4―4 三年ぶりの姿、声、眼差し
「美鈴、沙月は今どんな感じなんだ?」
「うーん、そうね。邪気払いは一応したけど、完全に引き剥がすことはできないから何とも言えないね。でも部屋に張りつけておいた霊符の貼り替えも完了したから万全な状態ではあるよ」
「霊符の貼り替え?」
「ええ、以前貼ってあった霊符は霊障から沙月さまをお守りするための結界符で、今貼り直した霊符は怨念や悪霊などを封印するためのものなの。だから万が一沙月さまが目を覚ましてもあの部屋から出ることは基本的には不可能ね」
「そうか、ならまあ安心か」
「不浄的な意味ではね。今の沙月さまは植物人間とほとんど変わらない状態だから生命の維持を確保させないと栄養失調で死んでしまう。だから経管栄養で胃や腸にチューブを挿入して栄養や水分を送り込まないといけない。これは私が信頼している医者に頼んでいるから心配しなくていい」
「すまない。何から何まで」
「夜月くんが気に病む必要はないよ。これは私たち退魔師が仕出かした愚行に対する罪滅ぼしなんだから」
そう呟いた美鈴の眼差しは若干暗く、続けて言う言葉にも力はない。
「刀童家はこれまで何度も夜月家の子どもを殺してきた。私もそのうちの一人。あなたが生まれてくる五年前に一人の子を殺した。何がきっかけは分からないけど、突発的な殺意で寝込みの私を襲ってきたの。最初はいつもの添い寝かな……と思った。基本的に夜月の子は洋館で隔離されているんだけど、その子は何でか私にすごく懐いていて、一夜とか周りの人間はその関係性を危惧していたけど、私もその子が可愛くて仕方なかった。……でも今思うと初めからそういう策略だったのかもしれない。油断させた隙を狙ってね。まあ、どんなことが起こっても対処できるようにしていたから殺せたけど、その子ね、私の胸元にナイフを振り下ろそうとした瞬間、一瞬だけ躊躇ったの。私は何の躊躇いもなく殺したのにね」
「……」
「夜月くんが持っているナイフ、それはね、夜月の子が生まれたら持たせる習わしになっているの。それを肌身離さず持ち始めるようになったら近頃、殺人を犯すよという兆候で、そのナイフを持たせるのは殺人衝動の芽生えを促すためで、早期に促させるのは未成熟の方が殺意が明確で分かりやすいから……って生まれて来た子は悪くないのにね」
「だったら美鈴も同じだろ。偶々生まれてきたところが霊媒師の家系で先代が犯した罪の責任を背負わされているのもおかしな話だ」
「それはまあ、そうだね。……ごめんね、なんかしんみりさせちゃった」
「なんだ? 俺をしんみりさせたかったのか?」
「別にそういうわけじゃないけど……こんな話をするつもりじゃなかったからさ。なんでだろうね、嬉しい思い出よりも嫌な思い出の方が鮮明に覚えているのは」
「つらい記憶はずっと消さずに覚えておいた方がいいんだぞ。消してしまったらまた同じつらい経験を繰り返す羽目になるからな。それに美鈴のことを少し知れて良かったよ」
「え、やだぁ、知られちゃった~」
自分から喋っておいて何だその反応。少し照れでもあるのか、お茶らけたような顔をした後、ごろんと胡坐をかいたまま寝そべった。
「食事の前に夜月くんも沙月さまの様子を見てあげたら? 眠っていても妹さんにとってあなたの存在が何よりもの精神安定剤になるはずだから」
「過剰だな。……でもまあ、一応見に行くつもりだったからそうさせてもらうよ」
立ち上がって、居間を後にする。障子戸を開けて板張りの廊下に出ると各部屋の障子戸は閉めれていて、俺は美鈴の部屋に入った後、沙月の部屋に通じる障子戸に手を掛けた。
「――――――」
なんてタイミングの悪さだろう。およそ三年間お互いに遠ざけていたわけだが、正直言って沙月のことで頭がいっぱいでその可能性があることを忘れていた。
沙月の部屋には二人の存在があった。一人は使用人である美鈴。もう一人はベッドの傍らで沙月の容態を心配そうに見つめている母親の存在だった。
左頬についた痛々しい傷跡を見れば、すぐに過去の出来事が克明に思い起こされる。俺が傷つけた痕。首にも俺が絞め殺そうとした痕が意図して残されている。俺が犯した過ちを如実に突き付けてくると同時に紫がかった黒い瞳が俺を見た。
あの頃と何も変わらない、永久不変の美しさを放った女性。黒の着物を着込んだ母親は息子である俺でも欲情してしまいそうになるほど魅了的で、危ない表現をすれば息子である前提に男として母親に性的な愛情を抱いてしまいそうになるくらいのモノを持ち合わせている。
「母さん……」
「……お前さえ、お前さえいなくなれば……沙月はこうならずに済んだはずなのに」
三年ぶりに聞いた母の声は若々しかったが、ひどく刺々しかった。自分がまだ幼かった頃に見せてきた慈愛の眼差しは一切なく、まるで自分の家族を殺した忌々しい憎き相手に見せるような、それは冷たい視線だった。
「二度と顔を見せるな。お前はいるだけで人を不幸にさせる」
「……」
それもそうか、と俺はベッドで眠っている沙月を一瞥した後、部屋を出ようとして足を止めた。
「七羅、やめろ。何も言うな」
隣に突っ立っていた七羅が何か良からぬことを言おうとしていることを察して即座に制止させる。彼女の腕を掴んで部屋を出た。
「どうしてですか、母親にあんなことを言われて悲しまない息子がどこにおられるのですか」
「いいんだ、あんなことを言われるくらいのことを俺はしたんだから」
「ですが、いくら何でも酷過ぎます」
「別に俺は傷ついていない。そんなことよりもあの場でお前が失言すれば、お前は俺たちの使用人ではなくなるどころか、解雇されるはずだ。そうなる方が……きつい」
「琉倭さま……」
「それにこんな奴のために怒ってくれる存在がいるだけで俺は十分救われているから気にしなくていい。分かったな? 七羅」
「……はい。ハンバーグ、たくさん作ったのでたくさん食べてください」
「ああ。今はそっちの方が重要だ。七羅のハンバーグは美味しいからな」
俺は七羅の腕を掴んでいた手を離して、食堂へと向かった。正直言って家族や友人、世界中の人間に忌み嫌われようがどうでもいい。逆に世界中の人間から好意を寄せられる方が面倒くさいし気持ち悪い。要するに好感度が高い奴や周りからの期待値が高い奴は下手な失敗は犯せないし、常に周りを気にしなくてはならない。だったら誰にも期待されずに除け者扱いされていた方がマシだ。
でもまあそうだな……、少なくとも俺のことを心配してくれる奴や俺のために怒ってくれる奴がいる限り、俺はそいつらを失望させないように頑張らないといけない。




