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ブギーポップは笑わない レビュー

作者: ひろあき

不気味な泡という異名を持つ、世界の危機が迫った時に突然現れて消えていく存在者、ブギーポップとは、黒帽子に黒マントといった姿に身を包み、絶対に笑うことのない存在者である。


物語はこの存在者が世界の敵と戦っていくものとなっている。マインドコントロールをする者や合成人間や宇宙から来た者などなど、そういった非人間的なものとの関わりを通して、人間の本当の姿を語ろうとするものとなっている。


さて、ブギーポップは笑わない。では、なぜ笑わないのだろうか。ここにこそ、ブギーポップ作品の本質があるように思う。というのも、笑いとは日常の場面で当たり前のことであり、それと対立する非日常的な場面から見えてくることこそを伝えようとしているからだ。


その非日常に最も近い感覚がある種の不気味さとして現れる時、日常がいったいどういうあり方をしているのかということが見えてくる。だが、私たちはそれを嫌味嫌い目を背けるが故に笑うのだ。では、なぜ笑うのだろうか。


それは、竹田啓司が言っているように、誰もがブギーポップのようにはなれないからである。つまり、真理を語りそれを行動に移せる「普通でない人間」になれないということだ。


しかし、そんな竹田啓司に対して「君は優しい」といったブギーポップは、人間から怪物になってしまった精神科医との病室のやりとりで、ある重要なことを言う。それは「普通であるからこそ危ないんだ」という台詞である。女の精神科医が言った「正常性バイアス」に当たるが、心理学的な用語で被せるべきではない重要な台詞の1つである。つまり、ボ・マーダーが言っているように、「人間に統一された意志」などないのである。だからこそ、「それらがバラバラになった時、人は支離滅裂としか言いようのない行動に出る」のだ。


笑いとの関係とは、精神科医の言った「正常性バイアス」の「正常性」にある。


私たちは可笑しいものに対して可笑しいと感じて笑う。しかし、それは心の底から笑っているのだろうか。むしろ、心の底から笑えないために笑ってしまうのではないだろうか。というのも、笑いとは「正常性」の確認だからである。つまり、非日常から自分を守るためのバイアスなのである。言い換えれば、「まさかこんなことが起きるわけ」という感覚を保たせてくれることにこそ、笑いの本質があるのだ。


ブギーポップは笑っているのか笑っていないのかよくわからない、左右非対称の表情を見せる時がある。これは日常のありきたりな生活を意味する「左右の対称性」と対立している。つまり、ブギーポップとは人間の無意識に抑圧された非日常を知っているものなのだ。それが、あまりにも驚くべきことであるが故に、ブギーポップの言っていることはなかなかすっと頭に入ってこない。だが、時たま驚きでもって気づかされる時がある。その時、私たちの心にブギーポップは現れていると言えるのではないだろうか。


余談

ブギーポップは女の子の秘密と言われている。このことの意味するのは、男の子にとって女の子が謎な存在であるからなのではないか。しかし、女の子にとっても男の子は謎なのである。それが「女の子にも男の子にも見えるブギーポップ」にそのまま現れている。

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