2―11 星に願いを⑤
俺が好きだった女は何処に行ったのか。今日一日、というよりは俺は今までずっと星宮小夜に棲まう異物と会話していたのか。そんなことより本当の星宮小夜は一体、いつから……両親が殺された時に彼女も同じように殺されて、あのよく分からない生物に身体を乗っ取られたというのか。ならどうして気づけなかった。一番近くにいて、彼女のことを見ていたというのに、どうして俺は彼女の異変に気付こうとしなかった。
『すごいわね、眠っていても彼女のこと、考えているなんて』
星宮小夜に似た声で目を覚ます。ベッドに寄りかかるように座っていた俺に腰かけていた銀髪の女が耳元で囁いていた。
「……お前、なんでここに……こんな時に、何して」
「何って、あの時と同じ行為よ。あなたがピンチだったから駆けつけてあげたのよ? 感謝なさい」
肩口から唇を離した女は紅い血を舌で舐めずった後、口を開いた。
「あの時……」
微かに動く頭で思い出す。俺はこの銀髪赤眼の女に殺された後、こいつに生かされた。その時、言っていたことは悪いモノが憑りついていたから吸い上げたと、訳の分からないことだった。
「思い出したみたいね」
「……そんなことよりも、早くどけ」
動けない。微かに指先を動かせる程度で完全に脱力した身体はまったくもって動かせない。女はふんと無視するように俺の右肩に再び唇を這わせにかかる。
「おい……、やめ、ろ」
「まだ完全に吸えていない。あなたの傷も完治していない。それでもいいならどいてあげるけど?」
「……もっと、マシな、体勢があるだろ。どうしてこんな……」
俺が口を詰まらせると、女は俺が言いたかった言葉を察するように続けた。
「対面座位みたいなって? そんなのこの体勢が一番、吸いやすいからだよ」
恥ずかしげもなく、男慣れしたような口ぶりで言い放つ。くそ。こんな痴女に反応してしまう俺の身体は男の人間としては正常なのだろうか。白い下着のような服から零れそうなほど大きい胸が俺の胸板に押し当てられ、彼女の柔らかな秘部が俺の股間にぐいぐい当たっている。
「ねえ、なに反応してるの? これはただの毒抜きなのに」
こちらの心情を弄ぶように口を開く女に腹が立って、生理的な現象は鳴りを潜めていく。ああ、本当にムカつく。身体が自由に動かせるようになったら、真っ先に引っ叩いてやる。
「そんなことしたらまた殺すわよ」
その心情もすべてお見通しの女に俺はもう何も考えないことにした。人の心を覗き見られて良い思いはしない。
女は好きなように俺の血を吸い続ける。毒気が抜かれるのを待つ間、べったりと密着する女が吸いながら口を開く。
「あなた、彼女の体液を取り込んだのはこれで何回目?」
「……二回。だけど、一回目は……いや、何でもない」
「何でもなくない。知っていることがあるのなら全部話してもらう。言っておくけど、あの時は仕方なく逃がしただけで、今度は絶対に逃がさないから」
ああ、それも兼ねてこの体勢か。俺だったら四肢を切断させて……いや、それは人に対してやることではないな、椅子にでも拘束すればいいと思うが、またとやかく言えば面倒くさいことになりそうなので余計なことは言わないでおく。
「……一回目は俺の方から彼女の血を取り込んだんだ」
「そう……あなたも相当な変態ね」
今まさに血を吸い上げている痴女に言われる筋合いはないと思うが、同じ穴の狢か。
「うるせえよ。それで何か問題でもあんのかよ?」
「他に誰かから血を貰ったり、血を吸ったりしたことは?」
「輸血のことを言ってんのか? 生憎、記憶にないな」
「そう。ならいいわ。身に覚えがないのなら」
俺にはさっぱり分からないが、彼女は一瞬思考を巡らせた後、口を開く。
「とはいえ、あの時、私が彼女の体液を吸い取らなければ、今頃あなたは彼女の中に潜む死魔によってその身体を奪われていたのは事実よ。感謝なさい」
誰がこんな女に感謝するもんか、とスルーして気になったことを訊く。
「その死魔っていう奴があの虫のことなのか?」
「……」こいつ、知っているくせに、とぼけた顔しやがって。
「おいっ、質問に答えろよ」
「ふーんだ」
ふてくされたかのように俺の質問には答えず、俺の肩に甘噛みする。
「なに、怒ってんだよ。お前の質問に答えてやったんだ。お前も答えろよ」
「だってあなた、私に感謝の一つもないどころか、私を怖い虫とか痴女とか、酷い言葉ばっか言って逃げたくせに、随分と都合が良くないかしら?」
「は?」
「は? じゃないわよ」
いや、どう考えても彼女の言い分は正しくないだろう。だってこいつに殺されたのだからこいつを怖いと思うのは当たり前で、好きでも何でもない初対面の奴に自分の身体を密着させて、痴女だと蔑まれても仕方なくないか? でもまあ、よくよく考えてみればこちらにも非がある? のはまあ否めないか。殺されたが生き返らせてくれた相手の言い分を聞かずに逃げて、都合が良くなった時にだけ頼るのはまあ、男としてかっこ悪い気もする。
「じゃあ、どうすりゃあいいんだよ」
「謝った後に、私のことを褒めてくれたら赦してあげる」
っ。なんて承認欲求の強い女だ。思わず舌打ちが出そうになったがぐっと堪えた。まあ、よく見れば綺麗な顔をしている。人を引き寄せるようなつぶらな赤い瞳と触れたくなるような銀の髪。人間離れしたルックス……。そんな要素を上げるよりも前に、俺が好きになった女の顔をしている。……だけど、褒めるのなら最初にこいつではなく星宮に言ってやりたかった。いや、言えなかった俺が意気地ないんだが、いや、言ったところで本当の星宮には伝わらないのだが……、いや、だったら星宮が殺される夏休み前に言ってやれば良かっただけの話で……ああ、今更何を考えても意味がないのに……何を考えてしまっているのだろうか、俺は…………。
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