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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
四章 シーサイド・イルネス
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4―7 クンティラポンティ①

 俺はその白い肉の塊をナイフで真っ二つに切り裂いた。刃を通して伝わる乳房特有の柔らかさ。瞬間、乳房の切れ目から果実のように血と母乳が混ざったような液体がまき散らされる。スプリンクラーのように降り注がれる中、自殺の悪霊どもが皿の上に乗せた身体の一部を携えて襲い掛かった。


「目くらましでもしたつもりか」


 眼では視えないモノ。耳では聴こえない音。神に通じる力は俺には不向きだ。邪念や煩悩塗れの人間には扱えない。だけど、俺の身体はヘレナと接触したことで人寄りではなくなった。そもそも俺は死神の子だ。もともと人よりではない。だから人よりではないものがさらに人よりではなくなったら、生得的ではなくても、邪念や情欲塗れでも、常時一パーセントしか使っていない脳を最大限に活性化させて眠っている潜在能力を引き出してやれば、使えないものも使えるようになるというものだ。


 ああ、殺しやすい。


 切り裂いても斬り落としても突き刺しても、声もあげずに、苦痛の表情もなにもないから簡単に殺せる。ミクトラン・テク―トリに寄生された星宮に比べれば俊敏性はない。ただ数が多いだけ。乳房投げ女を殺した俺は、一人。二人。三人。四人。五人。自殺者の悪霊たちを問答無用で殺していく。地下駐車場には数えきれないほどの死人で溢れ返っていた。


「何だこいつら、未練があるから悪霊になっているのに死にたがっているなんて、吐き気がするほどの矛盾だ」


 本体から血は出なかったのに、皿に乗っている身体の一部から血が出てきたことがこいつらの切っても切れない苦悩とでもいうのか。


「どうしようもないほど複雑な悪霊もいるのよ。生にも死にも居場所がないから自身が成仏を願ってもそれができない。だから霊媒師が何度祓っても世界の理が死者として生き返らせるの」

「じゃあ、こいつらはまた息を吹き返すのか?」

「いいえ、その退魔の剣で斬られた者は完全な死の概念を付与されるから生き返ることはない。だけど魂は肉体に滞留し続けることになる。自死は本来、禁忌的な概念としてこの世界の理に定められているから、現実世界から逃げるために自ら命を絶った者は絶対に成仏できないの」

「じゃあどうすんだよ」

「でも私にはできる。死者の魂を管理する者として」


 ここ小川の廃ビルマンションは自殺者の溜まり場だったのだろう。だから各地で自殺した亡霊たちが吸い寄せられるように集まってくる。俺はヘレナが死者の魂を弔っている間、一寸先の闇を見る。明かりのない駐車場にかろうじて外の光をもたらしているもう一つの出入り口には地面にまで垂れた血塗れの髪をした女が不気味に立っていた。


 プルメリアの芳しい香り。ここにいた悪霊とは一線を画す霊気からして名を授けられた悪霊もしくは死魔なのだろうか。俺が霊眼で睨み付けると紅いワンピースを着た女は長い髪をかき上げた。


 鼻から上がない女は大きく裂けた口元を吊り上げさせて嗤っていた。


「青白い肌に血塗れの髪と紅い服。まさかとは思うけど、あなたが彼らにそう仕向けさせたのなら許さないわよ、クンティラポンティ」


 魂の浄化を速やかに終わらせたヘレナが目の前に現れた悪霊の名を口にする。霊障的な自殺衝動。珍しく本気で怒っているヘレナが危惧していることはこの自殺が霊障なものによって引き起こされたものだったらということだ。


「ke-ke-ke-ke-ke-ke-ke-ke-ke-ke-ke-ke-ke-ke-ke-ke-ke――――チがウ」


 鳥の囀りみたいな泣き声を上げた後、クンティラポンティは長い首を振って否定の言葉を吐いた。


「でも私を彼らに引き合わせたのはあなたの仕業でしょ」

「ke-ke-ke-ke-ke-ke-ke-ke-ke――」

「キーキーキーキーキー、喧しいわねっ! さっさと答えなさいよ」


 地団駄を踏むかのようにキーキー怒るヘレナ。隣で見ていて堪忍袋の緒が切れるのが早くないかと呆れてしまう。


「じょうぶつデキナイ、カワイソウ。でも死ニ神ナラ、ソレできる」

「だったら初めからそう言いなさいよね」

「ゴメンナサイ。アリ我とウ」


 長い髪が床に垂れる。クンティラポンティは片言な日本語でお辞儀をした。


「別に霊にお礼なんか言われたって嬉しくとも何ともないわ。用が済んだんならとっとと失せなさい」

「kekeke~♪」


 クンティラポンティは独特の泣き声を発した後、夜の世界に溶け込むように姿を消した。


「何だよ、別に悪い霊じゃないじゃないか」

「まあ、そうね。彼女は別に悪さをするような霊ではないわ。でも死者と生者が共存することはできないの。ここは生者の世界で死者がいていい場所じゃない。霊は存在事態が悪と陰の気を持っている。だから死者である霊が安易に生者の問題に足を突っ込んではならない」

「それは干渉したところで問題は良くならないどころか悪化する可能性の方が高いからか?」

「ええ」

「ならなんでお前はあの霊を成仏させずに見逃しているんだ」

「それは私が強制的に成仏させるよりも自身の魂、心から未練なく成仏できるのならそれに越したことはないと考えているからよ」

「じゃあ成仏できるのにしていないということはまだ何か未練が残っているってことか」

「彼女の未練はおそらくこの世から自殺する人間がいなくならない限り消えることはないんでしょう。生前の彼女はたった一人の我が子を自殺で亡くしている。確か、あなたと同じぐらいの歳の子よ。そして彼女も自分の子が飛び降り自殺を図るのを止めようとしてそのまま一緒に転落死した。彼女にとっての悔やみは我が子が自殺したということよりも死後自殺した我が子には未練が全くなかったということ」

「……? じゃあ自殺した少年の魂はお前が成仏させたのか?」

「いいえ、彼女の子どもは自ら成仏して、母親である彼女だけが未練を残したまま悪霊となった」

「それはおかしい。お前はさっき自殺した魂は自ら成仏できないって言った。母親である彼女は自殺をしようとした息子を止めようとして死んでしまったから死因は事故死として考えられるけど、息子は自殺で命を落としたんだろ?」

「ええ、傍から見れば間違いなく自殺なんだろうけど、その男の子にとってそれは自殺ではなかったという話よ」

「は? 意味が分からない」

「ええ、だからその理解不能な現象も含めて、クンティラポンティの未練なのよ」


 駐車場から外に出た俺はふと肝心なことを忘れていた。口無音が神隠し現象に巻き込まれてこの駐車場で眠っていたということだ。この一連の流れが仮に全部クンティラポンティの仕業だとすれば、口無音もまた自殺をしようと考えていたのではないだろうか。


「ヘレナ、クラスメイトが忽然と姿を消してここで眠っていた話だが、それはクンティラポンティの仕業で間違いないか?」

「ええ、本人に聞くまでもないわ。紛れもなく彼女がやったことでしょう」

「なんでこんなことをしたと思う」

「それこそ聞くまでもない。そのクラスメイトが希死念慮を抱いていて、思いとどまらせようとしたんでしょう。実際、この駐車場は霊の溜まり場になっていたけど、その子に危害は加えられていないんでしょう?」

「刀童家の話によれば無事だったようだが、学校に来ていないから何とも言えない」

「ふーん、そう。明日にもなれば来るんじゃない?」

「……だといいがな」

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