明鏡止水
室内に誰かが入って来たー。
私の異常を察知し、心配で見に来てくれたのか……、若しくは取り押さえるため……?
確かめたくとも、私は床にしゃがみ込んでしまい身体が動かなかった。呼吸もおかしい。
身体中を不安が満たし、心が寒くなるーー。
「もう大丈夫」
ーー大丈夫? 何が?
背中に手が添えられる感触があった。暖かい……。
お母様……、お姉様……? いや、お父様のよう。だとしたらお迎えか……。
「大丈夫……。気を楽に……」
もう大丈夫なのか……。
私は呼吸を整える。少し気が楽になり、鎮まりを覚えた。そうすると、室内に誰が入って来たのか確認できるようになった。
銀髪の優しげな……。
「殿下……」
そこにいたのは第一王子のアレン殿下ーー。
私は絶句してしまう。このような場所に来る人物でもなかったし、今の姿を見られたくなかった。
「このようなところに……」
私は慌てて距離を取り、無表情を取り繕う。
見たところアレン殿下は一人であるが、私と一緒の部屋にいて良いのだろうか? 室外に護衛くらいはいるんだろうけど……。
なにしろ、私は第一級の危険人物のはずである。
見知らぬ役人でも来て、どこかに連れて行かれるのかと思っていたが……。
一言、文句でも言われる……?
「……身体に障りなければ、外に出ようか」
アレン殿下がバルコニーへ誘う。
やはり、なんらかの言葉があるようだ。
私は『はい』と短く了承し、アレン殿下に従う。
すっかり暗くなっており、もう月が出ている。空には星も散りばめられ、夜風が心地よい。もう少し時間が経つと月や星が煌々と輝くようになる。
部屋は3階にあり、そんなに高さはない。バルコニーは庭に面しており、夜の灯りが幻想的に王宮の庭園を照らし出していた。
通常であれば見惚れるような光景であるが、私にはそのような余裕はない。私は膝を付き、俯いて、アレン殿下の言葉を待つ。
ーーアレン殿下が、私の今後についての申し渡しをしてくれるのだろうか。もしかすると、仮にも国のため長い年月を尽くした功績を考慮した……?
王は無理があるため、アレン殿下が沙汰を下す……?
「……まずは、立ってもらえるだろうか」
「……はい」
アレン殿下の言葉に、私は素直に立ち上がる。
「確認だが、貴女は『魔女』について話をしてくれた。そして今なお貴女の中に『魔女』の魂がある、と」
「はい。その通り、相違ありません」
私は頷く。
「あなたには『魔女』としての『人格』はないが『記憶』を知った。そして『魂』が残るがゆえに、これまでのことに『責任』を感じている?」
「はい、責任は全て私にあります。…………申し開きのしようもございませんが」
「貴女には『魔女』の人格がなく、今回の一件には関わっていないのに?」
「私の中の『魔女』のことですので……」
「レイラの中にも『魔女』がいた」
「レイラの中の『魔女』は、消え去りました。もう存在しません」
「…………ふむ」
「レイラの中には、元の本来の人格である『レイラ』がいます。……人格を弄ばれた、哀れな娘がいるのみ、でございます」
私はレイラについての質問に、不安を感じた。
レイラに害が及ぶのは理不尽だろう。
もし、レイラの運命が瀬戸際なのであれば『なにも知らない無実の女性』というイメージを作り上げたいが……。
「心配には及ばない。レイラに罪はないよ。レイラを罰することもしない」
「ーー!」
アレン殿下の言葉で、私は身体中の力が抜けるのを自覚した。
シンデレラに罪が及ぶことはない……。どういう扱いを受けるのかわからないが、最悪の事態は免れたようだ。そうっと私は息を漏らした。
「レイラに話を聞いた者からの報告だが……」
突然アレン殿下から切り出され、私は身体を震わせる。
シンデレラから話を聞いた? シンデレラは何と言った?
「レイラには自分の意思があったようだ。自分に『魔女』の魂があることを自覚し、悩んでいた。運命を呪った。ーーそして『魔女』の魂が存在しているのにも関わらず、全く自覚のない『デリシア』に強い感情を持った。そして『魔女』の囁きに耳を貸し、今回の事件を起こしたようだ」
「そんな……!? それは違います! レイラは『魔女』に悪い魔法をかけられています。レイラは預かり知らぬこと……!」
アレン殿下の言葉を受け、私は一気に体温が低下した。
シンデレラは、なんてことを言うの……。これでは、助かるものも助からない。何とか『魔女』の魔法の影響ということにしないとーー。私は目まぐるしく頭を回転させる。
「大丈夫だよ。レイラは罪に問われることはない」
「…………!」
アレン殿下は私の肩に手を添えた。私は殿下の顔を見つめる。
大丈夫? シンデレラは罪に問われることがない?
本当だろうか。シンデレラの発言を聞き、なおかつ罪に問われない?
「それは約束しよう」
約束……。
アレン殿下が、はっきりと断言するのを私は聞いた。王家の人間は約束を違えない……はずなので大丈夫と思うしかない。
(ーーそうか。アレン殿下は『レイラは』と言った。であるならば、私が罪を負えば全てが丸く収まる)
私はそう理解する。
ーー事件解決には、目に見える『悪役』が必要だ。今回の件を知る者が納得できる形で……。怪しげな『魔女』の魂を内包する私は『悪役』に適任である。
「ありがとうございます。もう私には、なにも言うことありません。全ての責任は私にあります。いかようにも処罰を」
私は、恐ろしく機械的な声が自分の喉から出たことに驚く。
無意識なのだろうが、死を覚悟して感情が消えた。
落ち着いているため、先程みたいに過呼吸気味になって無様は晒さない。
お母様やお姉様のことが頭を過るが、全て振り払う。
「……」
目を閉じる。
草ずれの音や虫たちの合唱が耳に入る。
久しく気づかなかった音だ。月や星も綺麗だった。風がそっと私の肌を撫でてくれる。
ーー明鏡止水
そんな言葉が私の心に浮かんだ。
どんな処罰をも受け入れることができる。
私の心の平静は揺るぐことはないだろうーー。
そして、私の額に柔らかいものが触れる感触があったーー。




