皇帝
なんなんだこれは一体
近衛騎士の朝は早い。高貴な人々の最後の盾となる彼らは、ローテーションを組み複数人で一日中仕える主人を警護する。なので寝る時間も起きる時間もバラバラである。つまり朝は早いとは限らない。
朝、フカフカのベッドで眠るテイン君に迫る影があった。影はテインの寝顔を覗き込んで微笑み、その耳元に唇を寄せて囁いた。
「テイン、朝だよ。」
同時に体を揺すられ薄っすらと目を開けるテイン君。影ーーこの国、ゴールデンドーン王国の王女エリザリアはニッコリと笑った。
近衛騎士の朝食は質素だ。いついかなる時も主人を守る使命を忘れない彼らの食事はいかに素早くエネルギーを摂取出来るかという事を追求した専用の料理で、行軍中の携帯食とそう変わらない。
「はい、あーん。美味しい?これは海の向こうの大陸にしかいない牛ドラゴンの肉を取り寄せたの。こっちも美味しいよ。黄金ブドウっていってね、一粒一粒が同じ大きさの金と同じ値段なの。」
近衛騎士の着替えは素早い。洗練された無駄のない動きで戦闘服を着る。着替えなどしている時間があるなら鍛錬するのだ。
「ほら、次はこっちの足を上げて?よいしょ。うん、バッチリ!かっこいいよ!」
近衛騎士に休日は無い。国に仕える兵士としての最高峰である彼らの余暇は、全てその心技体の精錬へと注がれる。
「今夜はパーティーに行って来るからゆっくりお留守番しててね。お腹が空いたらすぐアーレに言ってね、何でもするように言っておいたから。おやすみまでには帰って来るからねー!」
名残惜しそうに姫は部屋を出ていった。俺はフカフカのベッドに寝転び頭の後ろで腕を組む。
「こんな暮らしも・・・悪くねぇな!」
暫くの惰眠を貪ってからベッドを降り、部屋を出る。扉の前に門番のように立っていた女性が当然と言う風について来るが気にしない。俺は見覚えのない長い廊下を歩きながら顎に手を当てた。そう確か俺は、誘拐されたのだ。あの金髪の少女に。そして何故か甲斐甲斐しく世話を焼かれている。人質が犯人に恋をするというあれを狙っているのだろうか。しかしどんな目的であれ、俺を束縛することは出来ない。押すなと言われれば押したくなる。無理だと言われたらやりたくなる。不屈の天邪鬼精神が俺の中には燃えている。
「あんたがアーレさんか?」
「はい。」
低音で心地良い声。俺は振り返らずに歩き続け、いくつもある扉から適当なのを選んでドアノブを引いた。トイレだ。
「俺は腹が痛い。そして君は美しい乙女だ。」
「はい?」
アーレとやらはクールな表情のままおとがいを傾けた。切れ長の目の上で長い睫毛が不思議そうにぱちぱちとする。俺はトイレへと入り扉を半ば閉めながらアーレを見た。
「向こうで花でも摘んでろって言ってるんだ。そのままの意味で。」
なおも首を傾けたままの顔を睨みながら扉を閉める。どんだけ鈍いんだ。デリカシーのない奴は従者に向いていないと思うが。便器の後ろの窓から朝の爽やかな日差しが差し込んでいる。仕方なく音を立てないように静かに便座の上に立ち、ゆっくりと窓を開けていく。声は聞こえない。慎重に顔を出して外を見てみると、遠くに小さな家々が立ち並んでいて、さらに身を乗り出して覗き込むと遥か下に立派な庭がある。どうやらここはかなり高い場所らしかった。下には降りれそうにない。上を見上げる。ここより更に上の階があるようで、建物から半円状に床が突き出ている。一旦体を引き、扉の近くにある備え付けの手洗い用の水が出てくる蛇口を慎重に取り外し、脱いだ上着に取り付けて簡易的なフック付きロープを作った。窓枠に立ち、下から円を描くようにロープを振ると蛇口が半円の上に乗る。慎重に引っ張ると金属が音を鳴らしてそれ以上引けなくなった。運良く一発で引っかかったようだ。そのまま上着を両手で持ち、壁に足をつけて地面と平行になるように上に登る。半円までたどり着き両足を離して腕力を頼りに床の端に手をかけ、そのまま一気に柵も乗り超えて半円の上に着地した。柵から蛇口を外して上着を取り外す。伸びきったそれを腰に巻いて蛇口はズボンのポケットにに入れた。ここはバルコニーらしく、ここへ繋がる扉は開け放たれ花の刺繍がされた緑のカーテンが風に揺れている。取り敢えず中に入り、テーブルを囲んで置かれた座り心地の良さそうな椅子にどかりと座る。ここからが勝負どころだ。あの身なりに俺に出された食事、着させられたこの小綺麗な服、巨大な屋敷、あの少女が大層なご身分であることはまず間違いない。この屋敷にはさっきのデリカシー無し子ちゃんのような使用人が何人もいるだろう。彼らに見つからずにここから脱出しなければならない。最近よく出会う奴らのような不思議パワーは俺にはない。ただの少年テイン君でなんとかしなければならないのだ。落ち着いて作戦を練るため、俺はテーブルの上に置かれていたポットからカップに紅茶を注ぎ、啜った。ついでに皿に載せられているクッキーもつまむ。外からラッパの音が聞こえてきた。すぐに人々の歓声が上がる。朝っぱらからパーティーでもやってるのだろうか。なんにせよ好都合だ、騒ぎに乗じて、という戦法が取れるかもしれない。
「もし。優雅なティータイムのお邪魔するのは忍びないのですが、ここは私の部屋ですわ。」
少女は言いながら、自分の入ってきた扉を閉めた。俺を拐った少女と同じくお姫様という風体だがその性質は全然違う。あの少女を春の菜の花とすれば、こちらは真夏の薔薇。豪奢で、冷たく、強い自我を持つ。俺を射抜く濃い青の瞳がそうしたことを伝えてきた。
「あちこち汚れていらっしゃいますね。外からここに登ってきた泥棒さんかしら?」
少女は少しも気負った様子もなく歩いてきて、俺の対面の椅子に腰掛けた。俺が紅茶をカップに注ぎ渡すと有難う、といって口をつける。俺もカップを傾ける。禽困覆車、窮鼠噛猫というが、車をひっくり返すにせよ猫を噛むにせよタイミングというものがある。その時まではじたばたせず、お茶でもしばいていれば良いのだ。少女はカップをソーサーに置き堂に入った姿勢で俺を見つめた。
「私はラオメドキア・トイコス・アカンティラード・フェルモイ。フェルモイの次期王位継承者です。」
「俺はテイン。パーティスソラーディス王国の国王だ。よろしくラオメドキア。」
せっかく差し出した手は握られない。付き合ってやったのに失礼なやつだ。この城には無礼者しかいないのか?ラオメドキアは馬鹿を見るように目を半分に細めた。
「まあ、貴方が何者かは関係ありません。他国の王族のための客室に侵入者なんて公になれば国際問題。貴方の運命はもう決定したようなものです。」
他国の王族でなくても不法侵入は罪になるが、俺は誘拐された身だ。裁判となればそこらへんを武器に戦っていこうと思う。
「しかし、今貴方の前に座るは未来の皇帝。慈悲深く、聡明で、決断力がある。過ちを起こした民にも、更生の道を与えるべきだと、私は思います。それ故。」
ラオメドキアの瞳が真夏の陽射しを受けた海のようにギラギラと光る。俺はクッキーを上に放って口でキャッチしながら少女の柔らかくも覇気ある声を聞く。
「何かしてみなさい。貴方が今から罪を洗うに足る行いをすれば貴方は許される。」
ラオメドキアは至極真面目な顔で言った。正鵠を射た意見である。許されることをすれば許される。それはそうだ。素晴らしいアドバイスに俺は考えた。パツキンお姫様のことを含め現状をそのまま伝えればこのお姫様も納得するかはともかく直ちに刑罰とはならないだろう。しかしそうするのが惜しいほどこの少女は面白い。俺は普通じゃないものが好きだ。目の前の女ほど不遜で美しく動じない少女がいるだろうか。俺は彼女を知りたくなった。
「人間は自由だと思うか?」
ラオメドキアは突飛な質問に戸惑う様子もなく目線を落とし考え込んだ。やはり変なやつである。
「・・・。どうでしょう。人は肉体も精神も様々なものに囚われている。夢、思想、生まれ、老い。しかし自由とはなんでしょうか。牢獄の中に自分は自由だと言う囚人がいれば、青空の下に囚われているのだと言う旅人もいる。雲の如く、月の如く。真実が見えたと思っても掴めない。真の自由などわかりません。しかし。」
言葉を一旦切り、ラオメドキアは真っ直ぐに俺を見た。
「人は進み続けるでしょう。知性は大地を、海を、空を征き、その営みを繋いでいく。何にも止めることの出来ない自由の行進。私はそれが好ましい。」
彼女の笑みは先程までの氷のような冷たさを溶かして無邪気に、情熱的に咲いた。この熱こそが不法侵入者の前でも動じない不動の態度の根源なのだろうか。
「王として君臨して、人々を導くといえば聞こえはいいが、統治とはつまり統制、お前の言う営みの妨げじゃないのか?」
彼女の笑みを妨げるのは本意ではないが、それは必要な犠牲として質問をする。案の定ラオメドキアは口角を下げ、いかにも不快という顔をした。
「獣のように本能に任せていてはどうしようも無いでしょう。発展には協調が必要で、そのためには理性による統治が必要です。確かに失われる自由もありますが、私達は全てを得ることはできない。選ばなければならないのです。」
ハッキリと告げた言葉に迷いはなく、彼女が普段から様々なことに考えを巡らしている聡明な人物であると分かった。
「貴方は問答がお好きなようです。私からも問いましょう。何故可憐で、優秀、高貴なこの私が、護衛もなく他国の、貴方のような子供でも侵入できるような場所にいるのか。」
ラオメドキアは愉快そうに足を組んだ。お前も子供だろうという台詞は一旦置いておいて、彼女には確かな品性や優雅さがある。御身分のお高いのは真実だろう。かといってあの少女らしい細い手足に悪漢を薙ぎ倒す力があるようには・・・。そこまで考えた俺の頭に、最近頻発している奇妙な体験がよぎった。空を飛び、透明になり、超スピードで・・・いずれも見目麗しい少女だった。ラオメドキアも同じような力を持っているなら護衛は必要ないだろう。彼女の後ろから銀色の光が溢れ始めたことが推測を裏付けた。しかしもう時間切れのようだ。
「あら、勘が良いのね。でも無駄ですよ。」
机をラオメドキアに向けて蹴り飛ばし、一か八かでバルコニーに飛び出た所で全身が上から押し潰されるように重くなり俺は手を床につかされた。俺の前まで優雅に歩いてきてしゃがんだラオメドキアには傷どころか紅茶の水滴すらついていない。
「逃がしてあげるつもりでしたが、気が変わりました。」
少女の手が俺に迫った。その指の隙間から覗く青い瞳の隣、爛然輝く太陽が、上から落ちてきた影に遮られた。
「見つけた。」
振り向くラオメドキアに影が突撃し、甲高い音が鳴った。その隙に立ち上がり部屋に戻り扉まで走る。体はもう重くなかった。テーブルや椅子の散乱する向こうで、ラオメドキアに影、アーレが拳や蹴りによる目で追えないほどの連撃を繰り出すが、全てラオメドキアの背中から発せられた銀色の光にぶつかり届かない。
「どいて下さい、お客様。」
「不敬ですね。」
アーレがさらに部屋の壁や天井すら足場にして様々な方向から攻撃するが腕を組み不敵な笑みを浮かべたラオメドキアに届く前に止められる。それどころか風のようだったアーレの動きもどんどんと鈍っていった。ラオメドキアが優勢のようだがどちらが勝っても俺には損だ。二人の奏でる物騒な演奏を背にさっさと扉を開いて廊下を走る。高価な服を着た驚き戸惑う人々に挨拶をしながらぐるぐるととぐろを巻く階段を駆け降りた。この階段に終わりはないんじゃないかと疑問を持ち始めた頃漸く一番下の階にたどり着いた俺に、パーティーの真っ最中だったのだろうグラスを片手に持つ人々の無数の視線が向けられる。突然現れた子供に屋敷の中は静まり返り外からのラッパと喧騒が虚しく響いた。
「たた〜えよう、めで〜たき〜、きょ〜という〜日を〜!・・・演奏!何してんの!」
俺は階段をゆっくりと降りながら美声を披露した。ポカンとしていた楽団が慌てて楽器を持ち始める。
「にく〜しみ、かな〜しみ乗り越えて〜!れき〜しにのこ〜そう、平和の日と〜!」
最近巷で最も流行っている歌のリズムのままなのを理解した楽団達が俺の歌に合わせて美しい音楽を奏で始める。
「きの〜うの、て〜きを、と〜もと〜して〜!なが〜き、あらそ〜いを、終わりにしよ〜う!」
みんなグラスを置いて何処か浮かれたように顔を赤くして俺を見ていた。俺は人々の間を歩き開け放たれた屋敷の正門から外に出て、くるりと振り返った。俺を拐った金髪の少女が心底驚いたというふうに目を見開いていた。
「皆さんご一緒に!」
音楽が一瞬止まる。俺は両手を一気に広げた。
「「「たた〜えよう、めで〜たき〜、きょ〜という〜日を〜!!!」」」
拍手喝采、歓声の嵐。俺は役者のように格好つけてお辞儀をし、驚く外にいた人々に挨拶しながら、悠々と屋敷を出た。
そうらしい