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幽暗奇譚――死神遣いのノクターン――  作者: たけのこ
二章 初恋殺しのランデブー
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2―3 帰宅にて

 一日ぶりに帰宅すると、家の前には白いメイド服を着た七羅ならが誰かの帰りを待っていた。きょろきょろと辺りを見回して、俺の顔を見るや否やそそくさと駆け寄ってきた。


琉倭るいさま、一体どこをほっつき歩いていたのですかっ。心配したんですよ? 夜になっても帰ってこず、刀童家の者に捜索していただいて、安否が確認できたからいいものを、ここ最近の琉倭さまの素行はおいたが過ぎます」


 昨夜、一夜いちやと会ったのはそういうわけか。


「心配し過ぎなんだよ、こうしてちゃんと帰って来たんだからそれでいいだろ」

「ちゃんと帰ってきてないからこう言っているのです。交友関係のない琉倭さまのことですから今まで門限を定めることは致しませんでしたが、こんなことがあるのなら作らざるを得ませんね。門限は十八時です」

「小学生か、この過保護メイドが」

「――」


 一瞬、眉を潜めた七羅だったが、感情的になることはなく、理性的な心で言葉を返す。


「ならせめて遅くなるようでしたらその旨をご連絡ください。私だけでなく沙月さまやご当主さまだってご心配されています」

「……」


 叱るというよりは心配そうに顔をしかめて見つめてくる七羅にばつが悪くなった俺は、そのまま彼女の横を通り過ぎた。


 自室に向かう途中、付き添う七羅にうまいよう誘導されて居間に出向くと、セーラー服の沙月がソファに腰を下ろしていた。しきりと腕時計に目をやっては、そわそわと落ち着かない様子を見せている。


「ただいま、沙月」

「お兄さまっ。今の今までどこにいたのですかっ」


 ソファから飛び跳ねるように立ち上がった沙月に物凄い勢いで詰め寄られ、壁際まで追い込まれた俺は沙月に抱きしめられた。普段、次期当主として振る舞っているしっかり者の妹の面影は一切なく、親の帰りが遅くて泣きだしそうになっている留守番中の子どものようだった。


「沙月……兄の胸に飛び込む妹なんていないぞ」

「ここにいます」

「はぁ、いい加減離れてくれないか」


 強い口調で言ったが、妹としての節度を越えている自覚がまるでない沙月は俺の背中に手を回したきりずっと離れない。


「■の匂い、■の匂い、■の匂い。■の臭い……■な臭い。何処で■って来たの」


 胸のシャツに顔を埋めて呟く沙月の吐息がこそばゆい。何を言っているのか、正確には読み取れないが、匂いを嗅いでいることだけは分かる。


「匂いを、嗅ぐ、なっ」


 引き剥がしながら言うと、沙月は何かを言いたげに上目遣いに見てきた。


「お兄さまはわたしがどれだけ心配していたか分からないでしょうけど、わたしは例の通り魔事件に巻き込まれたんじゃないかって、考えたくもないけど、考えてしまって、考えてしまったらずっとそうとしか考えられなくなって、すごく心配で心配で夜も眠れなかったんですよ?」


 わざと俺に見せつけているわけではないようだが、大きな瞳の下にはうっすらと隈ができていた。


「七羅、近くで見てないで沙月をどうにかしろ」

「知りません。悪いのは琉倭さまなのですから、そんな時に限って私に助けを求めるのは虫が良すぎる話です」


 はぁ、と一つため息を吐く。何を言っても離れてくれなそうな沙月の頭を優しく撫でた後、ずっと上目遣いで見られているのも、その様子を七羅に傍目で見られているのも気恥ずかしいので抱き寄せた。


「心配かけて悪かったな。今日は早く寝ろ。疲れてるだろ? 体調を崩されても困る」


 うん、と頷く沙月の頭をぽんぽんと軽く叩く。強く抱きしめていた沙月の腕が弛緩していくのが分かった。


「お兄さま、抱っこ」

「抱っこって……赤ん坊じゃあるまいし、眠いのか?」

「うん」

「夕飯前だろ、お腹空いてないのか?」

「うん」

「分かった。流石に抱っこはできないが、腕は貸してやるから部屋に行くぞ」

「……うん」


 おぼつかない足取りで進む沙月を支えながら、彼女を自室へと運び、ベッドに寝かせた。


「ちっ、七羅。何をにんまりしてやがる」

「いえいえ、お気になさらずに。単に兄妹間との光景が微笑ましいなと思っただけですから」

「趣味の悪い……もういい」

「あ、ちょっと、お待ちください」


 七羅を置き去りに沙月の部屋から出た俺は食堂に向かう。少し遅れて沙月の部屋から出てきた七羅が急ぎ足で俺の後ろについていく。


「琉倭さま、そういえば、学校の鞄はどうされたのですか?」

「あー、鞄……」


 鞄はあそこに置いてきた。大体の見当はついているが、あの寂れた古民家みたいな場所がどこにあるのか、明確な位置は分からない。だが、どうせ学校も明日限りだ。


「……学校に置いてきた」

「そうですか」


 適当に嘘をついてやり過ごし、食堂へと向かう。その途中で浴衣を身に纏った女とすれ違った。普段は黒い髪を後ろで一つにまとめているため、髪を下ろしている彼女が誰だか分からなかった。


 だが女が振り返れば、すぐに刀童美鈴だと分かった。均整の取れた顔立ちに異彩を放つ蒼い瞳。だけど、普段、ほんわかした雰囲気の彼女が一瞬だけ見せた鋭い眼差しは何を意味していたのか。


 琴線に触れたとは真逆の癪に障った時のような反応。何が要因かは知らないが、俺と目が合った彼女はすぐに人の心を和ませるような柔らかな笑みを浮かべた。


「だめですよ? 身近な人たちに心配をかけさせては」


 それだけを言って、そよ風のように軽い足取りで俺の横を通り過ぎていった。


「琉倭さま、……どうかなさいましたか?」

「……いや、何でもない」


 それから俺は食事を済ませ、湯船に浸かり、寝支度を整えた。時刻は22時。自分の部屋に入るまで一人きりになる時間はなかった。というのも俺が帰宅してから就寝時間までの間、使用人の七羅にずっと付き纏われていたからだ。


 ベッドに横たわる。


 やっと一人になれた。流石にずっと傍にいられると落ち着かない。


「はぁ」


 ため息を吐く。一人になれたはずなのに落ち着かないのは近くに誰かがいるからだろう。


 時計の針が進む音。部屋の前には人の気配があること。おそらく夜に散歩する俺の習性を見越して、七羅がそれを阻もうとしているんだろう。……それとは別に誰かの視線を感じるのは何故だろう。


 殺人衝動に駆られて眠れない時とは違って、何だか居心地が悪い。凄惨な遺体を見たせいか、何かよくない霊瘴に触れたことで、今まで感じなかったものを感じるのか。


 今日帰る時もそうだった。いつもなら気にしない何気ない道の影や電信柱の裏側、横断歩道の真ん中、今まで気に留めていなかった場所になぜか目が行った。


 オカシイのは産まれた時からそうだが、現実の世界と精神世界との境界線を曖昧にしているのは、脳ミソか、それともこの目か。いや、オカシクなった原因があるとすればそれはあの女に殺されたことだろう。


 でも本当に俺は殺されたのか、殺された後に蘇生するなんてあり得ない。そもそもあの女はなぜ俺を殺したのか。


「……シマ、とか言ったか? それと間違えて殺した……殺す相手を間違えた……。シマって誰だよ」

「琉倭さま? どうかなさいましたか?」

「……七羅、いつまでそこにいる」

「琉倭さまの寝息が聞こえるまでです」

「いい加減にしろ」

「いい加減にしないといけないのは琉倭さまの方です。夜間ならまだしも四六時中、理由もなく不在になって……私はまだ納得していませんから。琉倭さまが眠るまで私はずっとここにいます」

「理由があればいいのか」

「……まあ、理由の内容にもよりますが」


 理由……見知らぬ女に殺され、看病された。そんなことをまともに話したところで信じてもらえないのは分かっている。面倒くさい、適当に真実と嘘を織り交ぜるか。


「女と会ってたんだ」

「お、女!? お、おお、お付き合いされている女性がおられるのですか」


 良い反応をする。予想以上に食いつきがよくて少し面白い。


「まあ、そういうことになる」

「……さ、左様でしたか……。そ、そうですよね、琉倭さまも年頃の男の子ですし、恋の一つや二つ……」


 扉越しで少し困惑したような声で何やら言っている。


「ち、因みにお相手はどういうお方なのですか?」

「気になるか?」

「はい、琉倭さまがどういう女性をお好みなのか、興味がございます」

「どういう女性……」


 昨夜俺を殺した女を思い出す。その女は銀髪で赤い目をしていて、星宮小夜と同じ顔立ちをしていたが、大人として成熟した肉感的な体つきをしていた。名前を確か――ヘレナ・シフォン……ケ、ケーキ? だったような。


「焼き菓子みたいな女だ」

「焼き菓子……甘やかし上手な女性ということですか」

「想像に任せるよ」

「否定しないということは本当にそのような女性を……確かに琉倭さまは自由気ままな気分屋ですからそう意味では相性はよさげですが……」

「もういいだろ。俺はもう寝る」

「……かしこまりました。就寝時間まで押し掛けてしまったこと、申し訳ございませんでした。おやすみなさいませ、いい夢を」


 いい夢を、か。いい夢なんか生まれてから一度も見たことがない。見るのは人を殺す悪夢だけ。酷い時には人を殺したことで得られる強い快感から夢精までした。殺意の情念は抑えられない生理現象のようなものだ。


 麻薬中毒のように抗いようのない衝動。……性的な興奮を覚えた男が射精をできずにずっと我慢し続けている状態に近い。……けど、それが昨日までの自分だったら今の自分は驚くほど善悪の区別ができている。生きることが善で、死ぬことが悪という、理性を持った人間のみが考えられる基準が確立されている。


 だけど、やっぱり俺は苦しめられる。うまく生きることは難しいようだ。精神の方はまともなのに、身体が感じ取っている情報がオカシイ。


 瞬きをする度、万華鏡のように見ている景色が目まぐるしく切り替わる。千里眼みたいだ。卓越された空間把握能力。この屋敷全体に張り巡らされた霊符の位置が手に取るように分かる。千枚を超える護符が何かから守るように、それとも何かを抑えるための用途か、仕組まれている。


「一体、何に怯えている。何をそんなに恐れている。俺を恐れているんじゃないのか、母さんは……」


 どうして沙月の部屋だけで五百枚近く、そんなびっしり厳重に霊符が貼られているのか。これではまるで部屋そのものが結界になっているようなものだ。そして屋敷の構造上、沙月の部屋を囲むようにして刀童家の者が従事している。


 そんなことも露知らず、妹の沙月はぐっすりと眠っている。呑気な奴だ。そして本当に愚かな奴らだ。そんな奴らにどくん、と胸が跳ねるような感覚があったが、情念が膨れ上がることはなく、鳴りを潜めた。


「あの女、オレに何をした?」


 悪いモノが憑りついていたから吸い上げた、と彼女は確かに言った。オカシカッタモノが殺されたことで正常に戻ったとでもいうのか、だけど、心と体が釣り合わない。人間的な心を獲得したのは良いが、身体機能が人間のソレとは違う気がする。


 何が何だかよくわからない。遠くで何かが叫んでいる。犬の遠吠えみたいな、頭に響く厭な音。刀童家の者が一人、二人、三人。錫杖を携えて、夜の街へ駆け出していく。


 流石に範囲が狭いか。彼らの行方を認識することはできなくなった。夜が深くなる度、視野は広くなり、思考は冴えてくる。眠気は全く訪れない。かといって夜の街に出向こうとも思わない。……本当に、自分でも分からないくらい、不思議な感覚だ。結局、朝になるまでずっと目を閉じたまま、起きていた。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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