暗雲
「おい、お下劣女!」
朝なんだか夜なんだかよくわからない地下空間で起きた俺は、バッテリー内臓型電気ケトルなんか持って紅茶を沸かしている相棒へと叫ぶように言った。
「何だい、弦次郎くん。やぶからぼうに」
お下劣女は怪訝な顔をしながら熱い紅茶を差し出して言った。
「前に俺が書いた傑作恋愛ポエムがないんだ!ほら、お前も読んで感動の涙を流したあれだよ!」
「弦次郎くんが書いたポエムなんて、あたしは知らないよ。荷物は持てるだけ持ったし、どうせ車の中にでも置いてきたんでしょ」
「何てこった。あんまり出来がいいから盗まれたんだ。畜生、盗人の野郎、許せねえ。きっと、あれを使って歌人にでもなるつもりなんだぜ。著作権は俺に帰属するぞ!」
「そんな心配しなくても、今頃はごみ箱の中で眠っていると思うけどね」
「お前は芸術を解せ、お下劣!」
俺は紅茶をがぶりと飲み、熱さにのたうち回った。
本日も汚らしい大迷宮、その名も下水道を往く冒険が始まる。
その後も俺たちはコンクリートの迷宮を歩き、鼠に挨拶をし、かつては配電室だったであろう虫たちの楽園を横切り、降りたり昇ったりを繰り返し、さっき挨拶をした鼠が蛇に喰われたりするのを見ながら再び直線を進める洞窟へと着くと、二人してうんざりといった顔をする。
しかし人口路に背を向け、洞窟へ踏み入るのも二度目である。
決して油断は出来ないものの、初めに越えた時よりはずっと楽に越える事が出来た。
とは言え、俺は元々そんなに苦労していないが、連れに女もいる事だし、休憩も多めに取るようにして進んでみれば、お下劣女の方も以前ほど苦労しているような様子は見られなくなり、そこの所は安心した。
ただ、想定していないデンジャーなトラブルってのはやって来るもので、そいつばかりは俺の肉体強度を持ってしても越えられない。
それが何かって言うと、前にも相棒が軽く触れたように硫化水素の事だ。
こいつは普段は腐った卵のような匂いを発しているが、高濃度になるとその悪臭さえ感じなくなるようで、きつい匂いがなくなって喜んでいる間に逝っちまうように出来ている。
まるで古代遺跡のトラップみたいな性質を持つガスだが、そいつへの対応としては、お下劣女が用意していたガスマスクや酸素ボンベを装着し、逐一有毒ガス検知器を使いながら歩みを進めていた。
しかし、あいつは一体どれだけの物資を持って来たんだ。
実際の所、大助かりもいい所ではあるが、その抜け目の無さには驚くばかりであった。
気が強く、口は悪いが、用意が良く、気風が良く、女だてらに俺の後ろを付いて来れる。
薄々気付いてはいた事だったが、やっぱりこいつは最高に切れてる俺の相棒だ。
幾つめかの洞窟を越え、再び人口路へとやって来た俺たちは適当な場所で休憩し、一眠りする事となったが、俺はすぐに寝入る事もなく、隣で寝息を立て始めるお下劣女の事をそんな目で見るようになっていた。
そしてこうも考えた。
こいつとなら確実にこのデンジャーなダンジョンを越えて一緒にフェアリーランドへ辿り着けるだろうってね。
だが、やがて眠りについた俺が、起床した時に見たものは明るい予感に反する光景だった。
※※※
俺は固いコンクリートに寝袋を敷き、その上に寝かせたお下劣女の汗をタオルで拭い取ってやる。
発汗を続ける相棒のその顔は火照り、息は熱く、腫れぼったい目をしている。熱があるのは誰の目に見ても明らかであった。
「すまないねぇ、弦次郎くん。この程度の環境で体調不良を起こすとは、あたしも焼きが回ってしまったようだ」
お下劣女は絞り出すような声音で言った。
「そんな顔するんじゃねえよ。それこそお前らしくもない。こんなものはただの風邪だ。どうせ一日か二日もすれば治るに決まっているぜ」
「しかしあの荒くれ者の弦次郎くんが、まさかあたしのために奉仕と博愛の心をもって、慈悲の御手を振るってくれるとはねぇ。あの暴力とおかしなポエムだけが取り柄の弦次郎くんに介抱されるとは、あたしも本当に焼きが回った」
「お前、褒めているようで貶しているからな、それ!」
俺は高熱にうなされて尚、憎まれ口を叩くお下劣女の顔を上げさせ、口に薬を含ませると水を飲ませてやる。
「お前、薬までちゃんと用意してたんだな。これ、効くのか?」
「さあ。薬は色々な物があるから、あたしにもわからないけど効果が無い事もないだろう」
俺は何気なく薬箱のパッケージを手に取り、裏面の謳い文句を確認してみた。
パッケージには発熱・咳・悪寒・歯痛などに効果ありと書いてある。
つまり、何の変哲もない普通の風邪薬という事なのだろうが、こういう最も数が出回るタイプの薬はオールマイティーな物である。完治とは行かずとも効果は出るだろう。
熱が引いたらしばらく休んで様子を見つつ、少しずつ進めばいい。
例えゆっくり歩いて行ったって、あんな渋滞に阿保面下げて並ぶよりはずっと早く進む。何も問題はない。
そうだ。何も問題なんてありはしないー
「おい、お下劣。食欲なくても、少しくらい何か食べた方がいいぞ。ああ、畜生。ゼリーとかプリン的な物はないのか」
不安を振り払うように放り出された荷物を漁る俺は、栄養食品を取り出しながらも目に入ったごつごつした怪しげな重厚感溢れる器具にぎょっとする。
あいつ、こんな物まで用意していたとは心配性な奴だよ。
だが、これさえあれば何も指定されたマンホールまで辿り着かなくても脱出は可能だ。
俺はごてごてした重い器具には気付かない振りをしてお下劣女に元へと戻った。
その後、俺は一時的にここに留まる事にして、お下劣女の体調の回復を待つ事にしたが、一日が経ち、二日が経っても病状が良くなる気配は見られない。
その間、俺はお下劣女の介抱をする傍ら、地上へと抜けられるマンホールを探すために周辺の探索を行っていたが、出入り口となるそれは、どこにも見当たらなかった。
せめて、もう少し探索範囲を広げられればいいんだが、高熱にうなされるお下劣女を放って遠くまで行く訳には行かない。俺は舌打ちしながらも周辺を探索し続けた。
そんな風に俺が探索と介抱に終始する日々を送るようになり、やがて三日が経過した。
だが、お下劣女の容体は大きな悪化こそなかったものの、決して好転する事もない。
相変わらず高熱にうなされ、起床と睡眠を短い間隔で繰り返している。
そんな風に苦しむ相棒を眺める事しか出来ない俺は、ここで、ある一つの決心をするに至った。




