旅立
人生はいつも、数奇な出会いと悲壮な別れに満ちている。
出会う奴、別れる奴には良い奴も悪い奴もいる。
そして残念ながら、時に俺たちは悪い奴に出会う事もあるだろう。
だが、出会う奴の全てが良い奴だったら、俺たちはきっと、その中で悪い奴を探してしまうだろうし、逆に出会う奴の全てが悪い奴だったなら、俺たちはきっと、その中でもマシな奴、気の合う奴を探して付き合っていくのだろう。
柄にもなくセンチメンタルな気分になった時、俺の頭の中にはこんな浮ついた考えがちらついてしまう。
もっとも、口に出すような真似はしないけどな。せっかくの偉大な旅路の軌跡だ。書くだけなら良しとしよう。
「おい、お下劣女。何だ、その大荷物はよ」
明くる日の事、俺たちは長く付き合ってきた愛しい相棒、その名も車どのに煌びやかなメッセージを書いた旗を掲げ、新しい旅路へと出立しようとしていた。
メッセージの内容としては、まあ色々書いたんだけど、早い話が【ギブアップします】っていう内容の敗北宣言だ。
お下劣女の方は、よくわからない涙を堪えるようなヘンテコな絵文字のマークを書いた上に【ぴえん】と、これまたよくわからない文字を書いていたが、俺はあえてそれに突っ込む事はしなかった。
「何だい、この絵文字マークの事が知りたいのかい。これは百年以上も前に流行した悲しみを訴えるマーク、ぴえんくんだよ。ほうら、可愛く書けただろう」
「その妙な絵文字の事じゃねえよ、その派手な大荷物だ!」
「弦次郎くんにはアートがわからないようだね」
「お前こそ芸術を解していないだろうが!」
言い合いながらも俺たちは車から離れる。
すると、周辺で歓喜と破壊の衝動に目を光らせる渋滞民族たちが一斉に駆け出して来て、笑いながら車両破壊を楽しみ始めた。
その盛り上がり方と言ったら、俺たちの後ろにいた車の運転手、あの危険極まりないボウガン親父さえもボウガンを捨てて破壊に勤しむ程だ。
あの野郎、普段はこういう祭りには参加しないってのに、俺の車相手だとこの豹変ぶりなんだぜ。本当に最後まで無礼な奴だったよ。
俺はどこか、遠い目をして自分の車が破壊されていく様を眺めていた。
「そうそう。荷物の事だったね」
気まぐれなお下劣女が今頃になって話を戻す。
「昨日、弦次郎くんから面白そうな情報を聞いたと同時に、あたしは下水道を渡る準備を進めていたんだ。それこそ命懸けの冒険に対し得る完璧にして周到な準備をね」
お下劣女は自分の頭上を飛ぶ丸っこいドローンが掴んでいる超大型テレビでも入っていそうな箱やら巨大バックバックの方を指し示して言った。
「またドローン買ったのかよ。しかも荷物持ちにしようとはな。全く、大した執事様を雇ったもんだ。それに、俺たちは下水道をただ歩いて行くだけだっていうのに、命懸けってのも大袈裟がすぎるな」
「弦次郎くんは下水道というものを知らないらしいねぇ。あまり下水道を舐めない方がいい。ことによると、あたしたちの墓場にもなり得るかもしれないよ。あそこは素人の立ち入れるような甘い場所ではないのだから」
確かに距離はある。歴戦のマラソン選手が走らされたなら怒って途中で引き返すくらいの距離を歩く事にはなるだろう。だが、死ぬような事はないはずだ。
何より俺は、その辺のつまらない奴より百倍も二百倍もタフでハードな男なんだからな。
そんな強者の俺からすれば尻込みどころか、むしろ興奮するような話だ。
※※※
「弦次郎!」
後ろから放たれるチャーミングなボイスに振り返る。
綺羅星ちゃんだ。そのすぐ後ろには流星もいる。
大きな鞄を抱えて慌てるように駆ける彼女は俺の元へと着くと言った。
「ね、気を付けて行くんだよ。きっと鼠とか虫とか一杯いるだろうけど、変な物食べたら絶対に駄目だよ。私、車に積んである使えそうな物、色々持って来たから持って行ってよ。ほら、ティッシュに除菌スプレー、缶詰と、それから汚水がたくさん流れてるだろうから長靴!それと、それと……」
口を止めてしまったら世界が終わってしまうかのように勢い込んで言う彼女。
俺の身を案じてはよく動くその口に、俺はそっと愛でるように優しく指を当てて返す。
「おいおい、そんな顔するなよ。今生の別れじゃあるまいし、せっかくの美少女が台無しだぜ」
塞がれた口に、彼女はそっと目を閉じる。
けれど、去って行く男が残していく女のためにこれ以上、出来る事なんてあるはずもない。
だから俺は彼女の唇をそっと撫でる事に終始させ、その代わりに言ってやったんだ。
「成人するまでに俺を捕まえてみな、綺羅星ちゃん。その時は俺も覚悟を決めてやるぜ」
「弦次郎のドケチ」
それから俺は、目を開けて不満げに漏らす綺羅星ちゃんの後ろにいる雄餓鬼の元へと近付き、その肩を軽く叩いてから一言だけ告げた。
「よう、流星。牛野郎のとこでのお前の格好良い姿は、俺の伝記物語にしっかりと記しておいてやるからな。せいぜい強くなっておけよ」
俺の有難い言葉を受けた流星は、何言ってるんだこいつ、みたいな顔を浮かべるが、まあ皆まで言わずともいい。あの雄餓鬼にもいずれ、俺の言った意味がわかる日も来るだろうからな。
姉弟に背を向けた俺は、いよいよあのマンホールがある吹き溜まりを目指し、歩を進める。
脇に控えるはお下劣女。その頭上には空飛ぶ執事こと、ドローン。
そして後ろから聞こえるは美少女が張り上げる声。
「弦次郎!私は絶対に、あなたを捕まえてみせるからね!弦次郎は私の事を子供扱いしてるんだろうけど、女の執念を甘く見ると下水道よりも怖い事になるんだから。絶対に、絶対に生きてフェアリーランドへ辿り着いてよね、弦次郎!」
女の執念を甘く見るものではないときたか、綺羅星ちゃん。
それが本当ならば、先に広がる未来も楽しみってもんだ。
何だか可笑しくなってきちまった俺は、涙が出るくらい笑いながら下水道へと歩き去った。
彼女の声は、いつまでも俺の頭の中で木霊していた。




