4―14 望まれぬ祓い③
俺は急いでヘレナが棲む館へと向かった。今はもう誰も利用していない遊歩道を渡る。渡り終えて少し歩くと、どうしてこんなところにあるのか、森の中に紛れ込むようにひっそりと佇む館の全貌が見えた。俺はその館の中へ立ち入り、廃れた館内の奥へと進む。奥の部屋がヘレナの寝室であり、だいたいこの時間帯はここにいるはずだ。
「おい、ヘレナ。開けるぞ」
返答はないが、待っている暇もないのでドアを開けると、ヘレナはベッドの上で深い眠りについていた。どこで手に入れたのか、人参のクッションを抱き枕にして惰眠を貪っているヘレナはそのクッションに脚を絡ませながら両手で抱えて頬ずりしている。気持ちよさそうに眠っているが、黒いキャミソール一枚だけで下は白の薄いパンツしか履いていない。
「……相変わらずなんて恰好してんだ、こいつは」
色白の丸みを帯びた柔らかそうなお尻とキャミソールからむきだしになっている細い肩と腕がいやでも目に入る。どこもかしこも艶めかしくてずっと見ていられるが、ずっと見ていたらどうにかなりそうになるのもまた事実だった。
「……」
俺はヘレナの肩から外れかかっている細い紐に手を伸ばす。その紐をちょっとでも下にずらせば、豊かな乳房が丸見えになるだろう。くびれた腰回り、抱きついた格好で無防備に開かれた腋、どこを見ても煽情的な気分にさせられるくらいこの女は女としての魅力を詰め込んでいる。
やめろ。
駄目だと思っていても身体が勝手に動く。
そうだ、あの時みたいに腋なり太腿なり、彼女の身体をくすぐってやればいい。そしたらこいつも目を覚ますはずだ。たぶん怒られるが、きっとそんなには怒らないはずだ。真摯に謝ればすぐに許してくれるだろう。だってこいつはちょろい。単純な女だ。だいたいこんな格好で寝ている奴がいけないんだ。だから触ろう。触りたい。
「……くそ、起きろよ」
触れたいと思うのはこいつが好きだからという高潔な理由なんかじゃない。ただ単純に男として生まれてきた時から備わっている性というものだ。にしては酷いくらいの欲求だ。これでは誰かを殺したくて殺したくてたまらなかったちょっと前の自分と何も変わらない。
そういえば、最後に自慰をしたのはいつだったか。確か、三、四か月前、夢の中で殺した母親の死体があまりにも生々しくて綺麗で、その昂りからか、夢精をしたんだったけか。なら今目の前で眠っている女を殺したら俺はどうなってしまうんだろうか。こいつの身体から出てくる血を舐めたい。処女ならその純潔の血を啜りたい。首を絞めて苦しそうに喘ぐ表情が見たい。滑らかな肌にナイフを突き通す快感に浸りたい。
「やめろ……」
夢の中で見た母親よりも、初恋相手の星宮小夜よりも、美しいと思ってしまうこの女を俺の手で好きなようにできるのなら、俺はこいつを……。
「お願いだから起きろよ」
伸ばした手が肩紐に引っかかる。
「んぅ……琉倭?」
俺の切実な願いが届いたのか、あとちょっとで一線を越えそうになったところで目を覚ましたヘレナがむくりと上体を起こした。眠そうな瞼を擦って、俺の存在を認識したヘレナは「どうしたのよ? そんな苦しそうな顔して」と首を傾げながら訊いてきた。
「別に何でもない。そんなことより口無音が姿を消した。そいつの家で母親らしき女が死んでいる」
「あら、それは大変ね。でも今、すごく眠たいの。せめて夕方まで寝させてちょうだい」
こてんと折角起こした上体がベッドに倒れ込む。
「なに呑気なこと言ってんだよ。少なからず霊的な要因が関係してるんだぞ」
「分かってるわよ、うるさいわね。そんなに言うなら自分一人で捜してくればいいじゃない」
カチンときた。こんな女に情欲していた自分が馬鹿馬鹿しい。こっちはこいつに頼まれて口無音の動向を追って、こうして報告しにやってきたのに眠いからという理由で無下にするなんて。
「ならもういい。お前がそんなんなら美鈴に頼む。お前はそこでずっと寝ていろ」
俺は背を向けてヘレナの寝室を立ち去る。その時、ぐいっと制服の裾を引っ張られた。
「何だよ、離せ」
「………行っちゃだめよ」
「……。じゃあ早く起きろよ」
「ん……」
むくりと再び上体を起こしたヘレナは大事そうに抱きしめていた人参のクッションを手放してベッドから起き上がる。黒いローブを羽織ったヘレナは立ち上がると大きく伸びをして、眠気を完全に覚まさせた。
「準備はもういいのか」
「ええ、待たせてしまって悪かったわね」
「別に……」
「じゃあ行きましょうか。呪いに囚われた自殺少年を捜しに」
ヘレナは別段急ぐ素振りもなく、ゆったりとした足取りで寝室を出る。俺もその後に続く。
「ヘレナ、口無音の居場所、分かるか?」
「とりあえず少年の家に案内してちょうだい。捜す前に彼の母親を供養したい」
「分かった」
…
口無音の家にやってきたヘレナは居間で亡くなっている母親の死体に膝をつく。
「思った以上に酷い惨劇ね。こんなこと、人が為せるようなことじゃないけど……腑に落ちたわ。この部屋には霊媒師並みの霊力が尾を引いている」
「口無の身に何が起きているんだ?」
「正確には分からないけど、臨死体験を経たり、精神的疾患にかかると突発的に霊感が開花するケースがあるの。おそらく、口無音はクンティラに何かしらの生体機能を奪われたことで昏睡状態に陥った結果、霊的な力に目覚めたんだと思うわ」
「それで母親を殺したって……死にたくてたまらなかった奴がどうして殺人を犯すんだ」
「本人の意志で殺しを行ったのかは分からないけど、どちらにしろ野放しにしていいものじゃないわ。仮に口無音本人にも解析不能な現象が身に起こっている場合、母親を殺した現象は何がきっかけで起こるのか全くもって不明瞭なものになる。もしかしたら母親を殺してしまった自責の念に堪えかねて家を飛び出したのかもしれない」
憶測はさておき、口無音の母親を供養した後、外に出た。口無家に残留していた霊気を頼りに、俺とヘレナは彼の行方を追った。




