皇子の決断
ユライの帰りを待っていた、ヤシュたちの元に、別の人物が走り寄ってきた。たまたま夜勤だった、看護師長である。
「皇子殿下! 大変でございます!」
ヤシュたちは顔を上げた。看護師長は息を切らし、慌てた様子で、
「ユ……ユ……ユライ様がカンラム病になられて、意識不明の重体でございます!!」
ロイエールはイサナに不思議そうに聞く。
「何がどうなっている?」
イサナは質問には応えず、看護師長に、
「どちらで倒れておられましたか?」
「院長室の前でございます」
「やはり、そうですか……」
看護師長が何かを言おうとする前に、イサナはさらりと、
「院長は行方不明ですね〜」
「えっ!? ……えぇ」
先に言われたので、看護師長は驚いた。ロイエールは険しい表情で、
「殺されたのか?」
「違うでしょうね〜」
イサナがのんびり言うと、ヤシュが立ち上がった。
「院長室へ行く」
★ ★ ★
院長室はもぬけの殻だった。慌ただしく出ていった形跡があちこちに残る。ドアは開けっ放し、引き出しもあちこち開けてあり、書類は机の上どころか、床にまで散らばっており、足の踏み場もない。
ヤシュは雑然とした部屋を見渡し、
「どうやら、院長もスタヴロス教徒だったようだな」
書類の山をつかんでは、避けてを繰り返していたイサナが、
「やはり、そうでしたか〜」
この男、やはり頭がキレるようで、だいたいのことは予測がついているようだ。その時、壁際をさっきから、ずっと指で調べていたロイエールが、
「見つけた」
「さすがだな」
「さすがですね〜」
ヤシュとイサナはともに感心した。数々の敵のアジトを占拠しただけのことはある、ロイエールは隠し扉を見つけたのだ。三人が中をのぞくと、薄暗く、カビ臭い階段が、闇に招かれるように下へ下へと続いていた。ヤシュたちは人一人がやっと通れるくらいの階段を降りてゆく。皇子の声がこだまする。
「スタヴロ教の教祖は患者だったのか?」
「おそらくそうでしょうね〜」
身の安全を守るため、一番後ろを歩いている、イサナがノー天気に応えた。皇子の身を守るという職務を、常に忘れないロイエールは先頭を歩きながら、
「誰なんだ?」
「オルタカ サデュ」
イサナはあっさり告げた。
「お前には、いつも驚かされる」
ヤシュは少しだけ笑い、イサナに大いに感心した。イサナはいつもこうなのだ。遊んでいるように見えて、情報はきちんと収集しているのだ。
「どんなやつなんだ?」
ロイエールの質問にも、イサナはスラスラと、
「出生も出身地も不明です。アジュラ帝国の生まれではないようです。古いデータ上には、彼の名前は載っていませんでしたから……」
乱戦の中で生き残り、アジュラ帝国に降った人間。
イサナは話を続ける。
「類い稀な性質を持った人物のようです」
「ん?」
ロイエールとヤシュの声が重なった。
「オルタカは中央カラン戦争で、カンラに汚染される状況下にあったのですが……」
そこまで言って、イサナはお手上げのポーズを取った。
「オルタカはカンラム病にはならなかったようです」
「何っ!?」
ロイエールは思わず、立ち止まった。ヤシュはその背中にぶつかりそうになって、
「止まるな」
「すまん」
三人は再び階段を降り始めた。
「それならば、何の問題もないのではないか?」
ヤシュの質問を聞き、イサナは珍しくため息をついた。
「病気にこそなりませんでしたが、オルタカはカンラを吸収する能力を身につけてしまったようです」
「何っ!?」
ロイエールは再び、突然立ち止まり、ヤシュはまた注意する。
「ロイエール、止まるな」
「す、すまん」
三人はまた降り始めた。イサナののんびりした説明は続く。
「初めの頃は、人々のカンラを体内へ吸収し、カンラム病を治していたようです」
話をいったん止め、ため息を少しだけついて、
「人々から神と崇められるようになり、スタヴロス教祖に祭り上げられたようです」
ヤシュから質問が飛んでくる。
「では、ギセンガンのカンラム病を治したのは、オルタカということか?」
「えぇ。その後、ギセンガンはスタヴロス教信者となり、軍の者たちも信者となり始めたそうですよ」
イサナの語尾が違ったことに気づき、ロイエールは、
「お前、その話、誰から聞いた?」
イサナはくすりと笑って、
「とある女性からですよ〜」
「はぁー……」
ロイエールとヤシュは同時にため息をついた。イサナが女性を酔わせて、聞き出している場面が容易に浮かんで。
階段をちょうど降りきったところで、ロイエールはさっと銃を取り出した。
「中に人が大勢いる」
多くの気配を感じたらしい、たくさんの戦場をかいくぐってきただけはある。緊張感のある声で言われ、ヤシュはすっと真顔に戻った。だが、イサナはニコニコで、
「彼らは武器は持っていませんよ」
「何故、わかるーー」
ロイエールが聞き返そうとした時、無線ががなりたてた。
「マイヤー大佐! マイヤー大佐! 応答願います!」
イサナは視線だけで、無線を取るよう指示した。
「何だ?」
「我々の軍以外、全て惑星を出発しました」
「何っ!?」
「そこまで広がっていましたか〜」
イサナの言葉に、
「そのようだな」
ヤシュはうなずき返した。
「大佐、ご指示を!」
ロイエールは何が起きているのかわからず、一瞬言葉に詰まった。
「…………」
ヤシュが静かに、
「待機だ」
「御意」
ロイエールは大佐として、命令する。
「全員、待機!」
「了解」
無線はそこで切れた。
「どういうことだ?」
一人わかっていない、ロイエールにイサナがのらりくらりと説明する。
「ナズル アレンとオルタカ サデュのふたりが、信者の軍の者たちを連れて、おそらく、ギセンガンの元へ向かったのだと思いますよ〜」
「何っ!?」
「ユライをカンラム病にしたのだ、逃げるであろう」
驚いているロイエールを置いて、ヤシュは平然と答えた。
「では、中にいるのは?」
「信者、一般人ですよ」
ヤシュは少しきつい口調で、
「ロイエール、武器をしまえ」
「御意」
ロイエールは銃をしまい、そっと扉を開けた。
薄暗く、奥行きのある部屋。
両脇の壁には、はかなげに、なめるように揺れる、ろうそくの炎がいくつか浮かんでいる。はるか遠くには、エメラルドグリーンの祭壇。その両脇には、禍々しく燃える松明。不気味、その一言で十分だった。
だが、さらに奇妙だったのは、ざっと百人近くの人間が床にひざまずき、目を閉じ、両手を胸の前で組み、何かをぼそぼそと唱えているのだ。三人には誰一人、気づいていない様子。
ヤシュたちは奥の祭壇を目指す。彼らの両脇には、必死に祈り続けている人々が。皇子は祭壇に近づくにつれ、握りしめる両手の力が強くなっていった。
オルタカを教祖と崇め、人々は神に祈りを捧げている。それなのに、やつはもう、この惑星にはいないのだ。弱い者たちを置き去りにしていったのだ。上に立つ者として、断じて許されることではなかった。
祭壇にたどり着き、ロイエールはあちこち調べ始める。耳障りな、祈りの大合唱の中。イサナは、エメラルドに見せかけた祭壇を眺め、
「おそらく、この上にカンラム病の患者を寝かせ、儀式に見せかけ、オルタカはカンラを吸収していたようですね」
ヤシュはイサナから、ロイエールに視線を移し、
「通路は見つかったか?」
入り口、ヤシュたちが入って来た側から、オルタカたちは出ていない。看護師たちが、院長を躍起になって探しているのに、彼らは惑星を脱出している。ということは、隠し通路があるはずだ。壁を調べていたロイエールが、
「いやーー」
その時、下から突き上げるような揺れが人々を襲った。
「おぉっっ!!」
「きゃぁぁっっ!!」
あちこちから、悲鳴が祈りに取って代わった。ヤシュはすぐさま、ロイエールとイサナに、
「人々を外へ速やかに誘導しろ」
「御意」
イサナは祭壇の上に、軽々と登り、
「みなさ〜ん! 外に出ますよ〜」
その声に反応したのは、女子供だった。ロイエールは中央の通路を歩きながら、残った野郎どもに、
「慌てず、外に出ろ!!」
人々は混乱することなく、聖堂から外へ出始めた。その間、何度か揺れを繰り返し、天井や壁が崩れ落ちてきた。それでも、イサナとロイエールはそれぞれのやり方で、人々を避難させた。全員、無事に脱出したのを確認し、ヤシュは、
「我々も脱出するぞ!」
その時、ヤシュの頭上に天井が崩れ落ちてきた。ロイエールは床をまるで、氷上を滑るが如く移動し、
「皇子!」
ヤシュの上は覆いかぶさった。
「くっ!」
ロイエールは右腕で、破片を支えていた。だが、むき出しになった鉄筋をまともに食らってしまい。
「ロイエール!!」
イサナは走り寄ろうとしたが、
「大丈夫だ!!」
ヤシュを落下物から守った、ロイエールの腕からは血が滴り落ちていた。
★ ★ ★
大地震の中、それでも人々はなんとか全員、外へ避難した。
アンダル地区のテントがすぐさま作られ、シュタイン、ユライをはじめとする、患者たちが収容された。ロイエールは包帯を巻いた腕で、指揮を取るので手一杯だった。どんよりした空、まるで、アジュラ帝国の行く末を暗示してるかのようだった。
自分のテントへ戻ったヤシュは、更に忙しくなった軍のため、護衛はイサナのみ。イサナは細身だが、一応、皇子の教育係として、大抵のことはこなせる。剣術もそのうちのひとつだった。
皇子はある決断を下すべきか、どうか迷っていた。イサナは長年の付き合いだ。ヤシュが苦渋の選択を迫られているのを知っていて、黙ったままそばにいた。
そこへ、天幕の入り口に人影が映った。
「何だ?」
ヤシュの重たい声が響いた。軍内で何かあったのかと思ったが、女性の声で、
「皇子殿下、シュタイン陛下の意識がお戻りになられました」
ヤシュはなぜか、イサナを見た。
「…………」
「…………」
イサナもヤシュを見返した。二人の沈黙と、視線の交差は、決断を下す時が来たという意味を持っていた。
「わかった」
ヤシュは重い腰を上げ、イサナもあとに続いた。
★ ★ ★
ヤシュは人払いされた、シュタインの天幕にいた。イサナももちろんいない。ヤシュだけに、シュタインは打ち明けたいことがあるようで。余震で、非常用のライトが時折揺れる。皇帝はまだまだ回復はしておらず、酸素マスク、生命維持装置をつけられたまま。シュタインはか細い声で話し始めた。
「父も母も亡くした、孫のお前に苦労はさせたくなかった。当時、諸外国から、お前を人質として、差し出すよう申し出があった。そんな時、ギセンガンはカンラの使用を持ちかけてきたのだ」
ヤシュはいつの間にか手をきつく握りしめていた。シュタインはそんな孫には気づかず、話を続ける。
「到底、許されることではないが、お前は許してくれるであろう?」
ヤシュのさっきからの決断は、シュタインの言葉で下された。救護や援護で外は、喧騒の渦。天幕の中の声など聞こえもしない。ヤシュはゆっくり立ち上がり、
「おじい様……」
普段は、決して口にしない呼び方をし、シュタインの手を握るかと思いきや、生命維持装置のスイッチを切った。
「うっ、う……!」
うめき声が聞こえたのも、つかの間、
「どうか、安らかに……」
ヤシュはそう言うと、天幕をするりと出た。怒りで手が震えている。身内のために、たくさんの人を犠牲にしてきた。シュタインは皇帝に向いていなかったのだ。足早に歩くヤシュの隣に、人がさっと寄ってきた。彼は誰だかすぐわかった。松明と松明の間の闇で、ヤシュともう一人は立ち止まった。
「…………」
ヤシュは怒りを抑えるのに精一杯だった。時折、風に揺れる灯りで、相手ーーイサナの顔が見えた。お付きの者として、ヤシュだけに聞き取れる声で、
「皇子……いえ、陛下のされたことは、間違っていらっしゃいませんでした」
ヤシュは怒りに埋もれていた感情に気づいた。それは、悲しみだった。父と母のいなかったヤシュに、シュタインはいろんなことを教えてくれた。唯一の肉親をこの手で殺めた。人としては、許されないことだ。だが、皇帝として、人の上に立つ者として、許してはいけなかった。
「あとのことは、私にお任せください」
「……すまぬ」
ヤシュがやっとの想いで、一言いうと。突然激しい雨、黒い雨が降り始めた。
「陛下、今後のご指示を」
「全員、直ちにこの惑星から脱出し、オルタカを追え!!」