インタールード② 祓滅のハロウィン
爆風が校舎の外壁を剥ぎ取り、木片と瓦礫が渦を巻いて宙を舞う。
建物ごと封印の結界は悲鳴を上げながら崩壊し、頭蓋の隕石が砕け散った中心から、黒い塵芥が噴き出していた。
「危ない危ない、もう少しで大事な家族を失うところだったよ」
焼け野原になった校庭に生存者はいない。黒いヴェールのイデアに守られた一夜を除いて、その場にいた官寺の霊媒師はさきの衝撃波により木っ端微塵の絶命を遂げていた。
「やられた」
「らしいね」
抑留型結界術の欠点は、外界からの攻撃に酷く弱いこと。この急襲はその脆弱性を見抜いたモノによる犯行である。
「拡張させた、悪霊――ハンプティダンプティを空間転移で堕としたわけか」
冷静に分析する美鈴は、結界の崩壊と共に外に出てくる異界の怪物を視認した。
細長い腕。
歪んだ脚。
人のようで、人ではない輪郭。
全身をサイケデリックに光らせたシャーデンフロイデと相まみえる。
「あれがシャーデンフロイデ」
美鈴の霊眼が視覚情報を入手する。
「多才な奴、あの体の変色は分析か……だとすると不味いね」
「ああ、屋敷の結界は還魂破邪呪縛印に通ずるものがある。親玉はこいつの異能を使って結界を解く気だ」
「一夜、今から私の神通で屋敷に飛ばす。私もあいつを祓ったらすぐに戻るからそれまで沙月さまをお願いね」
美鈴が一夜の肩に触れ、念を込める。瞬間、一夜の姿は消えた。
屋敷には外と内で二つの結界が敷かれている。外の結界は外敵侵入を防ぐものであり、内の結界は夜月沙月がチェルノボーグとして目覚めた時に備えて、閉じ込める働きを有している。
元に戻すことができなくなるハンプティダンプティの攻撃を受けても耐え凌ぐ守る結界と絶対に出ることができない封じる結界。互いにその働きが異なるが故に、内の結界は外の結界が破られた瞬間、薄氷そのものとなる。
だがそれは今目の前にいるシャーデンフロイデを完膚なきまでに祓ってしまえば問題ない。シャーデンフロイデを裏で操るレヴェナドックスの計画は白紙に戻るというわけだ。即ち、今後の命運はシャーデンフロイデを祓えるかどうかに限っていると言っても過言ではない。
美鈴の蒼い眼が誰のものでもない視線になる。
「――祓うよ。ここで終わらせる」
宣言は踏み込みの急接近だった。たった一歩でシャーデンフロイデの背後に瞬間移動した美鈴の腕には踏み込んだ瞬間に噴き上がったイデアが纏わりついていた。黒のイデアが、美鈴の腕を黒光りの刃へと変貌させる。その一閃は、空気を裂くよりも早く、シャーデンフロイデの首を断ち切るはずだったが、美鈴の斬撃は空を切った。
「は? うそ」
初めからその気だったのか。応戦する気は全くなくシャーデンフロイデは逃亡を図った。
闇を裂くように跳んだ美鈴の視界に、黒い残滓が尾を引く。シャーデンフロイデの逃走経路は、まるで夜空に描かれた悪意の軌跡だ。
その速度は異常だった。
瞬間移動の残光すら残さず、ただ存在の痕跡だけが風に刻まれていく。
すかさず美鈴は追尾する。
「屋敷の方角とは真逆……?」
足元に集まり出す黒い水粒。その水粒が一斉に弾ける度、彼女の動きは加速する。
「何が目的か知らないけど、逃げ切れると思っているの?」
美鈴は手指から溢れ出たイデアを水滴のように飛ばす。その黒の水滴は美鈴の皮膚から離れた瞬間、形を変えた。
水ではない。概念の破片だ。
針のように鋭く尖ったイデアが一直線にシャーデンフロイデの背へと差し迫る。
届く。
美鈴はそう確信した。
だがシャーデンフロイデの体は、まるで関節という概念を捨てたかのように歪み、黒の破片を嘲笑うようにすり抜けた。
「ふーん、それで? 躱せたと思っているの?」
シャーデンフロイデに当たることなく、空間に意図的に固定した――行き場を失った――イデアが、力任せの霊力の押し込みによって破砕した。
至近距離に居たシャーデンフロイデはイデアの暴発に巻き込まれる。
まるで風船が破裂するみたいに一瞬にして高密度化したイデアは瞬く間に勢いよく弾け飛ぶ。
「はは、生きてんだ」
シャーデンフロイデはイデアを知覚できてはないものの、自身の感覚を頼りに致命傷を避けたらしい。
そこらの雑魚なら原形残らず、肉の屑になったはずだが、左腕の欠損だけで済んでいるのを見るによほど反応が良いらしい。
「ならこれはどうかな?」
空中に散らばった分子並みのイデアが、美鈴の指先へと吸い寄せられる。それはまるで、世界そのものが彼女の意志に従って形を取り戻していくかのようだった。
黒い粒子が一点に集束し、指先で震え、螺旋を描きながら形を変える。
刃でも矢でもない。
概念そのものが殺意の形を取ろうとしていた。
シャーデンフロイデが反応する。
残った右腕が痙攣し、皮膚の下で色彩が暴れ、虹色のノイズが走る。
「……分析してるつもり? 無駄だよ、ばーか」
指先から放たれるのは、光でも影でもない。存在の継ぎ目を裂くような、黒い線。
それは軌跡を持たない。
速度という概念を拒絶したまま、ただ結果だけを世界に刻み込む。
シャーデンフロイデの胸部に、黒い線が走った。
一瞬、怪物の体が波打つ。
色彩が乱れ、形が崩れ、悲鳴にも似た振動が空気を震わせた。
「……ッ、ギ……」
美鈴は動かない。
ただ、指先に残る余韻を払うように手を振り払った。
「ああ、そう……何を企んでるかと思えば、そういうつもり」
舞台が市街地に移り変わったところで、美鈴はイデアの咆哮を取りやめた。
この日をあえて選んだのか、分からない。ただ――。
10月31日。
午後10時33分。
街はまだハロウィンの活気に包まれている。




