初デート
始業式からその翌日の朝の校門前にて。
「レイ君! おはよう! 今日はいい天気だね!」
僕は声をかけてきたカナタに一瞥もくれず素通りする。
「ちょいちょいちょい!! それはひどいよレイ君! せっかくこんなにも可愛い彼女を無視するなんて!」
歩き続けていた僕の前に手を大の字にしてカナタが行く手を遮る。
「誰が彼女ですか……。あと、僕はあなたの言っている方とは別人ですのでその呼び方は止めていただけますか? 迷惑です」
「え~、だってレイ君はレイ君でしょ? そんなことよりも、今日これから《救世連盟》の活動でビラ配りするんだけど、レイ君もどう?」
「…………正気ですか、あなたは」
「正気も何も約束したじゃない。二人で世界を変えようって。そのための第一歩を二人で踏みしめるのは当然なのです」
そういうことじゃない。
《救世連盟》自体、規模が小さいためにただのデモ活動に収まっているが、国の基盤であるランク制に抗議している《救世連盟》は非国民と変わらない。
そこに王族である僕も参加しろという神経は図太いとか芯が強いというより狂っているの方が正しい。
それに何よりも、僕は一番《救世連盟》に関わってはいけない理由がある。
そしてそれは彼女にも知られてはいけない。
僕は彼女を振り払うように半ば強引に横を抜けつつ、一言だけ彼女に言う。
「とにかく、もうあなたとお話しすることはありませんので僕は失礼します。そして……今後一切、僕に関わらないでください。迷惑です」
「…………」
さすがにここまで言えばカナタが僕に構うことはないだろう。
これだけ拒否されてまだ関わってくるのならば、その図太さだけは認める他ないな。
そして、放課後。
「あっ、レイ君っ!! 待ってたよ!! 今日ちょっと時間ある?」
ホームルルームを終えて帰ろうと教室を出ると、カナタが僕を待ち伏せていた。
「いいえ、僕は忙しいので、今から帰ろうと思うのですが…………」
「あ、そうなの? なら、私と放課後デートしよう!!」
………おかしい。……僕は急がしいと言ったはずだが、相変わらずこの子は人の話を聞かないな……。
「話を聞いなかったのですか? 僕はこのまま帰ると言ったんです。あなたと遊んでいる暇などありません」
僕は相も変わらずカナタに冷たく接するが、対して彼女はおかしそうに笑う。
「だってただ帰るだけなんてつまらないよ。だから、ちょっと私と遠回りするための放課後デートってことだよ」
「僕は退屈な帰り道で結構です。あなたの暇潰しはご自分の友人達とどうぞ」
「え~けち~。いいじゃ~ん、行こうよ~…………もし行ってくれないなら~…………」
僕が抗議の声を挙げると彼女は人差し指を顎に当てて真剣に考え事を始める。
面倒な事になった、と一瞬思ったが、これはチャンスでもあるのでは…………。
このデートで僕が『レイ君』では無いという所を見せれば、今後彼女と関わる事は無い筈だ。
「…………気が変わりました。今日はあなたに付き合いましょう」
「本当にっ!? やった!! じゃあ早く行こうっ。私、レイ君との初デートは絶対ここって所があるの!」
僕が承諾すると、カナタは僕の腕を引っぱりながら歩き出す。
その表情はまるで子供が親に遊びに連れ出してもらったかのような、一転の曇りのない満面の笑顔を浮かべて喜びを露にしていた。
「何でそんなに嬉しいのかが、僕にはまったくわかりませんよ」
ただ遊びに行くだけでこんなに喜ぶとは、どうやら見た目通りお気楽な性格らしい。
前を歩く彼女の姿を見ながら肩を落とし、諦めて付いて行く僕の前から突如、吹き抜ける風のような声が通り過ぎた気がした。
(そういうお前も、顔が綻んでるように見えるがな)
「っ…………!?」
僕は突如、何処からか聞こえた声に自分の声を抑えながら驚く。
だが、周りを見渡しても他の生徒達はこちらを横目に見るだけで口を挟もうとする人は誰も居ない。
その声を僕の気のせいとして、僕はカナタと共に下校する。
*
カナタに連れて来られたのは、聖アメリア学園からそう遠くないガレアス中央通り。
国の交通の中央であるここは、学園の登下校を馬車でする学園生をターゲットとした食べ物やアクセサリーの出店が多く立ち並んでいる。
交通の中心で店を構えるだけあり、有名店の出店や個人営業の物までその数は多種多様に渡っており、
カナタはその出店一つ一つを穴が開きそうになるほど見つめ、子犬が尻尾を振る勢いで僕に鼻息荒く詰め寄ってくる。
「ねえねえあれ見てっ! サンドイッチにお肉の部位が三種類も挟んであるよ! あっちのホットドッグ屋さんは対抗して色々なバジルやブラックペッパーなどの香辛料を練りこんだソーセージが売りなんだって! これは質の工夫か物量の差か、興味深いね……!」
カナタ……? 君はいつから出店評論家になったの……?
いや、確かに評価は凄くしっくり来るし、興味と食欲はそそられるけど、それよりも……。
「とりあえず、ヨダレは拭こうか」
「はっ! えへへ、お見苦しい所をお見せしました。お店だけに」
やかましいわ。誰もそんなこと聞いていない。
「で、カナタさんは、もし僕が『レイ君』なら、ここで初デートがしたかったんですか?」
頑なに否定し続ける僕に、大げさにため息を吐きながらカナタが振り返る。
「もう、まだ認めないの? 相変わらずレイ君は頑固だなぁ。まぁいいや。そうだよ、最初付き合いたてだと分からない事だらけでしょ? だから、お互いにゆっくり、楽しみながら趣味や好きなものを知るにはやっぱりお買い物が一番かなって。ここなら色々な物がたくさんあるから、お互いに好きな物だらけで飽きないかなって」
なるほど、無計画かと思ったら、以外に考えている。まさか、僕の事まで考慮しているとは思ってなかった。
僕が内心で感心していると、カナタはまた食べ物の出店に穴が開くほど見つめていた。
「あれは……! 昨今、流行中の甘い薬草のフラッペ!! 味に薬草独特のほろ苦さを残しながらも、砂糖や蜂蜜の口の中を支配する甘さと融合した最高のドリンク!! 健康ドリンクとしては逸脱しているようで、スイーツとしての本来の姿から離れてるようにも見える、まさに若者とご老人のつぼを表裏一体の形で収めこんだ革新的ドリンク!! げひゃぁ~~~~」
今にも蕩けそうな喘ぎ声と濁流の如くヨダレを流すカナタを見ながら、僕は先ほどの気持ちを撤回する。
やはり、これはこの子だけが楽しむデートだ。
そんなことより……何故、食べ物の事になるとそんなに饒舌になるんだよ……。
こんな『表裏一体』や『革新的』なんて言葉を使う子が『ケアレスミス』を『ストレスミス』なんてアホな間違いをするとは思えないのだが……。
「へへへ……ここが噂に聞いた桃源郷、もとい糖源郷……」
だが、相変わらずのオヤジギャグは健在のようで安心するような、呆れるような……。
このまま突っ立ってるだけではデートにはならないと思った僕は、変な喘ぎ声を出し続け、放心しているカナタの体を揺すってこちら側の世界に引き戻す。
「カナタさん、いい加減どこかに腰を下ろすなりしましょう。ここも一応、街道の真ん中ですし」
「…………はっ! 私、今どこにいた!?」
「どこでもいいです。そんなに興味があるのなら何か買って来たらどうですか? 僕は食べませんけど」
僕の何気ない一言に、カナちゃんは驚きを隠そうとせず、その瞳を大きく見開く。
「えっ!? どうしてっ!? こんなにもおいしそうな食べ物が一堂に会しているのに、それらを食べずにこの場を去るのは、食に携わる人々に対する間接的冒涜だよっ!?」
「なんでそこまで言われなくてはいけないんですか!? だいたい僕はこんな事になるなんて思っても無かったから所持金は少ないんです」
まぁ、嘘ですけど。
財政的な面なら、流石のカナタでも引くぐらいあるけど……。
一応、この国の王子ですし。
「あっ、そうなの? なら…………その……えぇと……」
そういうとカナタは突然、モジモジしながら、顔を赤らめて上目遣いで提案する。
「そ……それなら……一緒に食べればいいんじゃないかな……?」
カナタの予想だにしない提案に思わず僕も、多少の動揺が隠し切れずたじろいでしまう。
「えっ? それって、まさか…………」
「ま、まぁ……見たところ、今ある出店の食べ物って、全部手で持って食べる物だけみたいだし…………だから、その…………」
カナタが言いずらそうに歯噛みした言葉を理解した瞬間、僕はつい何の考えも無しに口に出す。
「…………間接キス……になりますよね……」
僕がそういうと、カナタは真っ赤になった顔を俯かせながら縦に頭を振って肯定する。
僕達の間に気まずい空気が流れる中、少しの間、両者とも目も合わせれずに沈黙が続く。
その沈黙を切り裂いたのは、カナタだった。
「い、いやっ、ねっ!! 私はそういうの気にしないというか、大歓迎だからね、いいんだけど、もし、レイ君が嫌なら……」
「いやっ! そんなことはっ……!?」
咄嗟な返事にカナタは目を見開いて驚いていたが、僕も自分自身の声に驚いていた。
まさか、こんなに大声を張り上げるとは、思っても見なかった。
とにかくこのままではいけない。
何か言い訳をしなければ……!! 僕は一度大きな咳をして、努めて冷静に言う。
「ごほんっ、別にそんなことはありません。僕は、あなたの言う『レイ君』では無いのですから、あなたとの…………か、間接キスなど、造作も無い……です……」
「ふぅ~~~~ん」
…………少し、言い訳がましかっただろうか……カナタは僕の言い分を聞いて悪戯っぽく笑ったが、間もなく、身を持って理解した。
「はいレイ君! あ~んっ」
「だから、まだ僕には心の準備というものが出来ていないと言ってるじゃないですかっ!?」
「でもレイ君、ここまででもう何回もこのやり取りを繰り返してるよ? もうさすがに慣れて来てくれてももいいでしょ?」
カナタはそう言って、彼女がさっき口にしたホットドッグを先ほどから僕に向けてくるのに対し、僕はその度に首を真反対に向けて抵抗し続けていた。
「だいたいっ! 一つの物を二人で食べるなんてこと自体おかしいんですっ! 君が買った私物を僕が食べてしまってはそれは僕の私物であるという事にもなってしまう訳で、その場合、僕は君に対して何かしらの代価を支払わなければならない。だが、今僕には君に何か返すことは出来ないし、する気も無い。こんな片方のみ負荷の掛かる状態を果たして、一緒にデートすると言うのだろうかっ!?」
これはいいっ! 自分でも惚れ惚れするくらいの言い訳……じゃなくて!! 正当な言い分。
これをカナタがどう切り返すのか楽しみだ。
そう思いながら、僕は彼女に自信満々の顔を向けると、そこには少しだけ申し訳なさそうなカナタの顔があった。
「えへへ……ごめんねレイ君。難しいし長いから、ほとんど聞いて無かった……」
はい、僕の努力が無に帰しました。
こうなればと腹を括った僕は、首をカナタが持つフランクフルトに向ける。この後も何回も同じ事を繰り返す方が時間の無駄だという事を理解してしまえば、こんな豚の腸詰め、屁でもない。
「……わかりました。食べればいいんですよね、食べれば!!」
「うんっ! 素直でよろしい! はい、あ~ん!」
そう言いながら、カナタは口を大きく開いて僕にフランクフルトを向けてくる。
その姿に僕は何か知らない劣情に駆られ、せっかく決心した心が決壊してしまう。
「そんなことしなくても自分で食べれますからっ! 止めてください、恥ずかしいっ」
「私がしたいのっ。はい、あ~ん!」
いや、ただ同じものを共有するだけだ。
気にするな気にするな。
何度も心でそう唱え続けた僕は、意を決してホットドッグを口にする。
「どうっ!? おいしいでしょっ!」
「…………はい、おいしいです。ありがとうございます………」
僕がそういうとカナタは意地悪そうな笑顔を僕に向ける。
顔全体が熱い。
きっと今僕が赤面しているからだろう。
この様子から見て、カナタは僕がこうなることを見越しての出店デートだったのかも知れない。
しかし、緊張してまったく味を感じなかったとは自分でも驚きだ。
間接的にしか接触していないはずなのに、味も感じないほど感動……いやっ! 緊張してしまうとはっ!。
だが、これを乗り切れば後は飲み込むだけだ。
そう思った僕はホットドッグを一気に口の中に押し込む。
「あっ……」
「んっ? ……ふぅ。カナタさん、どうかしましたか?」
僕がホットドッグを食べきる姿を見て、小さくカナタが声を漏らした。
「な、なんでもないよ! ほら、次は私、サンドイッチが食べたいなっ、早く行こっ!」
焦ったように話題を切り替えて、カナタはサンドイッチの出店へと走る。
僕は少し気にはなったものの特に深くは考えなかった。
その後もカナタとのデートは続いた。
サンドイッチは、キャベツに歯型がくっきり残るためにさらに意識してしまうし、アイスクリームは直接舌に触れるために熱が伝わりそうになったりと苦労が絶えなかった。
しかもその場その場で僕がたじろぐ姿を見ると「あれ~? 私とじゃ何も感じないんじゃなかったの~?」や「やっぱり本当は『レイ君』なのかな~?」などと言うので、仕方なく最後まで食べる羽目になり、現在は満身創痍でクレープの出店にて、僕はイチゴとバナナと生クリームのクレープになんとか口を付け、難を逃れた。
「ど、どうですか…………。これでもう僕が、あなたの言う『レイ君』ではないことが分かったでしょう?」
「ん~、ごめ~ん。私、バカだから分かんなーいっ」
王である我が父よ。
この子、一回だけでいいから、王族権限で手を出してもよろしいでしょうか。
カナタをそんな恨み辛みを含んだ目で睨んでいると、彼女の視線が僕の手元に向けているのに気付いた。
「……もしかして、カナタさんもクレープが食べたいのですか?」
「えっ!? いや、そんなことは無いけど!?」
僕としたことが、少し配慮が足りなかったようだ。買ったのはカナタなのに、先ほどから食べているのは僕ばかりじゃないか。
「カナタさんが食べるのは決まって最初の一口だけですよね? おかげさまで僕はもう満腹なので、クレープだけでも食べてください」
「い、いやっ! 私もお腹いっぱいだし__!」
__レイ君が食べなよ! と、カナタが言う前に、盛大な音を響かせて彼女のお腹が空腹を伝えた。
それにカナちゃんは俯きながらお腹を押さえて恥ずかしがるが、恥を知るのは僕の方だろう。
彼女のことも考えずに自分だけ食べ続けて、しかも、彼女に恥ずかしい思いまでさせてしまうとは……このことは反省しなくてはならないな。
「カナタさんのお腹もそう言ってますし、どうぞ」
そう言いながら僕はカナタにクレープの持ち手を手渡す。
すると、突如、カナタの顔が湯気が出そうなほど赤くなり始めた。
「ど、どうなさいましたか!?」
僕は彼女の身を案じて彼女を注意深く観察するが、彼女はずっとクレープの、特に僕が口を付けた所をじっと見つめて、視線が離れていなかった。
…………これは、もしかして…………。
「…………もしかして、カナタさんも僕との間接キスで緊張していますか?」
それは正鵠を突いたようで、カナちゃんはクレープを持つ逆側の手をぶんぶんと振り回してこれでもかというくらいに興奮する。
「そそそそそ、それはするよっ! 私からの間接キスならともかく、レイ君からの間接キスなんて……!!」
「だから、僕はあなたの言う『レイ君』では無いと言っているでしょう。それを言うなら、先ほどからずっと僕とカナタさんで間接キスをしていたじゃないですか?」
「あれはいいの! 私から攻撃してレイ君が受けだから! でも、私が受けなのはなんか、その、言いがたい興奮が……」
「興奮って……」
僕は軽く背筋が寒くなるのを感じながら彼女から距離を半歩ほど取る。
「え、でもレイ君もさっきからそんな感じじゃなかったの?」
「僕はそんなことで興奮したりする変態ではないですっ!」
「またまた~。毎回毎回顔真っ赤にして食べてた癖に~」
「今、顔を赤くしてるカナタさんには言われたくないですっ!?」
「そ、そんなことないもん! これは……その……そう! ちょっと暑かったから顔が日焼けしたただけだもん! 恥ずかしがってる訳じゃないからね!」
そういうとカナタはクレープを一気に頬張りながら僕にどうだっ!と言わんばかりに無い胸を張る。
「ごれで、わだじが、ばずがじがっでないっでわがっだでじょ!!」
「ごめん、なんて言ってるか分からないから食べてからにしてください」
カナタはクレープを呑み込むと、恐らく先ほどと同じ言葉を言う。
「だから、これで私が恥ずかしがって無いって分かったでしょって言ったの! まったく、レイ君はいつも私と張り合いたがるんだから」
クレープをほぼ一気飲みしたカナタには言われたくないな、本当に。
そのせいでカナタの口周りはクレープの生クリームだらけで雪原のようになっている。
見かねた僕はハンカチを取り出して、カナタの口元を拭う。
「ほら、これで綺麗になりましたよ」
「ふふっ、ふふふふふっ」
ハンカチをカナタから離すと、何か嬉しそうにはにかむ。
「な、何かおかしな事でもしましたか?」
「ううん、何ももおかしな事はないよ。ただね……昔もこうして、レイ君に口元を綺麗にしてもらってたの、思い出しちゃったから…………」
「……………………っ!!」
一瞬、僕は幼い頃の事を思い出した。
似たような場所で買い食いをして、分けあって、口元を汚した女の子に世話を焼く男の子が居た事を。
あの頃のことはもう、思い出してはいけない。冷静にならなければ…………。
そう思い、顔をしかめて気合を入れながら彼女の顔を見た一瞬、僕の思考は停止した。
あまりにもカナタさんの笑顔が輝いて見えた。
彼女は僕の見ている中ではいつでも笑顔だ。
だが、この笑顔は何か本当の喜びを噛み締めて、心から飛び出して来たかのような幸福がこちらまでにも伝わる、そんな笑顔だ。
その変わらない純粋な笑顔を前についに、僕はそこにいることが出来なくなってしまった。
「す、すいません……! 僕、お手洗いに行ってきますっ!」
「あ、レイ君っ!!」
カナちゃんが僕を呼んでいたがそれを振り切って僕はその場から逃げるように走った。