伝説
妖精の女王と騎士様の真似事をして笑いあった俺たちは、童心に帰ったような顔で汚水が流れる洞窟をただ歩く。
その最中、汚らしい浄化槽にでも続いているのか、まさか川か何かにそのまま垂れ流すのか知らないが、下へと続く穴へと滝のように汚水が流れていくのを確認した俺たちは、何も見なかった事にしながら歩みを進める。
力強く。注意深く。慎重かつ、大胆に。そしてワイルドかつスマートにだ。
そうして先へ先へと足を進めて行くと、やがて汚水が流れる音も消え失せ、洞窟は静寂を取り戻し、その代わりとばかりに鼠が歌い出し、蚯蚓は踊り、蝙蝠が飛ぶ。
しかし住めば都と言ったもので、いい加減、この環境にも慣れた俺たちといったら、時に道中で座り込み、喉を鳴らして水を飲めば、時に奴ら、虫どもの芸術的活動に対抗すべくドローンからシューベルトの楽曲を鳴らし、余裕さえ見つければ他愛もない話をして、汗ばむ顔を拭いながら、ぬかるんだ柔らかい土を踏みしめ、悪臭渦巻く洞穴を我が物顔で歩くようにまでなっていた。
ここまでくると、気分はすっかり考古学者かトレジャーハンターってとこさ。
この現実感のないダンジョンを進むに当たり、高揚していく冒険心を台無しにするたった一つのものがあるとすれば、ここには秘宝もなければミイラもいないって事くらいだった。
どれくらい時間が経ったのかな。
俺たちが時間を確認するのも億劫になり、また、気にも留めなくなった頃、幾分か冷たい風が頬を撫でるのに気付いた俺は、目を凝らして前を見据えた。
そこには無機質な灰色の人工物が見えた。コンクリートだ。
「おい、お下劣女。久しぶりに人間界に出られるみたいだぞ」
俺は振り返りもせず、後ろにいるお下劣女へと明るい声を上げた。
「それはありがたいね。まだ最初の直線をクリアしたに過ぎないけれど、めでたい事ではある。麦酒のぶっかけ合いでもしようか、弦次郎くん」
徐々に広くなる空間の中、俺たちは足取りも軽く進む。
そこには、三メートル程の高さを持つコンクリートが聳え立っており、上を見上げれば洞窟部分へと入る以前に歩いていた水路が広がっているのがわかった。
俺は先へと進むのを阻むようにしているコンクリートをぺたぺたと触ると、上へと昇るための物を探す。
周囲には簡素な金属梯子のような物が見つかったが、既に錆びきり、半壊していると言ってもいいそれは、やはり使えそうもない。
「弦次郎くん、ちょっと屈んで」
「はぁ?」
壁際にいる俺は、素っ頓狂な声を上げながらも言われた通りに屈む。
それと同時にお下劣女は駆け出し、飛ぶと、あっと言う間に俺の両肩に足を乗せて立っていた。
「まるで獣のような動きだな、相棒」
薄く笑ってそのまま姿勢を正すと、お下劣女は猿か何かのように軽やかな動きで難なく上へと辿り着く。
そしてその横に、いつの間にか何の苦もなく上へと到達していたドローンが持つ荷物を漁り出したお下劣女はロープを取り出すと、俺の方へと投げた。
放られたロープを握り締める俺は力を込めると一息に登りきる。
途中、一瞬だけロープはどこに固定したのかな、なんて思ったが、それは登りきると同時にわかった。
上へと着いた俺の視界に入ったものと言ったら、高所を物ともせず、どんな悪臭にもポーカーフェイスを貫き通す高性能執事こと、ドローン様に巻き付けられていたからだ。
※※※
「なあ、初めっからドローンに掴まって飛んで行けば良かったんじゃねえのか」
俺は久しぶりのコンクリートに座り込みながら言った。
「弦次郎くんはドローンを使った事がないのかい。こいつら配達用ドローンは安全配慮のため、人を運ぶ事はしない。飛行中、強引に掴んでくる人間の手の体温を検知した時は、その場で速やかに航行停止した後、ゆっくりと地に降り立つように出来ている」
「何だよ、そりゃあ。不便なもんだな」
「配達用ドローンが当たり前のように飛び交うようになった昔、盗人やら度胸試しの一興やらにドローンへと飛びついた愚か者が大勢いたからね。もうずっと前の事だけど」
「まあそういう事もあるかもしれないな。しかし、人を掴んで飛べた方が便利だ」
「もちろん救急用には、そういう型もあるよ。だが、一般人にその手の物は回らない」
「何でだよ」
「弦次郎くん、君ねぇ。簡単に人を掴んで航行出来るような物が市場に溢れていたら、悪用されるに決まっているでしょ。使い方によっては、人攫いの道具にだって成り得るんだからね」
「ちっ、教師みたいに偉そうな弁を垂れやがって。しかしお前は、そんなクソ真面目そうな決まりとか大昔の事までよく知っているな」
「社会や歴史の授業で習うと思うけどね」
お下劣女は呆れたような顔をして言うと、荷物を漁り始め、缶を取り出す。
「学校で習う勉強なんて忘れちまった」
「そうだろうね」
直後、投げ渡された缶ビールを手に取った俺は、その半分ほどを一息に飲む。
それから煙草に火を点けて煙を二、三度吐き出していると、正面に座り込むお下劣女は俺の目を真っ直ぐに見ながら口を開いた。
「ねえ、勉強嫌いの弦次郎くん。君は妖精というものを、どれだけ知っている?知っていて当たり前のドローンの事を知らない弦次郎くんでも、知る必要のない知識なら持っているんじゃない?」
「ちっ、嫌味な言い方しやがって」
お下劣女は髪をかき上げ、ビールをがぶりと飲む。全く、女だてらにいい飲みっぷりじゃねえか。
「大して知りやしねえが、妖精って言ったら羽の生えた身体で空を飛び回るファンタジック極まる精霊だ。その可愛らしさは、もはや伝説とも言える」
「あながち間違ってはいないけれどね。美化されすぎているとも言える」
「まるで見てきたみたいな言い方だな」
「あたしはそのレジェンドを調べたんだよ。古くから伝わる伝説、民間伝承を集め、深く研究してみれば奴らが可愛らしいだけの存在ではなく、人にとって巨大な害悪をもたらす一面を持つ事は調べれば誰でもわかる」
「それくらいなら俺も知ってるぜ。妖精は純粋ゆえに悪戯好きって話だろう」
軽く返す俺だったが、お下劣女は意味深な笑みを浮かべて言う。
「その悪戯ってやつが人間にとっても他愛ない悪戯であるならば、それは可愛らしいだろうがね」
「違うのかよ?」
「違うというか、人と妖精の認識の相違だね。まあ弦次郎くんも東京フェアリーランドへ辿り着く事が出来ればわかるよ。もっとも、本当に妖精がいればの話にはなるけれど」
俺は残り少ない麦酒を豪快に飲み干してから言った。
「確かにフェアリーランドに入れた奴らが本物の妖精を見たと言っているだけで確証はないがな。それでも俺は信じるぜ。だって、あの渋滞をお前も見てきただろう?幾らこんな人口過多っていう世の中でも、まず見る事のない酷さだ」
「……信じるんだね」
俺が空っぽになった缶をコンクリートに叩き付けるように置くと、お下劣女は口元だけを緩ませ、その目を鋭く光らせながら呟いていた。
「信じる心は大切だよね」
こいつはいつも唐突に謎めいた雰囲気を出し始める。
きっと、このお下劣女にも、どうしても東京フェアリーランドへ行きたい何かがあるのだろうと俺は思ったが、女の過去をいちいち暴き立てようとするのはやめておいた。
いずれにしても、妖精に会えるかどうかなんて辿り着いてみればわかる事なのだ――
俺は寝そべり、素晴らしいポエムのアイデアでも捻り出してやろうとしている内に眠っていた。




