強欲
なし
親の言いつけを破り、街をぶらぶら歩いていると、道の隅に座り込む子供がいた。近づいてみると何やらぶつぶつと小さな声で喋っている。
「何よ、お菓子くらいで怒っちゃってさ、しょうがないでしょ食べたくなっちゃったんだから、食べたいものを食べて何が悪いのよ、素直な良い子じゃない、大体みんな私に厳しすぎるのよ、私を誰だと思ってるの?こんなところに一人にして、まあ私が勝手に抜け出してきたんだけどさ、そういう問題じゃなくて、相応しい対応ってものがあるでしょう、あの指輪だってどうせいつか私の物になるんだからはやく・・・あら?どうしたのかしら坊や。迷子?」
目の前で立ち止まる俺に気づいた少女は恐ろしく長い独り言を止め、立ち上がって年下への優しい笑顔を向けてきた。整った顔立ちをしていた。よくみると繊細な刺繍の編み込まれた高価そうなドレスを着ている。太陽の光を受け、細められた黄金の瞳が煌めいた。俺と同じ高さの目線で。
「上から目線やめろ、迷子じゃ無いし。同い年位だろ。」
俺がそう言うと少女は更に笑みを深め俺の手を握った。
「強がっちゃってかわいー!気に入ったわ!ついてきなさい坊や。この私をエスコートする栄誉を与えてあげるわ!」
「おいはなせ、お前みたいな変な奴と一緒にいたら俺まで変に思われるだろ!」
手を振り解こうとしてもびくともしない、少女に凄まじい力で引っ張られ慌てて歩き出す。
「おじさま、これ2つくださいな。」
「あいよ!おじさまなんて上品な、照れるねお貴族様の嬢ちゃん。ほれ、串焼き2本で銅貨2枚だ。」
「はーい!」
少女はいい返事をしながら湯気を立てる焼き立ての肉を刺した串を片手で2本受け取り、俺のことをじーっと見つめる。
「・・・ほら、おっさん。」
「まいど!」
俺は溜め息を吐いて、鼻歌を歌う少女に手を引かれながら続いた。この調子でさっきから何度も奢らされている。少女曰く、「私に奢れるなんて男として最高の名誉」らしい。貴族のような豪奢なドレスに全身を飾る見るからに高そうな装飾品からして、金は持ってそうなものだが何故だか一銭も払おうとしない。繋がれた手を離してくれないまま可愛らしい顔で見つめられるとつい払ってしまう俺もどうかと思うが。
「ほら、坊やも食べなさい。あっ、当然ですけど一本だけですよ。」
ふてぶてしさ極まる少女が差し出した手から串を一つだけ取って口に入れる。歯応えのあるホクホクの肉に噛むと溢れる肉汁と甘辛いタレが絡む。美味い。
「んー!庶民の味というのも捨てたものじゃ無いわね!美味しいわ!」
この口ぶりからして少女は貴族のお嬢様か何かのようである。面倒なものに近づいてしまった。手を引かれる力がワガママなお嬢様に楯突くのは賢い選択では無いと教えてくれる。不幸を嘆いて従うしか無いだろう。残った串を俺に渡した少女は唇の上に赤い舌を滑らしてからズンズンと進んでいく。しばらくして少女が突然立ち止まったので、俺も合わせて足を止める。
「次は何だ。言っとくけど俺の財布はもう砂漠遭難2日目くらい乾いてるからな。」
「あと1日保つわね。それよりあれを見て。」
少女が形の良い顎でしゃくる先には、喧騒と共に人だかりができていた。断片的に拾えるのは宝石、唯一、偽物だの、本物だの。いかにもこの全身装飾品塗れのお嬢様の好きそうな言葉が聞き取れる。
「だから金はねぇって・・。」
俺のぼやきなどお構いなしに引っ張ってくる少女に溜め息を吐きながら続いた。人混みを押しのけた先では、胡散臭い笑顔の男が床に敷いた赤い布の上に様々な宝飾品を並べて売っているようだった。男は並べられたものから大玉の赤い宝石の指輪をつまみ上げて掲げると、勿体ぶるように咳払いをしてから高らかに話し始める。
「さあご覧下さい、これぞまさしく世界の至宝!鮮烈にして妖艶!赤の中の赤!かの海賊エドワードの残したとされる5つの指輪、その1つ!デルポイの海底より300年の時を超え発見された!ファイヤレッドルビーの指輪でございます!」
海賊エドワード、大昔に世界を股にかけた大冒険をしたとされる伝説の男。彼の集めた宝はこの世の全てと評されるほどの蒐集家だったらしいが、それほどの財がありながら最後まで海賊、言うなれば泥棒稼業を続けていたというのは変人的である。
「偽物ね。」
興奮した男の台詞に間髪入れず冷たく呟いた少女に視線が集まる。何か言おうとする男を白く滑らかな手で制してから言葉を続けた。
「海賊エドワードの残したとされる五つの指輪の内現在確認されているリーフグリーンエメラルド、アクアブルーサファイア、スカイホワイトダイヤモンド、アースブラックパールの4つの指輪は全て異なる地域の遺跡から見つかっているわ。ファイヤレッドルビーの指輪だけが海底に、しかもスカイホワイトダイヤモンドの指輪と同じデルポイに隠されたとは考えにくい。エドワードのお茶目で1つだけ予想外な場所にという可能性も考えれなくは無いけれど。しかし私にはそれが確実に偽物だという証拠がありましてよ!そんなのなくても見れば分かりそうなものですけどね。」
ここで少女は言葉を切り、威張るように胸を張って自分の首に掛けた首飾りを持って少し突き出した。黄金で作られたそれの中央に嵌め込まれた大きな赤い宝石に、面白そうに話を聞いていた野次馬たちや店主が皆息を呑んだ。
「これを一目見れば節穴の貴方達にも言葉はいらないわよね。それともそこに嵌めてあるのは穴の方がマシなガラクタ?」
はあとかふうとか溜め息を漏らしながら首飾りを見つめる群衆の後ろで、露天の店主が布に商品を包んで忍び足で離れていく。
「随分と綺麗だとは思っていたがそんなにすげえのそれ?」
話の流れからして何となく分かるが一応聞いてみると、少女はやれやれと口に出しながら答えはせずにまた俺の手を引いて歩き始める。去り際に聞こえた「貴女はまさか・・!」みたいなおっさん共の台詞は聞かなかったことにした。大事が起きた時でも知らぬ存ぜぬと構えていれば意外となんとかなるものなのだ。
町中を歩き回っていたので当然時間も過ぎていき気づけば夕暮れとなっていた。最後に相応しい場所に案内しろという命令に渋々と従い、町の外れの丘上に登っていく。その道中に退屈そうな少女が手を引かれながら話しかけてきた。
「今日はまあまあ楽しかったけど、やっぱり素晴らしいお宝なんてのはそうそう見つからないわね。抜け出すのに結構苦労したのになんか、損した気分だわ。まあでも貴方という可愛い従者を見つけたから良しとしましょう。」
少女は悪戯っぽく笑った。可愛いなんて言われても嬉しく無いし、俺の金で遊び歩くような奴の言葉では尚気に入らない。
「むくれちゃって、可愛いわねー!」
揶揄う少女の鼻を明かしてやろうと俺は今日1日のことを振り返ってみた。つまりこの少女のことを。道端でぶつぶつと独り言を言う変人、見知らぬ俺を連れ回し金を払わせる傍若無人、全身を高価な物で飾り宝石に詳しい金持ち、麗しい容姿声所作の貴人。どこにでもいるような人物では決して無い。考えるほどに俺を突いて楽しそうにしているこの少女のことが気になってくる。君子危うきに近寄らず、知らぬが仏、世間知らずの高枕と自分を戒めるが、感情が理性を上回るというのは珍しいことでは無い。
「あんたは金持ちで人より多くのものを持っているように見える。それがなんで1人で知らない町を歩こうとするなんて危ないことをするんだ。」
口に出し終えてから理性が馬鹿野郎というように唇を引き締めるが手遅れである。俺の言葉を聞く少女には驚いた様子もなくただ少女を振り返りながら進む俺の目をその黄金のように妖しい輝きを放つ目で見つめた。
「今日一日のお礼として答えてあげる、と言ってもすごく簡単なことです。つまり、欲望に終わりなんてないの。そして何かを手に入れようとするとき困難はつきもの、ただそれだけのことよ。まあ私には危ない場面なんてそうそう訪れないけれどね。」
「幸福な平穏を財宝を手に入れるために捨てるのか、海賊エドワードみたいに。それに宝石や黄金なんて自分の物になっても誰かの物になっても美しさに変わりは無いだろ。それに幸せは自分だけの物じゃなく、誰かに与えることもできる。」
この言葉には幾分ムッとしたように少女は頬を少し膨らませ瞼を狭めた。
「彼なんかと私を同じにしないでくださる、私のものとなる財宝はこの世全てなんてちゃちなものでなくてよ。それに・・。」
この世の全てより上の物がこの世にあるのかと考えていると不意に不機嫌そうな顔がくっつくほどに近づく。
「誰かのためになんて愚かだわ。汝己がために奪略せよ、我が腕の内で初めて黄金は輝く。そう思わない?」
俺を抱きしめながら少女はそう言い、妖しく笑った。瞳が黄金のように輝いている。あんまりな言い分だったが不思議とそういうものかと思いそうになる。今の少女があまりにも魅力的だからかもしれない。俺が少し体を動かすと意外にも少女はすぐに離れた。手は握られたままだったが。少女の手を引いて少し行くと丁度丘を登りきった。話しながらもそれなりに登っていたらしい。そうして広がる風景に俺は目を細めた。少女は俺の隣で口を開けていかにも驚愕という表情で固まる。夕暮れの太陽が地平線に沈みかけ、そのオレンジの半身をゆらゆらと揺らす。その手前で大小様々な建物が長い影を落とす街並みの中にポツポツと優しい色の光が灯り始め、空はゆっくりと赤から群青に染まっていく。
「この美しさは誰のものにもならない。けど、輝いている。そう思わないか?」
揶揄うように言ってやると、少女は顔を赤くして怒ったが、その黄金の瞳の上にはいつまでも黄昏の風景が浮かんでいた。