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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
二章 初恋殺しのランデブー
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2―18 死神な彼女②

「ヘレナ」

「ふん? なぁ~に」


 初めて名前で呼ばれたことに喜んでいるのか知らないが、にこにこ顔で愛想よく近づいてきた。まるで飼い主に呼ばれて駆け寄ってくる犬みたいだ。


「さっき死神には悪い奴がいるって言っていたけど、あの蝙蝠の死魔を生み出したのもそいつが原因で、星宮小夜を殺した大元はまだ生きてるってわけか?」

「ええ。そこで一つ訊ねたいのだけど、琉倭はそいつをどうしたい?」

「どうしたいってそんなの……訊かなくても分かるだろ。そいつがいなければ星宮は死ななかった」

「じゃあ、目的は私と一緒ってことね」


 目的……俺の生きる目的は星宮に会うことだった。星宮に会って、別れて、やることを失って、その流れのまま、命も擲つはずだった。けど、星宮が死んで、俺には死ねない理由ができた。


「お前の目的はそいつを殺すことか?」

「ええ、死ぬべきじゃない命が理不尽に奪われるのは死者の魂を安置する冥府の女神として見過ごせない。あなただって好きだったあの娘を殺されたまま黙っていられるの?」


 星宮小夜と瓜二つの顔をした彼女にそう言われるとその問いに頷くことはできない。問われなくても俺は一人血眼になってそいつを探し出し、必ずや見つけ出して、復讐するだろう。


「なら好きに使え。役に立つかは知らないが」

「やった! 琉倭、大好きっ」


 こちらがびっくりするくらい感情のままに抱きついてきた。むにゅんと豊満な胸が押し当てられる。さっきも思ったが感触からしてこいつはブラをつけておらず、自分の胸が当たっていることにも気づいていないのではないかと思うほど、強く抱きしめてくる。


「離、れろ。気安く抱きついてくんな」


 痛いし、苦しいし、何より当惑させるほど破壊力抜群な姿態を委ねてくる無防備さに気が狂いそうになる。


「なによ、こんな美人が抱きついているのに、少しくらい嬉しそうにしてもいいじゃない」

「好きでもない女に抱きつかれても嬉しがるのは肉体だけで心は何も響かねえんだよ。お前の抱擁は星宮の十分の一にも及ばないってことだ」

「むっかー」


 不機嫌に俺から身体を退かしたヘレナは分かりやすく頬を膨らませて不満げな感じを出しているが、本気で怒っているわけでもないようだ。


「でもいいもん。身体の方は私のナイスなバディに反応してくれたみたいだし」


 それの何が嬉しいのか知らないが、恋愛感情のない身体だけの付き合いは惨めでしかない。だからこんなことで一喜一憂するなんてちょろい女だ。どうせ物事が自分の思い通りに進んでいるから喜んでいるだけで、思い通りにいかないことがあれば、力ずくで俺を従わせるつもりだったはずだ。


「うるせえよ。この痴女神」

「ふーんだ、好きなように言えばいいわ。今は何を言われても嬉しいが勝るもの」

「じゃあ、お前の誘いには乗らない」

「怒るわよ」


 言ってたことと全然違うじゃないか。とは言え、急に態度を変えて鋭い眼差しになったヘレナの殺気に恐れて発言を撤回する。


「冗談だよ」

「本当? なら良かったわ」


 ころっと笑顔になるちょろい女。


 暗い闇の中、俺の賛同に嬉しがる女を余所に俺はずっと胸を焦がすような思いを抱いていた。本当は、殺さなくて済むのなら殺したくなかった。けど殺してしまった。殺さざるを得なかった。実際に一度、刃先を突き立てたら止まらなかった。殺す。殺したい。鎮静していた殺意の情念が星宮を殺したことで再発した気分だ。まるで縫い合わせた傷口が開いてしまったみたいに。


 だからだろうか、ヘレナの誘いを断る理由がなかった。俺にできることは星宮の仇を取るくらいで、それ以外に生きる理由が見つからない。ないまま生きていたらたぶん碌な生き方をしないことは分かっている。


 溜まった性欲を吐き出すみたいに人を殺して、その快感に依存して、また人を殺したくなる。


 この女は言った。罪のない者が不条理な悪逆によって死ぬのが許せないと。でもそれは人ではないモノに限ったことか。俺が見知らぬ誰かを殺したらこいつは俺を殺すんだろうか。


 実際、俺は殺した。彼女が既に死んでいたにせよ、完膚なきまでにこの短剣で斬り殺した。その感覚がまだ残っている。殺す行為は麻薬みたいな中毒性がある。誰も彼も経験したことがない殺人と言う行為が脳に直接働きかけ、異常な精神状態をまねく。


 きっと誰かを殺さないと気が済まなくなるんだろう。だから俺にとって死魔とかいう悪霊退治の誘いは都合が良かった。平和を脅かす正体不明の化け物を殺すことが街の平和につながるのなら俺は喜んで……あぁ、星宮との約束はさておき、また殺せると思えると妙な期待感が押し寄せて頬が緩みそうになる。


「じゃあ、これからよろしくね、琉倭」

「ああ」


 差し伸べてくるヘレナの手を握り返す。冷たい彼女の手。月夜に輝く冥界の女神は俺の顔を嬉しそうに眺める。笑った顔は控えめに言って綺麗だ。仕草も声も憎いほど可愛らしい。だって、こいつは痴女っぽさや非常識さを除けば、俺が好きになった女にそっくりで……。いっそのこと、こいつを星宮小夜だと思って接するのも悪くないのではないかと思ったが、俺はこいつをヘレナ・シフォンティーヌというまったく別の女として見ることにした。

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