2―15 本意①
「今更、手元が狂うとでも思ったか?」
俺の手を握ってくれた星宮の右手が地面に落ちると同時に、俺はもう片方の腕を断ち切った。大切な人が俺の手で壊れていく。壊した両の腕から夥しい量の血が噴出する。
「おい、害虫。そこから引きずり出してやるよ」
両腕を失った星宮の肉体に容赦なく刃を突き立てる。すぅー、と柔肌に切っ先を刺し込んで走らせる。パジャマ越しでも分かる滑らかな肌を刃で斬りつける感触はナイフで豆腐を切る感覚に近い。そんな豆腐よりも柔らかな胸の曲線をなぞるように削ぎ落しながら斬られた痛みを感受する間もなく両脚を切断した。残ったのは宙に浮いた胴体と頭部。その二つを繋ぐ首を刎ねた時、星宮の頭蓋に潜む害虫が血飛沫と共に飛び出した。
血の粒が降り注がれる中、俺の頭蓋を目掛けて襲い掛かってくる……視えない何か。
視えない? いいや……この眼なら視える。視えないモノを視過ぎたせいだ。目を閉じて開けばまた、くっきりと気色の悪いシルエットが認識できた。
「■■ッ。ア我イ、メメメメメ」
わずかながら聞き取れた害虫の発声。
そう、この眼は視えないモノを見通す。あの女が俺を殺した後にどんな細工を施したのか知らないが、この霊眼こそ体質的変化によってもたらされたうちの一つである。
「どこからどうやって涌いたか知らねえが、害ある虫は駆除されるべきなんだよ」
飛び掛かる気色の悪い害虫のでけえ眼球に切っ先を突き刺して、容赦なく地面に叩きつけた。ぶしゃりと青紫色の血をぶちまけて、戦慄くように胴体を震わせる。びくびくと痙攣している様はまるで殺虫剤を噴射させられて死にかけているゴキブリみたいだ。
こんな奴に星宮小夜は殺されたのか。彼女を殺したこいつが許せない。
全長一メートル余りある化け物の羽を怒りのままにナイフで抉り取って、心臓部分である胴体に短剣を突き立てた。蝙蝠なのか梟なのか、将又蜘蛛なのか、もともとよく分からない怪異だが、細かく切り刻んでしまえば、結局のところ何だったのかなんてどうでもいい。どうでもいいほどに、ミクトラン・テク―トリの終わりは呆気なかった。
何もかもが終わった惨劇に一人立つ。しょうもない命とかけがえのない命を葬った。ああ、まるで射精をした後の虚無感に近い。散らばった彼女の肉片を無気力な眼差しで見下ろす。
真っ赤になった地面に転がった脚と腕。二つの乳房が斬り抜かれた胴体。首から上の行方を目で追う時、コツコツと園内にブーツの足音が響いた。
「あらあら、こんなにしっちゃかめっちゃかにして。盛大に殺したわね、清々しいほどに」
凄惨な光景を見ても、顔色ひとつ変えずにやってきたのは黒いローブに身を包んだ銀髪赤眼の女。俺が殺した星宮小夜の肉体、その一部である頭を彼女は拾い上げる。
「何をする気だ」
「弔うのよ。肉体が残ったままだと魂は幽閉されたまま成仏できない」
開いたままの星宮の目蓋を閉ざした女は彼女の遺体に蒼い火を灯す。
「本当、私によく似た顔をしている」
言って、そのゆらゆらと燃える炎は地面に散らばった星宮の肉体に伝染した。少しずつゆっくりと星宮のカタチがなくなっていく。骨も残らず灰だけになった星宮の肉体が冥界へ迎え入れられるように女の手に集まっていく。
「琉倭」
いきなり下の名前で呼びかけてくれるとは、馴れ馴れしい奴だ。俺とこいつはそんなに親しい間柄でもないというのに。俺なんか、お前の名前が何だったか、洋菓子みたいな名前だったくらいしか覚えていない。
「何だよ」
「彼女にはまだ心残りがあるみたい。これが彼女との最後の会話になるわ。ちゃんとその眼で彼女を見てあげて」
言うと視えないはずの魂が星宮のカタチとなって俺の方へと近づいてくる。ああ、そうだった。俺の眼は普通じゃない。視えないはずのものは透き通った霊魂だって見通せる。
「夜月くん、私のこと、視えるの?」
「ああ。何も着ていない素っ裸のお前がな」
まあ、肝心な部分は半透明で視えていないのだが。
「もうっ、夜月くんのえっち」
そう恥ずかしげに言いながらも嬉しそうに微笑む星宮に、心残りがあるのは彼女の方なのに知らず俺の口は動いていた。
「何で俺なんかに、毎日懲りずにそんな馬鹿みたいに笑顔で、気にかけてきたんだ。あれはお前の意志なのか? それともあの虫が……」
「私の意志だよ」
「じゃあなんで俺なんかに」
「そうだね……最初はクラスが一緒で席が隣だったから純粋に声を掛けただけなんだけど、夜月くん、うんともすんとも言わなくて、それに少し腹が立って、これからは毎日懲りずに挨拶してやるっと思って、でも何度挨拶しても悲しそうな顔していて……どうしたのかなぁって何かあったのかなぁって、それでどうにかして笑わせたいなぁって……私が笑顔にさせたいなぁって……。でも私は夜月くんをうんざりさせてばかりで……夜月くんの気持ち、何も考えず無神経にずかずか踏み込んじゃって、ごめんなさい」
「……やめろ、謝るな。悪いのは全部俺だから、お前のしてきたことが全部無駄だった風に言うな。……俺はうんざりなんかしていない。顔や態度に出ていたかもしれないけど、それだけがすべて本当のことじゃない。……俺は怖かったんだ。俺が関わったことで誰かが不幸になるのが……。不幸になるのなら初めから関わらない方がいいって……俺には誰かを幸せにする自信も資格もない……幸せそうに笑う星宮を俺はそれ以上幸せにすることはできないし、お前から笑顔を奪いたくなかった」
「……ばかだね、夜月くんは。私は不幸になんかなってないよ。私は夜月くんと出会えたから、話せたから嬉しくて笑顔になるんだよ? 君が私に笑顔をくれたんだよ」
「嘘だ。そんなのは絶対ありえない。俺は近づいてくるお前を突き放した。俺じゃなくても他にいい男なんかたくさんいる。そいつらと仲良くなっていればって……、お前はとうの昔に殺されて……俺に近づいたのはやっぱりお前の意志じゃないだろ」
「卑屈、なんでそんなこと言っちゃうかな……もうっ、私が私の意志だよって言ってる。今、私がそう言っているんだから私の意志で夜月くんに声を掛けたの。私の本意を夜月くんに知ってもらいたい。私には出会った時から夜月くんが一番だって、普通の男の子とは違って見えた。たぶん、生まれて初めて一目惚れをした。無反応だった夜月くんが少しずつ私を意識するようになってくれた時からもっと好きになって、私だけには何かしらの言葉なり行動を起こしてくれる。その特別感が嬉しかったの」
その言葉も感情も行動も全部、やっぱりあの虫によって仕向けられたものだなんて考えてしまうのはもうやめよう。俺が今向き合っているのは正真正銘、星宮小夜だ。彼女の言うことを信じたい。
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