表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

君の夢を見た

作者: 長曽禰ロボ子

気まぐれにやって来た猫が、気まぐれに姿を消しただけのこと。ドアの鍵は開けておくから、君はいつ戻ってきてもいい。

挿絵(By みてみん)


 玄関の外に夜のあいだ置いていたドライフードは減っていなかった。

 出しっぱなしにしておくと「野良猫に餌をやるな」と隣の部屋のおばさんに説教されるのでしまっておく。



 やっぱり行っちまったのかな、あいつ。



 実家から盆には帰ってこいと電話があった。

 その実家にも猫がいる。

 だから知っている。あいつらの気まぐれなんか。甘えたいときにはすり寄ってくるのに、こっちが手を差し伸べればそっぽを向くんだ。

 大学を出て五度目の夏。

 満員電車に揺られ、改札から吐き出され、朝から目が眩むような暑さの中を押されるように歩く。

 あいつが消えてもう数日経った。

 食えているのかな。

 だれか優しい人に拾ってもらえたかな。



 なあ、いつ戻って来たっていいんだぞ。



 うちのアパートのまわりの野良猫なんて猫らしい猫ばかり。呼んでも来ないし愛想も悪い。その中で、あいつだけは変わっていた。初夏の開けられた窓。ここは二階なのに、あいつは布団の上ですやすやと眠っていたんだ。

 実家にも猫がいる。

 だから目くじら立てて追い出す気にもなれなかった。

 目を覚ましておれと目が合っても、あいつは嬉しそうに一声鳴いただけだった。

 ばかだな。

 わかっているはずなのに。これがあいつらのやり方だってわかっていたのに。まんまとおれたちはそれに乗ってしまうんだ。

 その日は鯖缶で済ませた。

 会社からの帰りに駅前のスーパーで猫缶と猫ミルクを買った。

 もちろん、朝には部屋を追い出した。オレがいない間にいたずらされたりトイレされても困る。このアパートはペット可じゃない。部屋に戻ると猫缶と猫ミルクを皿にあけ、窓を開けてあいつを待った。

 そうさ。

 そんな時には来ないもんなんだ、あいつらは。

 バカバカしくなって、スーパーの弁当をビールで流し込んだ。そして、うとうととした頃。ぴちゃぴちゃとミルクを飲む音が聞こえてきたんだ。

 嬉しかった。

 子供のように嬉しかった。



 猫トイレを揃えた。

 猫用の食器も揃えた。

 猫砂は意外とやっかいなのでハンディクリーナーも買った。

 猫トイレを覚えたようなので、そのまま部屋に残して出社するようになった。まだ子猫ぽさが抜けていないあいつだ。昼間は騒いでいるかもしれない。隣にバレてしまうかもしれない。ペット可の物件を探し始めた。

 久々に自分が高揚しているのがわかった。

 新しい生活をはじめることができるのかもしれない。そう思った。



 だけど、あいつは消えてしまった。

 わかっている。

 あいつは野良猫だ。風来坊だ。ただ気まぐれにおれの部屋のドアを叩いただけだ。



 夢を見た。

 おれは泣いていた。

 あけすけに子供のように。もうすぐ三〇になるおれが。いや、だからなのかもしれない。さみしい。さみしいんだ。そうだ、おれはさみしいんだ。

 あのとき、なぜ言えなかったのだろう。

 もっと、君と一緒にいたかった。

 もっと、夢を語る君の声を聞いていたかった。

 もっと、暖かい君の笑顔を見ていたかった。

 好きだった。君のことがほんとうに好きだったんだ。



 きっと突然なんかじゃないんだ。

 おれが気づかなかっただけなんだ。



 君のことを、おれは探さない。

 夜の地下鉄駅で、一度だけ君の長い髪を見かけた。

 君の人生のままに、君は君の道を意志的に歩いていった。

 そして君は、君を待っている人のところに帰る。幸せな灯りのもとに。君の夢のもとに。だからおれは君を探さない。



 部屋のドアの鍵は、もう少しかけないでおくよ。

 いつ戻ってきても、君たちが迷うことがないように。



 夏は駆けていく。

 閃いて雲の狭間に。

 秋は佇む。

 通り過ぎる人々のざわめきに。



 そして今夜も、おれはドライフードを入れた皿をドアの外に置く。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 詩的でハードボイルドな文体と挿絵も合っていてとてもよかったです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ