林檎
俺たちがこの怪しげな教会地下へ辿り着いてから数日が経った。
正しい処方で薬の服用を続け、骨休めといった風に休息をする事になったお下劣女の容体は、すっかり回復し、リリーの方はというと、暇を見つけては地下へと遊びに来ている。
俺たちからすれば、いつまでもここに留まっている理由はないのだが、人との出会いは宝とも言うし、リリーには随分良くしてもらった。
もしも俺の悪い予想が当たっているならば、今度はこちらが助けてやる番というものだろう。何より、受けた恩は必ず返すのが出来る男の流儀というものである。
俺はいつものように遊びに来ているリリーへと問いかけた。
「大司教様っていうのは男なんだな、リリー。それと、司祭様ってのも男なんだっけ?男子禁制だってのに、おかしなもんだな」
「はい。大司教・マツモト様と司祭であらせられるハギワラ様は男性様です。お二人とも弦次郎様とは全く似ても似つかないですが」
「まあ俺ほどの美形はこの世にまたとないからな。それで、その大司教のマツモトと司祭のハギワラってのが男で、この教会を取り仕切っているんだったかな」
「取り仕切るといいますか、私たちを導き、修練を積ませるという大役を担っております」
「ふうん。じゃあよっぽど偉くて強くて優しくて、その上、俺より美形なんだろうなぁ」
俺は砕けた感じに言うが、リリーの表情は僅かに陰る。
「ええ、そうですね……」
「お、どうした。何だか歯切れが悪いじゃないか」
その反応を見た俺はこりゃあ絶対にヤバイ宗教だなと思うが、女のハートを掴むのに急ぎは禁物だ。強引な形で問いただす訳にはいかない。時間をかけて探って行く事にする。
リリーは押し黙ったかと思うと、俺の手元にある缶詰を見てそわそわとし始めた。
彼女のこういった反応はいつもの事だ。だから、俺もいつものように言う。
「こいつは林檎って言うんだぜ。甘くて爽やかだぞ。気になるなら食ってみたらどうだ?」
「でも、弦次郎様。知らない物を勝手に食してしまうと、きっと私は呪われてしまいます」
「勝手にじゃないだろう。持ち主の俺が許してるんだからさ」
「けれど、知らない物を食べるのは教理によって禁じられていまして……。大司教様のお許しを頂かなければ私には食べる事が出来ません」
言いながらもリリーは物欲しそうな目を缶詰から離さない。
これもいつもの事だ。おそらくは徹底した管理教育を施されているのだろう。それも学校なんかの比にはならないくらいの教育を。
ふいに持ち主はあたしだ、と言う声が後ろから聞こえてくるが、そういう野暮な突っ込みは無視して俺はリリーへと追い打ちをかけてみる事にする。
「実はこれ、缶から開けちゃったからすぐに腐っちゃうんだよなぁ。でも、俺もお下劣女も腹一杯だし、どうしようかと思ってさ。リリーもいらないって言うなら、やっぱり捨てるしかないかな」
すると、リリーは喉を鳴らし、まるでその言葉を待っていたかのように言った。
「食物をいたずらに捨てるのは駄目ですっ」
よし、作戦成功だ。
じゃあどうぞ、と俺が缶詰を差し出すとリリーは恐る恐るといった表情で林檎へと手を伸ばし、まるで初めての昆虫食に挑戦するかのようにそっと口に含んだ。
「どうだ?いつも食べてるパンと野菜のスープとはまた別の味わいがするだろう」
しゃくしゃくと音を立て、やがて林檎を飲み込むリリーの表情が綻ぶ。
「……美味しい。こんなに美味しい物は初めて食べました!」
「そうだろう?勿体ないから全部食べていいよ」
俺が言い終わる前に、リリーは残る林檎の切れ端へと手を伸ばしていた。
※※※
その夜の事、リリーは地下道へ来なかった。
日中は教会で修行と勉強があるというリリーが遊びに来るのは決まって早朝と夜の時間だけだったが、それでも毎日欠かさず遊びには来てくれていたというのに、まさかとは思うが、朝の林檎の一件が不味かったのか?
いや、いくら禁止されているからといって、胃の中を調べられる訳じゃあるまいし、食べた物がバレるだなんて事はありえない。
俺がうろうろと地下道を行ったり来たりとしていると、寝袋に寝そべっているお下劣女が口を開いた。
「随分と心配性な悪魔もいたものだね。彼女が林檎を食べた事が見つかったとでも思ってるのかな、弦次郎くん」
「何だよ、アダムとイブの話か?林檎はお前が用意していたものだろうが」
「そう苛立たなくていいでしょ。今のは御伽噺にこじつけた言葉遊びのようなものだ」
「つまらねえ冗談といった方がわかりやすいけどな」
俺は吐き捨てるように言い、続ける。
「なぁ、このままじゃ埒が明かねえ。上、出てみるか」
「男子禁制だよ。見つかったらすぐに捕まる」
「捕まるもんかよ。上にいる男といったら、大司教のマツモトと司祭のハギワラ、二人しかいないんだぜ。何より俺は誰よりも強く、足も速いし、美形だ」
お下劣女は溜息を漏らしながら返してくる。
「美形かどうかは知らないが、弦次郎くんが今更そんなつまらない奴に後れを取ったりする事はないとは思うよ。けれど、今はまだ情報を集める時だ。第一、今の段階ではあの子が嘘を言っている可能性だって拭い切れないんだよ。もしも万が一、真っ当な教会だった場合、弦次郎くんは襲撃者として逮捕され、首を括る事になる。そして東京フェアリーランドへ行くという夢も霞に消える」
「なんで死刑になる事前提なんだよ!」
言い合う俺たちだったが、がこりと金属が動く音が鳴るのを聞き付けると口を動かすのをやめる。
マンホールを開ける音だ。リリーが来た。俺はマンホール下まで駆け出し、上を見上げるが、地上から覗き込むようにしているリリーはライトを当てるだけで降りてこようとしない。
一体どうしたというのだろう。俺は声をかけてみる事にした。
「リリー?今日は遅かったじゃないか。そうだ、まだ食べれ切れない物があるんだよ。こっちに来て食べるのを手伝ってくれないかな?」
言葉は返ってこない。沈黙が続く。
不審に思った俺は手元のライトで上を照らしてみると、そこには見た事のない少女が二人してこちらを覗き込み、初めてリリーに会った時のような顔をして固まっていたが、程なくして意を決したようにか細い声を上げる。
「ねえ。あなた、弦次郎様でしょ?」
「ああ、そうだぜ。リリーのお友達か?仲良くしようぜ」
リリーと同じように白いカーテンみたいな服を着た少女を確認した俺は、あの日と同じように軽く微笑みを湛えてそれだけ言うと、二人の少女は目の色を変え、懇願するような声を上げた。
「弦次郎様、お願い。リリーを助けて」




