大司教
親愛なる読み手であり、常日頃から冒険を欠かさない諸君たちへ。
文明社会の光の下に広がるクレイジーな下水道は俺の思った以上にデンジャーかつユニークで、血沸き肉躍り続けるような冒険を提供してくれる場だったぜ。
まあ歓迎しないような冒険もあったと言えばあったが、この通り、俺はピンピンしている。そして俺の唯一の不安の種であった我が相棒、お下劣女も元気を取り戻し始めた。
結果良ければ全て良しという言葉がある通り、細かい事に目を瞑りさえすれば、万事無難に事は進んでいると言ってもいいだろう。
もちろんこの地下道はこれで終わりではないし東京までは距離があるが、俺はもうゴールは近いって気がしてるね。根拠なんて無いけれど、そんな予感がするんだ。
無論、予感だなんて曖昧なものは当たるも八卦、当たらぬも八卦といった所で、例えて言うなら胡散臭い占い師が金目当てに啓示しやがる頓珍漢な未来予想図の話のようなもんだがな。
そんな事より、皆さんはあの子――
リリーの放った言葉を覚えているかい?
先に言っておくけれど、天使とか呪いとか、そういう胡散臭い占い師に輪をかけるように怪しくて奇妙なオカルトの話じゃないぜ。もっとビッグでインパクトのある言葉だ。そう。心臓に銀色のナイフを突き立てられるくらいには。
まあ賢い皆さんならもう分かりきった事であろうが、俺はあえてその言葉を反芻してみせよう。
『傷だらけで泣きそうな顔をしながら私に助けを求めてきたのにですか?』
衝撃的だったね。
世界がひっくり返るような感覚だった。
言うに事欠いて、この俺がそんなに情けない姿を晒していたっていうのだろうか。
自慢じゃないが俺は自分より弱いであろう全ての生きとし生ける物に、そんな言葉をぶつけられた事はない。いつだって目の前にいる敵は、この体と拳とで制圧し、征服してきた。
何ならそれが真の漢だと思っていたといってもいいくらいだし、この地下道にしたって、あんなトラブルさえなければ、きっと余裕を持って最後まで歩き抜けただろう。
それを、そんな俺を、リリーはそう言って笑ったんだ。優しくな。
けれど、不思議な事に俺は不快な気持ちにはならなかった。
もっと正確に言うと、恥ずかしいっていうか、こそばゆいっていうか、なのに癒されるっていうか、上手く言葉に出来ないが、悪い気持ちには全然ならなかったんだ。変な話だよな。
それと同時って訳じゃないけれど、このデンジャーなダンジョンを進んでいてわかった事がある。
それは、俺が得意としてきた暴力なんて、こんな場所じゃまるで通用しないんだって事だ。
こんな風に考える事なんて、今までなかったよ。
※※※
俺がペンを走らせていると、がたんとマンホールが動く音が鳴り、続いてお下劣女が一人だけで降りて来る。俺は急ぐように手記を閉じて対応した。
「随分遅かったじゃねえか」
「何だ、弦次郎くん。あたしの身を案じてくれたのかい?快便だったから大丈夫だよ」
「聞いてねえし、そんな心配はしてねえよ!」
「それより弦次郎くんはまた日記帳かい?」
お下劣女は近付き、手記を覗き込むような仕草をしてみせる。
「何だよ、見せないぞ。今、俺という偉大なる男がどれだけ勇猛果敢にして天下無双を地で行く英傑であるのか、詳しく書いている所なんだからな」
「そんな百物語にもならない嘘八百物語、見やしないよ」
こいつめ。今の寒い発言は俺の壮大なる伝記物語に記録しておいてやるからな。
舌打ちする俺は、話題を変えた。
「で、外はどうだったんだよ。リリーが言ってた何とか教会ってのがあるのは本当か?」
「厳律・ゾディアック教会でしょ。軽く観察した感じ、中々、古風というか詫びさびがあるというか、タイムスリップしたような感覚を覚えたよ」
お下劣女は怪訝な顔を浮かべて続ける。
「まず、建物なんだけど、真ん中に教会があり、狭くない敷地は何のためなのかジオデシックドーム構造になっていて日光は入るものの空がよく見えない。そして教会の方について付け加えるならば、あたしは入ってはいないが、相当古びた物だった。時代的に言うと二、三百年前くらいの木造屋敷のような作りだと言っていい。およそ、現代の建築様式からはかけ離れた作りだ」
「そのおんぼろ幽霊屋敷には入らなかったのかよ。お前、便所を借りたんじゃなかったのか」
「ああ、便所は広い敷地内の隅にぽつんと建っていてね。これがまた畑の脇とか、建築現場に置いてあるような簡易便所なんだよ」
やはりデンジャーな宗教系の匂いが感じられる。
俺の胸にある悪い予感は増大していった。
「後はそうだな……。敷地内にへんてこな銅像が置いてあるのを見たよ。ご丁寧な事に簡易便所内の壁にまで絵画が掛けられていてね。両方とも同じ人物で、プレートには名前まで書いてあった」
「宗教家のよくやる手口だな。全く偶像崇拝ってのは、いつの時代にもなくならねえ。それで、その名前ってのは歴史人物か?それとも聖書に出てくるような天使や悪魔の名前か?」
「いいや。あたしも知らない名前だった」
疑念に満ちた表情を浮かべるお下劣女は一口、水を含むと、やや間を空けてから言う。
「厳律・ゾディアック教会 大司教 マツモト・聖・アヤト」
出てきたその名前は胡散臭いというか、もはや怪しさしか感じない名前であった。




