4―6 夜の巡回②
それは駅から少し離れた、住宅地とも呼べない辺鄙な場所に位置していた。小川の廃ビルマンションがどこにあるのか、正確な位置は分からなかったが、病院や墓地地帯、工業跡地と同じようにそのビルは重苦しい面影だけを残して不気味に佇んでいた。
地下駐車場付きの六階建て。何年前に建てられたものなのか分からないが、窓ガラスはほとんど割れており、最上階の方は工事が途中で放棄されたかのように壁が崩れて、内装が剝き出しになっている。今もこうして残っているのは買い取り手が見つかるのを待っているのか、それかもしくは取り壊すにもお金がかかるからのどちらかだろう。
それはさておき……いつまで俺たちは手を握り合っているのか、正確に言えば俺は何度も手を離そうとしたのだが隣の奴が頑なに離さず俺の手の感触を確かめるようににぎにぎすりすりぎゅっと指を動かしてくる。
「おい、着いたぞ。いい加減、手を放せ」
「……琉倭の手、あったかいわね」
「いいから放せよ」
これに何の意味があるのか。ヘレナは名残惜しそうに手を放して、俺よりも先に歩き出す。彼女が進むのに歩調を合わせて、俺も一歩進んだ。
廃ビルの敷地内に足を踏み入れる。何となく察してはいたが、悪霊特有の厭なニオイとなにか良くないモノの雰囲気を肌で感じる。
地下の駐車場は一面の闇だった。視界は悪く、闇を凝縮させたかのような空間は歩きにくい。俺はそこかしこに殺意を向けて、顔をしかめた。霊的な存在がいるのは確かだが、瞳の解像度を上げても、視ることはできない。単に負の念が染みついているこの場所に危機察知能力が過敏に働いているだけなのかもしれない……と思ったが、さらに念を込めるように凝視し続けていると見過ごせない異変はずっと、そこらじゅうに、いた。
「チーーーーーーーーーーーーーーン」
ティースプーンがティーカップに当たったような甲高い音が静寂な闇の中に響き渡った。
「ヘレナ」
俺の呼びかけに前を歩いていたヘレナが足を止めた。というよりは暗闇に潜む何かに対して彼女は意識を向けている。
「チーーーーーーーーーーーーーーン」
神経を逆撫でするような2000㎐以上はある高い周波数の音が立て続けに鳴り響いた。無駄に広い駐車場には所々に鉄柱が立っている。その鉄柱の陰から俺たちを覗き見るように顔のない女が立っていた。黒くてよく視えないがその女はおぼんのような大きな皿の上にドーナツみたいに乳房を乗せていた。事実、姿を現した少女の両の乳房は切り落とされていて、血塗れだった。
他にも切り落とされた手首を皿に乗せている少女や、ぐちゃぐちゃになった頭部のようなモノを皿に乗せている女性、バラバラになった肉片を皿に乗せている少年が柱の陰から出てくる。どいつもこいつも皿に乗せている身体の一部だけが損壊していて、皆のっぺらぼうのように目や鼻や口がない。失血死に転落死、轢死を連想させる人体破損。死に方はさまざまだが、どれも外因性のものだろう。
「シチリアのアガタかよ」
「そんなのじゃないわよ。これは自殺者の悪霊よ」
隣に立つヘレナが粛々と訂正した。
「そうかよ。視た感じ、そんなんだろうとは思ったけど……」
「琉倭、この悪霊たちはあなたが斬り祓いなさい」
「は? なんで俺が」
「あら、多勢に無勢だと弱気になっちゃうタイプなのかしら? 一人じゃ心細いなら私が手伝ってあげてもいいけど」
それで俺を焚きつけさせたつもりか。どうせ自分が楽をしたいだけだろ。まあ別に、やりたくないと言ったら嘘になるのが本心ではあるが。
「お前の口車に乗ったんじゃないからな。お前がやらないなら初めからそうするつもりだった」
俺はヘレナを差し置いてジャンパーの内側から退魔の剣を取り出した。刀に巻かれた黒衣を振り解きながら歩く。
「おい、お前らが口無音をこの場所に引き連れたのか?」
「チーーーーーーーーーーーーーーン」
目障りな音だけが響き返ってくるだけで俺の質問には答えない。
「なあ、お前らはどんな死に方を選んだんだ? その死に方がマシだと思って死んだんなら教えてくれよ。心臓をナイフで突き刺したらどうなった? 高い場所から飛び降りる感覚はどうだった? 電車に轢かれる音はどんなだった?」
「チーーーーーーーーーーーーーーン」
「チーーーーーーーーーー――――ン」
「チーーーーーーーーーー――――ン」
「チーーーーーーーーーーーーーーン」
「チーーーーーーーーーーーーーーン」
「チンチンチンチン、うるせーよ。でもしょうがないか、死人には口なしだもんな。……だから好き勝手言わせてもらう」
俺は言いながら一番近くの柱から顔を覗かしている乳房持ちの女に近づいていく。
「自ら死を選んだくせに何を未練がましく死んでなお生にしがみつきやがる。自分から死んでおいて生者を妬むくらいならお前らは死ぬべきじゃなかったんだ。大人しく死者の世界へ帰れ」
説教がましく言い放つと分かりやすく反応があった。女は皿に乗せてある二つの乳房を一つに捏ねて丸めると雪合戦でもするかのように投げつけた。




