7―4 白昼デート③
「買ってきたわよ、琉倭。そして、つけてもらったわ」
「そうか」
白い薄着の襟を軽く引っ張り、買ってきたブラジャーを見せつけてくる。可愛らしい黒のレースがあしらわれた下着。その布に包まれた豊満な胸は、自然と綺麗な谷間を作っていた。
「って、見せなくていい。早くしまえ!」
「なら褒めてちょうだい。どう、似合うかしら?」
「ああ、似合う似合う。お前は黒がよく似合うな」
「ふふん。店員にも褒められたわよ。大変立派なお胸をお持ちでってね。よく分からないのだけど、私はGカップみたいよ」
「……おぅ……それはジャイアントだな」
「さあ、次は琉倭の番よ。この私をどう人間らしくコーディネートしてくれるのかしら。楽しみだわ」
「人間らしくって……普通に似合いそうなものを選ぶだけなんだが。別に、お前が着たいと思った服でもいいんだぞ」
「いやよ。私は琉倭が選んだ服を着たいの」
「……そうかよ。あんま期待すんなよ」
星宮と来たショッピングモールを歩く。
自分の服すらまともに買ったことがないのに、他人の服を選ぶなんてハードルが高い。……だが、自分のためより相手のための方が目的は明確で、迷いが少ないのも事実だ。
何より――着てほしいと思える女が、今は目の前にいる。
星宮と一日だけデートした時、俺は何も買わなかった。
彼女はただ店を見て回るだけで楽しそうで、それだけで満足していたのだろう。今なら分かる。あの時、傍にいるだけでよかったんだ。……それは俺も同じだった。
後悔があるとすれば、あの時、何かひとつでも買ってやればよかったということ。だからといって今、感傷に浸っているわけじゃない。ただ――今目の前にいるこいつとのデートでは、あの時できなかったことをしようと思った。
「どうかしら、琉倭。あなたのお気に召したかしら?」
試着室のカーテンが開く。
ヘレナが姿を見せた。
ベージュのニットに、黒のミニスカート。すらりと伸びた脚は黒いストッキングに包まれ、思わず目を奪われる。
「まあ……及第点ってところだな」
「ほんと、素直じゃないわね」
「うるさい。そんなの素材がいいんだから何を着ても似合うだろ」
「ふふ、ふーん、そうなんだ」
実際には、星宮に着てほしいと思っていたコーデであるのは否めない。だが、似合っているのもまた事実だった。
「なんだよ。その顔……」
にんまりとしたヘレナの顔を見て、気恥ずかしくなってきた。
「別に~、ただ琉倭は私にこんな服を着せたかったのねって思って」
「……だから何だよ。気に入らないんだったら別の服でもいいんだぞ?」
「ううん。琉倭に褒められたこの服でデートしたい。ありがとう、琉倭。大切にするわね」
これ以上ないほどの笑顔で言われて、俺はそうかと頷いた。
「……なら、いいけど」
「じゃあ早く行きましょ。これで心置きなく街を歩けるわ」
買った服をそのまま着て店を出たヘレナは、俺に手を差し出してきた。
「デートなんだから、手を繋ぎましょ」
「……別にいいけど。お前、変なことすんなよ」
「変なことってなによ」
「手をにぎにぎしたり、ぎゅぎゅって強く握り直したりすることだよ」
「? そんなことしてないわよ」
自覚はないらしい。この無自覚系女が。
「もういい。さっさと行くぞ」
ヘレナの手を握り、歩き出す。商業ビルを抜け、喫茶店へ向かう。
「ラ・ファミーユ」――星宮と行った喫茶店だ。
あの時食べきれなかったプリンアラモードの味が忘れられない……というより、彼女と行った思い出を忘れたくなくて、また来たかった。
横目でヘレナを見る。
こいつは何を食べるんだろう。
食べたら、どんな顔をするんだろう……。
カランコロン、とレトロなベルが鳴る。
店内はあの時と変わらず、まったりとした空気が流れていた。
案内されたボックス席に腰を下ろし、メニューを開く。
「俺はハンバーグにするけど、お前は何にするか決まったか?」
「うーん……そうね。名前は聞いたことあるし、どういうものかもなんとなく分かるけれど、どれも食べたことがないから……琉倭と同じものでいいわ……」
そう言いながら大きなメニューを眺めていたヘレナの指が、ある一角で止まった。
「ねえ、琉倭。私の名前に似ているケーキがあるのだけど……このシフォンケーキってなにかしら?」
「そのままの意味だよ。ふんわりしてて、卵の味がするケーキ。どんな味かは、自分の舌で確かめてみればいい」
「そうね。じゃあ、これにしようかしら」
注文を終え、メニューを閉じると、店内の静かなBGMが耳に入ってきた。ヘレナは落ち着かない様子で、周囲をきょろきょろと見回している。まるで初めての場所に来た子どもみたいだ。
「ねえ、琉倭」
「ん?」
「ここ……落ち着くわね。空気が柔らかいというか……なんだか胸の奥が、ふわっとするの」
言いながら、自分の胸元を軽く押さえる。その仕草が妙に人間らしくて、俺は少しだけ目をそらした。
「まあ、そういう店だからな。静かで、ゆっくりできる」
「あなたと来たから、かしらね」
「……勝手に言ってろ」
ヘレナはくすっと笑い、テーブルの上に置かれた水のグラスを指でなぞる。その横顔を見ていると、どうしても思い出が重なる。
――星宮も、同じ席で同じように笑っていた。
胸の奥が、少しだけ痛む。
「琉倭」
「……なんだよ」
「さっきから、少しだけ悲しそうな顔をしているわ」
ヘレナはまっすぐ俺を見る。その瞳は、どこか透明で、嘘を見抜くような光を宿していた。
「別に悲しくねえよ」
「嘘よ。あなたの目は、誰かを思い出している目だもの」
図星を刺され、言葉が詰まる。
ヘレナは続けた。
「本当に……大切だったのね」
「……」
ヘレナは少しだけ視線を落とし、指先でストッキング越しの膝を撫でた。その仕草は、嫉妬とも不安ともつかない、曖昧な揺れを含んでいる。
「ねえ、琉倭」
「……」
「私は、星宮小夜の代わりになれるかしら?」
その問いは、思ったよりも重かった。
「……傲慢だな。誰かの輪郭で埋められるほど、あいつは浅くない。……お前だってそうだ」
「……そう」
「だからいいんだ、お前はお前のままで」
「じゃあ、どうしたら琉倭は笑ってくれるのよ」
「……」
胸がどくんと鳴った。ああ、知っているとも、けれど知りたくない。知らなくていい。
「さあな……」
本当は知っている笑顔になれるその秘訣に蓋をして、俺はやっぱり有耶無耶な返事しかできない。
少しの沈黙。
その間を埋めるかのように店員が料理を運んできた。
「お待たせしました。ハンバーグと、シフォンケーキです」
ヘレナの前に置かれたシフォンケーキは、ふわふわで、甘い香りが漂っていた。彼女は興味深そうにフォークを手に取る。
助かった、彼女の関心がそっちに向いてくれて。
「た、食べていいかしら?」
「ああ」
一口、そっと口に運ぶ。その瞬間――ヘレナの目が、ぱあっと輝いた。
「……なにこれ。すごいわ……ふわふわで、甘くて……あったかい……」
その表情は、まるで初めて世界に触れた存在のようで、俺は思わず、見とれてしまった。
「琉倭」
「ん?」
「もっと……いろんなことを知りたいわ。あなたと一緒に」
その言葉は、静かに、けれど確かに胸に落ちた。俺はゆっくりと頷いた。
「……ああ。いいぜ、付き合ってやるよ」
ヘレナは嬉しそうに微笑み、もう一口シフォンケーキを食べた。その笑顔を見ていると――星宮との思い出の痛みが、少しだけ薄れていく気がした。




