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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
三章 怨讐のシュラフ
30/111

3―4 日曜―昼―②

 沙月の部屋のドアをノックする。


「はい、どうぞ。お入りください」


 無味乾燥な声に招かれ、部屋へ入る。

 ベッドで寝込んでいた沙月の枯木寒巌な表情は、俺を見た瞬間、陽を浴びた向日葵のように明るくなった。


「お兄さま、どうしたの?」

「いや、七羅から体調が悪いって聞いて」

「嬉しい。心配になって駆けつけてくれたんだ」

「何だよ、全然元気じゃないか。心配して損した」

「別に体調は悪くないよ。ただちょっと昨日の夜は眠れなくて……最近、習い事とか、色々と忙しかったからそれで少し疲れが出たのかも」

「疲れてるならすぐ眠れるだろう」

「う~ん、疲れ過ぎてるのかな? なんか逆に覚めちゃうの。ここ最近……夜は寝つきが悪くて、昼間はすごく眠たいの」

「……そうか」

「でもお兄さまがこうやって心配してくれるんだったら、わたし毎日体調崩しちゃおうかな。なーんて」


 つまらない冗談はさておき、俺は部屋に貼られた霊符を眼だけで確認した。

 時計の裏、カレンダーの裏、絵画の裏、カーペットの裏、ベッドの裏、畳の裏、本棚の裏、クローゼットの裏――霊力がなければ視えない札が、部屋中に貼り巡らされている。


 沙月は霊媒師の家系で育ったが、霊力はほとんどない。

 七羅も一般人だ。

 俺は霊力があるらしいが、以前は感知できなかった。

 だが、あの一晩で全てが変わった。


 この光景は異様だ。


 俺は霊符に一瞬だけ殺意を向ける。

 札に描かれた閉じた目蓋の紋様が開きかけた瞬間、俺は目を閉じた。


「お兄さま?」

「……」


 この霊符は刀童家の者が貼ったものだろう。

 害を与える霊障を退けるための、目に見えないバリア。

 霊符には大きく分けて五つの作用がある――結界・祓い・封印・厄除け・魔除け。

 霊符を貼る・持つことで結界を張り、霊道を断ちい、呪詛や悪鬼の侵入を防ぐ。


「お兄さまっ、そんなじろじろ、私の部屋見ないでよ、恥ずかしい」

「あ~、悪い。……邪魔したな、ゆっくり休め」

「え~、もう行っちゃうの」

「そりゃあ行くよ。じゃあな」


 部屋を出ようとした時、「待って!」と真剣な声で呼び止められた。


「七羅、ちょっと外してくれる? お兄さまと少し話したいの」

「かしこまりました。琉倭さま、お食事の準備をして参りますので、お話が済みましたら食堂にいらしてください」

「ああ」


 七羅はお辞儀して部屋を出た。


「で、話って何だ? わざわざ七羅を外すくらいだ、俺にしか話せないことでもあんのか?」

「ううん、悩みというよりは確認したいことがあって……、その、お兄さまは、昨日、誰かを……殺しましたか?」


 あまりにも核心を突かれ、胸が跳ねた。

 だが動揺はすぐに押し殺した。

 絶対に、悟られてはいけない。

 知られれば、沙月は“妹”ではなく“邪魔者”になる。

 それこそ、秘密を知られた者をどうするか――答えは一つだ。


「……どうして、そう思うんだ?」

「何となく、人が死んだような匂いがするから」

「……」


 沙月が匂いに敏感だったとは知らなかった。だが、ここ最近の俺は死に触れすぎていた。

 通り魔殺人鬼に殺された遺体。

 通りすがりの死神に殺された自分。

 初恋の女を殺めたこと。

 冥界の女神と関わったこと。


 確かに言われてみれば、ヘレナからも死臭がした。

 線香ではなく、飴を煮詰めたような甘い匂い。


 だが驚いたのはそこではない。

 なぜ沙月は“俺の死期”ではなく、“俺が人を殺した”と考えたのか。

 後者の方がよほどあり得ないはずなのに。


「もし俺が誰かを殺したとしたら、沙月はどうするんだ?」

「……う~ん、どうしようかなぁ……」


 そんなに迷うことなのか、深く考えるような間があった後、沙月は言った。


「やっぱり私は、事の成り行きに任せちゃおうかな」

「ふっ、なんだそれ。悪いことをしても沙月は咎めないのか?」

「だって私は優しいお兄さましか知らないもん。それが私だけが知っている真実」

「別に俺は優しくなんかないよ」

「優しいよ、こうやって私の容態を心配してくれるだけで、すっごく優しい」

「ふん、そうかよ。だったらいいじゃないか、沙月が想像していることは全部杞憂に終わる」

「そうだよね。あはは、ごめんなさい、お兄さま」


 嘘をついても心は痛まなかった。

 きっと大きな罪を犯したせいで、罪悪感が壊れてしまったのだろう。


「じゃあ俺は行く。深いことなんか考えず、さっさと寝な」

「ふふふ、はぁ~い。ありがとう、お兄さま」


 不安が消えたのか、沙月は間の抜けた声で返事し、ベッドに横になった。

 俺はほっとして部屋を出る。

 沙月と話している間に母親と鉢合わせなかったことにも、ほっとした。

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