口紅
清治はデスクにふんぞり返りながら唸っていた。
「鑑識が割り出した死亡推定時刻が間違っていたのでしょうか」
佐武が漏らした。
「死亡推定時刻は、死後硬直の具合と、直腸温度から割り出したんですよね」
「ああ。眼球の白濁など、他は冬場だから時間がかかる」
そこで清治は、遺体の様子で思い当たるものがあった。小出川の遺体は、臀部が著しく濡れていた。そして、犯行現場から消されていた足跡。
「犯人は、雪を使って死体の臀部を冷やし、直腸温度による死亡推定時刻を狂わせたのかっ」
死亡後、体温が低下し、外気温と同じ程度になる速さは決まっており、直腸温度は、死亡推定時刻を割り出すひとつの手法だ。冷やせば、死亡推定時刻が、実際よりも早く出る可能性がある。
「死後硬直はどう説明が――」
「走ったような足跡、遺体に残る擦り傷。――犯人は小出川を走って追いつめたんだっ。疲労は死後硬直を早める」
老人が言っていた走った足跡。それで小出川が疲弊していたなら、死後硬直の進行が速かったことも説明できる。
「じゃあ、犯行は人気の少ない真夜中に行われたと考えられますね」
佐武が付け加えた言葉で、いよいよ筋書きができ始める。
ダクトに凶器のナイフが投げ込まれた時間こそ、犯行時刻。こちらが最初に割り出した死亡推定時刻は、犯人が用意したまやかしだったのだ。
「手口は分かった。問題は――」
「証拠がないんですよね」
清治は頷いた。もう一度、これまで手に入れた証拠品が並べられる。イヴ・サンローラン社製の口紅、凶器のナイフ、これはゴミの可能性もあるが、セブンスターのタバコ。
異彩を放つのは、やはり口紅だ。これだけが明らかに女性のもの。
「ですが、三谷さんは、これは自分のものではないと――」
「中を見てみよう」
清治は手袋をして、口紅のキャップを開けた。一目で分かった。それは、“新品”だった。
「これは、カモフラージュか」
「そうなると、ほぼ確実に三谷さんの可能性は消えますね」
「分かったぞ。明日、彼を署に呼び出そう」
佐武は驚いた。犯人は誰なのかと。そして決定的な証拠はと。
「そいつは今から集めるさ」
清治はそう言って電話をかけた。相手は、自分の娘。
「千織か。セイクレッド・オアシスの小出川祐介が出ていたラジオの放送が聞きたい」