奴だなんて世の中にはそうそういねえからな」


 集中力と殺意を跳ね上がらせて、爛と霊眼を開眼させた。短剣を片手に俺は殺していい奴を殺すために走る。その時、「刎ねろ」口無は厳かに言い放った。刎死ふんしを連想させる言葉に呼応して空気が殺気立つ。言葉は呪い。念じるほど想像するほどに強くなって、強力な凶器となる。言霊に近い攻撃を俺は間一髪で躱した。つぅーと首から血が流れる。


「どうして、死なない? 僕は今のでお前の首が完全に刎ねるところまで想像できたのに」

「お前、殺意を向け過ぎなんだよ」

「それはお前もだろっ」

「ああ、殺したくて殺したくてたまらない」


 俺の言葉に口無は慄くように後ずさる。


「来るなっ、僕を殺すなっ」

「なんて矛盾」


 口無の制止を振り切って、殺しにかかる。


「轢かれろ。刎ねろ。裂けろ」


 口無が想像する死の数々。死を連想させる言葉に応じて生じる攻撃。だがどれも明確故に分かりやすく視える。何よりそんな強い言葉を言いつけられても俺自身は全くもって殺されるイメージが湧いてこない。


「切れろ。溺れろ。絞めろ……っ、堕ちろ堕ちろ堕ちろ堕ちろっ!」

「堕ちるわけねえだろ」


 翠と朱の視線が交錯する。


「血迷ったな。高所でもない場所で念じても堕ちるイメージは湧かないってものだ」

「だったら……っ!」


 口無の間合いに入った俺は彼の首にナイフを振りかざす。


「お前の死は頸動脈を切られたことによる出血死だ」

「ふざけるな……死ぬのはお前の方だ、■◇▼ろっ」

「!」


 それが何なのか、霊眼をもってしても明確に分析することは難しかった。きっとそれはイメージしている口無本人にしか分からない彼固有の攻撃手段なんだろう。だが危険な色に染まった翠に渦巻く亀裂のような攻撃が俺を殺しに出迎えていることだけは分かった。それを承知の上で俺は――。


 ああ、いいよ。

 殺し合いっていうのはそうこなくっちゃだよな。


 ――躊躇わなかった。


 左腕を盾にして利き腕である右腕を庇いながら強引に押し切った。


「っ――」


 亀裂の入った空間を振り払った左腕に走る衝撃。皮膚を切り裂かれるような、焼かれるような、凄まじい激痛に襲われる。例えるならそう、切れ味のいいピーラーかなんかで皮膚を何度も何度も出鱈目に削がれたかのような痛みだ。見れば俺の左腕はピーラーで乱雑に皮を剥かれた人参みたいになっていた。だが今はそんなことどうでもいい。俺は今目の前で死にたがっているのに死ねないと悩んでいる奴を殺したくてたまらないんだから。


「なんで、どうして死なないんだ」

「お前の呪いじゃ、俺は殺せねえよ」


 問答無用で口無の頸に向かってナイフを走らせた。心音が高鳴る。生身の人間を殺すのは星宮小夜以来だ。いや、そんな彼女も死魔に憑りつかれた時に亡くなっていた。だからこれが正真正銘、俺が初めて奪う命だ。どくんどくんどくん……はぁ、がその熱はすぐに冷めた。微かに聞こえた「……死にたくない」という弱々しい言葉によって。

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