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低脳と高脳

 洗面台に首を突っ込んだ僕は、蛇口を全開まで捻り、頭から水を浴びた。


 すると先ほどまでの記憶の情景は消え去り、現状をゆっくりと判断できるようになった僕は__


 「……まさか、ここまで取り乱すとは思いもしなかったな……」


 自身の正直さに飽き飽きした。


 少なくとも、彼女の前に出ると謎の高揚感に襲われ、笑顔を見るとこちらまで幸福感に包まれる。


 ……僕はもう、認めなければならないのか……本当の気持ちを……。


 いや、それは駄目だ。


 僕にも彼女にも今では立場がある。


 もし、そんなことをすれば、本当に彼女も僕も、二度と再会することが出来なくなる。


 とにかく、もう一度、このデートの間に彼女を諦めさせる策を練らなければならない。


 あまり長く待たせても悪いと思い、僕は髪をハンカチで多少拭ってから、さっきまでいたクレープ屋まで走る。


そこには、カナタさんがさっきと同じ場所にいたが、なにやら様子がおかしい。


 何か心配しているのか、祈るように手を合わせて何処かを見据えていた。


 「どうかなさいましたか?」


 「あ、レイ君……あれ、危なくないかな?」


 カナタさんが指差す方を見ると、一つの建設中の高層ビル__おそらく十階くらいだろう__の上で鉄骨を肩に担いで運ぶ女性建設員がいた。


 だが、その女性建設員の足取りは重く、鉄骨を支える手は遠眼でもよく分かるほど震えていた。


 そして、偶然、それを目にした。


 女性建設員の膝が崩れ落ち、その衝撃で鉄骨が落ちる瞬間を。


 そして、その鉄骨の墜落地点には一人の女の子がいた__


 「っっ!?」


 __それを確認すると同時に、僕は脳力を発動。


 体の力が抜けるのを感じながら、今朝、僕に襲いかかってきた赤服の生徒のように右手を噴射口のようにして飛び出し、墜落地点に辿り着く。


 女の子の前に盾のようにして立ち、左手を今まさに僕に突き刺さろうとしている鉄骨に向ける。


傍から見れば、僕のしていることは無駄な抵抗だろう。


 普通なら僕の左手は鉄骨に貫かれ、そのまま僕と少女の体を共に串刺しにするに違いないと。


 だが、そうはならなかった。

 

 僕の左手は衝撃や負荷を感じさせずに鉄骨の端を掴んだ。


 そして僕は、鉄骨を横たわらせるように優しく地面に寝かせ、庇っていた女の子に声をかける。


 「君、大丈夫? 怪我はないかな?」


 「は、はい……大丈夫です。助けていただいてありがとうございます」


一応、女の子の体を改めるが何処にも擦り傷など無く、鉄骨も何の衝撃もなく掴んだために砂埃すら付いていない。何はともあれ、無事で良かった。

 

 「レイ君っ!? 大丈夫だったのっ!? さっき手で掴んでたでしょ!? 怪我してない?」


僕が安堵しているとカナタさんが遠くから走ってきて僕の側まで来る。


 「僕は大丈夫だから心配しないでください」


 「でも、直接手で掴んでたでしょ!? どんな『IQ』でも絶対に負荷は使用した場所に現われるんだから、とにかく手を見せて!!」


 カナタさんが強引に僕の手を引っ張って怪我がないか見ようとして来る。


 これは僕はまずいっ!


 「いや、本当に大丈夫だからっ! もし怪我していたとしても、唾付けとけば直るから!」


 「なら、私の唾を付けてあげるから! とりあえず、観念しなさいっ!!」


 へたくそな僕の言い分を無視し、腕を抱きつくように取られた僕はカナタさんに左手の手の平を見られてしまった。


「やっぱり、無傷……」


  僕の左手に怪我は一つも無く、それゆえにカナタさんは静かに驚きながら、確信めいたことを呟く。


 「カナタさんっ、これは__」


 「おらっ! とっとと歩けや!」


 「す、すいません……」

 僕がカナタさんに左手の言い訳をしようとした時、建設中の高層ビルの中から二人の男女が出てきた。


 男の方はがっしりとした筋骨隆々きんこつりゅうりゅう体躯たいくに、顔を怒りで真っ赤に染めている作業員。


 そして、その男が腕を握って引きずる女性は先ほど鉄骨を落とした女性建設員だった。


 遠眼でも見て思ったが、その体は細く、死人のように白い顔、まさに不健康を身体全体で表していた。


 男は僕を見つけると、女性建設員と共に僕の目の前まで走り、膝を突く。


 「レイジア様!!  私はこのビルの建設の監督をしているものです。このたびはこの脳無しのせいで大変ご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ございませんっ!! この脳無しにはそれ相応の罰を与えますゆえ、どうか寛大かんだいな処置を……おら、お前が頭を下げるんだよっ!!」


 「うぅ……すいません、すいません……」


 そういうと、監督の男は女性建設員の頭を掴み上げ地面に叩きつける。


 それにより、女性建設員の額が裂け、少量の血がコンクリートに滴り、呻きうめ声のような謝罪を呟き続けていた。


 「ママッ!!」


 それを見た僕の後ろに隠れていた少女が監督の腕を母親から引き離そうと体をめいいっぱい使って引っ張る。


 「ママをいじめないで!!」


 「うっせえなおいっ! 邪魔だから引っ込んでろや!」


 だが、肉体労働で鍛えられている大人の男を一人で動かすことは出来ず、監督の無情な手に突き飛ばされた。


 体を地面に叩きつけられた少女を見た女性建設員は、自分の頭を抑えている監督の手を振り切り、倒れた少女を庇う。


 「止めてくださいっ!! 子供にまで暴力を振る必要はないじゃないですか!!」


 「うるせぇって言ってんだろうが! 誰のせいでこんなことになってるのかもわからないのかっ!! だからてめえら脳無しはどうしようもないクズなんだよっ!! その脳ミソに何詰まってるか、確かめてやろうかっ!?」


 監督の男の怒声で周りの住人や屋台の店主までもがその光景を見に来ていたが、監督はそんな些細な事は気にせず、少女と女性建設員の親子二人に向かって、高く振り上げた足で、親子を頭から踏み潰そうとするが、その前に僕がその男の肩を持って押さえる。


 「すいませんが、僕の前でみにくい事をしないでいただけますか? 目障めざわりです」

 

 「レ、レイジア様!? いや、しかし…この脳無しどもは何かあればすぐに付け上がりますのでこれくらいしなければ……」


 「それを決めるのは僕達王族だ。君に指図される筋合いはないはずだけど?」


 そういって僕が監督の肩を強く押すと、僕よりも体の大きい監督は、大きい音を立てて尻餅をつく。


 そして振り返ると、僕を見上げて不安そうに体を抱き合う親子の前で膝を突き女性建設員の体を一通り診る。


 肉体労働をしているにも関わらず華奢すぎる身体に、痩せこけて頬骨や血管が浮き出し、肉のない顔や腕。

 まだ春の暖かい日照りが続いているにも関わらず、死人のような青白い肌。

 それは全て、ある症状を意味していた。


 「監督さん」


 「ひゃいっ!」


 顔も向けずに僕が呼ぶと、監督は緊張と不安のあまり上ずった声で返事をする。


 「彼女のような肉体労働は、国の労働の義務として、十二時間以上の勤務行動の禁止と三時間に一回の一時間の休みを取る様に記されています。ですが、彼女の青白い肌はIQを酷使し続けた結果に起こる『脳内物質欠乏症』つまり、脳の熱暴走を意味します」


 脳力は無条件で使える訳ではない。


 筋肉は行使し続ければ筋肉痛になるように、脳力にも力の限界による症状がある。


 脳力の使用による酸欠状態が続き、それが持続することでめまい・頭痛・吐き気・寒気を起こし、慢性的な脳力の使用が困難になる。それが『脳内物質欠乏症』である。


 僕の言葉が図星なのか、監督は泡食ったように言い訳を口にする。


 「し、しかしですねレイジア様……こんな脳無しを働き手に選んでいるだけでも我々には損害でして、それをこいつ自らが返済しなければ雇っている意味が……」


 「損害しか生まない脳無ししか雇えないあなたが悪いのでは?」


 僕が容赦無い返答をすると、監督は俯き黙るが、僕はこれでは黙らない。


 「では、分かっていただいてことで、あなたには第二王子権限で一週間の自宅謹慎と役職の格下げを命じます。書類は住宅に直接送らせていただくので、後日、結果が渡されるでしょう」


 「なっ!? そんなっ! 被害は結果的に出ていませんでしたし、その脳無しにも休憩を挟むようにしますので、どうか、レイジア様っ! ご慈悲をお恵みくださいっ!」


 さきほどの女性従業員にさせていたように地面に顔を擦り付ける監督を僕は睥睨へいげいする。 

 「そんなこと……ですか? ふざけないでください。あのまま鉄骨が落ちれば、そこの少女は必ず重症を負ったでしょう」


 「で、ですが、たかが脳無しの娘一人……!」


 「もちろん、それだけではありません。その衝撃に伴い、建設員の彼女も墜落したかも知れません。そして彼女を支えていた命綱の衝撃により建材も墜落、被害はそこの少女一人ではすまないでしょう。交通に支障をきたし、作業を著しく遅延させた罰則にしては、僕の判断は甘いかもしれませんね。それでもまだ喚くなら、僕はあなたを全力で潰しますよ」


 今度こそ監督は何も言わずただ俯き、身体を震わせるだけだった。


 監督への罰則が決まるったところで、僕は再び後ろで僕を見上げ、抱き合っている彼女達をまた一瞥してから、改めて表情を重くして告げる。


 「ですが、あなたにもそれなりの罰を僕の権限により与えます。そうですね……何にしましょうか?」


 僕が考え込むように手に顎を当てると、黙って見ていた少女が、意を決したように母親を庇うように手を広げて立ち塞がる。


 「ママをいじめないでっ!」


 それを見て僕は心底めんどくさそうに少女に語りかける。


 「誤解しないで欲しいですね。別に僕は彼女を苛めている訳ではないですよ。これは王族としての義務です」


 「じゃあ、何で私達脳無しをいじめるの? 私知ってるよ! 脳無し狩りって言って、王子様が私達をいじめていること!! 町を歩いていただけで、脳無しだからっていう理由で私達に罰則したこと! 他にも、何か買い物しようとしてたら、それだけで注意されたりとかも!」


 確かにここ最近では脳無し狩りという犯罪が存在する。


 住民達の中でもこの国のシンボルである聖アメリア学園から離れれば離れる程、街の治安は悪くなる傾向がある。


 そしてそんな場所では、この子の言うような低脳力者達を様々な理由を付けて痛めつけることを脳無し狩りと言われる。


 そして僕はある用事で良く学園から離れた移住区に行く時があるが、その時にしている王族の仕事を脳無し狩りとまとめられる時があるのだ。


 僕が少し黙っていると、少女はワナワナと震えながら絞り出すように言う。


 「酷いよ……私達は何もしてないのに……悪いことなんてしてないのに、何でそんなに私達をいじめるの!? ねぇ!! なんで!? 何でなの!?」


 僕は少しも逡巡しゅんじゅんすることなく答える。 


 「それは君達が生まれた時点で、既に弱者だからだよ」


 僕の言葉に少女は言葉を失くす。

 

 そんな少女やその後ろにいた少女の親、周りの住民やカナタにも言いふらすように僕は声高々に語る。


 「人間の価値である脳力の『IQ値』は、生まれた時点でその数値が決定する。そして、それは親から遺伝され、永久に変わることはない。それが君達が弱者たる所以だ」


 「そ、そんなことない!」


 もはや意地や虚勢の抵抗と知りつつも、僕は容赦なく少女を含めた低脳をあげつらい続ける。


 「なら、なぜ君のお母さんは鉄骨を落とした? 見る限り君のお母さんの筋力ではあの鉄骨は持ち上がらないはずだ。脳力を使わなければね。そして、脳力の持続時間とレベルはIQ値に比例して上がる。君のお母さんは確かに休憩は無かったはずだが、それでも鉄骨如きを落とす程疲労するのは、君のお母さんが低脳だからだろ。もし君のお母さんの脳力のランクがAランク相応の脳力であったなら、こんな替えが利く捨て駒のような仕事もしなくて済むし、たとえランクが低くかったとしても、IQ値が高ければ脳力の行使可能時間も増えていた。君のような子供でも教育を受けていれば分かるはずだろう」


 「脳力だけが……全てじゃ……無いもん……」


 少女は悔しさのあまり涙を流しながら服の裾を握り締める。

 

 それを見て僕は心が痛くなったが、今更ここで止める訳には行かない。


 僕には僕のやり方があるのだから、自分にそう言い聞かせて、更に追い討ちを掛けるように今度は少女の親と話し始める。


 「大体、こうなった原因のあなたもあなたですよね? 娘がここまで言われて何もいう事が無いんですか?」


 「そ……それは……!!」


 母親の「それは違う」と言う言葉を手で制して僕は淡々と事実と皮肉だけを突きつけていく。


 「あぁ、いいですよ。大した言葉は期待していないので。娘に対してこんな貧相な服や教育を与える親には何も期待していませんので。何よりも、子供なら仕方がないと見過ごしましたが、あなたは大人ですよね? その大人が王族の僕に反論しようとするなど、もしかしたらですけど僕の叔母か祖母ですか? そうでないならあなたは何ですか? 娘さんの前ではっきりと言ってください」


 「ぐっ……ひっく、ずずぅぅぅ……」


 それを聞いていた母親ではなく、娘の方が嗚咽を交わせ、涙を流しながらスカートの裾を握り締める少女。

 たとえ細かくは分からずとも、大好きな母が自分のせいで馬鹿にされているのが悔しかったのだろう。


 そしてその泣き顔を見て母親は少女を抱く。

 

 だが、親子の苦難はそれだけでは終わらない。

 

 それを見て周りの高脳力者と思われる人々が親子に対し野次を飛ばし始めた。

 

 「そうだそうだ! お前らレイジア様に向かって何様のつもりだ!」

 

 「ガキの躾がなって無さ過ぎるだろうが! これも親が脳無しだからか!? 」

 

 「だいたい働かせてもらってるのにヘマするって何よ? 死んでも俺達高脳力者の役に立つのがお前ら脳無しの仕事だろうがっ!」


 「何をしても何を言ってもお前らなんか誰も助けやしないんだよっ!」


 「この役立たず親子がっ!!」


 「そうだっ! この役立たず!」


 「役立たず! 役立たず! 役立たず! 役立たず!」


 野次馬の誰かが言った役立たずという言葉に他の誰かが乗っかり、それがコールとなって周りは親子たちを役立たずとリズム良くののしりだす。


 だが、そんな状況で誰も彼女を助けようとしない。


 何故ならばそれが当然だから。


 力が無いから誰も反論も出来ない。

 言い返す事も出来ない。

 

 そもそも僕は間違った事を言っていないのもあるが、それでも道徳に訴えることぐらいはできるはずだ。

 

 それでも何も言わない、助けない。

 

 それこそが、彼らや周りの住人が低脳力者である証拠であった__はずだった。


 パアンッ!!


その音と共にその場にいた全ての人々が驚きのあまり静まりかえった。


 だが、中でも一番驚いたのは、さげすまれる親子でもなく、ののしっていた周りの野次馬でもなく、未だに尻餅を付いている監督でもなく、突然、カナタに頬を叩かれた僕自身だった。


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