最もハードでデンジャーなミッション
親愛なる読み手の皆さんへ、と。
彼の日記帳の書き始めは大体こんな感じかな。
全く、他人の筆致を真似る事ほど面倒で困難な作業もないものだと思う。
都内に乱立する雑居ビルの一室。
狭い間取りとはいえ、小奇麗にしてある部屋の中、デスクに座るあたしはすっかり汚くなった日記帳へ向かってペンを滑らせるが、どうにも上手くいかない。他人の筆致を無理に真似ようとするからだろうか。もしくはあの日、彼を失うことで心に穴が開いてしまったような気分になっているからだろうか。
我ながら随分と繊細な一面があったものだと今になって思う。
さて、物語の顛末の事なのだが、あのフェアリーランド解放及び奪還の後、この東京及び、日本列島は一時的に大騒ぎとなるも、今ではすっかり元通りの姿を取り戻したよ。
とはいえ、人の多さも車の多さも変わらないし、各地で頻発する渋滞も相変わらずだが、以前のような馬鹿馬鹿しい程の渋滞というものはなくなった。
しかし、その一方で、あの苦しくも楽しい旅路を共にし、妖精相手に果敢に立ち回った此度の大騒動を収めた立役者、弦次郎くんはというと、この世を去ってしまったんだ。
それも、あたしがちょっと目を離した隙にね。
……もちろん死んではいないよ?
ただ、弦次郎くんはあの憎ったらしいティターニアの手によって、あたし達、妖精の住まう国、アヴァロンへと強引に連れ去られてしまっただけだ。
多分、今頃は自分を無理矢理に連れ去ったあの高慢ちきなティターニアの手を取り足を取り、彼の言う所の最もハードでデンジャーなミッションでもこなしているのだろう。
出来る事なら、あたしも彼の元へと飛んで行きたい所だが、まあ別に彼の事を心配している訳ではないし、あたしはあたしでジョージと共に今回の一件の後始末を付ける責務があるので、今はそちらで手一杯だ。
第一、彼という男はあたしに心配される程度の器でもないしね。体験からそれは思い知っている。
ただ、その代わりと言っては何だが、いつか彼が帰ってきた日には、与えてあげたい褒美がある。
それが何かは弦次郎くんが帰って来てからのお楽しみという所だ。
しかし、こうして在りし日の事に思いを巡らせていると、思わず顔が綻び、ペンを握る手が止まってしまって困るものだよ。
気分直しに紅茶でも淹れようかとあたしは椅子から立ち上がり、ケトルへと足を向ける。
そういえば、あの汚い下水道に入った時には、これで何度か彼に紅茶を淹れてあげたっけ。二人して麦酒も飲んだ。アーサー王伝説の話もした。騎士と女王ごっこもした。
その後の事と言えば、想定を越えた酷い環境のせいであたしの身体も変調を来したが、思えばあの時が未来への分岐点だったな。
それにしても妖精がレジオネラ症とは、医療用デバイスも苦しい結論を出したものだよ。
自然に生き、自然から力を貰う妖精が汚い環境のせいで罹患する病名を頂くとは、皮肉が利きすぎてむしろ喜劇というものだ。
思わず顔を緩ませるあたしはケトルに手をかける。
その瞬間、突如として室内に七色の閃光が迸り、狭い空間に立ち昇った光が消えるよりも前に、二人の人影が現出した。
あたしは呆気に取られたような顔をするも、突然現れた彼はお構い無しといった具合に、土足で床を踏みながらも、そのよく回る口を忙しなく動かし始める。
「よう、お下劣女じゃねえか。久しぶりだな。ところで、ここってどこだよ?天国とか地獄とか言わないよな?もうこっちは、ああいう退屈な場所は懲り懲りだぜ」
人の顔色も見ないで現れた彼は、いつものように。
体中を泥だらけにして帰ってくる子供のような笑みを浮かべ、どこか自慢気に語り出す。
その態度といったら、誇るようでさえあったが彼のいつもの軽口へ、あたしから返してやる言葉は一つだった。
「みんな、弦次郎くんが帰ってきたよ!この根無し草の風来坊を捕獲してやりな!」
あたしの上げる叫び声は直ちに雑居ビル内に響き渡ると、それを待ち焦がれた合図にするかのように、右から左からどたどたと大きな足音が立ち、次々と住人が現れ、部屋に立ち尽くしたままでいる弦次郎くんを取り囲み、この日を待っていたように声を上げ始めた。
「弦次郎。私、ここまで来たよ!ねえ、私がコーギーちゃんの首輪に仕込んだあの日記帳、ちゃんと届いたでしょ。役に立ったんだよね、あれ。だったら、私が一番だよね」
一番星のごとく勢い込んで問うのは、かつて女の執念を甘く見ると下水道よりも怖い事になると言い放っていた美少女こと、綺羅星であった。
彼女は今にも飛び掛からんといった具合に目の前にいる想い人から目を逸らさずにいる。
「弦次郎様、ご健勝でいらっしゃいましたか。私、あれから一杯勉強しました。外の世界の男子の事も一杯勉強して夢も定まりました。ですから、今度こそは私の貰い手になって下さいますよね」
おずおずと前に出て来るも、はっきりとした物言いで想い人を見据えるのは白い女こと、リリーであった。
豚の神から解き放たれ外界を知った彼女は、すっかりお洒落な装いをするようになっていたが、白を基調にしたその服装は清純さを思わせ、見る者を釘付けにしてやろうという確固たる意志が感じられるのはあたしの深読みに過ぎないのだろうか。
『妖精の羽根をひきちぎったんだってな。それで、ベッドには連れ込んだのかい、相棒』
続いてホワイトボードを掲げるのは弦次郎くんの親友こと、安藤くんだ。
話し相手はすぐそこにいるのだから、口で喋ればいいのにと思うが、これも安藤くんなりの演出というものなのだろう。
遊び心に満ち溢れる安藤くんは渋滞中の飢えも何のその、すっかり太ってしまったその体を揺らしながら微笑んでいる。
「まあ、これは一体どういう事なんですの、弦次郎どの。妖精の羽根を引きちぎってベッドに連れ込むだなんて……。ああ、なんて荒々しくもロマンチックなのでしょう。ぜひ、わたくしにやってみて下さいませ。さあ!」
彼と共に室内へと現出したティターニアは目ざとくもホワイトボードを確認すると、嫌味ったらしい色合いの羽根を大きく広げ、弦次郎くんの体にしがみ付きながら言う。
当の弦次郎くんはというと、やはり傲岸不遜といった表情でやや固い微笑みを浮かべたままでいるが、体の方は石になったようでいて、微動だにしない。
そんな彼に、あたしからも言ってやる事にする。
「おかえり、弦次郎くん。さて、皆の待ち人も帰って来れたようだし、遅い祝勝会と行きたい所だが、それよりも先に君が受け取るべき褒美の話をしようか。弦次郎くんがそこの高慢ちきな妖精に攫われたあの日から、あたしはフェアリーランド奪還の礼代わりに、君に縁があり、君に惚れている者たちを集め、住む場所や日々の食事、持つべき知識や勉学の教授、時には仕事の斡旋などもやってきた訳だけれど――」
綺羅星、リリー、ティターニア。
三人に強い愛の眼差しを向けられたままで固まる弦次郎くんへと向け、あたしは挑戦的に微笑み、続ける。
「まあそんな話は後からでもいいね。とりあえずは一人、お姫様を選んで貰おうか。優秀にして勇敢な騎士である弦次郎くんが仕えるべきプリンセス、あるいは伴侶を選び取り次第、祝勝会といこう」
恋慕という名の睨みを利かせる女たち。
メドゥーサの視線よりも強力なそれは、弦次郎くんを石化させるようにして留める。
さしもの彼もギリシャ神話の怪物相手には分が悪いようだが、これも一つの責任というものだろう。
さて、選ばれるのはファム・ファタールか白き聖女か、番狂わせの似非女王か。
それとも、かつてあたしという『妖精』の唇を獣のように貪ってしまった彼は、虜にでもなったかのように、あたしだけの『湖の騎士』となってくれるのだろうか。
程なくして狭い室内はさながら決闘を果たすリングのように騒々しくなるのは大抵の人が想像する通りだが、この更に先のお話を手記へと書き留めるのは些か野暮というものだろう。
よって、今後の彼の行動、あるいは身の振り方は親愛なる読み手の皆さんに任せるとしよう。
20XX年 某月某日 湖の妖精 ヴィヴィアン
改め――お下劣女
お疲れさまでした。
この物語はこれにて完結となります。
人には誰にも人生のミッションというものがあると思いますが、
皆さんそれぞれに、それらをやり遂げられることを願っております。
長い間、お付き合い頂きありがとうございました。




