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中山裕介シリーズ第2弾

――発生――


八月上旬の金曜日。十四時三十分。

東京都府中市にある、消費者金融会社<プランユース府中支店>が入るビルの車庫内では、二人の警備員によって現金輸送車からジュラルミンケースが降ろされていた。

次々に台車に載せられるケース。

その時、背後から二人組の男が近付いて来る。

「お疲れ様です」

一人が鼻に掛かった裏声のような声で挨拶した。

警備員は手を止め二人を見ると、二人共帽子を目深に被りマスクをしている。その姿に警備員は一瞬不審に思うが、服装が自分達と同じ制服だった為、看過してしまう。

「これ、三階の支店までお願いします」

そう言って作業を再開した刹那――

『ビリビリビリーーッ!!』

「あーーっ!!」

静かな庫内に作業をしていた二人の呻き声が木霊した。背中に衝撃が走り、二人共気を失う。

マスクをした二人の手にはスタンガンが握られている。

二人は無言で早急にジュラルミンケースを輸送車に戻すと、エンジンを掛け平然と走り去った。



同日。東京・港区内――

「私、彼の子供を妊娠しているんです」

「えーーっ!!」

Fスタジオの観客百人は大絶叫した。

ここは青山にある、在京キー局が所有するスタジオ。

Fスタジオではオレも構成で携わっている、春からスタートした深夜番組『クイズ女神のBoth Eyes』の収録が行なわれている。

番組内容は、一般から公募した裁判を起こすまでには行かないが慰謝料は欲しいという人がスタジオに登場し、自分がどれだけ苦痛を受けたかを訴える。  

その後、番組の独自調査、本当にその訴えは公平なのかをVTRなどを使って検証し、最後にスタジオに集まった男女百人(五○・五○)に同情出来るかアンケートをする。

同情票ゼロの場合は即終了。一人でもいればクイズに挑戦し慰謝料獲得を目指すというもの。

今回は仕事のプロジェクトでパートナーを組んでいた男性と恋仲となり、結婚まで約束していたけど、プロジェクト解散と同時に捨てられたと訴える二三歳の女性が登場。

一見すれば同情に値するのだが、こっちの調べによるとこの女性、中々の曲者だった。

「妊娠するような関係まで行ってたんだ?」

MCの人気お笑いコンビ、ルームの本木は目を丸くしている。

「(関係は)ありました」

「中絶とかは考えてないの」

番組では「女神」と称される女優、水川美沙が問い掛ける。

「それは全く考えてないです」

「一件落着っていうような良い結果ではないけど、このままの状態よりかはそれも一つの手だとは思うよ」

 本木は優しい口振りで説得するが、

「絶対生みます! 彼が自分の子と認めないなら、名前は「デラックス」か「マングローブ」にしようかなって思っています」

「ハハハハハッ!」

女性は全くもって頑な。

「それは・・・・・・」

「生まれて来る子がかわいそ過ぎるよ」

本木も水川も苦笑するしかない。

ここでスタジオは暗転となり、『オペラ座の怪人』のテーマ『ファントム・オブ・ジ・オペラ』に合わせ、ドラキュラのような恰好をした本木の相方、津田が不敵な笑みを浮かべてスタジオに入って来る。

「いやあ、聞かせて貰いましたよ、今までの話」

「四ヶ月遣ってもやっぱクサいねえ」

呆れ顔の本木の突っ込みに観客から笑いが起こった。

「お嬢さん、あなた嘘を付いちゃあいけませんよ」

津田は鋭い視線で指摘し、それまで余裕の表情だった女性の顔が一瞬で曇る。心当たりがあっての反応だ。

「嘘って、まさか妊娠が!?」

 水川は驚愕している。

「そうです。そのまさか!」

この言葉に観客はざわつく。

「彼女に事前に了解を得ておしっこを妊娠検査薬に掛けました。すると結果は、陰性」

「えーーっ!」

 と観客。本当に驚愕している者もいるのだろうが、最近の観客は何か演技っぽさもある。

「そうなの!?」

 本木も目を丸くしているが、スタッフから見れば態とらしい。「演出」ではあるのだが。

「妊娠の事を説明する前に、相手の男性にインタビューしていますので、そちらをご覧ください」

スタジオが落ち着かないままVが流れ始めた。Vの男性の顔はモザイク処理され声も加工されている。

『Q女性とは結婚の約束をしていたのですか?

「いえ、そういう事は全くありません。只の仕事のパートナー、仲間としての付き合いです」

Q彼女は妊娠したと言っていますが?

「それを聞いた時・・・・・・僕も動転して意味が分かりませんでした」

Q彼女が妊娠するような行為はあったのですか?

「一度もないんです。本当に仕事上の付き合いでしかありませんでしたから」』。

尚もスタジオがざわついた状態でVは終わった。

「っという事です」

明るみになった真実に、観客の中には落胆の雰囲気も流れる。

「片思いだったって事だよね・・・・・・」

 水川は何処となく切ない表情。

「うーん。でもつわりとか、妊娠の症状はある訳でしょ」

本木の問い掛けに女性は無言で頷く。

「そこなんです。何故症状があるのか、医師に問合せました所、彼女は想像妊娠の可能性が高いとの事でした。想像妊娠はどういう人がなり易いのかというと、妊娠を強く望んでいる人、又は妊娠を恐れている神経質な人がなり易いそうです」

「なるほどねえ。好意を持ってたんなら、食事に誘うとかそういう事から始めれば良かったね」

 本木も複雑そうな表情。

スタジオが静まり返る中、彼女は五人の賛同者を得てクイズに挑戦したが、残念ながら不正解。でも最後は笑顔になった。

オレはその様子をサブ(副調整室)で観ていたが、彼女の笑顔には安心した。

気の毒な気持ちもあるが、この番組の方針は双方の意見を照らし合わせ、一方的な見方に偏重させない事だ。

この番組、出場者によっては人生の悲哀、人間の身勝手さをまざまざと感じさせられる。そこにクイズというゲームを加える事で、人間の欠点、運の悪かった自分を笑い飛ばして貰いたいという裏のテーマもあるのだが――



収録が終わって二十一時過ぎに、スタジオから歩いて約ニ十分の南青山の放送作家事務所<マウンテンビュー>に戻った。

入って直ぐの休憩エリアに目をやると、坂木舞社長と二人の先輩作家がテレビにかじり付いている。

「今日の昼、強盗事件があったんだってよ」

目が合うなり社長に言われ、近付いてテレビを覗き込む。

『――事件が起きたのはプランユース府中支店が入るビルの車庫内で、男性警備員二人が現金輸送車から現金の入ったジュラルミンケースを降ろしていた所、近付いて来た警備員姿の男二人に、突然背後からスタンガンのような物を押し当てられたとの事です。犯人の二人は警備員が気を失っている間に、現金約五億円と輸送車を奪ってその場から逃走しました。その後目を覚ました警備員の一人が警察に通報。二人には命に別状はないとの事です。警視庁の調べによりますと、事件当時車庫のシャッターは閉っていたとの事で、警視庁はビルの構造と現金が輸送される内部事情に熟知した者の犯行と見て、逃げた二人の行方を追っています――』

「ふーん・・・・・・」

「何だよお前?」

坂木社長に笑いながら突っ込まれた。

坂木舞社長。性別は女だが、言葉、服装、仕草は男。所謂トランスジェンダー。だからオレを含め作家や事務スタッフは、「男性」として接しています――

「そんな簡単に盗めるものかなーって思ったんで」

「まあ警備体制に不備はあったんだろうな。でもよお、五億円奪った所で番号で足が付くから使えねえだろうに」

「通報したのは襲われた警備員じゃなくて別人だってよ。妙に落ち着いた声で犯人からじゃないかって話が出てる」

報道とは違う内容。ワイドショーの構成を担当している先輩が微笑を浮かべている。

「警察への挑戦状っか。逮捕が遅れれば警察の恥だもんな」

社長は哀れに感じたような表情で腕を組んだ。

「府中っていえば三億円事件もあったよね? また迷宮入りしなきゃ良いけど」

もう一人の先輩が溜息交じりに言う。

「今の時代それはないだろう。警察もプライド高いから」

社長はそう言うと自販機の方へ向かった。

その時、後ろから肩を叩かれたので振り返ると、先輩の陣内美貴さんがいた。オレが作家見習いだった頃、陣内さんは教育係を担当してくれた。

事務所によって違うが、うちの事務所のように教育係が付く者。早くに独り立ちする者もいれば、先輩作家のサポートに就く者もいて、ケースバイケースだ。

「っお! いつの間に」

「三億円事件って、あの白バイ隊員が犯人の事件だよね?」

「そうです。一九六八年の十二月に白バイ隊員に変装した男が、府中市で大手電機メーカーの社員達のボーナス三億円を奪ったんです。捜査員は十万人以上が動員されて、九億円以上の費用が投じられましたけど、七年後に時効が成立して戦後の犯罪史上に残る迷宮事件っていわれてます」

「へえ、そうだったんだあ・・・・・・」

陣内さんは気に留める様子は全くなく、オフィスエリアの中に入って行く。

興味ねえなら訊くなよ!

オレもデスクに戻ってホン(台本)を書かなくてはいけない。



八月中旬の木曜日。陣内さんと共に構成を担当している、横浜にある特定地上基幹放送事業者(キー局のネットワークに属していない放送局)の音楽番組の構成会議が終わった時だった。

「中山君、社長から話があるそうだから、早く事務所に帰るよ」

陣内さんはそう言うとオレの左腕を摑む。

また急な仕事を頼まれるな――

直感で推測し、気に病みながら急いで東急東横線に乗り二十時過ぎに事務所に到着。  

オフィスエリアに入ると社長一人だけ。何かが起こる「演出」には持って来いだ。

「ただいま帰りましたあ」

オレの気分とは対照的に、陣内さんの声は弾んだ事――

「おうユースケ! お前、夕起さんと仲良いんだったよな」

社長から唐突に訊かれ、

「まあ、数少ない友達の一人ですけど・・・・・・」

じれったく思いながら答えた。

夕起。本名は渋谷文夏しぶたに あやか。人気風俗嬢から人気小説家に華麗な転身を遂げられたお方。処女作は五万部を売上て、作家デビュー直後から情報番組にコメンテーターとして出演するなど、メディアへの露出度は高い。

初めて会ったのはオレが十七歳の時。オレが通っていた定時制高校に、当時はまだ風俗嬢だった夕起さんが入学して来たのだ。

オレが作家に成れたのも、夕起さんが友人の陣内さんを紹介してくれた事がきっかけ。オレが「放送作家に成りたい」と相談した時、オレは企画書一枚持参していなかった。

夕起さんは「これでは駄目だ」と思ったのだろう、曾て自分が勤務していた風俗店の個室待機室にオレを「監禁」。「放送作家に成りたいのなら、ここで企画書を書け」と命令された。

オレは言われるがまま、個室に籠って企画書を書きまくった……でもなかったが、一定の努力は認めてくれて、陣内さんを紹介してくれ、陣内さんも熱意は認めてくれて坂木社長にオレを紹介。晴れて<マウンテンビュー>に所属する事が出来たのである。

オレにとっては友人でもあり大恩人でもある。

「夕起さん絡みの仕事ですか?」

「分かって来たなあ。陣内が来月の『Yuu Yuu』のロケに、他の仕事でどうしても同行出来ないんだよ」

「それで、中山君しかいないって話になったの」

陣内さんは不気味ににっこり。

「・・・・・・いつからですか?」

「来月下旬から二泊三日になる予定だね」

尚もにっこりの陣内さん――

「でもあの番組に参加するって事は、オレが進行ですか?」

「まあ深く考えずに経験だと思って遣ってみろよ。夕起さんもお前なら良いって言ってくれてるみたいだしさ」

社長もにっこり――今は二人の笑顔を圧力にしか感じない。

『Yuu Yuu』は東京の特定地上基幹放送事業者、T―Visionで毎週木曜日の二三時半から放送されている三十分番組で、夕起さんの冠番組だ。

アシスタント兼進行を陣内さんが担当し、夕起さんが芸能人や文化人といった様々な人と対談したり、回によってはロケに出る事もある。

タイトルは夕起の夕と悠々自適の「悠々」がない交ぜになっていて、「夕起が自然体でお送りする番組」という意味なのだとか。

お鉢が回って来たという事は、いつもは陣内さんが遣っている役をオレが担当する訳で――

返事を返さないでいると、陣内さんが『パン!』と拍手を打った。

「ほら、また消極的!」

陣内さんが発破を掛ける。何の仕事にしてもそう。気に病む所から入るのがオレの悪い性分。それを陣内さんは気に掛けてくれている。

「多部君とも仲が良いんだろ? 彼もお前をご指名だよ」

社長の言葉で思い出した。

番組ディレクターの多部亮は制作会社<ワークベース>の社員。オレより一つ上で業界歴も先輩。でも何故か初めて会った時から「多部」と呼び捨てしていた。

クラブや合コンで女性と触れ合うのが趣味みたいな男で、一部業界人には「チャラ男D」と呼ばれている。

以前、別の番組で一緒になってから親しくなり、今では多部が手掛けるネット配信番組の構成や、ナレーション原稿(ナレ原)を書いてくれと直々に頼まれたりする。プライベートでもたまに酒を飲む仲だ。

多部からはまだ連絡は来ていないが、そこまで言われたら……。

「・・・・・・分かりました。遣ってみます」

二人は「その言葉を待ってた!」というような満足気な顔になり、社長は『パチン!』と爪弾きした。

たとえ渋っても最後は承諾する。これ、この業界の不文律――



「今回は始めっから事務所通しやがって!」

「だって社長から言われなかったら今回は断わられると思ったからさ」

「そりゃそうだろ。画面に映るのも初めてなのに、尚且つ進行しなきゃいけないんだぞ!」

生中が三杯目に入り、思わず愚痴ってしまう。

作家の仕事のオファーは、こちらもケースバイケースだが、今回のように制作会社から来る場合、放送局から、番組サイドから来る場合もあり、決まった通例がない。

九月上旬の火曜日。

『Yuu Yuu』の出演を引き受けたその日に多部に電話を入れ、二人の時間が合う今日、打ち合わせも兼ねて居酒屋で飲む事になった。

「もう企画は煮詰まってるから。お前は出演してくれるだけで良いよ」

「何遣るんだよ?」

「『風俗クエスト』大阪編」

多部は「知ってるだろ?」というような目を向けて来た。

「一度だけ観た事あるけど、人気風俗嬢にインタビューするやつだろ?」

「風俗嬢だけじゃなくて、キャバ嬢とかホストとか風俗全般。一回だけのつもりだったけど結構数字(視聴率)良くてさ。今じゃ表向きは店の紹介、裏テーマは夕起さんのあらゆる人となり観察の為に続けてる」

「みーんな何だかんだ言って風俗店に興味あるんだな。で、ホンはいつ貰える?」

「今週中には事務所に送るよ」

「頼んだぞ」

今日の多部はのっけから芋焼酎をロックで飲み続ける。

そろそろ始まるか?

「これ、あいつが好きだったんだよ。色白で大人しそうだけど結構毒舌でさあ。そんなあいつをガチで愛してたんだ!」

やーっぱ始まった――

この男は「チャラ男D」としか形容のしようがない。多部には嘗て交際していた彼女が好きだった酒をぐびぐび飲んでは、未練がましく回想する癖がある。この前は「レモンサワーの女」だったけど。

「でも結婚する踏ん切りが付かなかった。まだ遊びたい気持ちが優先したんだ・・・・・・」

管を巻くだけで泣きはしない。言う方も遣り切れないのだろうけど、毎度のように聞かされる方も迷惑極まりない――

「人間遊ぶ事も大事だからな。もう飲むの止めたら?」

「オレは根っからの遊び人なんだよ! 今度は梅酒頼もう」

 開き直って今度は「梅酒の女」かい……。

だが多部は、翌日にはけろりとしていやがるから、これで溜飲を下げているのだろう。

そしてまた、合コンやクラブで女性達と触れ合うのであった――



三日後の金曜日、事務所にホンが届いた。

暇を見付けては職場、うちで何度も熟読。あの番組は生放送ではないが、やっぱり読む度に緊張する。

最近は良きにつけ悪しきにつけ仕事に慣れて来て、緊張する事も少なくなっただけに、こんなに身が引き締まるのは久しぶりだ。

程好い緊張感を持ったまま、九月下旬の月曜日。出発日を迎えた。

南青山の事務所から直接品川へ向かい、十三時十九分に到着。新幹線の改札を抜けて待合室に入ると、夕起さんと多部、ADの高岡君だけが揃っていた。

「おはようございます」

「オッス! ユウ君ありがとね、急な仕事引き受けてくれて」

勝手な推測だが、夕起さんの笑顔には安心感が漂っているように見える。

「こちらこそご指名ありがとうございます」

「気心が知れてる人の方が遣り易いからね」

 やはりオレが承諾して「安心」したのか。

夕起さんとはたまにテレビ局の玄関でばったり会って立ち話をするが、一緒に仕事をするのは初めてだ。

オレより三つ上なのだが、初めて会った時から見た目も雰囲気も変わらない人。だからオレも自然と高校時代のノリに戻ってしまう。

「高岡君とは初めまして、ですよね?」

「はい。宜しくでーす!」

軽っ。またチャラチャラした奴に出会ってしまった。彼も多部と同じ<ワークベース>の社員。上司が上司ならその部下も……類は友を呼ぶってやつ。

だがそんな事よりも気になるのが――

「なあ、まさかスタッフはディレクターとADだけか」

小声で多部に訊く。

「ああ、照明と音声連れてく程の予算下りねえんだよ。しょうがねえから照明は固定でやって、カメラはオレが回して音声は高岡に任せる」

音声さんも連れて行けないの?

テレビ局も経費削減の波が押し寄せまくっている。強弱はあるがキー局のプライム帯(十九時から二三時)の番組でも、一千万で制作しなくてはいけないご時勢。ましてやキー局に属さない局の深夜番組なら尚更制作費は安い。

「ごめんなさい。遅くなっちゃって!」

背後から聞き慣れた女の声を聞いて、まだ始まる前なのにどっと疲れた。

「君、ほんっとに来ちゃったんだ?」

「だってディレクターさん良いって言ってくれたんでしょ?」

「この子がユースケの彼女か? 初めまして、オレがディレクターの多部。おい、良い女掴まえたなあ」

多部はにやついてオレの体を右肘で揺蕩させる。

「この子だったんだあ。ユウ君全然紹介してくんないからさ」

「紹介したってしょうがないでしょう」

「初めまして、チハルです」

にこやかにしている彼女の本名は阪井奈々。現役キャバ嬢で少し前までAVの企画女優(単体では売っていない女優)のアルバイトも兼業していたが、弟にバレて引退。

出会ったきっかけは、ピンチヒッターとして構成に参加した番組でAV女優を特集した時だった。他のスタッフと打ち合わせで撮影スタジオへ行き、撮影中の彼女にちょっといたずらをした。

捲りで覆われたパネルの後ろに全裸の女性が立ち、一般的には簡単なクイズが出題されて行く。不正解の場合は捲りが一、二枚ずつ剥がされて行き、正解数に応じてイケメンの男優、不細工、又は中年の男優とSEXをするという内容。

MC役のスタッフが、

「関ヶ原の戦いで徳川家康と対決した武将の名前は何でしょう」

とチハルに問題を出す。答えられない彼女に、オレは「小栗旬」と書いてチハルに見せた。

「そんなアホな!」という答えだが、チハルはあっさり読んで見事不正解。腹のあたりの捲りを二枚剥がされた。

これが彼女との出会い。結果的には、チハルはイケメンの男優とSEX出来たのだが、それだけ当時のチハルは「おバカキャラ」だった。

しかも、憤ったチハルは撮影終了後、「お詫びにデートに誘え!」と推測不能な要求をして来る。一応約束は果たしたが、それ以来、芳縁が続いているという訳で……。

「チハル」は源氏名だが、本名と呼び分けるのが面倒なので「チハル」と呼んでいる。

今回のロケの話をすると、

「大阪に友達のキャバ嬢がいるから一緒に行きたい!」

と吐かしやがった。当然断わったが、ディレクターに訊いてみてくれと煩いので話してみると、

「良いんじゃないか、別に」

多部はあっさりOK……。「言うんじゃなかった・・・・・・」と思った時には後の祭り――

「チハル、改めて言うけど、これ旅行じゃないから」

「分かってまーす!」

笑顔で敬礼までして。

「本当に分かってんのか?」

「良いじゃん、皆で仲良く行けば。ロケの邪魔する訳じゃないんだし」

夕起さんはオレの左肩を摩りながら宥めるような口振り。

「そうだよユースケ。お前だけだぞ、カリカリしてんのは」

多部から胸に軽い肘鉄砲を食らわせられた。

高岡君は、笑顔でこちらを窺っている。四名様の笑顔が憎らしい程輝かしい――

「はいはい・・・・・・あんた方には負けました」

この人達に一々突っ込んでいたら身が持たないと、頭の中で警告音が鳴り響く。



十四時七分発に乗車し、新大阪駅を目指す。無論指定席を購入する金はなく、夕起さん、多部、オレとチハルの順で自由席に座った。

「平日だから空いてんなあ」

「私窓側が良いなあ」

チハルは子供の様な表情を見せた。

「どうぞ・・・・・・所でよくすんなり休み貰えたな?」

「元々月曜は休みだし、欠勤するのは火曜の一日だけだから」

「あっそう・・・・・・そういや高岡君は?」

前方に目をやると、隣側の席の金髪の見知らぬ女性の隣に座り、楽しそうにお喋りをしている――

「のっけからナンパかよ・・・・・・」

「あいつ気になった女に声掛けなきゃ気が済まないらしいんだよ」

多部は諦めているようだ。っていうか、自分も同じ事を遣っているからだろう。

「発情した犬か!」

「獣だね」

軽蔑する口振りのチハルに目をやると、携帯でメール中。

「オメエだって客にメールしてんじゃねえか!」

「私はこれも仕事だもん」

「・・・・・・そうでしたね」

なーんか先が思いやられる――

「オレちょっと寝るわ」

「どうぞ」

小一時間くらい寝て喫煙ルームに入った。

流れる景色を眺めながらゆったりと一服していると、高岡君が焦った様子で入って来る。さっきまでの嬉々とした表情は消え失せ、若干青白くなった気もするが、敢えて何も訊かなかった。が――

「ユースケさん、オレ大変な奴に出くわしちゃいました」

「どうしたんだよ唐突に」

訊かざるを得なくなった。

「オレの隣に座ってる女、先月あった五億円事件の犯人ですよ」

「いきなり何を言うんだよ!?」

「声がでかいですよ!」

「・・・・・・ハー。どうしてそんな事が断言出来るの?」

「目付きです」

彼は自信満々に言う。彼の話では――



話が弾んで佳境に入り、彼女の名前はタマキ、年齢は自分より一つ下の二十歳だと知った高岡君は、

「先月五億円事件ってあったじゃん? あんな事してどうせ捕まんのにバカだよねえ」

何気なく犯人を蔑む発言。

するとそれまで笑顔だった彼女は急に真顔になり、

「犯人がどんな想いで犯行を実行したかも知らないで、軽はずみにバカなんて言わない方が良いんじゃない?」

きっと睨んで来たという。

気まずい雰囲気が流れ、彼は話題を変える。

「今日の夜中に、仲間の事貶された男が貶した男をボコボコにした傷害事件あっけど、気持ちは分かるけど暴力は良くないよねえ」

不覚にもまた「事件の話」。

「貶され方にもよるんじゃない? 仲間を大切に想う奴だったらムカつくでしょ?」

彼女は虚ろな目を遠くへやり、高岡君は何も言えなくなってしまった。



「それで、逃げて来た訳?」

「はい。間違いないですよ。オレ勘鋭いですから。狙われた金融会社に派遣で働いてた女が行方を晦ましたって報道あったじゃないですか? 絶対あの女です」

「確かにそんな報道もあったけど、それだけで犯人だって断定出来るか? 髪金髪だし」

「扮装で染めたんですよ。それに「仲間を大切に想う奴だったら」って、自分は犯人と知り合いだって言ってるようなもんじゃないですか」

「よく分かんないけど、傷害事件と五億円は関係ないじゃん」

その時ドアが開き、多部のご登場。

「何だ何だ? 二人でひそひそ話か?」

「彼勘が鋭いってほんとか?」

「何だよいきなり?」

多部にいきさつを話してみた。

「もしそれが本当だったらヤベえな。こいつの勘が鋭いかどうかはオレにも分かんねえけど」

「上司も疑ってんじゃんか」

「じゃあ本当に犯人だったら知りませんからね!」

高岡君はオレ達に食って掛かる口振り。

「えばってどうすんだよ・・・・・・」

「ならさ、確認してみようぜ。態とでかい声で犯人の事貶してみるとか」

「止めとけって。そんな事しなくても犯人捕まんの時間の問題だよ」

事件から二日後、東京西多摩郡で空の現金輸送車が発見された。警察は現金は大型の車で運び去られたと見て、事件前後にレンタカー屋で車を借りた者はいないか、都内近郊を捜査しているのだとか。

「お前も高岡の言う事信じてないんだろ?」

「そりゃそうだけど・・・・・・」

多部の提案を聞いて正直、心は「疑」から「半信半疑」に変化している。

「高岡君もこれ以上関わり合いたくないだろ?」

「オレはどっちでも良いですけど」

疑われて気分を悪くしたのだろう、すげなく突っぱねられた。

「・・・・・・もう後は警察に任せて忘れようぜ」

「だってインプットされちゃったんだもーん」

多部は頭をつつきながらにやついた。

「だもーんって・・・・・・」

ああ、こいつに言うんじゃなかった――

完全に好奇心に火を点けてしまった。メディア業界の人間は仕事柄、気に留まった事はとことんまで突き詰める。

「毛利小五郎じゃないんだからな。どうなっても知らないぞ」

「そういう例えをするなら普通コナンの方だろ。良いよ、お前は遠くから見てれば」

「勝手にしろよもう」

多部は苦笑しながら喫煙ルームを出て行く。

お前には「眠りの何とやら」の方が似付かわしいよ。



喫煙ルームにいる間に名古屋に到着していた。

席に戻ると乗客は夕起さんとチハル、それとタマキという彼女だけになっている。この状況をグッドタイミングだと思ったのだろう、多部は高岡君と共に彼女の直ぐ後ろの席に座った。

「一服長くない? 三人で仕事の話」

チハルはファッション雑誌に目を落としたまま訊く。

「ま、色々と・・・・・・」

「お互い忙しいね。ありがたい事だけど・・・・・・」

「そうだな」

チハルは雑誌、オレは多部達に目が行き、お互い上の空の会話は終了。

「五億円事件の犯人、時効まで逃げ切れると思うか?」

「多分無理でしょうね」

多部&高岡の手探り劇場の始まり――

「ねえ、急にどうしたの、あの二人?」

小型のノートパソコンで原稿を書いていた夕起さんが、オレ達の席に近付いた。

「僕は何も起こらない事を祈っています」

「五億円事件って先月あったやつでしょ?」

チハルは興味津々といった感じ。

仕方なく、オレは二人に手招きして自分に近付け、小声でいきさつを話した。

「それが本当だったらシャレになんないじゃない」

「だからオレは止めようって言いましたよ」

夕起さんは深刻な表情だが、

「何かドラマみたいだね」

チハルは飽く迄、興味津々――

「ドラマみたく面白くはねえよ」

気が気でない夕起さんとオレをよそに、

「派遣として働いてた女も今何処にいるんだろうな?」

「何か知ってんじゃないかって、警察が捜索してますよ」

「その女が五億円を持ち逃げしてるとかな?」

「凄い量になりますよ」

「どっかの廃屋に保管してるのかもしれない。犯人は何人いるか分かんねえからな」

「一人が捕まれば芋づる式ですよ。英雄になったつもりでもいるんでしょうかね?」

二人は意図的に嬉々として喋り続ける。もう傍観するしかない。

どうか只の下世話で終わりますように――

そうお祈りした刹那、それまで素知らぬ顔をしていた彼女はゆっくりと立ち上がったかと思うと、素早く踵を返し二人にバタフライナイフを突き付けた。

「あんた達いい加減にしてよね!」

「おいっ!・・・・・・」

咄嗟に立ち上がろうとしたオレは、チハルに肩を押し付けられた。顔を見ると流石にぞっとした表情に変わっている。

「やっぱあんた派遣の女か?」

高岡君の声には確信が現れている。

「ちょっとあんた立ちなさいよ!」

彼女は看破した高岡君しか見ていないようだ。

車内は『ゴーーー』と新幹線が走る音だけが響いている。全員身動き一つしない。

「何で立たなきゃいけないの」

高岡君は冷静に訊く。

「良いから!」

彼女の声も比較的冷静だが、手には確りとナイフが握られている。

高岡君が多部と目を合わせると、多部は首を左右に振った。恐らく彼女は高岡君を羽交い絞めにし、首元か胸にナイフを押し当てるつもりだ。

誰もが黙し硬直して十分は経っただろうか、

「あなたそんな事したら自分が犯人だって言ってるようなものでしょ?」

夕起さんが沈黙を破った。

彼女は夕起さんに気付いて目を丸くする。

「あんた小説家の・・・・・・って事は、あんた達マスコミの人間?」

「テレビだよ。オレ達を殺してもあんたの罪が重くなるだけだぞ」

多部はゆっくりとした口調で言う。

「私だってこんな事したくない。只あんた達の言葉が許せなかった!」

彼女が興奮し始めた。

「取り敢えずそんなの仕舞いなよ」

彼女が立つ方向に歩を進めた途端、ナイフはオレの方へ向けられた。

「ユウ君!」

夕起さんが叫ぶ。

息を呑み、背中に悪寒が走って一気に鼓動が早まる。

「あんたまだ分かんないの!?」

チハルも声を荒げた。

全身に鳥肌が立ち、息を吐く口すら震える。

「オレは殺されたって構わないよ。自分で刃に掛けなくて死ねる。逆にあんたに感謝するよ! でもな、こんな事して逃げ切れる訳ないぞ!」

震える声でもいきり立っていた。自分でも何を言っているのか理解していない。

「今捕まる訳にはいかない・・・・・・」

「逃げ切れない」の言葉が効いたのか、彼女は放心状態でナイフを下ろした。

瞬時に全身の力が抜け、側の座席にへたり込んだ。チハルがオレに近付き左肩を撫でる。「よく頑張った」という意味なのだろう。

気持ちを落ち着かせる為、リュックがある席へ戻り水のペットボトルを取り出して一口飲む。

「ユウ君?」

夕起さんが心配する顔付でオレを見る。

「飲まなきゃ遣ってらんないわよ」

「それ酒じゃねえし。何でおネエ言葉なんだよ!?」

多部の突っ込みに一同が失笑する。おどける事で少しでも緊張をほぐそうとした心境を、多部は汲み取ってくれた。

「さっき捕まる訳にはいかないって言ったけどさ、じゃあ何で新幹線に乗ってるの? ナイフまで持って」

チハルは素朴に問い掛ける。

「君も核心を衝く指摘をするね」

「だってそうじゃん。ナイフ持ってるって事は危険を感じてるって事でしょ? そこまでして乗るって、よっぽどな理由があるんじゃない?」

「・・・・・・大阪にいる兄貴に逢いに行く為・・・・・・」

「その兄貴も共犯者か?」

多部の呟きに、彼女はきっ! と多部を睨んだ。

「刺激するような事を言いなさんなって」

下ろされたとはいえ、ナイフはまだ握られている。

「ごめん。続けて」

「私、施設出身なんだけど、大阪に十歳の時に別れた兄がいるの。一目逢いたくなったから。分かるでしょ? 家族に逢いたくなる気持ち」

「それは分かるけど・・・・・・」

夕起さんは言葉を詰まらせた。気持ちは分かるが二の句が継げない。皆も同じらしい。

「あんな事があった後だもん、百パー信用は出来ないよ」

チハルは申し訳なさそうだが、言葉に間違いはない。タマキは下唇を噛んで俯いた。

「まあ、もうちょっと話を聞いてみましょうか?」

多部の提案に、

「そうね。それから判断しよう」

夕起さんは同調した。



その刹那ドアが開き、

「失礼します」

車内販売の女性パーサーのご登場。

ヤッベっ!

そう思った時、咄嗟に高岡君が彼女からナイフを奪い、パーサーに見付かる前にジーンズのポケットに仕舞った。

「何か冷たい物でも飲もうか?」

夕起さんがペットボトルのお茶を全員分買ってくれた。

「ありがとう、庇ってくれて」

彼女は深々と頭を下げる。彼女を守る義理は全くないが、不思議と連帯感が漂っている事も事実。

「改めて話を聞く前に名前、タマキさんで良いんだっけ?」

「そう。タマキ」

まあ本人が言うからには、それしか呼びようがない。

「私、十歳の時に養護施設に入ったの。親が離婚して母親に引き取られたんだけど、母親が男作って家出ちゃったから。兄貴はリュウってゆうんだけど、別の施設に入ってそれから兄妹離れ離れ」

「お兄さんは大阪の施設に?」

夕起さんは彼女の生い立ちに関心を持っているようだ。この人にも両親が離婚した過去がある。

「施設は東京だけど、向こうで保証人が見付かってそのまま大阪で働き始めたの。施設出身者が社会に出る上でまず直面する問題は、保証人を探す事なんだよね。携帯買うにもアパートを借りるにも、保証人が必要でしょ? 大体の施設は高校卒業したら退所しなきゃいけないから、保証人見付けられなくて寮のあるとこで働いてる人も結構いるの。私は彼氏がいたから携帯は彼名義にして貰って、同居もさせて貰ったから何とかなったんだけどね」

「苦労してんだな」

多部は聞き入りながらもオレと目を合わせて訝る表情をした。オレも彼女の話にはなーんか違和感を感じる。

「高校の時は大学に進学する為にアルバイトして、兄貴にも助けて貰ったお金と合わせて進学したんだけど、大学時代もキャバ遣ったりして学費稼いで、毎日勉強と仕事で必死だった」

「オレも学生時代アルバイトはしたけど、単なる小遣い稼ぎだったなあ・・・・・・」

高岡君が当時を思い出しながら呟く。

「学費の為に働く苦労は、私にも経験あるから分かるよ」

夕起さんはしみじみとした口振り。

「風俗だよね?」

タマキの問い掛けに、夕起さんは「そう」と返しながら頷いた。

「さっき多部がお兄さんも共犯かって言った時睨み付けたけど、やっぱり関係してるんだね?」

「もう包み隠さずに言う。ここからが犯行動機につながるの」

タマキの勿体ぶった態度に、

「波乱万丈伝がなげーよ!」

多部は声を張って突っ込んだ。

「施設出身のくだりはオレ達の気を引く為のフェイクでしょ?」

「バレてたか。でも施設出身てのは本当」

タマキの表情が一瞬で明るくなる。

「だってさ、施設出身の人は犯罪者になり易いの? そんな失礼な話なくない?」

夕起さんも聞き入りながらも看破していた。

「私も前置きが長いなって思ってたんだよね」

チハルも違和感を感じていたが、

「オレも分かってましたよ」

高岡君の口調は慌てている。

「お前は嘘だろ!」

多部が高岡君の頭をはたいた。

「それで、何であんな事件起こしたの?」

「政治家のセンセイ達に対する注意喚起。安い給料でお金に困っている人は、消費者金融くらいにしか借りれるとこなかったのに、法律変わったでしょ?」

「改正貸金業法の事か・・・・・・」

多部が呟いた。

二○○六年十二月十三日に成立し、翌年十二月十九日に施行された改正貸金業法により、消費者金融の利用方法が変わった。法律改正により、二○○六年時点で約二三○万人だった多重債務者は、二○一二年には五一万人にまで減少したというが、その裏には弊害も――

「借りられるのは収入の三分の一まで。それを超えると新たな借り入れは出来ない。無収入の妻や夫には、必要書類が揃っていても貸さない方針を取ってるよね」

「流石はよく勉強してるね」

チハルの言い方。感心を装った冷やかしだろ――

「リサーチの仕事もしますので、そのくらいの知識は」

「人間が完全じゃないように、編み出すものも完全じゃないからね」

夕起さんの切ない笑み。こういう時は笑みを浮かべるしかない。

「多重債務者をこれ以上増やさない為とか言ってるけどさ、雇用の対策はグズグズしてるにそういう事だけはサッサと決めて、ちぐはぐしてるじゃん。そういう問題点に、国会のセンセイ達にもっと目を向けて欲しかったの。このままグズグズしてたらどうなると思いますか? ってね」

「多重債務者の対策に手を付けたんなら、雇用対策も早くしろって事か。にしては随分大層な喚起だったね・・・・・・」

「止むなく借りようとしても、返済だけを迫られるようになって困ってる人いるじゃん? 私の友達も大学の頃に持病を抱えちゃって、嵩む治療費の為に利用してたみたいなんだけど、法律変わって駄目になっちゃったからよく分かる」

 タマキは誰と目を合わせる訳でもなく、伏し目で呟いた。

「リュウはそんな現実を何とかしたい一心で、東京の友達に犯行計画を持ち掛けて、金融機関のお金を奪ったの」

「確かに最近問題にはなってるけどさ・・・・・・」

 もっと他に方法があったろうよ。それに、犯行動機はそれだけか?

二○○八年に施行され、二○一三年に改正施行された労働契約法や、二○一八年に成立した働き方改革関連法などで、何かと雇用の問題は注目されてはいるが……。

「派遣として働いたのは内部の事を知る為でしょ?」

チハルは――

「サスペンスの女王みたいに言うな!」

「今の良い感じじゃない? 知る為でしょ!」

チハルは両手を腰に当て、凛々しい表情を作った。

「ポーズまで取って・・・・・・得意気になる事でも何でもねえよ」

「フフンッ。仲良いんだね。彼女の言う通り、現金が輸送される時間帯と、警備服のデザインを知る事が必要だった。それと、二人が忍び込める箇所を見付ける事もね」

今の言葉で実行犯が二人という事、幇助したタマキを入れて犯人は三人である事が分かった。でも三人だけだろうか? 金を隠し持っておく者もいると思うのだけど……。オレもサスペンスの主人公だな――

「政治家に対して注意喚起したいのは分かるけど、それを犯罪で訴えても世間の理解は得られないよ。思いやる心のある人がそんな事も分からなかった?」

「どっちにしたって正当化されやしないし、それどころか苦しい中で頑張っている人達が、偏見を持たれて迷惑だよ!」

多部はいつになく語気が強い。全くその通りだ。多くの人達は苦境の中でも分別を持って生きているのに――

「世間の目って、案外シビアだからね。「全てを政治に責任転嫁するな」って言う人も絶対いるよ」

夕起さんが追い討ちを掛け、タマキは虚ろな目で宙を見詰めた。窮地に陥った時は虚ろな目。また沈黙が流れる。



多部の腕を摑んで皆から離れ、

「どうしますか、ディレクターさん?」

声を落とした。

「何でオレが責任者なんだよ?」

「話だけでも聞いてみようって言ったのはオメエじゃねえか」

「そりゃ言ったけどよお・・・・・・自首させるか?」

「それが賢明だよ。じゃなきゃオレ達まで罪に問われる。でもなあ・・・・・・」

「何だよ?」

「夕起さん、あの人って慈愛深くてさ、それだけなら良いんだけど、時にあらぬ方向へ暴走するんだこれが。彼女を庇うような言動に出なきゃ良いけど」

「長い付き合いだとよく知ってんな。でもここは説得するしかねえべ?」

「そうだな」

「よし!」と頷き合い、皆の元へ戻った。

「タマキさん、オレ達が出した結論は、自首して欲しい」

「その前にお願い、リュウと話をさせて!」

円らな瞳で懇願され、不覚にも怯んでしまう。多部に向かって右手を上げると、露骨に困惑した表情。渋々オレとタッチしたが、目は「意志がよえーよ!」と訴えている。

「タマキちゃんを匿うと、オレ達も罪に問われちゃうんだよ」

「良いじゃん。お兄さんと話をさせてあげるだけなら」

と夕起さん。表情と声が明るい。やっぱ慈愛のアンテナに引っ掛かったか――

「私も、夕起さんに賛成かな?」

チハルも乗っかって来た。

この展開に多部からタッチを要求され、仕方なく前に出る。目では「お前もよえーじゃねえか!」と訴えつつ。

「夕起さん、自分の立場も考えてください。下手したら謹慎じゃ済まないですよ?」

「良いの私は。今まで一から遣って来たんだから!」

表情と眼光が凄まじい……。多部にタッチする。

「・・・・・・兄貴は何処にいるの?」

おーい!!

多部は初めて見る夕起さんの迫力にあっさりKO負けしていたようだ。

「多分、新大阪に来ると思う」

「じゃ、兄貴と話をさせる代わりに、自首するように説得して」

「分かった。遣ってみる」

タマキは破顔した。

「よし! 話はまとまった!」

「よしじゃねえよこら! 簡単に掌返しやがって!」

「お前だってタッチして来たんだからお相子だろ!?」

確かに、仰る通り――

「二人の負けですね?」

高岡君はにやにやしやがって。

「うるせえ!」

多部と共にユニゾンの突っ込み。何の罪もない者に怒りをぶつける。弱い人間の極み――

「所でユースケ君だっけ? それってあだ名だよね。何で「ユースケ」なの?」

「タマキさん、もう「君付け」かい? 名前が中山裕介だからだよ」

「こいつユースケ・サンタマリアの本名と同姓同名なんだよ」

 多部が付け加える。でも今、そんな事はどーでも良い。

こんな時、僕は国民の皆さんにお尋ねしたい。


Question1『貴方は犯罪者と出くわしました。自首するよう勧めますが、犯人は自首する前に身内に逢いたいと訴え、貴方の友人はそれを了承してしまいます。 

犯人の望を受け入れる事は、犯人隠匿罪に当たる可能性がある。貴方はこんな時――

A それでも自首させる 

B 望みを叶え、本人に任せる 

どちらを選択しますか?』


「なあ多部、こういう事態を問題にして番組出来ないかな? クイズ型討論番組『一億二六三三万人の人間的テスト』なーんてタイトルで」

「こんな時にも企画の事考えて、作家としちゃ合格!」

十六時三十六分、新幹線は新大阪駅に入った。



「あの連中何なんだよ?」

竜は数メートル離れた所に立つ五人を見て、眉を曇らせた。

「テレビ番組のスタッフ。それとあの人、小説家の夕起。観た事あるでしょ?」

「そうじゃねえんだよ! 何でそんな奴らと一緒なんだって訊いてんだよ。お前まさか余計な事言ったんじゃねえだろうな?」

「大丈夫。悪い人達じゃないみたいだし、上手く言い包めれば邪魔はされないと思う」

珠希は自負を含んだ笑みを浮かべる。それを見た竜は、珠希がミスを犯した事を一瞬で悟った。

「何遣ってんだよお・・・・・・通報されたら終わりなんだぞ! 計画狂わせやがって」

竜の心中で歯痒さと煩わしさが溢れ出す。

「だからさ・・・・・・」

珠希は竜に耳打ちし、これからの計画を告げた。裕介達に犯行を自供した時点から頭を切り替え、密かに練っていたのだ。

「それで行けるか?」

「途中で背中叩いて合図するから。何とかなるって! さあ行くよ」

珠希は腑に落ちない竜の右腕を摑んだ。



笑顔でこっちに来るタマキとは対照的に、兄貴は浮かない顔。それにしても二人共金髪って――余計目立つんじゃないか?

「これが兄貴のリュウ」

「妹が迷惑を掛けたみたいで・・・・・・」

リュウは一応頭を下げた。クールで端麗な感じ。

「ここじゃゆっくり話せないから、ホテルに移ろうか」

夕起さんの言う通り、喫茶店などに入るよりホテルの方が良い。

「オレ達は何も話す事ないけど」

リュウはすげない表情。

「こっちは話したい事があるんで、ちょっと付き合ってください」

渋るリュウも一緒になって、予約してある大阪市内のホテルへ移動した。



夕起さんの部屋に全員が集まり、夕起さんと多部は椅子に、他は二つのベッドに散り散りに座る。

新幹線でのいきさつをリュウに話すと、

「お前・・・・・・殆ど言っちゃってんじゃねえかよ!」

顔も態度もうんざりした様子。

「その反応を見ると、タマキさんが言った事は本当だ?」

リュウはオレから目を逸らして舌打ちした。「しまった!」との思いと、途方に暮れる思いが交錯しているのだろう。

「タマキちゃんとの約束は、貴方と話をさせる代わりに自首するように説得する事」

夕起さんが淡々と言う。

「だからタマキちゃんを警察に差し出さなかったんだ」

多部が畳み掛ける。

「今捕まる訳にはいかねえんだよ」

リュウは抗弁するが、その割りにはトーンが低い。

「猶予が欲しいって事は、金融機関の金を奪ったそもそもの目的は別にあって、国会のセンセイ達に対する注意喚起は口実じゃねえの?」

 多部もトーンを落とし、リュウに鋭い視線を向ける。多部も犯行動機は別にある事が分かっていた様子。

 リュウ、タマキの二人は誰と目を合わせる事もなければ、お互いの顔も見ない。だが表情は何か思案しているように見える。

「捕まる訳にはいかない理由を言ったらどうなの?」

夕起さんはじれったそうな口振りで言うが、二人に口を開く気配はない。

こいつらマジで英雄気取りか――

二人には口を割るつもりはないのだろう。ならば仕方がない。

「本当の目的は、持病を抱えたりして困窮してる人達を救いたかったからなんじゃないの?」

語気強く指摘すると、二人の表情には明らかに動揺が現れた。

「何で断言出来んだよ?」

リュウは苦虫を噛み潰したような顔。ズバリ指摘され、愚直に反応した自分にムカついたのかもしれない。

「新幹線の中でタマキさんが言ってたんだよ。大学の頃に持病を抱えた友達がいて、嵩む治療費の為に金融機関を利用してたけど、法律が変わって借りられなくなったって。妹然り、そんな人達が周りに結構いるんじゃないの?」

「その動機の方が合点が行くな」

多部は軽く頷きならが立ち上がり、タバコに火を点けた。

尚も渋い表情のリュウに対し、タマキは意味深な笑みを浮かべ、

「ユウ君の言う通りだよ」

きっぱりとした口振り。その刹那リュウは舌打ちし、その顔には渋みが増す。

「安月給の派遣やアルバイトの人は健康でも困窮してるっていうのに、持病を抱えてたら治療費で火の車に拍車が掛かるって事くらい分かるでしょ? 時給は上がらないのに薬が変わったりすると治療費だけは上がって・・・・・・」

「タマキ・・・・・・もう良い」

 リュウの声には生気がないが、「もう何も言うな」と妹を気遣っているように感じる。

「あんたが言うように、仕方なく借金してた奴が結構いるんだよ。別にギャンブルに遣ってた訳でもねえのに、本当に利用しなきゃヤバい人間が借りられねえのっておかしくね? そんな奴らを助けたかったんだよ」

「ご利用は計画的に出来ないって訳か・・・・・・」

 多部は溜息を吐いた。

「二十一世紀版ねずみ小僧って感じだね」

夕起さんも然り――だが、二人もリュウとタマキの言う事が腑に落ちない所がある様子。

「訴えたい事は分からなくはない」

「そう?」

タマキが懐疑的な目を向ける。

「派遣社員だった頃、正社員で長期休養してる人いたけど、派遣はそんな事したら真っ先にクビになるからね。給料が上がらないどころか、詰め腹まで切らされちゃう」

「でもさ、疾病抱えた人や低賃金の人って多重債務者の中の一部じゃん? その人達だけを救っても根本的な解決にはならなくね?」

多部の指摘はご尤も。腑に落ちなかったのはそこ。

「だから! 雇用の問題も早く解決させてって言ってるの。そうすれば皆救われるでしょ?」

タマキは語気強く、揚げ足を取った多部に食って掛かる勢いだ。

「今のままじゃ借りた金も返せねえし・・・・・・」

 リュウが頭を抱える。

「センセイ達に注意喚起する目的だけは達成出来たんだからさ、もう自首しちゃいなよ」

 チハルの提言に対し、

「さっき捕まる訳にはいかねえって言ったろ! 金も配り終わってねえし」

リュウは憎たらしそうに言い放つ。

「配る?」

「困ってる連中に平等に配ってんだよ」

こいつらやっぱりおかしい。

「侠盗面してるけどさ、第一この問題は、自分達の仲間を救うだけじゃ意味がないだろう」

 多部の言葉を借りれば、「多重債務者の中の一部」。自分達のスラングだけに金を配っても、全国の多重債務者は救われない。簡単な話だ。

「配った所で遣えば紙幣の番号で足が付いちゃうよ」

高岡君の指摘で、リュウは再び苦虫を噛み潰したような顔になる。坂木社長も言ってた事、素人でも予測がつく。

「オレ達が時効まで逃げ切れたらどうすんだよ?」

挑戦的な口振りではあるが――

「このまま私達が見逃すとでも思ってるの?」

チハルが諌めるように言う。だがその前に――

「時効って言うけどさ、強盗に警備員二人も襲ってるから、傷害罪も加わるんじゃない?」

夕起さんがオレを見る。

「少なくても十年はあります。中々逃げ切れる時間じゃないと思うけど?」

「もう良いよリュウ。シンも捕まったし自首しよう」

タマキが口を開いた。表情からも懇願が現れている。

「お前また余計な事を!」

「殆ど喋っちゃたんだし、もう良くない?」

「共犯者が逮捕されたんだね?」

「今日の未明にあった傷害事件の犯人がそう」

次々と自白する妹に対し、リュウはうんざりとした顔で溜息を吐く。

「昼のニュースで報道されてたね」

品川駅に行く前に、事務所で観たニュース番組がフラッシュバックした。

『今日未明、港区麻布の飲食店で、客の一人が別の客を暴行する事件が発生し、警視庁麻布東警察署は、千葉県浦安市のアルバイト、畑野新しん容疑者二四歳を、傷害の疑いで逮捕しました――』

「君の勘は当たってたんだ」

「だから言ったじゃないですか?」

高岡君の微笑、得意そうな事。

「オレ達の知らない友達二人と飲んでる時、別のグループの奴が新の友達を貶したんだってな。それでそいつを殴る蹴る・・・・・・あいつ仲間想いだから」

リュウは誰に対してでもなく、独り言のように呟く。

「その新って子が五億円の事を警察に話すのも時間の問題じゃん?」

チハルの発言に、

「あいつは仲間を裏切るような事しねえよ!!」

リュウは鬼気迫る表情でチハルを睨んだ。それに怯んだ彼女はオレに近付き、左腕に掴まる。

「まあ落ち着いてよ。でも考えようによっては、友達を大事にするからこそ、自白する可能性もあるよ」

「それはあり得るな」

多部も納得した。

リュウは下唇を噛んで黙ってしまう。俯いていたタマキは彼の顔を見詰め、彼の背中を軽く二回叩いた。只の慰めなのか? 何か看過出来ない行動――

「・・・・・・自首する方向で考えてみる」

急にリュウの考えが転換する。やはりあれは何かの合図か。だとしたら、タマキの今までの言動は全て演技という事になるが――

「その代わりって言っちゃなんだけど、あんた達が大阪にいる間、オレ達をスタッフとして使って貰えないかな?」

リュウは意味深な笑顔を見せた。

「何で直ぐ自首しないの?」

チハルに全く同感だ。妹に背中を叩かれた途端考えが軟化した事といい、絶対に裏がある。

「逮捕される前の思い出作り」

リュウは早口で淡々と言う。

チハルはオレと目を合わせ、苦笑して首を傾げた。これも同感。

「何を言い出すかと思えば、オレらの仕事を思い出作りと考えて貰っちゃ困るね」

多部が舌を吐いて言い放った。

「不快にさせたんならごめん。お願いします、働かせてください!」

「私からもお願いします!」

リュウとタマキは立ち上がり、深々と頭を下げた。

「人手不足だから助かるけど、簡単な仕事じゃないから」

高岡君は挑戦的な口振りで釘を刺す。

「・・・・・・雇うからには「考える」じゃなくて、「自首する」って約束してくれよ」

多部は不快感を理性で抑えているようだが、

「おい、何かあったらこっちも無事じゃ済まないぞ。マジで受け入れる気か?」

こっちは理性よりも憂いが勝っている。アリバイまで用意されているのかは知らないが、オレ達と一緒にいる所で逮捕――という事も十分あり得る。

「こっちの要求を呑むんなら、ね?」

夕起さんは最終決定を多部に委ねた。

「分かった。言う通りにする」

リュウの言葉にタマキも頷く。

多部は大きく息を吐いて少し考え、

「・・・・・・なら良いよ。確り働いて貰いましょう」

決断を下した。顔には心なしか諦めが現れている。

それに対し、リュウとタマキは喜色満面だ。

「どうなっても知らぬ存ぜぬじゃ済まされないぞ・・・・・・」

側にいるチハルに愚痴ってしまう。チハルは微笑んでオレの左膝に手を置き、

「私もちょっと不安だけど、多部さんが良いって言ったんだから」

優しく諭す口振りで言った。



多部とオレ、高岡君は夕起さんの部屋に残り、今日取材する店の打ち合わせをした。

二三時からミナミにあるデリバリーヘルスの人気風俗嬢にインタビューし、二五時(午前一時)三十分からは、同地域にあるホストクラブのナンバー1ホストにインタビューする予定になっている。

リュウとタマキの二人は一旦リュウの家へ戻り、チハルは友達のキャバ嬢の元へ向かった。今夜は泊めて貰うのだそうだ。

打ち合わせが終わり、

「判断を委ねて横着だけど、二人をスタッフとして雇って良かったんだろうか?」

皆に確認したかった。

「私だって鵜呑みにはしてないよ。思い出作りに働かせてくれって、おかしいじゃない」

夕起さんは苦笑いが止まらない。

「金を友達に配るっていうのも、俄かには信じ難いですよね?」

多部も蟠っていた。

「まとめて隠した金をどっか別の場所に移動させるとか?」

高岡君の推測は概ね間違っていないと思う。

「皆それぞれ不信感を抱きながら、二人の要望を受け入れたのか・・・・・・」

「それは、彼が自首する方向に向いたから。どんな裏があるのか知らないけど、自首って言葉がなかったら警察に突き出してたよ」

夕起さんも言う「裏」。考えを軟化させたと見せ掛けてオレ達を時間稼ぎに利用する――多分そんなとこだろう。

息を吐きながら座っていたベッドに倒れ込む。

「本番中は物思いに沈んだ顔しないでくれよ。取り敢えず二人の言葉を信じるしかないだろ? こっちもいつだって警察に通報出来るんだぞっていうカードを持ちながら」

多部の言葉に納得して気持ちを入れ替えざるを得ない。



二十時十五分になり、多部と高岡君は今回取材する四人の内、三人のホストとキャバ嬢の仕事風景を撮影する為、一足早くホテルを出た。

夕起さんとオレは二二時にタクシーで風俗店近くに到着。多部やリュウ達と合流した。

集団待機室を借り、撮影機材を準備する。高岡君がリュウにバッテラ(バッテリーライト)の組み立て方、セットの仕方を指導し、

「ここは(照明は)固定だからさ、三人に当たってるかだけ確認して」

多部が指示を出す。

タマキには、

「マイクチェックはもうしてあるから。声が入ってなかったり雑音が入ったら教えて」

音声係を頼んだ。

二人には念の為にマスクを着けて貰っている。

学校の放送部みたいだな――

夕起さんとオレにピンマイクが付けられ、準備は整った。自然と鼓動が早まる。

少し経ってインタビューする華菜が現れた。一見、清楚で奥ゆかしい感じ。オレ達と挨拶を交しながら華菜にもマイクが付けられ、彼女はカメラの奥にスタンバった。

番組は夕起さんとオレは板付き(本番スタートから出演者が定位置に着いている状態)で、ゲストは進行が名前を紹介してからフレームインする設定だ。

他の風俗嬢や従業員もこちらに注目している。そうじゃなくても初めてのテレビ出演で緊張しているっていうのに、観客がいるようで尚心臓が大きくバウンドし始める。

その状態のまま、カメラのタリー(回っている事を知らせる赤ランプ)が点灯した。

「はい本番五秒前ー、四、三、二・・・・・・」

高岡君がキューを出す。

「こんばんは」

「こんばんはー」

 夕起さんは慣れていて表情も声も明るいが、オレは――

「一週間のご無沙汰でした。『Yuu Yuu』でございます」

「固いよお! そんなカンペ出てないじゃん」

確かに、高岡君が出すカンペや台本には「こんばんは」としか書かれていない。

「だってテレビ初出演でしかも進行なんですから。挨拶はちゃんとしておかないと」

「美貴がお休みだからね」

「はい、いつも進行しております陣内美貴さんは、別のお仕事でお休みという事で、わたくし、陣内さんの後輩であります中山裕介が進行を担当致します」

「宜しくね」

「こちらこそ宜しくお願いします。テレビの前の皆様、宜しくお願い致します」

カメラに向かい丁寧に頭を下げる。

「ほんっと真面目だねえ」

夕起さんは呆れているが、待機室に笑いが起こり大分緊張が解れた。

「進行なんだから当たり前ですよ。しかも僕は普段は放送作家、裏方なんですから。台本を熟読しましたけど、進行役の割にはページ数が薄い!」

 カメラの多部と目を合わせると、他人事のように楽しんでいやがる。

「別にそんなに緊張する番組じゃないから」

 夕起さんは優しい口振りでフォローしてくれる。

「っという事で、今週と二週に亘りまして、大好評『風俗クエスト』の大阪編です。まずはミナミにありますデリヘル<ウーマンリブ>さんにお邪魔しています」

夕起さんが周りを見渡す。

「綺麗な待機室だよね?」

一面真っ白の天井と壁の部屋に、オレンジのソファとガラスのテーブルが置かれている。

「そうですね。ゆっくり出来そうなとこですけども、では早速、このお店の人気風俗嬢さんに登場して頂きましょう。華菜さんです」

華菜を真ん中にし、夕起さんはカメラから観て左、オレは右に座った。

「最初っから風俗嬢なの?」

 夕起さんが本題に入る。

「前はキャバ遣ってた。一年間やけど」

「最近結構いるよね? キャバから転身する子」

「不景気で接待も減ってキャバも稼げへんようになって来てるから」

夕起さんとゲストがフレンドリーに会話する演出も、この番組の売り。

「キャバって給料減ってく中でお客の奪い合いもあるからね」

「頑張れば頑張る程陰口は言われるし、大体犯人分かっててもその子と席が一緒になれば仲良い振りしなきゃいけないから、それだけで疲れてくんねん」

思い出しただけでもうんざりといった様子。

「その辺考えると風俗の方が良いって結論だったの?」

「勤務外にもお客さんに営業するのも苦手やったし、風俗は仕事中お客さんと二人っきりやから、同じ接客業でもそっちの方が向いてるんじゃないかなって」

夕起さんはホンも見ずに話を振って行く。それに引き換えオレは――見兼ねた多部が高岡君に指示を出し、カンペが出された。

「君は何か訊いてみたい事ないの?」

「いやさっき「台本ばっか見てんじゃねえ」ってカンペ出されて」

室内にいる全員から苦笑された。

「ガッツリ台本読んでて目に留まったんですけど、なんかキャバ時代のお客さんが指名して来る事もあるそうですね?」

「誰かは分からへんねんけど、ツイッターでつぶやかれるらしいねん」

「その中には単純に下心の人と、彼女に会いに行くみたいな心境の人もいるんですってね?」

「そうやねん。久しぶりに再会出来て嬉しい人はいてるね。最初は照れるけど、やっぱ昔から知ってる人は自然とリラックス出来んねんなあ」

「じゃあ、転職して良かったよね?」

「接客中だけお客さんに一生懸命尽くして、自分の身体に磨きを掛けてれば指名増えて来るから。キャバみたいにキャスト同士の揉め事とかもないしね。だから、私は良かったって思ってます!」

華菜が破顔した所で一軒目のロケは終了。休む間もなく次の現場へ移動する。



「さあ二軒目です。同じミナミにありますホストクラブ<CLUB SUMMIT>さんにお邪魔しています。なーんかゴージャス! って感じですね?」

二軒目で大分気持ちに余裕が出て来た。

「中央に噴水あるしね。水槽は何度も見たけど・・・・・・全体的にゴールドでアラブの宮殿みたい」

夕起さんは目を輝かせる。

「凄いですよね。閉店直後でまだ熱気も残っている中で、こちらのナンバー1ホストの方にお話を伺います。タケルさんです」

「学生の頃はホテルのレストランでアルバイトしてた。ホストと全然違うようやけど、オレは両方ともサービス業の延長線やと思う」

閉店後とあって熟柿臭いが、口調ははっきりしている。ナンバー1だけあって貫禄があり、体型も中身もスマートそうな人。

「レストランで働いてる時に納得行かない事があったそうですね?」

「お客と接してる時だけ笑顔で親切にして、それで「良い店員や」って言われる事だけはね」

「お客の前では笑顔っていうのは、まあ当然の事だけど、中身が嫌な奴だとホストの場合は通用しないよね? 上辺だけだと女って見抜いちゃうから」

「そう。ホストは上辺の笑顔だけじゃ認めて貰われないし、サービスに必要なんは心からもてなしたいっていう感性やと思うねん。それを磨いて行かなきゃ駄目だ」

「話術とか技術を習得しながら、人間性も磨いていかなきゃいけない世界だからね」

「良いホストっていうのは、実は根は良い奴ばっかりやねん」

自分の見立てに強い確信を持っている。それが終始伝わって来るインタビューだった。

二軒目のロケを終え今日の予定は終了――しただけなのに、多部が打ち上げと称して居酒屋へ行く事になった。



個室に入り皆はビールやサワーの中、多部だけ氷入りの赤ワインで乾杯する。

今日も始まるか?

始めは和やかに飲んでいたが――四杯目くらいになると、

「ワインに氷入れて飲むのが好きな女がいたんだよ」

グラスを照明に照らしながらしみじみと言う。何気取りか知らないけど――

「どうせもう別れたんだろ? 思い出すようなやつ飲むなよ」

「今になって結婚しとけば良かったって思う。でも当時は踏み出せなかったあ」

毎回「結婚」だの「踏み出せなかった」だの――この男は今まで何人と付き合って来たのだか――

「お前は今でも踏み出せないよ。このまんまだと楽しく飲める酒なくなるぞ」

「あいつは夜も良かったんだよ・・・・・・って聞いてるか? 食ってるけど」

焼きそばを啜っていたリュウに言ったようだ。

「ごめん、聞いてなかった」

「この焼きそばヤバくない? 凄く美味しい」

と夕起さんが言えば、

「オレも食べてみよう」

高岡君も意に介していない。二人も多部の酒癖には慣れっこのようで、柳に風。要するに、多部は誰に対してもこう……なのだ。

「このぼんじりと鶏皮も美味しいよ」

タマキも酒癖の悪い奴とは取り合わない主義らしい。

「オレの元カノはワイン好きだったんだよ!」

多部は誰も聞いていないと悟り、喚声を上げる。

「だからもう飲むなって! 本っ当、お前から打ち上げしようって言い出したくせによお・・・・・・」

「今になって結婚しとけばって後悔してんだ!」

「聞いたっつうんだよ、その話!」

こうして、今宵も更けて行く――



翌日。正午前から今日の打ち合わせをしてホテルを出た。リュウとタマキは夕方に合流する事になっている。

向かった先は中央区道頓堀の有名たこ焼き店。『風俗クエスト』にはインタビューの合間に「ブレイクタイム」という、ご当地の食事処などを紹介するミニコーナーが設けられている。

「道頓堀にある<こしタコ>さんの前に来ました」

「凄い行列だね」

平日の昼間にもかかわらず、高校生と思しき男女、主婦、スーツ姿の会社員までいる。

「ここのたこ焼きは凄く評判で、お店独自の出汁が美味しさの決め手なんだそうです」

「そういうのって、秘伝で受け継がれてるんだろうね」

「まあ門外不出でしょうね。じゃあ僕らも並びましょう」

ロケに注目が集まって店側に迷惑が掛からない内に、一旦カメラは撤収。

それでも、

「あれ夕起ちゃう!?」

「絶対そうやで!」

若い女性が気付き始めた。

握手や写真を頼まれ、

「あんまり大きな声出すと周りに迷惑だから」

夕起さんは小声で喚起しながらも快く応じている。

だが、やはり店に迷惑が掛かると全員で一パックずつ買い、店から離れてカメラを回す事になった。

「夕起さんに気付いて人が集まって来ましたので、路地に移動しました。どうですかお味は?」

「昆布ベースの出汁が利いてて美味しい」

「皆さんは路地でこっそりじゃなくて堂々と食べてくださいね」

「言われなくても態々こんな所で食べないって」

苦笑いで突っ込まれた。

たこ焼きで腹ごしらえをし、今日インタビューするキャバクラへ向かう。



「一週間のご無沙汰でした。『Yuu Yuu』でございます」

「はい、今週も進行は中山裕介君です」

夕起さんは失笑しながら左手でオレを指し示す。

「番組の顔、夕起さんでございます」

同じように夕起さんを指し示した。

「今週も先週に引き続き、『風俗クエスト』の大阪編です。今週はミナミと並ぶ繁華街、キタに移動しました」

「キャバクラなんだけど、外観見て美容院かな? って思っちゃった」

「ハハハッ・・・・・・確かにガラス張りの感じが似てますね。ここはキタにあります<CLUB 39(スリーナイン)>さんです。OPEN前のお店をお借りして、売れっ子キャバ嬢の方にお話を伺います」

赤いドレスにエレガントさを感じる真綾。顔はにこやかだが眼光は鋭い。

「お休みの日でも時間関係なく携帯鳴るし、お客さんともデートせないけない日もあるから」

「そういう点じゃ二四時間営業だよね? 友達よりお客を優先って時もあるし」

「この環境に馴染めへん子は二、三日で辞めるから。長続きする子は野心があったり、人の心理を見抜ける賢さがあると思う」

「その野心っていうのが、将来は自分のお店を持ちたいっていう事だそうですね?」

「うん。だから資金の為に貯金してる」

「金銭感覚が狂うかどうかって、結局本人次第なんだよね?」

「感覚が麻痺してるイメージ持たれるけど、修正出来る子は出来るし、人それぞれやねん」

あいつはどうなんだ?

安易に持ち易いイメージを強く否定される中、チハルの顔が過る。職業柄、服装や美容院には金が掛かっている事は分かる。だが今月の給料が幾らで幾ら遣ったなんて訊いた事がない為、真実は分からないまま。



あいつに対して無関心過ぎるのかなあ?

そんな事を考えながら最後のインタビュー先となるキャバクラ、<CLUB MYSTERY>へ移動した。

店名の通り古代遺跡を髣髴とさせるような内装で、神秘的な雰囲気が漂っている。

「ライト、ちゃんと点灯する?」

多部ディレクターのチェックが入る。

「はい大丈夫でーす」

「あーあーあー、マイク生きてる?」

「オッケーでーす」

たった二日だが、リュウとタマキのスタッフ姿も板に付いて来た。高岡ADは二人にアドバイスしながらカンペをチェックする余裕が出来ている。

インタビューする玲子は顔出しNGの為、SMの女王様風のアイマスクを着けての出演。

上下白のスーツでシックな装い。童顔の為、服装は大人っぽくしようと店では普段からスーツなのだとか。

「周りのキャストに埋もれへん為には、セクハラオヤジもキスして大人しくさせるくらいの気持ちが必要やねん」

のっけから飛ばしまくる。

「中年男性って仕事でストレス溜ってるから、どうしてもガス抜きで下心が出て来る人っているよねえ」

「お触りNGでも太股とかお尻触って来るオヤジおるし、そっからズブズブ行って利益の為に枕(営業)までする子もおんねん」

「流石顔隠してるからぶっちゃけますねえ」

「ハハハハッ!」

 周囲にいるキャバ嬢や店のスタッフに笑いが起きる。

「でもほんとやから。だけど枕遣ってナンバー1取る子なんかいてへん。下心のある男は一度ヤッタら飽きるから」

「このタイミングで言うのは変だけど、他のキャストから「おかみさん」って呼ばれてるんですってね?」

「何でそう呼ばれるようになったかは分からへんけど、気い強いから違うかなあ」

「かわいらしくてそんな風に見えないけどね」

「人は見掛けによらないってやつですよ」

「でもおかみさんってねえ……」

 夕起さんは吹き出す。

「皆を取り仕切るとか、そんなイメージなんじゃないですかね?」

約十分が経ち――

「胃潰瘍になった事があるらしいね?」

「売れる為には話術とか営業力だけじゃいけなくて、それだけ飲めるようにならないといけないから」

またチハルが過った。チハルも肝炎で入院した事がある。毎夜相当量飲んで自分を売り込んで、勤務外でも営業して――その観点では頭が下がる職業だ。まあ、放送作家もあらゆる面にアンテナを張り、仕事以外でも勉強をし続ける必要があるので、似通った所はあるのだけど。

「普通の飲み会で強いレベルじゃ通用しないもんね」

高岡君から「そろそろ締めてくれ」とカンペが出された。

「色々とお話を聞いて来ましたけども・・・・・・」

「私、ナンバー1に成っても二、三日に一回は吐いてしまうねん」

「おかみさん、もう直ぐOPENでしょ?」

腕時計を指差した。

「締めるタイミング摑もうとしてるよ」

「ハハハハハッ!」

周囲に嗤われたが、収録は当に押している。高岡君は笑いながらも、右手の人差し指をクルクル回し巻きのサインを出し始めた。

分かってるっつーんだよ!

「でもほんとやから。吐いてリセットしてまた飲んで・・・・・・」

「おかみさん、こんだけ喋ったら顔隠してもバレると思いますよ」

「ハハハッ」

 また周囲に嗤われた。進行って大変な役目なのに、いい気なもんだ。

「もうこれ(アイマスク)外そうか? 吐くだけやなくてたまに吐血する子もおんねんで」

締めようとしているオレをよそに、今度は夕起さんに向かって話し始める。嬉々としてくれるのは番組としてはありがたい。だが――

「おかみさーん、時間ですよー!」

「ハハハハハハッ!!」

嗤われたって良い。声高に言って強引に締めざるを得なかった。

「時間ですよー!」のフレーズを知っている方は、相当なドラマ通か、相当年齢が行ってらっしゃる方だと思います。失礼――

話を聞いた四人に共通しているのは、人気商売で不安を抱えながらも仕事が好きで誇りを持って遣っている事。

世の中、誇りと不安の両方を持つ人、不安しかない人、それぞれである。だが不安があり満足出来ない現状であるからこそ、それが向上心へとつながり、人の原動力となっているのだろう。

「はいオッケーでーす! ありがとうございましたあ」

高岡君からカットが掛かり、OPENの三十分前に撮影は終わった。多部と高岡君に従い、リュウとタマキが機材を片付け始める。

玲子は一旦奥へ引っ込んだ後、一冊の本を持って現れ、

「これにサインお願いしても良い?」

「喜んで」

夕起さんの著書にサインをして貰う。写真も頼んだのでオレが携帯のシャッターを押して差し上げた。



それも済み、夕起さんと一服させて貰いながら携帯の電源を入れると、留守電が一件入っている。

『中山裕介さんの携帯で宜しいでしょうか? 私、浪速区恵美須町駅前交番の小宮と申します。阪井奈々さんをこちらで預かっておりますので、メッセージをお聞きになりましたら、折り返しお電話ください』

「交番」「預かる」で、一気に心に暗雲が立ち込める。

「どうしたの、ユウ君?」

「また新しい仕事頼まれて不安になったか? お前一々心配し過ぎ」

強張った表情を見て話し掛けて来た夕起さんと多部の声で我に返る。

「チハルが警察沙汰を起したみたいです。交番の警官を名乗る人から留守電が」

「本当? 本人に確認してみた方が良いよ」

夕起さんは神妙な顔付になった。

「オレもそう思います」

答えながらチハルの携帯に電話する。1コール、2コール、3コール――出た。

『ユウごめんね。大変な事になっちゃった』

声がいつものトーンよりも低い。って事は――

「交番に厄介になってるってのは本当だな?」

『・・・・・・うん。悪いんだけど、今から来てくれない?』

「行かなきゃ解決しないんだろう? 浪速区だよな?」

『そう。本当にごめんなさい』

溜息を吐きながら電話を切った。

「チハルちゃん何したの?」

心配してくれている夕起さんをよそに、

「さあ? 行ってみないと分かりません」

投げ遣りに答えた。



二十時二十分の電車に乗り、浪速区内の交番へ向かう。

多部を含めスタッフ全員が「一緒に行く」と言ってくれた。夕起さんも「私も行く」とは言ってくれたが、あの人の立場を考えると憚られ、ホテルで待機して貰う事にした。

一緒に来てくれる人がいてありがたいし心強い、のだが、並んで吊革に摑まる姿を見てハッとした。

「この二人、交番まずいんじゃないか?」

「そういやそうだな」

多部も不安顔でリュウとタマキを見る。

「大丈夫だよ。これしてるし」

リュウがマスクを指差す。

「そうだよ。気にする事ないって」

マスクをした二人の目は「安心しろ」と訴えて笑っている。が――いやあ、どうだか――

首を傾げ渋い顔になってしまう。

それを見たリュウは口をオレの耳に近付けた。

「指名手配されてる訳じゃないからさ」

「そうだけどさあ・・・・・・」

憂いだけが増殖して行き、妙案なんか出やしない。チハル、リュウ、タマキ――三人の事で気が滅入りつつ、交番がある駅に到着した。

交番へ近付いて行くと二人の警官が目に入り、一人は弁当を食べている最中で、もう一人は書類チェックをしている。

「済みません。小宮さんという方からお電話を頂いた中山と申します」

食事中の警官は手を止めて立ち上がった。

「ああ、はいはい。後ろの人達は?」

「付き添いです」

「あっそう。ならあんた達はここで待っといて。小宮さん! 中山さんが来ました」

正面のドアが開き、三十代半ばくらいの小宮が顔を出した。

「じゃあ兄ちゃん、中入って」

手招きされ恐る恐る中へ入る。

小さな流し台が備え付けられた部屋の中央に、折り畳み式のテーブルが置かれている。

向かって右側の席に、手前からチハルと二人の――多分キャバ嬢と、左側に――間違いなくホスト三人、そして関係者らしき男性一人が座っている。

交番の中ってこうなってるんだあ。初めて見る構造に気を取られていると、オレを見て安心したのだろう、チハル達が破顔し始めた。

「こら! 君ら何わろとんねん。ちゃんと反省しとんのか?」

呆れ顔の小宮。そのお気持ちご尤も。

「済みません。ユウ、この子が友達のミオ。それと向こうに座ってるのがミオの友達のカノンちゃん」

「ああ、初めまして・・・・・・」

挨拶でもしなければ収拾が着かない。神妙な表情のホスト達に対し、三人に悪びれた様子は全くなし――

さっきの沈んだ声は警官を前にしての演技だな――

「友達の紹介は後にせえや。カフェやないねんぞ・・・・・・兄ちゃんここ座って」

小宮がパイプ椅子を出してくれて、チハルの隣に座った。香水の香りの中に酒の臭いが交じり、かなり飲んでいる事が分かる。

「あの、この人達何をしたんですか?」

ドアの前に座った小宮は両腕を机に置き、オレの方へ身を乗り出す。

「公然わいせつ」

「ええ! 本当ですか!?」

思わず声が裏返る。そりゃそうだろう――

「まあ本当っちゃ本当。違うっちゃ違う。微妙なとこやな」

「どういう意味ですか?」

「31ゲームって知ってるか?」

「1から31までの数字を一人最大3つまで数えて行って、31になった人が負けってゲームですよね?」

「さすが姉ちゃんの彼氏、よう知っとんな。姉ちゃんらは六時のOPENから飲み始めたみたいなんやけど、盛り上がって31ゲームを始めたんや。始めは負けた奴が酒飲むだけやったらしいけど、飲み過ぎて羽目を外した挙句、酒飲む序でに下着も見せるっちゅうルールも加えよったんや」

「下着、ですか・・・・・・」

「ブラとかパンツをな。まあ他の客には見えへんように背を向けて遣ってたみたいなんやけど、客の一人が気付いて一一○番。それでこれや。ここ来た時は全員ベロンベロンやったわ」

六人もいて誰も止めなかったのかよ――

「良い歳こいて、遣る事が過激ですね?」

チハルをきっと睨むと、両肩を上げて「テヘッ」と笑いやがった。

「なーにがおかしいんじゃい!!」

彼女の首に右腕を回し、大きく上下に揺蕩させる。

「何すんのよ!?」

「そりゃこっちの台詞だ! そんなルール加えたのチハルだろ!?」

「違う! 私が言ってん。ごめんなさい」

ミオは立ち上がって頭を下げた。友達も友達だったか――

「見て見ぬ振りをした店側にも問題があるんです」

関係者の人がオレを見て一礼する。

「でもツカサ君のパンツは派手やったなあ」

カノン!

「感想はどうでも良い!!」

「感想はどうでもええ!!」

小宮と息の合ったユニゾンの突っ込み。やっと反省の弁が出て来たかと思えば――そのツカサっていう人を見ると、はにかんで、しかも笑ってんのか!?

「ちょっとあんた! そのリアクションのチョイスはおかしくねえか!?」

「もうええから。兄ちゃん座って」

小宮に腕を摑まれ、大きく息を吐きながら座った。

「ええかあんたら。オレはホストやキャバ嬢をどうのこうの言うてんのちゃうで。立派な仕事や。只あんたらみたいな社会通念のない事をする奴がおると、他の奴らも同じように見られて迷惑が掛かるやないかって言うてんねん。もう大人なんやから分かるやろ?」

小宮の言葉は利いたらしく、一旦しーんとなった後、口々に謝罪の言葉が出た。

「――苦しい中で頑張ってる人達が、偏見を持たれて迷惑だよ!」。新幹線での多部の言葉。そう、悪いのはこの六人。

一部の者の過ちで類の人達にまで偏見の目を向けてしまう。それは正直な心理ではあるが、その中に見極める目も持っていないと、視野を狭めて行くだけ、って分かっちゃいるんけど――



今日は厳重注意だけで済み、先にホストの関係者が書類に記入して帰って行く。

お咎めが厳し過ぎなきゃ良いけど――他人事だがホスト達の背中を見ていると心配になった。

「君達、そんな罰ゲームはヤバいっしょ?」

多部は腕を組み仁王立ちスタイルで言う。

「だから反省してる言うてるやん!」

ミオが口を尖らせた。

「まあこの後皆で飲みに行ってパーっとやろうよ!」

高岡君は明るい声な事。多部か高岡のどっちかが誘う――だろうと思った。

「そうだな! 反省する事は猛省して、楽しむ時はとことん楽しんで気持ちを新たにさせる」

多部は尤もらしい事を言って――飲みに行きたいだけなくせに。

「兄ちゃんええ事言うやん!」

カノンは声を弾ませた。

外にいる彼らの楽しそうな会話が耳に入って来る中、オレも書類に記入していると、

「ユウ君、チハルちゃんの事叱らなくて優しいね」

タマキが耳打ちして来た。

「そうでもないよ。さっきちょっと怒鳴ったし。聞こえなかった?」

「あの声ユウ君だったんだ。でも許してあげたんでしょ?」

「まだ許すとは言ってないけどね・・・・・・はい、記入終わりました」

チハルを一瞥すると、彼女は直ぐに目を逸らした。酒が抜けて来て応えたのか、さっきからずっと無言だ。

ここで、また僕は国民の皆さんにお尋ねしたい。


Question2『貴方の恋人が警察沙汰を起しました。飲食店で酒を飲み、羽目を外し過ぎて通報されてしまったとの事。恋人は反省している様子ですが、貴方は恋人を――

A 結果的には許す

B 絶対に許せない

どちらを選択しますか?』


「お姉ちゃん、さっき外の兄ちゃんが言った通りやで。反省はせなあかんけど、いつまでも引き摺っとってもあかん」

小宮の言葉にチハルは微笑を浮かべて「はい」と答えた。

「それじゃあ行きましょうか?」

チハルとタマキに声を掛け、警官三人に一礼してオレ達も外に出た。

「以後気い付けや」

小宮に見送られて歩き出すと、多部がやけに真面目な顔をして近付いて来る。

「今幾ら持ってる?」

何かと思えば――

「もう飲み代の心配かよ・・・・・・」

こりゃ絶対てっぺん(午前零時。時計の針が十二を指す事から)越えだな――



「ちょっと待ってんか!!」

後ろから呼び止められた。

「全員戻って来て」

来た時に弁当を食べていた警官が、腑に落ちない顔をしている。

記入漏れ? だったら何で全員?

「何でしょうね?」

高岡君始め、こっちも腑に落ちない気持ちで戻ると、

「誰や? オレのタコちゃん食べたんは?」

目が合うなり唐突に。訳がワカラナイ――

「はっ!? タコちゃん?」

「こいつが弁当に残してたタコのウインナーがなくなってたらしいねん。もうええやないか言うたんやけどな」

小宮は申し訳なさそうに言うが、

「ええ事ありません! 二人が食べてへんのやったらこの中の誰かや。誰や食べたんは!?」

オレと歳はそう変わらないと思しき警官は、一歩も引く気配がない。

「ハー・・・・・・誰か食べたか?」

「私達は奥の部屋にいたんだから無理じゃね?」

チハルもうんざりしている。

「そうだよな。オレら四人以外は?」

「知らないよオレは。君達は?」

多部も投げ遣り気味。

「弁当にタコウインナーが入ってたのも今知りましたよ」

と高岡君。

「人の弁当なんかまじまじと見ねえし」

とはリュウ。

「そんな泥棒みたいな事しないよ」

タマキはそう言うけど――大泥棒したろーが……。

とはいえ、八人は「違う」で一致している。

「もうええやん。今日は諦めろ」

もう一人の警官がタコ警官の背中をさすった。

「キョウタンは毎回タコちゃんを上手に作って入れといてくれんねん! それをオレは楽しみにしとるんや。絶対犯人見付けたる!!」

彼女か奥さんか知らないけど、人前でキョウタンだのタコちゃんだの――

「自分で食べて忘れてるだけちゃう?」

by カノン。

「可能性はあるな」

by 多部。

「私達だけ疑うのおかしくない?」

by チハル。

「警察は疑うばっかりで間違えたら満足に謝りもしないから」

by タマキ。

「大体タコウインナー一つでマジになるってありえへん」

by ミオ。

「器がお猪口サイズの人だな」

by 高岡。

「食い逃げされたんなら自分の物も管理出来なかった自己責任だろ」

by リュウ――

だ・か・ら、リュウとタマキは人の事を言う資格はないって!

「君達・・・・・・火に油を注がないでくれるかな」

タコ警官と目が合った。完全に目が、据わっている――奴らを止めるのが遅かった――

「お前ら、全部聞こえてんねんで。食べもんの怨みは恐いぞ」

「まあまあ、僕らの中に犯人がいるとは限らないじゃないですか?」

タコ警官はオレの顔も見ず、右手でオレの肩を摑んで押し退けた。

「こっちからも言わせて貰うけどな、警察に厄介になったお前らにとやかく言われる筋合ないねん。お前らの頭よりオレのは正常や!」

「あんた、今のは言い過ぎだろ!」と口から出そうになった刹那、

「おい、そんな言い方ねえだろ!」

リュウが前に出てタコ警官と対峙する。

「今のは酷過ぎる。弁当のおかずが一つなくなっただけでわあわあ言ってる奴だって頭おかしいだろ」

多部も加わった。

「おい・・・・・・」

オレまでキレる訳にもいかず、止めに入らざるを得ない。

「止めとけってお前」

警官二人も同僚と多部の身体を遠ざけた。

「やれるもんならやってみいや!」

タコ警官の挑発でリュウの目も、据わってしまった――

「そうさせて貰おうじゃねえか!!」

『ボカッ!!』リュウはタコ警官の胸倉を摑み、顔に一発食らわせてしまう――

「おい!!」

小宮と警官、仮にAとオレはタイミングを合わせたかのように喚声を上げる。オレはリュウを、警官二人は同僚の身体を押さえた。

「お前傷害罪やぞ! どうなるか分かってんのか!?」

いきり立ったタコ警官は左頬を押さえて叫ぶ。

「ああ分かってるよ!」

多部はリュウを見てスイッチが入ったのだろう、徐にタコ警官に近付き――

『ドスッ!』左脇腹に鮮やかなボディブローを決めた――この男、大学時代はボクシング部だった。

タコ警官が「うっ!!」と呻き声を出してうずくまる。

「全然分かってねえじゃねえか!? お前まで参加してどうすんだよ!?」

「何してんねんお前!」

小宮が多部を押さえようとすると、

「うるせえんだよ、おっさん!」

リュウはオレを振り払い小宮と取っ組み合いになった。

「こら! 暴力を振るうんじゃない!!」

「小宮さん冷静になってや!」

警官Aと二人で格闘する二人の間に割って入ろうとする中、多部は腕組して様子を窺ってやがる。

「チームのヘッドかお前は!?」

「貴様ー」

タコ警官はやっと立ち上がり多部に向かって行くが、今度は反対の腹にボディブローを食らった。

女性四人が「おー!」と喚声を上げる。

「これK―1じゃねえから。おい多部、ファイティングポーズを取るな!」

多部・リュウVS小宮・タコ警官の対決――

「このままやったら全員始末書もんやで!」

止めるのは警官Aとオレだけ。高岡君は――笑顔で傍観中。

「見物してないで止めろよ!」

すると高岡君は何を思ったのか、小走りで中に入るなり警官Aの顔を、殴ってしまう――

「何でだよ!? 止めろって言ったんだよ! 暴力振るう奴は出て行け!!」

彼は警官をKOさせないと終わらないとでも思ったのか?

「ガンバレー!」

チハル!

「そこそこ、行け!!」

タマキ!

「そうや! 1、2!」

ミオ!

「一人ダウンしたで!」

カノン!

「オレを応援しろ!!」

足元を見ると警官Aが倒れている。

「あんた、素人からダウン食らってどうすんだよ!? 警察学校で訓練受けたんだろ!」

立ち上がった。

「おい顔は狙うな顔は! ボディーだけにしろ」

警官と多部達の間でもみくちゃになる中、多部のパンチがオレの腹にもろに決まる。

「・・・・・・オレを、ノックダウンさせてどうすんのー?・・・・・・」

「ああ、ごめん」

「おい! 手錠や手錠!!」

小宮が叫び、一旦大人しくなった多部、高岡、リュウに手錠が掛けられた。そして、何故かオレにも――

「オレ何にも遣ってないでしょう!?」

「途中から囃し立てとったやないか! ハーハー・・・・・・それを現場助勢罪いうんや! お前ら、一晩署のブタ箱で頭冷やせ!!」

「よっしゃ! 今日はこれくらいにしといてやる」

「古典的なギャグをぬかすなー!」

多部の負け惜しみに、突っ込みが虚しく響く――



三十分後――

「大阪の留置場なう」――

態々パトカーで連行された挙句が、六畳程の空間、オレは出入口の前に、他の三人も散り散りに座っている。

「なーんでオレも君達と付き合わなきゃいけないんだ?」

「お前も罪に問われたんじゃんか? 全部あのタコがわりーんだよ」

多部は舌打ちした。

「あームカつくなあいつ!」

リュウが拳で床を叩く。

「これも人生経験ですよ」

高岡君は何故か穏やか。

「人生にはしなくても良い! 経験があります。タコのせいにしてるけど、先に手を出したのはお前達だろ?」

しーーん。都合が悪くなると黙りやがって――

大きく溜息を吐いて出入口の檻に触れると、『ガチャ!』開いた!? あのバカ看守――

「ユースケ、今その辺で『ガチャ』って音したよな?」

多部が近付いて来た。

「看守が一人出て行ったんだよ」

「そうか? この辺から聞こえた気がしたんだけど? 聞こえたよな?」

「聞こえました」

高岡君、余計な事を言うな――

多部が檻を触り始めた。もし鍵が掛かっていない事が分かり、「脱走しようぜ」とか言い出したら――

冗談じゃねえ! ふんーーーん!!。渾身の力を込め、出入口と接する檻を摑む。

「ひょっとしたらここが開いてんじゃねえかって思ったけど、な訳ないよな?」

「・・・・・・あり得ないよ、そんな事・・・・・・」

セーフ。

「っあ、あそこだ!」

「三十分だけにしてや」

チハルと看守の声が聞こえた。にこやかに檻の前に並んだチハル、タマキ、ミオ、カノン――

「場所と表情が合ってなくないか?」

多部の仰る通り。

「気分はどう?」

チハルは意に介さず尚も笑顔。

「「今夜は最高!」なーんて言えるか!」

フレーズに聞き覚えのある方は、四十路は越えていらっしゃると思います。失礼再び――

「今夜はブルーって感じだね」

「ブルーどころかブラックだよ。夕起さんは何て言ってた?」

「今夜は原稿書いて寝るって」

「あっそう・・・・・・あーこの二人、ここ大丈夫だったかなあ」

今になってリュウとタマキが気掛かりになった。

「心配ないって。逮捕された訳じゃないから。マスク外さないで済んだし」

リュウはうんざり気味に、

「私も大丈夫だったから気にしないで」

タマキは自信満々に言う。

「マスクは良いけど、その眼鏡どうしたの?」

「ここに来る前に百円ショップで買って来たの」

「でもさ、タコウインナー一つで豪い事になったなあ」

ミオは気の毒そうな顔をした。

「本当だよ。警官に暴力は駄目だろ?」

「仲間を貶されて我慢出来るかよ!」

リュウはタコ警官の言葉を思い出して怒りがぶり返した様子。

「お前は同じ事を何度も、じゃあ警官以外だったら良いのかよ?」

多部が揚げ足を取ってにやつく。

「おめえがそんな事言うな! なら訂正しましょう。オレ達を仲間だと思ってくれたのは嬉しい。でも暴力じゃ解決しないよ」

「じゃあどうすりゃ良かったんだよ!?」

リュウは興奮している。そんな相手をどう説得したら良いものやら――

「グッと堪える事も人生大事やで」

カノンがじっとリュウを見詰める。

「我慢するのは悔しいけど、暴力で解決したとしてもその場限りや」

「人間は、根に持つ生き物やからね」

ミオが優しい口振りで付け加えた。

リュウは二人から目を逸らしたが反論する気配はない。

「カノンさんから初めてまともな言葉を聞いたな」

「ちょっと! それどういう意味!?」

皆に笑顔が戻ったが――

「でも・・・・・・君達だってあの時囃し立ててたよね? オレは罪に問われて、なーんで君達は無傷なんだ?」

また、しーーん。

「どいつもこいつも都合が悪くなると黙るな」

「そんな事あの警官のおっちゃんに言ってや」

カノンは口を尖らせた。確かにその通りで二の句が継げない。

「駄目駄目、そんなんじゃ納得しないからこの人。多分頭に血が上ってて、私達にまで気が回らなかったんだよ。これで納得?」

チハルは両手を腰に当て微笑を浮かべている。

「・・・・・・はい」

「もう済んだ事を。ユウ君って執念深いなあ」

ミオがチハルに小声で言ったが、周りが静かなのでもろに聞こえる。

「そうなんだよね。それが玉に瑕」

チハルはにやつき、オレに聞こえるように当て付けた。

「うるせっ!」

また笑いが起こる中、

「オレ、もう暫くはウインナー食べたくないですよ」

と高岡君。

「何? 「見たくない」なら分かるけど「食べたくない」って、何か引っ掛かるんだけど?」

ジロッと高岡君を見ると、彼はばつが悪そうに目を逸らす。

「ひょっとしてお前か? タコちゃん食べたんは?」

一瞬、タコ警官が乗り移った。

「・・・・・・違いますよ」

「ちょっと笑ってんじゃんか。正直に言いな。本当に食べてないの?」

「・・・・・・」

じーーっと彼から目を離さないでいると、

「済みません! 小腹が空いてたんで」

両手を合わせて土下座した。

「全ての原因はお前かよ・・・・・・」

多部も部下の失態に途方に暮れているようだ。

「ハー・・・・・・もう良いよ、顔上げな」

優しく言って高岡君が顔を上げた時を見計らい――『バチン!!』胸倉を摑んで右頬に平手打ちを見舞った。

「優しい感じから豹変するのって卑怯っすよ!」

「暴力は止めろって言ってたお前が振るってどうすんだよ!?」

多部がオレの左肩を『ポンッ』と小突いた。

「オレのは鉄拳制裁じゃ!」

「鉄拳制裁だったら普通げんこつだよ」

リュウは笑っている。確かにげんこつだが、反射的に頭は殴ってはいけない気がした。

「こんなに執念深いんだあの男。メディア業界の人間って、結構しつっこいから」

チハルが呆れて呟けば、

「チハルも気い付けや」

とカノンが続け、

「ユウ君みたなタイプは入り込んだらとことんまで行くで」

ミオはこう締め括って薄笑いを浮かべる。

「オレを分析すんな!」

とはいえ、これにて事件は解決。尾を引かない為にも今日は寝る事にした。



翌朝。

「君達! 渋谷文夏って人と阪井奈々って人が迎えに来たから」

看守の大声で起された。

看守は鍵を開けようと挿し込んで『カチャカチャ』いわせた後、動きを止める。心なしか青ざめているような――

開いてたんだよ――

看守は大きく息を吐き、気持ちを入れ替えている様子。

そして、何事もなかったかのように出入口を開けた。

「はい出て!」

擦れ違いざま、「とんだケアレスミスでしたね?」と心の中で呟き、噴出しそうになった。

「ユウ君、災難だったね」

夕起さんは心から労ってくれている。

「そうですよ。あー外の世界ってなんて素晴らしいんだ」

「同感」

青空の下、多部と大きく伸びをした。

「迎えに来てやったぞ!」

チハルのしてやったりの顔。一夜にして見事に立場が逆転してしまった。

ホテルへ戻ると、ロビーで待機していたタマキに笑顔で迎えられた。

「また警察行くとユースケ君心配すると思ったから」

「うん、そうだね」

リュウとタマキの二人は夕起さんの部屋に、他は各々の部屋で午前中ゆっくりと過ごした。



正午になり、二軒目の「ブレイクタイム」とエンディングの打ち合わせを済ませ、ホテルをチェックアウトする。

北区内の串かつ屋に到着し、挨拶や準備を済ませて撮影開始。

チハルはカメラの後ろで見学。普通は遣り辛いのだが、昨日の経験を思えばそのくらいどーでも良くなっていた。

「さあ夕起さんお昼ですが、梅田にありますこちら、<串カツ本舗>さんで頂きます」

「たこ焼き、お好み焼きと並んで思い浮かべるよね」

「数ある名物の一つですからね。ここは立ち飲み形式なんだそうです」

結構広めの店内には、昼間という事もあり、客は定年後と思しき男性数人だけだ。

挨拶もそこそこに、早速かつの他に若鶏、うずらの卵などを注文する。

「衣にタレがよく絡んでて美味しいですね」

「ほんとだね。外サクサクで中ジューシー」

カメラを回す多部が下唇を舐める。

「ディレクターも食べたそうにしてますよ」

多部はカメラを上下に揺らして頷いた。

「タレは二度付け禁止やから。どうしても足りひんかったら・・・・・・」

 男性店員はカウンターに置かれたキャベツの皿から一枚取ると、

「このキャベツをスプーン代わりにして、こうやって掬って掛けるんや」

実践して見せてくれる。

「その為に大きく切ってあるんですか?」

「そういう事や」

「兄ちゃん、これいつ放送されるんや?」

離れた席で飲んでいた男性がフレームインして来た。

絶対こうなると思った。ここは、大阪――

「これ関東ローカルなんですよ」

「あっそうかいな。あれか? タレントとかが旅行に行って地元の旨いもんを食うみたいな」

「まあ、似たようなものです」

「あれ! こっちの姉ちゃん見た事あるでえ」

「最近ちょっとテレビに出させて貰ってます」

 夕起さんは照れ臭そうに会釈する。

「そやんなあ? おー、わしも東京デビューや!」

カメラに向かって手を振り始めた。

「テレビは恐いですよ。バッサリ切られる事もありますから」

「ケチやなあ、この兄ちゃん」

和やかな雰囲気になった所でカットが掛かった。



多部がハンディーカメラを三脚を使って店の外観を撮影した後、機材を片付け終え、改めて全員揃っての昼食となった。

アルコールも注文し、昼間から乾杯する。「三日間お疲れ様」と、「無事にブタ箱から出て来られて良かった!」との想いも込めて――

十六時二十分、最後に大阪城の天守をバックにエンディングを撮る。

「二週に亘ってお送りしました『風俗クエスト大阪編』。夕起さん、一言で如何でしたか?」

「一言で? まあ皆、大阪独特のノリだったよね。たまに無理してるなあって思う人いるんだけど、私が見た限りでは皆自然だった」

「あの「おかみさん」は強烈キャラでしたね? 何で顔出しNGなんだろうって」

「マジ良いキャラだったね。この番組色んな人と出会えて良くない?」

夕起さんは子細ありげな笑みを見せた。

「確かに色んな人が走馬灯のように回ってますけど、やっぱり、僕は普通の放送作家に戻ります!」

シャキッとカメラ目線で決めた。夕起さんとスタッフが大笑いする。

「何なんだこの番組は!?」

本当に、色んな意味で何なんだ!?



現在の時刻、十六時五十分。帰りの新幹線の時間をずらし、大阪城の外堀端の広場で最後の話し合いをする事にした。

「例の問題、どう結論を出した?」

「約束通り自首する事にした。新もオレ達を庇って苦しんでるかもしれないし」

リュウの目は吹っ切れたように輝いている。

「それ聞いて安心した。大丈夫だよ、貴方達なら罪を償って更生出来る」

夕起さんの顔には確信が現れている。二人は照れ臭そうに笑い、タマキは「ありがとう」と言って若干目を潤ませた。

「ほんのちょっとだったけど、一緒にいれて楽しかった。子供の頃に返ったみたいで」

チハルは無邪気に笑っている。

「どういう意味だよ?」

「ほら、たまに問題抱えてる子を同級生達が庇って冒険する、みたいな映画あるじゃん? あんなの観てる感じで懐かしかったんだよね」

「オレも同じ事感じてた。入っちゃ駄目だって言われてた所に友達と入って遊んで、みたな。それよりも何倍もリアルでさ。忘れてた気持ちを思い出させてくれてサンキュー!」

高岡君も甘酸っぱさを感じているようだ。そう言われると分からなくはない。が――

感情を抜きにすれば、オレ達の遣った事は法律的にアウト。犯人隠避罪。懲役二年以下、又は二十万円以下の罰金――只の親切ではない。そこまで分かっていながら何も手を下さず、判断を人に押し付けたオレは一番狡い――

「そうだ! さっきコンビニで下したんだけど、はい、これ三日間の給料」

多部は財布から紙幣を出すと、裸のまま一万五千円ずつ渡した。

「良いよ、給料なんか」

「そうだよ。私達からお願いしたんだから」

「ちゃんと仕事してくれたんだから。どっかのアーパー(使えないスタッフ)よりずっと良かったよ」

「オレアーパーっすか!?」

高岡君の突っ込みで笑いが起きた。

悔恨に支配されているオレとは対照的に、六人は良い表情をしている。辺りをオレンジ色に染める太陽が良い演出効果を生み出し、さっきチハルが言った映画のエンディングを観ているかのようだ。

新大阪駅の改札まで、リュウとタマキは見送りに付いて来た。

「またいつか会おうな!」

多部が二人とハイタッチする。

「オレ、今度はディレクター目指そうかな?」

「ああ、いつでも来いよ。人が幾らいても足りない業界だからさ」

「私はユースケ君の会社に入ろうかなあ」

縋るような口振りのタマキに、

「放送作家に成るんなら腹を固めなきゃいけないよ」

真面目に念を押した。

改札を抜けると、二人はオレ達が見えなくなるまで手を振っていた。オレ達も途中途中で振り返りながら手を振り返す。

「警察に行くとこまで見届けるべきですよね?」

ここに来てもまだ蟠っているオレに対し、

「あの二人は必ず自首するって」

夕起さんは信じて疑っていない。

「でも、このまま散逸して良いのかなあ……」

 心中の言葉が口をついてしまう。

「大丈夫だってユースケ。夕起さんの言う通り絶対自首する」

 多部はオレの背中を摩る。

 二人の確信は、一体何処から湧いて来るのやら――



新大阪駅で裕介達を見送り、竜と珠希は竜のアパートへ戻った。

約三十分が経ち、竜に呼び出されたナツキが一人尋ねて来る。

「まさかあんなとこで会うとは思わなかったよ」

竜はナツキを一瞥した。意想外な出来事で大いに戸惑わされた。ナツキは暫し沈黙した後、「申し訳ない」と頭を下げる。

「でもセーフだったんだから良いじゃん」

珠希はもう意に介していない。

その時、もう一人の来客が現れた。

「ヒトミさん、こいつナツキです」

竜に紹介され、二人は「初めまして」と挨拶を交わす。ヒトミとナツキは、竜から「大事な話がある」とだけ聞かされている。

ヒトミは竜が入っていた施設の園長と知り合いだった事が縁で、彼の保証人になっていた。

ナツキは竜が学生時代アルバイトをしていた職場で出会ってからの仲だ。

ヒトミは早速、竜が警察沙汰を起した事を叱責した。

「済みません」

一応頭を下げたが、今からそれよりもっと大ごとな話をしなければならない。

「そろそろ本題に入った方が良くない?」

珠希の提案に、ヒトミは一旦黙って話を聞く体勢に入った。

「東京であった五億円事件の犯人は、実はオレ達なんです」

竜は努めて淡々と告白した。

前もって告げられていたナツキは、今日の話の内容を予測出来たが、ヒトミは動揺を隠せない。突然何を言い出すかと思えば、悪い冗談は止めろ、とまた叱責し始めた。

それを見た珠希は埒が明かないと判断し、

「これマジだから。私と竜、後もう一人と三人で遣ったの」

語気強く付け加えた。珠希の言葉に竜もヒトミの目を見てゆっくりと頷く。

二人の様子を見てヒトミは言葉を失う。警視庁の発表では、実行犯は男二人。そして、失踪した派遣社員の女が何か事情を知っていると見て、行方を追っている――人数が合う。ヒトミは見る見る顔面蒼白になり、震える声で昨日一緒に警察にいた連中も仲間なのかと尋ねた。

「あいつらは大阪で知り合ったんです。事件とは全く関係ない」

竜は強い口調で答えたが、ヒトミの目には不信感が現れている。

「あの人達は竜の暴走に巻き込まれただけ」

珠希は「信じて」との思いを込め、ヒトミの目をじっと見詰める。ヒトミは何も言葉が浮かばず、分かったと返すのがやっとだった。

ヒトミは大きく溜息を吐くと、何故あのような事件を起したのかと訊いた。

「働いても困窮してる人達を救う為。後、国会議員のセンセイ達にこの状況を早く解決してくれっていうメッセージもあった」

珠希の説明を聞いてヒトミは考えあぐねた。もっと他に表現の仕方はあった

筈だ……と言うのが精一杯だった。

ほぼ放心状態のまま、うちに「引っ越しをするので荷物を置かせてくれ」と運んで来た物は、盗んだ金だなと確認する。

「そうです。昨日オレ達三人で」

竜は事件を起してからのいきさつを話し始めた。



竜と珠希、そして別の傷害事件で逮捕された畑野新は、共謀した上で八月上旬に犯行を実行。

その後、輸送車ごと現金約五億円を東京西多摩郡内にある廃車置き場まで運び、ジュラルミンケースから出して長野県内のレンタカー屋で借りたトラックに積み直した。

荷台をブルーシートで覆い、輸送車とケースを放置して杉並区内の珠希の自宅アパートへ向かう。

アパートに到着すると新が見張り役となり、竜が旅行用バッグに現金を詰め込んで部屋へ運ぶ行為を繰り返し、運び終えると金をダンボールに詰めた。

そのダンボールを再びトラックへ積み込むと、捜査網が張り巡らされないその日の内に、竜が住む大阪へ向け出発。

深夜に大阪に着くと、一旦、竜の自宅アパートで隠し持っておく事にした。新は帰京した後、トラックを返却する。

当初の計画では、珠希が大阪に来てからダンボールをヒトミ宅へ移送させる事になっていたが、裕介達と出くわした事で計画変更を余儀なくされる。

珠希の発案で、自首するように説得する彼らの意見を呑んだと見せ掛け、その代わりに自分達をスタッフとして雇うよう要望し、承諾させる事で時間稼ぎに成功。仕事で外出中のヒトミから合鍵を預かり、撮影がない空き時間を利用して、ナツキと共同で金をヒトミ宅へと運んだ。

ナツキが五億円事件の犯人が竜だと知ったのは、荷物を運ぶのを手伝ってくれと打診された日。竜から告白されたのだ。

当然驚愕して依頼を拒むが、もし捕まってもナツキは関係ないと供述するとごり押しされた事、そして、あわよくば金の一部が手に入るのではと打算が働き、結局承諾してしまう。



「オレ達が自首する前に、南河内郡の山の中にダミーの穴を掘るのを協力して欲しいんです」

竜は真剣な表情を崩さずにいきさつを話し終えると、その勢いで要請した。

自分達が逮捕されてダミーの穴の場所を供述し、警察が穴を見付けても何者かが持ち去ったと誤認させ、少しでも捜査を攪乱させる狙いである。

「新はヒトミさんもナツキさんの事も知らないし、私達も二人は事件とは無関係だって言う。その代わりにお金を十年は隠しておいて欲しいの」

珠希は無言の二人に投げ掛ける。

そう上手く行く訳がない。警察を甘く見ている――

ナツキはこう言うと、打算で承諾してしまった事を後悔し始めた。

ヒトミは、自分は竜を信じて保証人になった。なのに罪を犯して裏切られ、尚且つ犯罪の片棒を担いでくれとは、筋違いも甚だしいと咎める。

「もし取り調べでヒトミさんの名前出したら、全てを失っちゃわない?」

珠希はにやつく。それまでの懇願モードは消え失せ、脅迫して要求を呑ませようとする本心が現れた。

それを目の当たりにし、ヒトミの中で葛藤が始まる。竜に裏切られた怒り、反面、保証人であるからこそ持っている愛情――

誰も黙して語らない状態が十分以上続いた末、ヒトミはダミーの穴はいつ掘るつもりなのかと訊いた。

「ありがとうございます!」

竜は安堵の表情を浮かべる。その兄とは対照的に、珠希はしたり顔だ。

ナツキはヒトミに対し、本気で協力する気なのかと迫る。

ヒトミ自身、竜に協力する事は間違った愛情であるとは分かっている。二人の要請を呑めば、家族も、職場の人間も裏切ってしまう事だとも自覚している。

只、全てを失う事が恐かった。珠希の言葉は、最後は保身に走る人間の心理を突く指摘だった。

ヒトミはナツキに、全てを知ってしまった者の運命だとしか答えられなかった。それを聞いたナツキは、一度荷担してしまった以上、ここで拒否すれば珠希は警察に自分達の名を出すだろうと推察し、諦めるしかないと悟る。

そして翌週の月曜日。四人は南河内郡の山中にダミーの穴を掘りに出向いたのである。



十月に入ってもリュウとタマキが逮捕されたとの報道は流れていない。報道番組に携わるディレクターや同僚の作家も、情報は何も摑んでいない様子。畑野新も二人については自供していない模様だ。

出任せだったか?

再び憂いを感じ始めた同月中旬の木曜日二三時三十分から、二人が撮影に参加した『Yuu Yuu』が放送された。

ひょっとして二人は今東京にいて、この番組を観てから自首するつもりなのだろうか? そんな思念も浮かんだ翌日――



『今年八月、東京・府中市内の金融会社で発生した五億円強奪事件で、「あの事件を起したのは自分達だ」と、男女二人が大阪府警に自首していた事が、警察への取材で分かりました。二人は現在取り調べを受けていて、警察は容疑が固まり次第、二人を逮捕する方針です――』

南青山の事務所で、昼のニュースを噛り付くように観た。二週間の間、何をしていたのか気に掛かるが、約束を守ってくれた事に取り敢えずは安心した。

そしてその日の夜、浜家竜は強盗・傷害の容疑で、浜家珠希は犯罪幇助の容疑で大阪府警に逮捕された。

二人の供述により、畑野も強盗・傷害の容疑で再逮捕され、事件は解決して行くかと思いきや――



十月下旬に入った、ある日の十七時二十分。仕事で山形へ向かう為、東京駅に来ていた。

十八時八分発の新幹線に乗車する事になっているが、オレの横にはチハル――

「仕事を休んでまで行かなきゃいけないのか?」

「良いじゃん、久しぶりに逢う友達なんだから」

今回は、春に地元の山形県に帰った友達に逢いに行くと言って付いて来た。その友達はチハルの大学時代の同級生で、チハルとは別の店でキャバをしていたそうだ。

一体、後何府県に友達がいるのやら――

「前回も言ったけど、観光に行くんじゃないから」

「分かってるって。ローカルアイドルと打ち合わせするんでしょ?」

ご当地アイドル達が東京でのプロモーション活動中、オレが携わる深夜番組に出演する事が決まった。その為、明日ディレクターと合流し、午前中は山形、午後は青森のアイドルとの打ち合わせが入っている。

「やっぱ報道陣の数凄いね?」

チハルが新幹線の改札前広場を見渡す。一般客の中に、新聞、テレビのカメラマン、記者が入り乱れごった返している。

「二人が移送されて来るからな。多部の話じゃ十七時二三分着なんだってさ」

「ちょっとでも見られたら良いんだけど」

ミーハー心も手伝い、二人の姿を見届けようとぎりぎりまで待ってみる事にした。

「到着したぞ! 到着ー!!」

ある局の男性ディレクターが喚声を上げ、各社慌ただしくなった。

「現在午後五時二九分です。予定より六分遅れて、浜家竜・珠希両容疑者を乗せた新幹線が今、東京駅に到着した模様です」

側にいた女性記者がリポートを始める。

まずは一般乗客が次々に改札を抜けて行き、十分後――

「今、前後左右を捜査員に囲まれた浜家竜・珠希容疑者が改札口に姿を見せました!」

一斉に焚かれるフラッシュ。そこかしこで始まる声高のリポート。警官とマスコミとの「押すな! 押すな!!」の怒声。そこに野次馬も加わり広場は騒然となった。

二人は顔を隠す事なく堂々とし、髪色は二人共黒に戻している。

「印象変わったね?」

「タコ警官に顔見られたりしたから、オレらに気を遣ってくれたのかもな」

チハルはにっこりして二人に向け小さく手を振った。オレも釣られて手をゆっくり振っていると、

「ユウ! 早くしないと新幹線!」

「っお! そうだ」

慌てて山形行きの新幹線に乗車した。



二一時過ぎ、山形市内のホテルにチェックインして少し経った時、多部から電話が入る。

「二人共臆する色もなかったよ」

『それより後でニュース観てみろ。すっげえ事件が神戸であったんだよ。東京の報道陣は東京駅に集まってたけど、大阪の報道各社は神戸に集結したってよ』

多部は思わせ振りな口振り。

「すっげえ事件が、神戸で?」

『まあ観れば分かるって』

これ以上は訊くだけ無駄。そう判断して早々に電話を切り、二二時からの報道番組をつけた。

冒頭は竜と珠希の移送状況が報じられ、それが終わると――

『次にお伝えする事件も、五億円事件と関連があると見られています。今日午後五時過ぎ、兵庫県神戸市長田区の神戸城内の天守閣から、男性が大量の一万円札をばら撒く事件が発生しました・・・・・・ええ、事件当時の映像は出ますか?』

画面は切り替わり、上空からライトアップされた天守を映し出している。

『時刻は現在五時三十分過ぎです。男性が天守閣の展望室に張られた金網の隙間から、大量の紙幣をばら撒く様子が見て取れます』

 ヘリコプターのエンジン音に交じる、女性記者の声高なリポート。

カメラが展望室をズームアップすると、金網の隙間から両手が伸び、紙幣が本丸跡の広場に向けて投げ捨てられるようにばら撒かれ、飛散しながら落ちて行く。

『地上に落ちた紙幣を・・・・・・十人以上はいるでしょうか? 拾っている人がいます。っあ! 今警官が四、五人駆け付けました。恐らく紙幣を持ち帰らないよう呼び掛けているものと思われます』

画面は天守を映し出したまま無音声になった。スタジオの男性アナが続ける。

『はい。天守閣の職員と警察官に取り押さえられた男性は、警察の取り調べに対し、「ばら撒いたのは東京で起きた五億円事件の金の一部で、昨日逮捕された二人から預かった。二人は生活困窮者を助ける為に事件を起したと話していたが、犯罪で手に入れた金では人を幸せになんか出来ない。むしろ苦しめる事だと、自分の人生を犠牲にしてでも伝えたかった」と供述しているとの事です――』

「こーんな形で仲間が出て来るなんてね」

チハルと同様、この結末は予測出来なかった。

「確かに犯罪で手に入れた金で助けられて喜ぶ人はいない」

「二人を想う気持ちも本当だろうけど、いつ真実がバレるか分からない中で、緊張感を強いられる環境に耐えられなかったんだよ、きっと。人を幸せに出来ないって二人に教えたいんなら、自首すれば良いじゃん?」

チハルは冷静な眼差しで画面を見詰め、ライトな口振りで分析する。

「ビクビクしながら生きるのって、相当な精神的ストレスだからな。そんな金で人を助けても苦しみを分散させるだけだよって、身を挺して証明した恰好だね」

 何となく切なく、大きく溜息を吐き、オレもチハルもしばらくテレビから目を離せずにいた。



翌日の昼。昼食終わりに多部から電話があり、詳しい話を聞いて度肝を抜かれた。

ばら撒き事件を起した男の名前は一見琢磨で、なんと、オレ達が留置された檻の鍵を閉め忘れた、あのケアレスミス看守だった。

一見は取り調べで大阪府内の山中にダミーの穴を掘り、現物は自宅の庭の芝生の下に埋めていた事。ばら撒いた金はそこから掘り起こした物である事など、全てを自供したという。

一見の自供により、夏木秀一という男も摘発される。これも驚いたが、派手なパンツを穿いていたホストのツカサだった。

この一件で一見は即日懲戒免職処分となり、夏木と共に証拠隠滅の罪で書類送検される見通し。

一見は妻には黙って計画を進めたらしく、庭に金を埋めた日も妻が外出する日を選んだという。妻を巻き込まない事がせめてもの償いだったのだろう。

因みに、ばら撒かれた紙幣は約一億円だったそうで、警官数人がいながら半分以上が持ち帰られてしまったのだそうだ。

警察は自主的に回収に協力して貰うよう、呼び掛けております――

ラストに僕は、また国民の皆さんにお尋ねしたい。


困窮している仲間を想い、自分と同じ境遇の人達を救いたい気持ちから起こしてしまった、今回の凶悪事件。しかしそれは、拙劣な侠盗面をした、只の利殖願望が強いだけの犯行だった。

数多といる困窮者に対し、白い目で見る人が俄かにも増えるかもしれない。


Question3『ある日、貴方は凶悪事件の報道に接しました。報道によるとその犯人は、貴方の友人と同じ境遇に似ているとの事。それを知った貴方は――

A 友人も同じ過ちを犯す可能性があるのでは? と一瞬でも疑ってしまう

B 犯人とは違う。と友人を信じる

どちらを選択しますか?』



ローカルアイドル達との打ち合わせを終え、十八時過ぎに新青森駅でチハルと合流した。十八時二八分発の新幹線で帰京する。

一日を共にしていたディレクターは前の座席に座っている。そのディレクターには聞こえないように、多部から聞いた話を全部チハルに伝えると、

「犯人全員と顔を合わせてたんだ」

笑うしかないだろう。

「こんな『サスペンス劇場』みたいな事はもう懲り懲りだよ・・・・・・」

『ブーン、ブーン・・・・・・』

 携帯が振動したので画面を見ると、坂木社長からの電話。

「ごめん。社長からだ」

「って事は、また仕事のオファーかな?」

「多分な」

足早にデッキに移動する。

『ユースケ、今青森なんだよな?』

「はい。さっき新幹線に乗って、もう直ぐ発車します」

『ご苦労さん。仕事が終わって直ぐで悪いけど、お前BSの番組に興味あるか?』

やはり新たな仕事か――ありがたやありがたや――

「・・・・・・あります」

『そうかそうか。よーし』

 爪弾きしている社長の姿が容易に想像出来る。

興味があろうがなかろうが、決して「NO!」とは言えない所が、この業界の不文律。

放送作家も派遣社員や芸能人と一緒。事務所に所属していても、推してくれる社長がいれば良いが、放送局や制作会社から仕事を頂かなくてはならない。

バックレたり安直に断ったりしていると、いつかは足を掬われ、詰め腹を切らされる事は明白。どの生業でも一緒である。

「BSのどんなジャンルの番組ですか?」

 こうして今宵も、「生活して行く為に」仕事を頂いた――


                                               

                                  了


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