4―9 クンティラポンティ③
「おい、美鈴」
「あれ、夜月くん、もういいの? 自分の余力を把握していないお転婆な死神さんと別れちゃって……怒られるんじゃない?」
「それなら大丈夫だ。……ってひどい言われようだな、相変わらず」
「だってそうでしょ。彼女は冥界の具象化に伴う霊力の消費を測り損ねたわけだし、その結果、夜月くんの体内に蔓延る悪因子の暴走を招いた」
「……そうかもしれないが、全部が全部あいつに非があるわけじゃない」
「ふぅん」
何やら意味ありげな頷きと目つきに耐えかねて俺は話を変える。
「そう言う美鈴こそ、何でここに来た?」
「口無音くんの件でちょっと小川マンションに立ち寄っていたの。その帰り道に凄まじい霊力の放射を感じたから来てみたってわけ」
「そうか。……でなんで小川の廃ビルマンションに?」
「それは今日の昼間に口無音くんの母親が再訪問してきたから」
「何かあったのか?」
「口無音くんが一向に目を覚まさないんだって」
如何にも他人事のような口ぶりで話すが、霊媒師の仕事上、一応依頼者のために動いてはいるらしい。
「目を覚まさない?」
「うん、一応彼の容態を確認しに行って、一通りのお祓いはしたつもりだけど、邪気や悪霊が憑りついているわけでもないから対処のしようがなくてね」
「そうか……因みにだが、口無音を攫ったのはクンティラポンティっていう血塗れの長い髪と紅い服を着た女の霊なんだが、美鈴は知っていたか?」
「クンティラポンティ……初めて聞いた、そんなおかしな名前の霊がいるだなんて……じゃあ早く祓わないとだね」
「でもヘレナ曰く悪い霊ではないらしいけど」
「だけど未練があるから成仏しないんでしょ? その霊の未練は何なの?」
「生前に一人息子を投身自殺で亡くしている」
「ああ、それでか、道理で彼に執着するわけだ」
「何か心当たりがあるのか?」
「まあ、母親に聞いた話だと口無音くんは前々から自殺衝動に苛まれていたらしい」
苛まれていた? それじゃあまるで病的な捉え方だが、肝心の本人が目を覚まさない以上、真実は分からない。何かいやなことがあって自殺に走るのなら分かりやすいのだが、本人の意志とは別に自殺衝動に駆られるのならそれは人間としての構造的欠陥だろうし、希死念慮を抱いて自殺を何度も図ろうとしているのならそれは人間としての精神的疾患なのだろう。どちらにしろ、クンティラポンティが口無音に何をしたのか、彼女に訊ねる必要がある。
「だけどどうしよっかな~、私が来た時にはそのクンティラポンティっていう霊には会えなかったから、明日また出直そうかな……運よく出くわしてくれればいいけど……」
「だったら美鈴、この件は一旦、俺に預からせてくれないか?」
「構わないけど、どうやってクンティラポンティに会うの?」
「まあ、俺に任せとけ」
「ふふ、頼まれた私が夜月くんに頼むなんておかしいけれど、そっちの方が手っ取り早そうだからお願いしちゃおうかな、けど危ないことしちゃ駄目だよ?」
「ああ、別に危ないことじゃない」
「ふぅん」
実際、危ないかどうかは美鈴が判断することでもなければ、俺が判断することでもない。判断するのはクンティラポンティであり、こんなことをしようと考えた時点で俺はボイドの呼び声に耳を傾けてしまったのかもしれない、なんて。
昔からそういう憧れのような衝動はあった。
高いところに立った時、ふとそこから飛び降りたくなった経験は。
でも自殺念慮を抱いている者と明確に違うのは、高所から飛び降りるイメージを抱くことと、それを実行に移そうとする気持ちは別ものだということだ。
そして今俺が抱いているものもまた別モノだ。俺が飛び降りたいと思うのは俺を取り巻くすべてのモノから投げ出したいという破滅への願望ではなく、生と死の狭間に立つことで得られる生への実感を高めようとする人間の潜在意識だ。
それを踏まえた上で俺は今から小川の廃ビルマンションから飛び降りることを決意した。