犬と男と猫と女
俺はペットを取り扱う売人を捕まえ、犬をレンタルし、つぶらな瞳を向けるそいつを目に入れても痛くないくらいに可愛がってやった。
その犬ってのも、この世で最も高貴で賢い犬、ウェルシュ・コーギー・ペンブロークだ。
値段は張ったが、こいつのレンタル料は俺の懐からは出ていない。同乗者であり、共にフェアリーランドを目指す乱暴にして下劣な女の懐から出ている。つまり、買って貰ったという訳だ。
このお下劣女ときたら、そりゃあもう色んな所がお下劣で出来ていて、取り柄と言ったら色気たっぷりな巨乳な事くらいだが、銭は腐るほど持っているし、必要なもの、良いものを買う分には出し惜しみというものをしない。
安藤のために犬が必要だと訴えれば、二つ返事で銭を出してくれたよ。ただ、俺がかっ喰らう酒や煙草には一文たりとも出してくれやしないが、今はそんな事は問題でもない。
「頼むぞ、エリザベート」
妖精みたいに可愛らしい顔で首を傾げるコーギーにバックパックを背負わせた俺は、軽く頭を撫でてブリッジ上の安藤の方を指さしながら言った。
「どうでもいいけど、何でコーギーなの。大型犬の方が力も強くて適任なんじゃない?」
「この世で最も強い能力は賢さと愛嬌だって言うぜ。それに加えてコーギーは高貴なオーラまで持っている。過去にはイギリスの女王様だって飼っていたくらいなんだぞ。これ以上に適任と言える犬はいない」
「まあいいけど。犬に詳しくないあたしにも、この犬種が素晴らしく高い能力を持っている事くらいは理解してるからね。弦次郎くんの訳のわからない言い分以上には」
銭は出しても皮肉は忘れないお下劣女の言葉を無視する俺は、食料を詰め込んだバックパックを背負わせたコーギー犬、エリザベートを安藤の元へと送り出すが、この偉大なるミッションは結果から言えば、失敗に終わる事となった。
もちろんエリザベートは良くやってくれたよ。飼い主である俺の期待に応えようと目を輝かせ、短い手足を果敢に動かし、その類い稀なる賢さでブリッジまでのルートを模索し、まるで勅命を受けた女王騎士のように、いじましくも勇敢な足取りをもって安藤の元へと走った。
だが、孤高にして気高き女王騎士・エリザベートのその健気な姿、何よりその愛くるしさは特別でハードなミッションを行うに当たっては、裏目となり、想定外の障害をもたらす事になってしまう。
それがどんなに恐ろしい障害だったかと言うと、エリザベートは無邪気さを武器にして我儘という名の許されざる暴力的活動を行う子供たちに捕獲されてしまったのだ。
『可愛い~!』
『次、私にも抱かせて』
『この犬、どこの子なのかな?』
『首輪も付けてないし野良だよ、きっと。私たちで保護してあげようよ』
俺は望遠鏡で誘拐現場を確認し、凶行へと走った犯人たちがしているであろう会話を想像する。多分、こんな事を言っているに違いないぜ。あの子供ども。
そうさ。エリザベートの奴といったら、あんまり愛くるしいもんで、この人の波と車の海の中を勇敢に駆けるその姿は、人々の胸をどこかの四番打者みたいに猛打しすぎちまって、瞬く間にアイドルとして祭り上げられたあいつは誘拐までされるという憂き目に遭っちまったんだ。
俺はその悲しき結末に涙し、悔しさに顔を歪めるも、人が愛くるしいものに魅了されるのは仕方がないと割り切った。
妖精に魅了され、妖精をこの手に抱くため、終わりの見えない遥かなる旅を続ける俺にはわかるというものだ。
それでも俺は心のどこかで女王に選ばれし名犬種、コーギーの賢さを信じていたが、ついにエリザベートは安藤の元へ辿り着く事は出来ず、また、俺の元へと帰っても来なかった。
※※※
「限界突破だ、タマ!」
俺はお下劣女に買って貰ったドローンを操作し、手に汗を握る。
もちろんドローンには少なくない食料を掴ませてある。今度はこいつ、ドローンのタマで安藤の元へと食料を届けてやろうって作戦だ。
ちなみにどうしてタマなんて名を付けたのかと言うと、犬が駄目なら猫なら成功するだろうと思ったからであり、深い意味なんて海どころかその辺の水溜まり程もない。
「弦次郎くん、もっと右。違う、それじゃあ行き過ぎ。もうちょっと上昇させて。東から回り込むようにして軽トラの方へ行くの。旋回して、旋回」
「お前らのじゃねえっ。離れろ、このクソったれの餓鬼どもが!」
望遠鏡で位置を確認しながら指示を出すお下劣女の言う通りにドローンを操作する俺であったが、そこに食料が積まれているとなると、山のようにいる無関係の人間どもが飢えたゾンビのように群がり、程なくして人の山は土砂崩れを起こす。
そんな中、配達先の安藤といえば、一人、難しい顔をしていてな。おもむろにホワイトボードを掲げると、こんなメッセージを寄越すんだ。
『もういい。これ以上は争いの火種になる。俺の事は気にするな、兄弟』