はじめての男
「弦次郎様、それは何ですか?」
午後八時過ぎの事。
再びマンホールを通って降りて来たリリーが興味津々といった様子で質問をぶつけてきた。
「こいつは缶詰って言うんだぜ。フルーツとか魚とかパンとか、色々な物が入ってるんだ」
「どうしてそのような缶に入っているのでしょう?そんな固い入れ物に詰められていては手で開けられずに困ると思います」
「長期の保存が効くよう、缶に入れられているんだ。こうしておくと中に入っている食べ物は腐る事がない」
「本当ですか?何年も経過したらどうなんですか?」
「二年や三年程度経ったくらいなら腐りはしないな。俺の心のように綺麗なままだ」
「よほど強力な加護に守られているのですね。じゃあ弦次郎様、その鉄の塊みたいな物は?」
よくわからない形の納得を見せるリリーは首を傾げて後ろに倒れ込んでいるドローンを指差して言った。
「空飛ぶ執事だ。ただし、荷物持ちしか能がないせいで雇い主が俺たちしかいない」
「荷物を持ってくれるなんて、とても有能ですね。それで、執事とは何でしょう?」
「身の回りのお世話をしてくれる人だな」
「じゃあ、弦次郎様のお世話をしている私も執事なんですか?」
「いいや。リリーは執事よりいい人だぜ。執事という者のお世話の質は主人の懐具合で決まってしまうものなんだが、君は俺から銭も取らず、無償の愛を持って俺たちの世話を焼いてくれているからな。しかも美人で好奇心旺盛だし、その辺の執事なんかとは比較にならないね」
「げ、弦次郎様。美人だなんて、そんな……」
リリーは頬を赤らめ、もじもじと体を震わせながら言う。
どうもこの子は外の世界というものを知らないらしく、もう小一時間ほどはこんな調子で質問攻めだ。
しかし、年中無休で空を飛び回っている配達用ドローンさえ知らないというのは幾ら何でもおかしい。
少なくとも彼女は医療用AI搭載のデバイスは使えたはずだ。それにも関わらず空を行く配達ドローンを知らないという事は、軟禁状態のような形で生活している可能性もある。
考えを巡らせる俺に、リリーはもじもじと恥ずかしがるような動きをしたまま呟く。
「私、外の世界の殿方を見るのって初めてです。弦次郎様の体、包帯を巻く時に随分触ってしまいましたけれど……。男の人の体って、凄くゴワゴワして、それでいて柔らかさ、しなやかさも持っていて……。何ていうか、大きくて強靭なんですね。大司教様とも司祭様とも大違い」
「そりゃあ俺は最もハードでデンジャーなミッションをこなせる男だからな。ただ、勘違いするなよ。外の世界へ行こうが地球の外まで行こうが俺くらいタフでワイルドな男なんか、いやしないんだぜ。特別に強い俺は外の世界でも最強なんだ」
「弦次郎様が?最強なのですか?」
澄んだ瞳でじっと見つめてくるリリーに俺は頷き、笑ってみせる。
すると、ややあって彼女は悪戯をする子供のような微笑みをしてから言った。
「傷だらけで泣きそうな顔をしながら私に助けを求めてきたのにですか?」
「おいおい、冗談だろう?俺はこの通り、ピンピンしてるぜ。第一、あれは俺じゃなくて、お下劣女がだなー」
「あたしが何だって?」
俺はぎくりとして寝袋の方を振り返ると、件のお下劣女は上半身を起こし、寝惚け眼を擦りながらも口を開いた。
「弦次郎くん。君って奴は、あんな滅茶苦茶な行軍をしておいて、ちょっと可愛い子に会ったら傷の痛みも忘れてラブロマンスかい。その神経の図太さには呆れを通り越して驚嘆の念さえ抱くよ」
「お前、起きてたのか。その口ぶりだと随分良くなったみたいだな。そうさ、俺ほどのタフガイになると傷はおろか、内臓の二、三個は失くしてもへっちゃらなんだぜ」
「だったら、いざの際にはその体を材料にしてホルモン焼きでも作れそうだねぇ」
「せっかくだが、その仕事は牛にでも任せるぜ。何しろ俺の内臓は鋼鉄で出来てるもんで齧るのにも一苦労だからな」
俺たちはいつものように笑いながら言いあう。
牛だなんて言葉を使うと、あのクソったれの牛野郎こと牛浜の奴を思い出して気分が悪いが、これで全て元通りだ。
軽いコミュニケーションが終わるとお下劣女は立ち上がり、背伸びをしてから、これまたいつものように下劣な言葉を放つ。
「さて、あたしはちょっとクソでもしてくるよ。長い事寝てばかりいたら漏れそうだ」
せめてお花摘みとか言ったらどうなのか。本当に酷い女だ。
リリーもあまりの下劣な発言に驚いたのか、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして声を上げる。
「そんなの駄目ですよ、お下劣女さん。乙女たるもの、恥じらいを持ちましょう。お手洗いは私が貸しますから、どうぞこちらへ」
女に向かっては『さん』付けらしい。
そもそも彼女はお下劣という言葉の意味を正しく理解しているのだろうか。
俺が名付けたその偉大なる愛称を丁寧なリリーが使っている様子に笑っちまうが、当のお下劣女はというと、すっかり慣れきっているのか大して表情も変えずに返した。
「そうか。では、有難く使わせて頂くとしよう」
「はい。弦次郎様には申し訳ないですが、男性が見つかりでもすれば大事になってしまいますので、少しだけお待ち下さい」
「ああ、俺は大丈夫だから気にするな。それよりそいつは本当に品の無い奴だから、くれぐれも下卑た言葉使いが感染らないように気を付けろよな、リリー」
リリーは返事代わりに微笑み、梯子の方へと歩いていく。
その後に続くお下劣女は一瞬だが振り返り、俺へと目配せをしてきた。
まさかあいつ、探りでも入れようとしているのだろうか。
地上では男は歓迎されないようだし、暇を持て余した俺は久しぶりに手記を開く事にした。




