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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
四章 シーサイド・イルネス
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4―8 クンティラポンティ②

 この話はこれで終わりと一区切りをつけるようにヘレナと俺は駅へと向かう。実際、明日学校に口無音の姿を確認できればこの件は一先ず問題なかったことになるのだろう。だがクンティラポンティが口無音に何をしたのか、具体的なことは彼女にしか分からないが、ヘレナが言うように自殺願望ではなく希死念慮を心に抱いている場合、何度止めようと彼が抱く死への渇望が消えることはないはずだ。


 だからと言って俺はクンティラポンティのように無理に止めようとは思わない。死にたくない奴が死のうとするのとは別に、死にたいと思っている奴が死ぬのならそれがそいつの本望、幸福だと考えるからだ。愚行権と自由主義に則れば他者に危害が加わらない上で人間には自分の意志で不幸になる自由があるということだ。


 でもそんな死に方に対して隣にいる死の女神はなんて答えるんだろうか。


「なあ、ヘレナ。不幸の象徴である死に憧れや希望を抱いて命を落とすことは愚かだと思うか?」

「難しいこと訊くわね。うーん、そうね……それに関しては立場や考え方の違いで答え方も異なるから何とも言えないけど……、私情を挟むならば、思い入れのある者には死んでほしくないが本心よ」


 そう言ったヘレナはくるりと振り返って、俺を見た。


「だから琉倭が死んだら悲しいわ」


 いつしか時刻は午前零時を過ぎていて、駅周辺の街並みはすっかり夜の闇と静けさに溶け堕ちていた。


「そしてこの人たちは死ぬはずじゃなかった人間、死にたくなかった人間だった」


 ヘレナの赤い瞳が光る。何処からか吹く風に清らかな白髪は煽られ、月の光みたいに輝きだす。次第にこの街全体は冥界の風景に上書きされ始めていた。


 冥界がどんな世界なのか、勝手な想像だがそこは一切光が届かない深淵に満ちた闇の世界だと思っていた。だが違った。そこは真夜中になっても絶対に没しない青白く小さな太陽が幾つも鬼灯のように君臨し続ける白夜のような世界。朝日と月光が渾然一体となった幻想的で美しい常しえの黄泉に横たわるは青白くなった亡者たち。互いに首を絞め合いながら、互いに凶器で殴り合いながら、歪な状態で死んでいる。


「じゃあなんで殺し合ったんだ」

「彼らの魂がこう告げている。そうするように嗾けられたと」

「誰が、何のために」

「誰かは知らないけど、こんなことができるのは死魔しかいないでしょうね」


 ヘレナの瞳から放たれる赤みを帯びた光が弱まっていくと同時に、薄明の冥界領域が雪交じりの氷片のように霧散し、砂礫のように飛び交う。やがて虚構と現実は入り混じり、街は再び夜の闇に包まれた。


 夜の街に魂が浄化された遺体が十数名、呼び戻された。朝になれば人の目に晒されることになるが、この街の人たちはこの惨状を見て、何を思い、この惨劇をどう説明するのか。何はともあれ、これで故人たちは帰るべき場所に帰れるはずだろう。


「じゃあそろそろ俺は帰るよ。お前も帰るだろ?」

「いいえ、死者を呼び戻した手前、みすみす帰るわけにはいかないわ。とりあえず夜が明けるまで駅周辺を監視する」

「監視してどうするんだ」

「魂のない空っぽの器には邪気が入り込みやすいのもあるけれど、殺し合わせた奴が姿を現すかもしれないわ」

「それはないだろ。何が目的かは知らないが、自分じゃなくて相手に殺すよう仕向けているならそいつは臆病で卑怯な奴に決まっている。他人が殺し合っているのを見て何が楽しいんだよ、自分でやるから楽しいんだろ、人殺しってのは」

「琉倭! 今の発言はよくないわよ」


 え――よくない? 何をそんなに怒っているのか、それこそ俺にはよく分からない。


「何だよ、一丁前に説教ぶりやがって。人が人を殺すことは放任するくせによ。だったら俺にも殺させろよ」


 ああ、なぜか。無性になぜか、何かを殺したい衝動に駆られる。今までその衝動を抑え込んでくれていた枷が今だけは何故か緩んでいる気がした。


「琉倭っ!」


 だから何なんだよ、そんな怒った顔で俺の名前を呼びつけて……とたん、ヘレナはがくんと膝から崩れ落ちた。


「……ちっ、迂闊に冥界心象をやるべきではなかったわ」

「あー? 何をごちゃごちゃ言ってんだよ。その柔らかそうな唇、切り裂いてやろうか」

「琉倭、怒るわよ」

「もう怒ってんじゃねえか……あぁぁぁぁーー、殺してぇ」


 抑えきれない欲望。言葉にしたらそれ以外、考えられなくなる。抑えられていた分、膨れ上がって破裂する。


「前々から俺はお前を殺したくて殺したくてたまらなかったんだ」


 心境の変化と共に身体的にも変貌していく。髪は徐々に白くゆらゆらと靡くように伸び、腕も足も異様に成長し、その身体は真っ黒な靄に包まれていた。


「正気に戻りなさいっ。私の言葉が分からないの。あなたの中には死神の血が流れているんだから人殺しは絶対にしてはいけないことでしょ。そんなことをしたら私が許さない。そんなこと、絶対させない。力の使い方を間違えないで」

「ああ、うるせえうるせえうるせぇなァ」


 じゃあ、なんで目の前で跪いている女は力ずくでも俺を止めようとしない? そんなのは分かり切っていることだ。さっきの冥界を顕現させたことで霊力を大幅に消費したのだろう。それで俺の細胞にへばりつく悪の因子を抑え込むことに思いのほか、手間を取っている。


「へばりつくへばりつく、ああ、へばりつく」


 ああ、いいところにいい武器があるじゃないか。退魔の剣。これをこの女に突き刺したらどうなるのか、試してみたい。人間の物理的な攻撃じゃ効かない相手に致命傷を負わせたい。あわよくば殺したい。さぞかし美酒のように綺麗な色をした血を噴かすことだろう。それをこの眼で見て、この口で味わいたい。


「ああああああああああああああ、殺す」


 錯乱する俺を、ヘレナは見上げて冷静な声で言う。


「ボーグの陰の気と私の善の気を受け持ってかっこよく変身して気が大きくなっているようね、琉倭。いいわ、殺せるものなら殺してみなさい。年頃の男の子にはセルフプレジャー的な発散が必要だものね? あなたにとって殺意の情欲もまたその一環でしょ?」

「てめえ」

「いいのよ、その殺意が私だけに向けられるのなら私は喜んであなたの発散に付き合ってあげるわ」


 情欲をそそるような甘い言葉と共にヘレナはわざとらしく豊満な胸をぎゅっと寄せてきた。ふざけやがって、俺はその谷間に退魔の剣を振り下ろした。その時、『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前』と連なる九つの真言と共に既に俺を取り囲むように縦に四本、横に五本、計九つの錫杖が地面に突き刺さっていた。


 シャララララララララン。


 耳障りな音と言葉。音霊と言霊。鳴り響く遊環には邪気や魔を祓い退ける力が含まれている。九つの錫杖で形成される結界の範囲は四方で五メートルと狭いが、整然とした碁盤のような目状が俺を立ち塞いでいる。だが九本の錫杖で形成されたマス目状の結界は堅固ではない。マス目の中を通り抜けることは容易だ。だがその容易さこそがこの結界の仕組みであった。


「莫迦ね、九字護身結界はマス目の中を通り抜けることで邪気や穢れを祓う働きがあるのよ、夜月くん」


 だから一マス目を通り抜けた時には俺の中にへばりつく悪の情欲は消え失せ、俺は正常な状態に戻っていた。


「……俺はまた」

「良かった、正気に戻ったみたいだね」


 いつの間にか駆けつけていた美鈴が安堵の言葉を漏らした。


「大きな荷物を抱えていると大変ね、夜月くん」

「……すまない、助かったよ、美鈴」

「ううん、そんなことよりも、うわ~、生ヘレナだ。存在自体は知っていたけど、実際に見ると大きいわね」


 美鈴は両の手を伸ばすや否や、包み込むように手をもみもみ動かしている。


「そこの退魔師っ! 今すぐその卑猥な手の動きをやめなさい」


 ヘレナは不愉快そうに眉を顰めて指を突き出し、それに対して美鈴は素直に応じるどころか、ヘレナの胸に触りに行こうとする。それを俺は必死に引き留める。


「おい、美鈴。やめとけよ」

「えー、なんでよー、触りたいじゃん。助けてあげたんだからそれくらいの恩、返してもらってもいいじゃん」

「だったら沙月を助けてくれたのはあいつだ。これで貸し借りはないだろ」

「そうかもだけど、これに便乗して触らせてもらうのよ。適当に言いくるめれば大丈夫」

「いや、いくら何でも強引過ぎだろ……」

「ちょっと! 二人して何をこそこそ話してんのよ」


 ヘレナが訝しむような視線を向けている。


「いやぁ、別に、それよりおっぱい触らせてよー」


 俺の手を振り解いて勇猛果敢にヘレナの方へ美鈴は向かっていく。どんだけ欲望に忠実なんだ、こいつは。もうどうなっても知らないぞ。


「いやよ、誰が触らせてやるもんですかっ」

「いーじゃん、減るもんじゃあるまいし」

「いやなものはいやなの、あっち行きなさいよ」

「ひどいな、本当、器が小さい。女神ならもっと寛大でいないと」

「う、うるさいわね」


 渋りつつもあと一押し押せば、誘いに乗りそうな雰囲気ではあるが、美鈴がヘレナの間合いに足を踏み入れた瞬間、ヘレナの眼差しは明確な殺意に変わった。


「戯れはそこまでよ。退魔師ごときが私に触れられると思わないで」

「あらぁ、それは残念。仲良くしたかったけど、どうやらアプローチを間違えちゃったみたい。悪いことをしたわね、冥界の女神さん」


 美鈴はくるりと踵を返して、俺の横を通り過ぎていく。


「ヘレナ、俺もお前を殺そうとした。悪かったな」

「見縊らないで、あんなので私を殺せると思い上がらないで」

「いや、別に思ってないけど、お前にナイフを振り下ろそうとしたのは事実だから謝っている」

「そう、でもあの女が割り込んでこなくたって私でどうにかできたのよ」

「ほんとかよ」

「ほんとよ」

「そうかよ」

「そうよ!」


 強がりにも見えるが深く追求することはあえてせず死の女神であるヘレナの威厳を保たせることに努めれば、すぐに機嫌を取り戻してくれた。


「じゃあ俺はもう帰る。またな、ヘレナ」

「ええ、琉倭が来るのをまたあの公園で待っているわね」


 午前一時過ぎ。駅前近くの街を監視するヘレナと別れた俺はさきにこの場を去った美鈴の後を追った。

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