インタールード③ 再臨
街の喧騒は、まるで別世界の音だった。
仮装した大人たちの素っ頓狂な笑い声、屋台の呼び込み、遠くで鳴る軽快な音楽。
そのすべてが、今まさにこの街へ迫っている異界の侵食と致命的に噛み合っていない。
美鈴はビルの屋上に着地し、舌打ちをした。
「間に合わない……か」
黒いイデアが彼女の足元に集まり、渦を巻く。
次の瞬間、美鈴の姿は夜空へと跳ね上がった。
風を裂き、ビルの谷間を抜け、街の中心へ一直線に向かう。
だが――。
「マリシャス・アジテーション」
シャーデンフロイデの口から、人間の深層意識に眠る悪意へ干渉する呪いの文が紡がれた。
『あ?は?あ?は?あ?hahahahahahahahahahahahahahahahahahahaha――っ!』
第一声がそれだった。
メインストリートの群衆の中から狂気じみた笑いが上がり、瞬く間に狂喜乱舞の合唱へと広がっていく。
誰彼構わず居ても立っても居られない様子で殺し合う血みどろのパレード。美鈴が地面に降り立った時にはもう大半が感染型の殺意に浮かされていた。
その殺意が美鈴へと向かう。ゾンビのように襲い掛かる。美鈴は眉一つ動かさず、はぁ、とため息を吐いた。人の持つ攻撃性……感情の汚染……人を殺したモノを悪として糾弾する正義の優越感――醜い人の末路が体現されたかのようだった。
その惨状を遠くで傍観するシャーデンフロイデは、ニヒルに口を歪ませている。
「あ、そう。民衆を巻き込んで時間を稼ぐつもりか――でもさ、もう手遅れになった人たちを庇うほど私、お人好しじゃないんだ」
美鈴の判断は迅速だった。
即刻、速攻。
一切の躊躇いもなく、街に蠢く暴徒化した人間の頸を靡くイデアで両断していく。
助けるかどうか以前に助けない。
街にはまだ正常者も居たはずだが、この密集空間内において個々の命を救う選択肢は現実的じゃないとかなぐり捨てた。
「なに驚いてるの、死は平等に――ってのが貴方の本能なんでしょ」
噴き上がった赤い血が雨のように降り落ちる中、美鈴の腕が厳かに上がった。
その場の思いつきか、初めからそういう作戦だったのかはさておき、シャーデンフロイデが下した判断は悪手だった。
殺さざるを得ない状況を作ってしまった時点で美鈴の思考はすでに諦めに振り切れていたのだ。
「だからお前も死ぬがいい」
美鈴の手中に集まる黒の粒子。逃走のための時間も退路も断たれたシャーデンフロイデへ、黒い火線が容赦なく迸った。
イデアの光線が空気を食い破りながらシャーデンフロイデの胸に直撃――だが、美鈴は不快げに目を細める。
彼を守る結界術が展開されている。
だがその守りは圧倒的な負のエネルギーによって理不尽にねじ伏せられた。
ジュシュゥゥウウウウウウウーー。
肉が焼かれる音。死臭と断末魔が風に流れ、黒焦げた女の骨組みだけが朽木のように残った。
「新手か……ま、一人は消えたけど」
美鈴が視認できなかった幽体の一人が、シャーデンフロイデを庇って犠牲になった。
「理亜……お勤めご苦労様……。フロイデ、理亜の死を無駄骨にするなよ」
男か女か性別不明の――異質な霊気の反応から美鈴は死魔と断定――狐の仮面を被った死魔は悲しげに言った。
「うそ、理亜の高密度の霊力バリアーがこんな簡単に破られるなんて……」
もう一人の幽体が戸惑うように呟く。
「芽亜っ、理亜の死に気を取られている場合じゃないよ」
「分かってるって、斗亜」
連れ添いの二人――容姿からしてハイティーン、東洋人の顔をした黒髪の少女:芽亜と鈍色髪の少女:斗亜――はシャーデンフロイデの肩に触れた。
「朧さま、手を。離脱します」
芽亜が手を差し出し、朧がその手を掴む。
関係からして朧と呼ばれる死魔は男だろう。だとしたら情けない奴だと美鈴は思った。
「男のくせに女を盾にするなんて情けな……、それでいて女を使って逃げるんだ、みっともねーぇ」
美鈴は吐き捨てる。
「挑発には乗らないよ。私にもお嬢さん方にも役割があるのでね」
どちらの少女の能力かは不明だが、シャーデンフロイデの欠損した左腕が再生し、同時に四人の実体がテレポートで薄れていく。
ただ、一度に四人の瞬間転移は想定以上に負荷がかかるらしい。その隙を、美鈴は見逃さなかった。
――だが、不覚にも。
横合いから重苦しい斥力が叩きつけられ、美鈴の身体は吹き飛ばされる。すぐさまイデアで受け身を取った美鈴は、消えた四人の気配の代わりに、覚えのある気配を感じ取って、嫌気が差した。
「はぁ、酒落臭せえな……また殺されに甦ったの? フィナンシー」
美鈴の蒼い眼に殺気が走る。瞬間――、数年ぶりに怒りを露わにした美鈴の頭上へ、数百メートルの送電塔が真っ逆さまに落下していく。
「まさか、これは再戦だ――」
巨大落下物の衝撃を受けながら美鈴は確かに聞いた。耳の奥で微かに金属が擦れるような、聞くに堪えない男の声を。




