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人の山、車の海

 まるで宇宙の果てまで続いているかのように思われる舗装された道路。

 飾り気の無いアスファルトを埋め尽くす車たち。

 空には配達用ドローンが飛び交い、地には人の群れが行き交い、人と人の僅かな隙間からは疲れ切った顔を隠そうともせずに動く警官たち。

 怪しげな売人どもは食料からガソリンまで引っ提げては道路上を右往左往し、動きもしない鉄の箱と化した車の中で暇潰しに興じる運転手たちへと商談を持ちかける。


 どうやら今日の売り物は冷えた麦酒ビールらしい。お値段は一本一万円だ。

 つい先日、ハンバーガーを二万円で売っていた売人が怒り狂う運転手軍団に袋叩きにされちまったからか、あれでも値段を勉強してきたつもりなのだろう。

 善良で財布の紐が固い日本人の諸君から見れば、ぼったくりにしか見えないだろうが、俺たちの置かれている環境下では、麦酒が一万円なのはまだ安い方である。

 こんな頭のおかしい渋滞へと突っ込んだ自分へのご褒美としてはな。


「先に言っておくけれど、麦酒一本に一万円なんて絶対に払わないからね」


 運転席から物欲しそうな視線で外を見る俺に気付いたのか助手席に座る女が口を尖らせた。


「だが、この間は二万円だった。最近の値段の変動を見る限り、俺は今が底値だと思うんだよ。それに、もう二週間も酒を飲んでない」


「底値な訳ないだろう。今日売れなかったら、また大きく下げるに決まっている。たかがアルコールに大枚叩いていては財産根こそぎ奪われてフェアリーランドへ着く頃には素っ裸になるよ」


 遠回しに麦酒を所望する俺の願いは同乗者の女に光の速さで却下される。しかも辛辣な嫌味付きときたもんだ。

 全く、この女ときたら、顔はまあまあ良い方なのに、相も変わらず口の方は悪い女である。

 そんな事だから嫁の貰い手もなく、この渋滞の中に骨を埋める事になるんだ。

 軽く舌打ちをする俺であったが、耳ざといこの女はそれを聞き逃さない。


「何だい、弦次郎くん。何か文句でも言いたそうな顔してるね。お姉さんに言ってみなよ、ほら。今ならビンタ一発で済ませてやるからさ」


「殴る前提なのかよ!それじゃあ交渉にもなってねぇ!」


 乱暴女はいっそ、爽やかなまでの笑みを見せると強烈なビンタが飛び、俺はそれを顔面で受け止める事となった。



※※※



「ところで弦次郎くん。あたしたちがこうして列へと並んでからもうどれくらいになったっけ。もう十年くらいは経ったかな」


「またその質問かよ。お前は定期的にその下らない質問をするな。いい加減にカレンダーの使い方くらい覚えたらどうなんだよ」


 ひりひりと痛む頬を抑えて言う俺であったが、この女はそんな情けない姿には目もくれず、はだけたシャツから自慢の巨乳を団扇で仰いでいる。

 本当に下品な女だと思うが、目の保養にはなるので横目でそいつを窺いながらも俺は答えた。


「もう一年は過ぎちまったよ。俺もはっきりとは覚えていないが、一年と二か月くらいは経ってるんじゃないのか」


「何だい、もう一年以上も経過していたのか。せっかくこんな渋滞戦争へと挑んでいるのだから、一周年記念日にはちょっと贅沢でもしてやろうと思っていたのだがな」


「何が記念日だよ。一丁前に女みたいな事言うんじゃねぇ。そんな残念な記念日があるものか。そんな事より、お前は来年までにはカレンダーの使い方を覚えろ。そうすれば少なくとも二周年記念日とやらは見逃す事はない」


「弦次郎くんこそよく言うね。さっきからあたしの豊満にして豊潤を司るような胸に視線が釘付けにしている癖に、あたしを男扱いしようとは笑止千万だよ」


「何だよ。男の本能に付け込みやがって、この端女はしためが。巨乳で男の目を引く事は出来ても、俺のこの心ばかりは釣り上げる事は叶わんぞ」


「はいはい。で、こんな調子で本当に着くのかね。東京フェアリーランド」


「それこそ愚問だぜ。何しろ前へと進んでるんだ、いつかは着くだろう。こうやって止まる事はあっても前進し続ければ、いずれは辿り着く。人生と一緒だ」


「まるで学校の先生が進路相談に先立って用意しておいたマニュアルみたいな面白くない答えだね。これからは弦次郎先生とでも呼んでやろうか」


 不敵に笑う女は、こうなったら十年でも二十年でも渋滞を戦ってやると息巻き、おもむろにドアを開けると更に下品な言葉を吐き捨てて外へ出ていく。


「ちょっと、クソでもしてくるわ」


 なんて下品で下劣な女なんだ。

 一人、車の海へと残された俺は日課でもやっておこうとハンドルもそっちのけにして手記を取り出した。



※※※



 時は20XX年、某月某日。

 人口爆発の極致を迎えた我が国は、国土の狭さも手伝ってか、その交通量は類を見ない程に膨らみ、田舎から都会まで二十四時間、絶え間なく大渋滞を起こし続けるようになった。

 それが一体どれくらいの交通量なのか、具体的に表すと現在の日本人の出勤及び帰宅に要する平均時間は、片道六時間ほどにまでなっている。

 しかしそれでも人は皆、車を愛し、車を友とし、恋人とし、生涯を共にするパートナーとして人生を共にしていた。だからこそ、この惨状だ。

 まあ車を愛するってのは人の本能と言っても差し支えないものであるから、それ自体は仕方のない事なのだが、今度の渋滞に限っては、比類なきものであり、歴史的とも言えた。


 一体どうしてここまでの渋滞が起こってしまったのか。

 振り返ってみれば、あれは一年と四、五カ月くらい前の事であった。

 ある晴れたその日の朝、増えすぎた人口が爆発ビッグバンでも起こしそうな、この渋滞天国・日本において、一大ニュースが駆け巡り、それは当然、日本人であり、日本に居住している俺の耳にも入ってきた。

 ニュースの内容としては、あの超人気テーマパークであり、入場には非常に多くの金を必要とする【東京フェアリーランド】の無料開放だ。


 その日、朝っぱらからスルメイカと麦酒を片手にテレビに齧りついていた俺は、その内容に驚いたあまり、つい物理的にテレビに齧りついてみようかとも思っちまったよ。

 何しろ、世界長者番付にもランクインしているフェアリーランド経営のトップであるジョージ・マッケンスキーが朝からテレビで会見を開いて本物の妖精が見れるって噂の東京フェアリーランドを無料開放するってよ、得意満面ドヤガオに発表してるんだぜ。


 ここ最近、色々あって暇を持て余し、流行りのレトロなゲームに夢中になって、つい先日、隠しキャラである妖精を仲間に加え、その愛くるしさに一夜で最強キャラまで鍛え上げていた俺としては、この天命としか思えないタイミングに電撃が走ったね。こいつは行くしかないって思った。

 だって、そこへ行けば本物の妖精が見られるんだぜ?

 きっと俺じゃなくたって、行くしかないって思うだろう。だからこんな渋滞になっている。

 そんな訳で、まるで麻薬クスリでもキメたみたいに興奮しちまった俺は、てんやわんやの内に渋滞戦争へと参戦して早、一年と数カ月って訳さ。


 ついでに言えば今現在、旅を共にしている品性下劣な女も、どうしてもフェアリーランドへ行きたいって言うもんで、寛大な俺が道中で拾ってやったんだが、全くこんなに下劣な女だったとは思わなかったよ。

 女が色気を使って男の車に乗り込むってのは決して珍しい話でもないが、そうまでしてもフェアリーランドへ行きたいとは、あのお下劣女もすっかり愛くるしい妖精の虜って所なんだろうな。


 俺はペンを片手にほとんど殴り書く形で珈琲臭いノートへと伝記文を書く。

 こういうのは勢いが全てだ。書ける時に書いちまわないと自分が何を書きたかったのかも忘れちまうもんだから、急ぐようにして思いの丈を書き綴る。

 いよいよ筆が乗ってきたって思った所で助手席のドアが開き、現れた品のない女が口を開いた。


「弦次郎くん、あのさぁ――」


「何だよ。用足しの体験談なら話さなくてもいいぞ。気分が悪くなるし、そういう知りたくもない女の現実リアルを俺は書くつもりはないからな」


 品性下劣な巨乳女が車に乗り込むと、助手席側のドアが閉まる音がするが、偉大なる筆力を如何なく発揮し始めた俺は脇目も振らずに指を動かす。


「そうじゃなくって。弦次郎くん、車」


「弦次郎じゃねぇ。今後、俺の事は和製ジュール・ヴェルヌと呼べ。代表作は今の所、渋滞列島だ」


 面倒臭さを隠すばかりか、露骨に表現してやった俺が切り返すと、このお下劣女は若干、呆れたような顔をして言った。


「車、動いてる」


 なんだと?

 その声にペンを放り出して前を見てみると久方ぶりに前の車が動いている。

 それも八メートル程は前進してやがる。こいつは運がいい。

 慌てた俺はアクセルを踏み込み、車を詰めながら言う。


「おいおい、いつの間に動いてるんだよ。それも八メートルくらい動いてるぜ。奇跡的な前進じゃねぇか。もっと早く言えよな、この端女が」


「端女で結構。花のように可憐に、慎ましく生きるくらいだったら、夢を掲げていつでも死ぬよ、あたしは。それより危なかったね、弦次郎くん。後ろの車の運転手、あたしらが全然動かないものだから悪鬼羅刹のような顔をしてボウガンを構えてたよ」


「またあのボウガン親父かよ!撃たれる所だったじゃねえか!」


 無事に八メートルほどを進んだ俺は、ひやりとして唾が飛ぶのも構わず叫んだ。


「心配しなくても大丈夫だ。射撃というものは人が考える以上に難しい。あのボウガン親父が本当に撃ってきたとしても命中する確率は極めて低いというものだよ」


「どっちにしても撃たれたら問題だってんだよ!」


 声を上げながらも後方にいる車の運転手、ボウガン親父をミラー越しに覗き見ると、奴は一転して菩薩のような顔を浮かべている。

 俺はその姿に胸を撫で下ろすと同時に、この二面性こそが人の本質なんだろうなって、悟りにも似た境地に達していた。

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