熱と魔力と皇帝陛下
「随分と間の抜けた面をしているな」
ベビーベットを覗き込み、無表情ながら心底不思議そうに首を傾げる皇帝陛下――――改め、お父様。
悪かったな間抜け面で!
前触れもなく、想像もしていなかった人物が突然やって来たのだ。驚くぐらい、許して欲しいものである。
それとも、スターリア皇室一家は全員お父様並みの無表情がデフォなのだろうか。(この人形顔があと6つもあるとか……うん、怖い)
「ッ、発言をお許しください陛下! ベネトナーシュ殿下は風邪を召されておりまして、体調が万全ではないのです」
「……成程、相変わらず脆弱なことだ」
呆れたように溜息を吐きつつ、お父様はまた一歩ベビーベッドへと近づく。
私を庇うためか果敢にも間に入ろうとしたマルティアは、しかし冷気でも出ているんじゃないかというほど冷ややかなお父様の流し目に制され、その場で硬直した。
「似すぎたな、お前は」
誰に、とは言わなかったけれど……きっと、お母様のことなんだろう。
淡々とした口調に、やっぱりお母様の死を彼が悼む様子はない。
それが堪らなく悔しくて――――とても、寂しい。
お父様にとって、体も弱く魔力も殆ど持たなかったお母様は庭先に転がっている石と同じだったのだろう。
私を庇い、死んでいったお母様のその生き様がどれほど気高かろうとも、お父様は評価してくれないし、認めてくれることはないのだ。
そしてそれは私に対しても同じこと。
娘が熱を出していても、顔色一つ変えないこの人を見て確信した。
でも……私は諦めることなんてしない。生き残るために。そしてお父様にとっての弱者は、価値ある尊いものなんだって気付いて欲しいから。
見下ろす真冬の夜空の様な冴え冴えとした双眼を、私は決して逸らすことなく見つめ続ける。
お父様をこんな至近距離で見られる機会なんて、今日この瞬間を逃したらきっとないんだから。
大丈夫、大丈夫。ずい、と近づいてくる顔は精巧に作られた蝋人形の如きで、見惚れるどころか呪われそうでメチャクチャ怖いけど!
握手会で、コンサート会場で。前世の私は色々なタイプのファンに対応してきたのだ。
流石にルールを無視して抱きついてくるような人は運営スタッフさんやマネージャー方が止めることもあったけれど、応援に来てくれている人に対してあまり強く出られないこともまた事実。そのため殆どは自分で対処しなければならなかった。
握手会なのに、ずっと凝視したまま一言も話さず動かない人もいたし……逆にマシンガンの様に至近距離で話続ける方もいたっけ。
最初は戸惑うことの多かった彼ら彼女ら。長く付き合っていく中で、私はそのような行動に至るのにはきちんと理由があって。それぞれに、異なった背景があることを知った。
でも、短い邂逅では流石の私も深い部分まで理解することは出来ないし、それぞれに寄り添った対応することも難しい。
だから、その中で私に出来る精一杯のことを……そう、お父様にも。
「きゃうぅ……」
私よ、笑え。
ただ笑って、受け入れろ。
あるがまま。目の前に来てくれた、その事実だけを。
色々なことがある中で、私に会ってくれた。その想いに、心からの感謝を込めて貴方に。お父様に。
眼前に迫ったお父様の無非常なご尊顔へ、私は万感の想いを込めて笑ってみせた。
するとお父様は驚いたように、大きく瞬きを繰り返し。そうして、ゆっくりと目を閉じて……ふっと口角を上げたのだ。
「変わっているな、お前は」
今……笑った?
次の瞬間には消えてしまったそれを、私は呆然と眺めていた。
いや、まさかそんな。熱で幻でも見たのだろうかと戸惑う私に構わず、お父様はこちらへ掌を伸ばすとポン、と私の顔の上に置いた。う、ちょっと苦しいよお父様。
「熱がある。やはり魔力に器が耐えきれないか」
「カノープス侍医によれば、魔力を吸い出せば楽になるとのことでしたが……」
控えめに診察結果を伝えるマルティアに、お父様は肩を竦めた。
「だろうな。が、魔道具や魔術師連中を呼ばなかったのは賢明な判断だったと言えよう。皇族の魔力は特殊だ……魔道具の方が耐えきれない。人も同じだ。皇族の血を持たぬ者が魔力を吸い出そうとすれば、内側から破壊され、その四肢は吹き飛ぶ」
……ひ、ひえ。
もうやだ。色々怖いよ! なにが怖いかって、皇族の魔力は攻撃性が高すぎて怖いし、それを淡々と話すお父様も怖くて仕方がない。
が、マルティアはそうは思わなかったようで、別のことに注目していた。
「そんな! カノープス侍医はそのようなこと、一言も……ッ」
「魔力は多ければ多いほど良い。皇族の器はそれに耐えられるようになっている、本来ならな。よって、魔力過多状態が問題になる者などそうそう居ない……侍医が知らぬのも当然だろう」
ほんの少しだけ。お父様の台詞からは、諦めに近い何かが滲んでいるように感じられた。
確信できないのがね、とってももどかしいのよ。
熱でフラフラだから……私の空気読みスキルもキレがないのだ。肝心な時に本当、ポンコツが過ぎる体である。
情けなさから両手足を思わず動かそうとした私。しかしそんな私の顔をお父様がむんず、と掴んだ。
「動くなよ、末子」
「!……あぃ、」
このまま頭蓋骨でも粉砕されるのではと内心怯えていた(実際にこの人はそれを実行できるだけの力がある)けれど、お父様の掌から伝わる……ひんやりとした、不思議な感覚。自然と体の強張りが抜けていくのが分かった。
ものすっごく怖いけど……でも、気持ち良い。
例えるなら、猛暑の中でイベントをこなした後に、差し入れで貰ったキンキンに冷えたペットボトルを頬に当てた時と同じ。火照った体を鎮めてくれる、心地よい冷たいモノ――――お父様の掌。
もっと感じたくて、私は顔を自分から「ん、」と押し当てた。
「ッ……、動くなと言っただろう。集中できん」
強請らずとも楽にしてやる、欲深い奴め……とかなんとか。
ブツブツと小声でお父様が呟いている間に、私の身体の内側で燃え盛っていた熱い熱い炎は徐々に勢いを失くしていって。代わりに、とろりとした闇が頭の中に、視界に広がっていく。
「抗うな。いくら魔力を吸い出そうと、体が弱ったままではどうにもならん……寝て、体を休めろ」
そうして体がマシになったのならば、お前は私に―――――……
ぼんやりと。感覚も音も消えていく世界。
私を映すお父様の青い眼差しに、探し求めていた答えが。望んでいるモノが。
滲んでいたような。そんな気が、した。