3―13 昼間の死神②
「あなた、妹さんがいたのね」
「ああ、二歳、歳の離れた妹がいる」
「その妹さんはあなたと同じ殺人衝動に苛まれていた。だけどあなたよりも理性的で自分の状態をよく理解していたわ。だから彼女、自殺しようとしていたのよ」
「自殺? なんでそんなこと」
「自ら死を望んで自害すれば、新たに生まれてくる子が殺人の情念を受け継がずに済むんじゃないかって……考えていたみたいよ」
「は? そんなのは間違っている。あり得ない」
確かにその選択肢は俺の頭の中にもあったが、他人の幸福を望みながら死ぬことなんて俺にはできやしない。そんな奴は人間じゃない。見知らぬ赤の他人の不幸を悲しみ、幸せを願う者なんているわけがない。それこそ、無性の愛なんて崇高じみたもの、俺は信じない。親が愛情を注ぐのは子どもが可愛いからであり、可愛くなければ愛情を注ごうなんて気はなくなる。恋人同士が愛し合うのも彼彼女から得られる精神的肉体的な快感を得るため欲するために付き合うのであって、所詮は顔がよければ性格は二の次でもいい奴の方が多いに決まっている。人間は見返りがないと動けない生き物だ。だから他人の為に死ぬなんて行為に他人の幸せは絶対に含まれない。そんなのは生まれたばかりの無知で無邪気な子どもと同じだ。親がどんな間違いをしても許して、どんな過ちを犯しても見限ることなく必要としてくれる、無性の愛の体現者は子どもに限った話だ。だからこそ、そんなのは間違っているのだ。
「ええ、あり得ないわ。他人のことを思って死ぬという行為は絶対に納得した死ではないもの。そんな死に方をすれば後世に負の情念が受け継がれることになる。けれどもうすでにその恨みは長い積年となっている。妹さんから話は聞いてるし、薄々気付いてはいたけれど、あなた、死神と人間の間から生まれた子なんでしょう?」
「ああ、そうだ。殺人衝動はその死神が抱く霊媒師への恨みが名残になっているらしい」
「でしょうね。チェルノボーグは娘に対して異常なまでの愛と執着心を持った死神だった」
「チェルノボーグ? そいつが俺の父親か?」
「ええ、そんな黒い死神の最期は実に悲惨だったわ。退魔師によるあくどい手口によって人間を死に追いやる悪魔という烙印を押された挙句、総勢百人規模の退魔師によって大切な娘を奪われ、娘は人間の手に堕ちたんだから」
「その後、チェルノボーグはどうなったんだ」
「退魔師から敗走したチェルノボーグはほとんどの霊力を使い果たしていて、自身の身体を維持することもままならず消滅するはずだった。でもその時、偶然出くわした一人の女性が助けに駆け寄ってくるのをいいことにその女性を強姦したのよ」
「その女性が俺の母親……」
「ええ、その後、チェルノボーグの霊気を感じ取った退魔師によってあなたの母親は殺害されるけど、死神の加護によって生き返ることになる。その一年後、退魔師の監視下に置かれた彼女は死神の赤子を孕むけど、その赤子は即座に退魔師によって処されることになるの。だけどそのまた一年後、彼女はまたお腹に死神の子を孕むことになる。だけどまた同じように殺される。生んで殺されて、殺されて生んでを繰り返して、百年が経つわ。彼女は不老でもあったから外見からはあの頃と何も変わっていないけれど、中身は違う。この百年の間に生まれた子どもの数はあなた達を含めて六十七人。理不尽な死を遂げた子どもたちは怨念だけを後世に残して、殺される度に生まれてくる子どもは強い瘴気を受け継いでいる。それに気づいた退魔師たちは下手に子どもを殺せなくなった。だから罪を犯させることで殺される正当な理由を作り、理不尽な殺害ではないことを知らしめることにしたの。でもそれで怨念がなくなるわけではない。そして今、退魔師にも想定外のことが起こっている。殺していないのにもう一人、夜月の子がいる。これが何を意味するのか、私には分からないけど、事態は相当深刻そうね。これからどうなっちゃうのかしら」
ヘレナはまるで他人事のような口調で話した。それこそその話しぶりたるや、深刻な話をしているのに深刻さが彼女からは微塵も感じられない。
「なんでそんな他人事でいられる」
「え、だって私には関係ない話だもの。退魔師が百年越しの報いを受けることになるのならそれは因果応報でしょ? それで退魔師が無残な死に方をするのは決して間違ってはいない。自ら他人の為に死のうとする発想よりもずっとね」
「それは確かにそうだけど……」
「言っておくけど、私は人間の味方じゃないわ。だから私は人間同士の殺し合いを止めようとは思わない。それは人間が解決することであって、私はその事後処理をするだけ」
「……そうかよ。お前が俺を殺して蘇生させたみたいに妹の沙月にも同じようなことをすれば殺人衝動を抑え込むことができて、温和に解決できると思ったんだけどな」
「それは無理難題な話ね。あんな離れ業、二度もしたら私の霊力が完全になくなっちゃうもの」
「そんなにか。一体どんなことをしたんだ?」
その問いかけに隣を歩いていたヘレナは俺の顔をちらりと見るや否や微笑んで「ひ・み・つ」とはぐらかした。
「何だよ、教えたくないなら別にいいけど、変なことしてないだろうな」
「変なことって何よ。あなたが想像しているようなことはしていないわよ、私をサキュバスみたいに言わないで」
「言われても仕方がない状況だっただろ。俺を裸にさせて跨って臍周りを舐めていたんだから」
瞬間、肘で鳩尾を勢いよく小突かれた。力を加減してくれたさっきの猫パンチに比べて数倍強い力で。 俺は鳩尾を手で押さえて強烈な肘鉄砲を食らわせたヘレナを睨む。黒いフードの影からでも分かるくらい彼女は顔を朱に染めて怒っていた。




